15:そして、旅の終わりを
アニスフィアたちとの会話は、最初はぎこちなかったが時間が経つにつれて楽しい一時になった。
やはり過去の時代を生きた証言というのは彼女たちには興味深い話だったそうだ。
逆に私は彼女たちから聞くことが出来た現代の話が興味深かった。
互いの時代の違いを話し合ったりしている内に時間は過ぎていき、日は沈んでいた。
そして私はアニスフィアたちから許可を取って王城の中庭へと向かった。
話の中に晩年の過ごし方にもついて訪ねられた時、中庭で過ごしていたことを話すとアニスフィアが言ったのだ。
「昼に見る中庭もいいけど、夜はまた夜で違った景色があるんだよ!」
「それに中庭にはよくリュミが訪れることも多いので、一度ご覧になられてはいかがでしょうか?」
そこまで言われては気になるというもの。そして私は中庭へと足を踏み入れた。
まず胸いっぱいに広がったのは淡い緑の香りだ。そこには花の香りも混じっていて、胸が洗われるような空気に満ち溢れていた。
今日の月明かりは強く輝いているが、それでも地上を照らしきるには明かりが足りない。
だからなのか、中庭には眩しすぎないほどの明かりが照らされていた。その明かりを灯す外灯もただの外灯ではなく、中庭の景観と調和するようにデザインされたものだった。
夜闇の中で外灯によって照らし出された中庭は、幻想的という一言がよく似合っていた。
整えられた花と緑の景色に、淡くも鮮やかな色を灯す外灯。その調和が言葉にするのが困難に思うほどに見事な芸術となって私の目の前に広がっていた。
「……イルミネーション、とアニスフィアは言っていたが……」
つくづく言葉が出なくなってしまう。ここには王城の関係者しか立ち入ることが出来ないが、演奏団を招いてのパーティーや民に開放する日を決めて開放していることもあるのだとか。
芸術には夜にだからこそ見ることが叶うものもあるとアニスフィアたちは言っていた。このイルミネーションという光の芸術は正にその言葉通りのものだろう。これは夜の闇の中にあるからこそ光輝く芸術なのだ。
中庭に設置されたベンチを見つけたので、そこに腰を落ち着けて庭園を眺める。
イルミネーションだけでも美しいが、その光によって照らし出された花々もまた美しい。
その花々の中に、私は白く咲き誇るサーラテリアを見つけた。この王都と同じ名前を冠した、この国を象徴するとも言える花。
この時代でもサーラテリアは特別なのか、随分と力が入っているように思える。ここにもまた変わらず残るものがあったのだと思うと嬉しくなってしまう。
「……君も、この光景を見たのかい?」
リュミは、よくこの庭園に訪れているという。
王都には姿を現すようになったとは言うが、前触れをするわけでもなく気まぐれのように姿を見せるらしい。ただ、それはあくまでアニスフィアやユフィリアを始めとした王族や、彼女を知る人の前でしか姿を見せないという。
ユフィリアは彼女が訪れるまで王都にいてくれて良いと言ってくれた。だから、いつか待っていればリュミと会えるかもしれない。
それを願って旅をしてきた筈だ。再会して、彼女と会って、私は……――。
「――ねぇ」
不意に、その声が聞こえた。
「……良い夜ね」
声は後ろから。いつからそこにいたのか、声の主は私にそう問いかける。
「……あぁ、良い夜だ。月も綺麗だし、こんな素敵な景色が広がっている。幻想的だとは思わないかい?」
私の問いに、声の主は今度は何も答えなかった。
振り向こうとして、私はそれを必死に思い留めた。何故だか、ここで振り返ってはいけない気がしたのだ。
声をかけてきた声の主は、先程から黙ったままだった。けれどどこかに去っていこうとする訳でもなく、そこに佇んでいるようだった。
私も何も言葉を発しなければ、そこにはただ沈黙しか残らない。夜風によって揺れる草木や、虫の奏でる音色ぐらいしか聞こえない。
どれだけ沈黙の時間が過ぎたのか、先に口を開いたのは私からだった。
「ここに戻るのは、本当に久しぶりでね。ここを離れていたと思う時間は短かったのに、戻ってきてみれば酷く懐かしいんだ」
後ろにいる誰かは何も言葉を発しようとはしない。だから私は話掛けているようで、独り言を言っているようでもあった。
「離れている間にここも変わってしまった。それでも変わらないものがあるというのは、嬉しいことだと思うよ」
「……変わらないもの。例えば?」
「サーラテリア……あぁ、花の方ね。王都はすっかり賑やかになってしまった。良い変化だと思うけれどね。私では成し遂げられなかった変化だ」
そこで私は息を吸って、呼吸を整えてから言葉を続けた。
「素敵な時代になったと思う。……君はどう思う?」
「……貴方は」
私の問いに答えず、後ろにいる誰かが問いかけてくる。その声は、少し震えているようにも思えた。
「――貴方は、誰?」
私はすぐに問いの答えを返さなかった。代わりに目を閉じて、口元に微笑を浮かべてから言った。
「私は……いや、〝俺〟は〝俺〟さ。昔も、今も、ずっと」
それは明確な答えではない。でも、きっとこの遠回りな言葉が俺たちの距離には必要だった。
壊れ物をそっと触れるように、割れてしまわないように補修するように。
「――まるで君は月だな、星と夜を纏う君は実に美しい。……振り向いてもいいだろうか? そこに変わらないものがあるのか確かめたいんだ」
問いかけへの返答は、言葉ではなくて後ろからの抱擁だった。
振り向かせまいとするような抱擁だった。抱きついて来た人の息遣いを感じる。そこに水が滴り落ちるように首元が濡れた。
「……どうして」
その言葉は、困惑に震えていた。どうしていいのかわからないといった迷子のような弱々しさで答えを探している。
「安心したんだ。俺に出来ることはやりきったと思えた。後を託しても良いと、俺が託されたものを手渡す決心が出来た。それを見届けたら、自由になってしまった。だから旅に出ようと思ったんだ。自由になったなら、探しにいけると思った」
「……どうして」
「会いたかったんだ。もう一度、それがほんの一瞬でも良かった。ただ一言、伝えたかったんだ」
首に回していた手に俺は触れた。僅かに震えた手に躊躇うけれど、そっと重ねるように握る。
「俺たちの願いは果たされた。だから全部終わったんだと、そう伝えたかった」
ただ、伝えたかったんだ。俺たちの果たすべき願いは受け継がれ、現代に形をなした。
だからもう良いだろう。あの人の在り方を否定して、願った世界を築くまでずっと尽くしてきた。
民が笑っていた。あの日よりも幸せそうに、満たされた世界の中で。
「――もう良いんだ」
重ねた手を離さないように指を絡めていく。そして、その手を引くようにしてお互いの体勢を向き合うように変える。
そこにいたのは――少女。
あの日から、やはり変わらない。白月の光を帯びたような白金色の髪に、満月のようにまん丸に見開かれた瞳。
万感の思いを込めて、俺は彼女の名を呼んだ。
「――リュミ」
「……ソナタ」
呆然と涙を流しながら彼女――リュミもまた、俺の名前を呼んだ。
握られていない手を伸ばして俺の頬を撫でる。まるで、ここにいることを確かめるように。
「……何、この耳」
「色々あったんだ」
「旅に出たって、何」
「子供たちに託した後、君を探しに出た」
「いつ」
「……別れてから四十年後ぐらいか?」
「馬鹿じゃないの」
俺の耳を引っ張るようにして抓った後、そのまま頬をなぞり、首を撫で、胸に手を当てる。
「……あれから、何年経ったと思ってるの」
「俺も驚いた。寝過ごしたんだ」
「なに、それ。馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿」
馬鹿、と言い続けながらリュミが俺の胸を何度も叩く。最初は力強く訴えるように、けれど段々と力をなくした手が縋るように掴んでくる。
「どうして、ここにいるの」
「君に会いたかった」
「……貴方、誰なの?」
「君に心を奪われて、国の簒奪にも手を貸した大馬鹿者だ。流石に二人もこのような大馬鹿者はいないと自負する所だが」
「馬鹿」
今度は額をぶつけるように胸に飛び込まれた。その身体が震えていた。
俺は包み込むように手を回して抱き締める。俺を掴む手が強くなって、痛い程だ。
「痛いぞ」
「……痛い。じゃあ、夢じゃないの……?」
「どっちでも構わない。これが夢だろうが、現実だろうが、君と会えたら伝えようと思っていたんだ」
背中を撫でるように触れながら、もう逃がさないと言うように俺の身に寄せるように密着させる。
「俺たちが果たすべきことは全部終わった。だから、もう許されていいんだ」
あの日、俺たちは国の父たるあの人をこの手で殺めた。
奪ったからには、その責任を果たさなければいけない。例え別離の道を進んでも、その願いを果たさなければならなかった。
そして今、責務も、贖罪も、どちらも果たされた。俺たちが背負うべきことなんてもう何一つない。
だったら自由にしていいだろう。押し殺してきた願いを、もう一度追い求めたっていいだろう?
「――ただ、君に会いたかった。リュミ」
腕から感じる震えが大きくなった。あのリュミが、まるで父であったあの人を看取った時の日のように泣きじゃくっていた。
俺は、月のように手の届かない存在だった彼女を手の届く所まで堕としてしまった。人のように笑い、泣いて、悩み、怒るようにしてしまった。
それが間違いだったとは思わない。だから、彼女が人であるためにも別離を選んだ。
王でもなく、象徴でもなく、願いの受け皿でもなく。全ての過ちを繰り返さないためにも、彼女がただの一人の存在として生きていくためにも必要だった。
俺は王から奪い取った責務を引き継ぎ、彼女は一人の存在として生きる道を選んだ。
全ては狂ってしまった願いを正すために。その道が正しかったのかどうかの証明は、この時代にまで引き継がれて形となった。
もう俺たちが別離を選ぶ理由はない。だから、会いに来た。ただ、それだけの話なんだ。
「……ソナタ、ここに、いるの?」
「あぁ、ここにいる」
その問いをするので精一杯だったのか、リュミが幼子のように泣きながら縋り付いてくる。
彼女の温もりを感じながら、俺はただひたすらに安堵していた。喜びも勿論あった。でも、それでも一番感じていたのは安心したという思いだった。
「――俺は、君を許してあげたかったんだ」
あぁ、ようやくこの願いは果たされる。泣きじゃくるリュミをあやしながら、その思いを俺は噛み締めた。




