事務員さんの憂鬱(下)
ゴツゴツとした岩が立ち並ぶ――ツヴァイ山道の景色を眺めながら、足早に歩みを進める。街灯が禄に整備されていないため、正直とても薄暗い。
あまり遅くなるとカエラさんに怒られそうだが、それでも今の僕は……内なる衝動を抑えきれそうもない。
――とりあえず、さっきの首飾りを使ってみたい。試してみたい今すぐ。
だって凄いじゃない、火を出したり凍らせたり、傷を回復させたり。しかも、巷では異性を虜にする魔術なんてのもあるらしい。正直、少年なら誰しもが心をくすぐられるだろう。それが、自分だけ使えないのだ。冗談抜きに、生まれてきて一番不幸だったことは“魔力がないこと”で間違いない。
日は暮れてしまっているが、少しなら大丈夫だよね?それに、帰り道がてら少し戦っていくだけだし、少しなら心配もかけないよね?
頭の中でカエラさんがにっこり(頬をぴくぴくさせながら)微笑んだように思えたが、きっと気の所為だ。
目の前には、狼型の魔獣――ヒルプスが一匹。ギョロリとした赤い目は僕のことを睨みつけており、その口からは涎がポツリポツリと地面へ滴っている。
街道によく現れる雑魚だけど、回避を優先した僕の戦い方だとやはり時間を要してしまってした。
――先程までは
浅く、息を吐き出す。
「アルリス・ローゼンベルク、参る!」
はじめに動いたのは、僕。基本的に初手は取らないが、今回はダメージをそこまで気にする必要はないし、ガンガンいかせてもらおう。
こちらから仕掛け、肉薄。吠声とともに飛びかかってくるヒルプスへ突っ込みながら、腰に携えた太刀を抜刀。鉤爪が、視界の上から迫る――走りながら重心を沈めてこれを回避し、すれ違いざまに太刀を一閃。
ギャウン!!という悲鳴。態勢を崩し地面に落下したのを確認し――追撃
「弐の型、貫穿!!」
東方剣術の一端であり、殺傷力に優れた突技。
巡回騎士になる前に、僕の面倒を見てくれていたお姉さんから教えてもらった、突きによる殺傷技。
比較的骨の少ない腹の辺り目掛けて、太刀の剣先を一直線に突き刺した。
代わりに、力を込めた鉤爪が僕の胸の当たりを切り裂くが――無視。
僕は両手に握られた太刀に全体重力を込め、息の根を止めにかかる。
比較的滑らかに、何かに引っかかることもなく、刃は滑り込んでいった。
ヒルプスは少しの間、バタバタと四肢を動かしていたが、やがてその動きも緩慢になっていき、代わりにぴくりぴくりと身体を痙攣させ、動かなくなった。
「まともにやれば瞬殺なんだよね。完全回避にこだわるから時間がかかるだけで……」
狼が絶命したことを確認してから、太刀を抜き取る。刀身を振るって真っ赤な体液を飛ばす。
「それにしても、ははっ……」
思わず笑いが零れる。先程受けた傷は既に塞がっており、出血は勿論止まっている。流石に傷んだ防具は元に戻ることはないが、この首飾りの効果は本物のようだ。
心臓の鼓動が早くなる。大ダメージを受けた場合どうなるかはわからないが、あの程度の攻撃を即時回復できるのならば充分だ。正直、劇的に戦い方が変わるのは間違いない。長年、悩まされ続けてきたものとバイバイできるかもしれない。
「グルルルル……」
「グル?グルルルル……」
「グルル、グル。グルルルル……」
背後から聞こえて来た複数の唸り声。振り返ると、そこには三つの影。今しがた倒した狼の仲間がいたのかもしれない。真っ赤に染まった六つの瞳は、どれもが僕のことを射抜くように睨みつけており、今にも飛びかかってきそうな剣幕だ。
一対多数。だけど、試してみるには丁度いい。
最悪、発動しなくても三匹程度なら時間をかければ無力化できる。そう思った僕は、逃亡するという選択肢を排除する。
とはいえ、相手は三匹の狼だ。流石に狙い撃ちされるのはゾッとしないので、集中砲火を浴びるのを避けるため、僕は後方に向かって走り出す。 それに続いての怒声、そして僕を追ってくるやかましい足音。
剣術同様、姉さんに教えてもらった術式の記憶を呼び起す。足を動かしながら、後ろを確認しながら。よし、ここだ!そう思ったところで反転――すかさず、早口での詠唱。
「女神の子として求める!万物の根源たる八燿よ、応えよ!顕れるは氷!絶対零度の氷!我に仇なす者を包み込め!氷爆!!」
次の瞬間、ぞっとするような冷気が辺りに充満した。
「へ?」
僕が立っている場所が凍結し、そこから狼達に向かって、地面は一直線に真っ青な氷の道が伸びていく。――ウォォン!?という悲鳴。足元から氷漬けにされる恐怖は計り知れないだろう。
ピキピキと音を立てながら、静かに、清冽に、狼達はまるで美しい氷の人形のように、その姿を変えた。
「す、しゅごい……」
ドサッという音を立てて、僕はその場に崩れ落ちる。手が震えている。思わず、言葉を噛んでしまっている。それ程までに、目の前の光景は衝撃的だった。
思わず掌を、腕を、足を、自分で見ることができる限りの、身体の部位を確認する。
なんてことはない。剣士なんて言ったら笑われそうな細い腕、決して大きいとは言えない掌。筋骨隆々とはかけ離れた、どちらかと言えば華奢な身体。
変わったことと言えば、首にかけられた蒼に輝くネックレスくらいのものだ。だけど、こいつが奇跡を起こしてくれた。
どんな人に師事してもその多くが拒否され、受け入れてくれた数少ない奇特な人達でさえも、すぐに匙を投げた。
身体が成長すれば魔力も成長するとも言われた。だけど、これまで生きてきて16年。魔術を発動することは一度たりとも叶わなかった。
それが、ついに、ついに……
「やったー!!魔術が……魔術が使えた!何回やってもダメだったのに。こ、こんなところで使えるようになるなんて……!」
頭の上からつま先の下まで、一気に全身が熱を帯びる。叫び、拳を握り、顔はだらしなくにやける。致命的なウィークポイント、それが解消されたのだから、こんな風になってしまっても仕方ない。
こんな気持ちになったのは、数ヶ月前、協会への登録が認められたあの日以来のこと。魔術が使えないからと不当に弾かれそうになったところを、カエラさんに無理矢理ねじ込んでもらった、あの日以来のこと。人々の安全を守り、尊敬され、たまには可愛い女の子を助けたりもしちゃって、ダンジョンで見つけた宝物をプレゼントしてそのまま良い仲になっちゃったりして。運命的な出会いを果たしたお姉さんと、可愛い事務員さん(カエラさん)に取り合われちゃったりして。そんな極めて阿呆な思考をしていたあの日以来のことだ。
と、まぁ、あの日と同じく、こんな感じの痛い願望が次々と浮かんでいる今現在。要するに僕は、とてつもなくハイになっていた。
先程倒した狼達の核を忘れずに浄化した後、更なる戦闘相手を探し、辺りをキョロキョロと見渡す。
――見つけた!!
後方に大きめの蛇型魔獣の姿。次なる獲物――発見。その場から一直線に駆け出す。満面の笑みを浮かべながら太刀を振り回し、全力疾走する男。控えめに言ってもかなり気持ち悪い、というか、普通に考えて怖い。だが、そんなことは微々たる問題だっ!
「万物の根源たる八燿の炎帝よ、創世の盟約に従い汝の力を与え給へ。我が刃に汝の加護を!炎の太刀!!」
太刀が紅く染まり、ほのかな熱を右手に感じる。
魔術も使えない癖に、詠唱だけは欠かさず練習をしていたのが、今になって活きている。振り付けまで考えて練習してたのを姉さんに見られた時は泣きたかったし、かなりの黒歴史だったけど、結果オーライ!
「ピイィィィッ!?」
大きな蛇を一刀両断し。
「氷爆!!」
「グゲラッ!?」
モグラ型魔獣を氷漬けにし。
「薙ぎ払え!風塵・乱舞!!」
「グギャッ!?」
狼達を吹き飛ばし。
「よし!もういっちょ!」
街道を屈曲な猿のような人影。暗くてよく見えないけど、あれも恐らく魔獣だろう。
そう思った僕は、思い切り風の魔術をぶっぱなした。華の咲くような笑顔を浮かべながら。
「もう、失礼な奴らだったわ。私はどう見ても乙女だっての!!これだから冒険者ってのは……ん?」
「風塵……え?」
気付いた時には遅かった。直前に詠唱を止めるも、魔術はしっかり発動されてしまった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉァーーーーーーッーーー!!!」
野獣のような叫び声を上げながら、吹き飛んでいったのは――人間のお兄さんだった。
★
協会の事務員――カエラ・フローレは頭を抱えていた。
わりと本気で頭痛がする気がする。主に二つのことに対して。一つは目の前の可愛い少年について、もうひとつは目の前の理解し難い生き物について。
だが、とりあえず大人としてやるべきことはしなければならない。私は意を決して、勢いよく頭を下げた。
「うちのアル君が本っ当に申し訳ございませんでした!ま、まさか一般人の方を吹き飛ばすなんて……なんとお詫びを申し上げてよいやら……あ、お金なら払います!払いますからこの事はどうか上には!」
先程帰ってきたアル君。支部の入口で縮こまっていたのは、帰りが遅くなったことに対して反省しているのだと思った。確かに心配はかけられたけど、無事に帰ってきたからお小言は程々にしておこうとも思った。だけど、だけどまさか……
人様に多大な迷惑……というか、命の危険にさらしていたなんて!
魔術を使えるアクセサリーについてはこの際置いておくとして、幸いなことに直前で威力を抑えたのはまだ良かった。少し吹き飛んだとのことだったけど、大きな怪我はなかったとのこと。まぁ、それでもかなりやらかしているから問題なんだけど。
女神を信仰する福音協会のモットーは、品行方正。当然ながら、本来なら賄賂のような真似はご法度だが、なりふり構ってはいられない。
一般人を間違って襲撃したなんて事実が発覚したら、アル君が間違いなく首にされる。この人には本当に申し訳ないけど、ご所望ならお金を積んででも何とかなかったことに……
「あ、貴女って見た目に反して意外と俗物なのねぇ……。それに、協会の職員さんはもっと堅物なイメージだったけれど……」
目の前の男の人――リーベさんは目を丸くしている。見た目のことは自分ではよくわからないけど、堅物が多いのは間違いない、かな。というか、融通が効かないというか。
「大丈夫よ!私は全ての性を愛する者!愛の化身!だからこれくらいで人を責めたりしないわ」
この男の人が何を言っているのかはよくわからない。よくわからないけど、怒っていないからと言ってこれでよし!というわけにもいかない。何とか精一杯の誠意を見せないと……
「は、はぁ……い、いや!本当に申し訳ございませんでした!……ほら!キミも頭を下げる!なんなら土下座する!」
「ひっ!ご、ごめんなさぁぁぁい!!」
隣で縮こまっているアル君の頭を鷲掴みにして、無理矢理床に伏せさせる。私も当然、額を床に押し付けての土下座。
玄関に額を擦り付けての、土下座。傍から見たら間抜けな姉妹に見えること間違いないだろう。兄妹ではないけれど。
「ま、まぁまぁ……その子も反省してるし、ここに来るまでに悪い子じゃないってわかったから大丈夫よ。」
にっこりと微笑むリーベさん。彼の厳つい髭面が、今は天使に見える。
顔を上げるように促されて、私とアル君はリーベさんに正対するように立ち上がる――直立不動。
「それはそうと、この地域について色々と聞きたいことがあったのよ。暇があればでいいんだけれど、この後時間もらえないかしら?」
無理しなくていいからね?と、リーベさんは付け加える。唇に人差し指を添えながら。あぁ、ハートが彼の背後に見える……。
そんな幻影に頭を痛めながら、私はアル君に目配せする。わかってるよね?そんな意味を込めつつ。それを見たアル君は、こくこくと頷く。よく出来ました。
「この子の活動報告書と換金を終えたらすぐにでも……。ここは閉めてしまいますので、どこかで夕食をご一緒させてもらえれば」
「えぇ。それで構わないわ」
リーベさんはにっこり微笑み、右目を閉じてのウインク。私――愛想笑い。……幸いなことに、この街は歓楽街。飲食ができるお店は沢山あるから、この人の好みにも合わせられるだろう。見たところ外国人の人みたいだけど、こんな僻地に一体どこから……?
「ええ。それで構わないわ。それにしても、本当に話がわかるお嬢さんねぇ。協会関係者にはもっと渋られると思ったんだけど、はっ!もしかしてこれはディスティニー!?」
まぁ、話せる範囲でしか情報は出せないのが心苦しいところだけど……そう思ったが言葉には出さない。
そんな私の内情を知ってか知らずか、目を見開いてキラキラさせるリーベさん。何かよくわからないことを言い出した彼に、何故か身の危険を感じた私は、逃げるように踵を返した。
「こ、紅茶をお出ししますので!そこに座っていて下さい!ほら!アル君も手伝う!!」
「ひゃ、ひゃい!?」
アル君を引っ張りながら、バタバタと奥にかけていく私。微笑みながら椅子に腰掛けるリーベさん。大事にならなさそうなのは良かったけど、不安だなぁ……色々と。
(あ、例のアクセサリーについても後でよくよく聞いてみないと……)
強力な効果を持つ装備品にはえてして“制限”があったりする。使用回数が決まっていたり、壊れやすかったり。装備に頼りすぎると、それがなくなった時に対処できなくなる。
魔術が使えるようになったというのは、とてもとても喜ばしいことだけど、そこだけは強く言い聞かせておかないと。
(誰かに入れ込むと精神的に大変だっていうのが、わかる気がするなぁ……)
私がここに入ったばかりの頃、同僚が言っていた言葉。彼女はその入れ込んだ相手と結ばれたとか結ばれてないとか。
小さく、溜息。
私――事務員カエラの悩みは尽きない。




