97話
「遂に現れたな……針の特異怪字!」
突如として現れた針の特異怪字、こいつが全ての始まりだと言っても過言じゃない。
初めてこいつを見たことによって、特異怪字という存在を知る第1歩になり、そこから特異怪字は中に人が入った異常な存在ということも知れた。
最初こそ特異怪字は「何らかの原因で怪字が人並みの知性を持った存在」という扱いだったが、牛倉一馬との接触でその正体が分かった。
こいつは私たちを鍛えてくれた、言わば恩師ともいえる虎鉄さんと鷹目から「銅頭鉄額」「飛耳長目」を奪い取り、あの時私たちが倒した「表裏一体」のパネルも回収した。
「表裏一体」は先日エイムの刺客を倒して手に入れたから良いが、あの2人の四字熟語は未だ奪われたまま。元はと言えば奪われたのは私たちの未熟さが原因、ここはあの2人に恩返しをすべく、こいつを逃がすわけにはいかない。
「お前もエイムの手先だろう!?虎鉄さんと鷹目さんの四字熟語を返してもらうぞ」
「……そうだったな。君とはあの孤島で一度会っていたか。久しぶりだな」
するとここで初めて針の特異怪字の声を聴く。男の声であることは分かるがまるで壊れたスピーカーを通して聞いているかのように荒んだ声色だった。人間の声帯で出せる声じゃない。
一番知りたいのはこいつの顔と名前、あわよくばこの場で倒して正体を見てやろう。
「あの時は済まなかったな、あの時はまだ君らが言う特異怪字という存在を外部には見せて無かったのだ……中に人が入ってることを知られたくなかったのでね、挨拶はしなかったよ」
しかし意外にもフレンドリーというかギザな感じと言うか、あまり想像していた喋り方じゃない。もっと冷静を装ったクールな話し方だとてっきり思っていた。
その口調は余裕から来るものか?だがこっちには「為虎添翼」もいる。あまり舐めてもらっては困る。
「それにしても……良かったな火如、自分が先生のお気に入りで。あの人から何かあったら殺さずに助けろと言われていたよ」
「うぅ……このままだと先生に面目が立たない。僕はいつもこうだ……」
先生、牛倉一馬も明石鏡一郎も万丈炎焔も、皆がその名を口にしていた。ひょっとしてその先生というのが奴らのボスか?
どっちにしろ、今ここで倒して全てを話してもらうつもりだ。
「このまま逃げれると思ったか?絶対に逃がさんぞ!!」
「……新しい戦力を手に入れて、随分と調子に乗っているじゃないか」
確かに針の特異怪字の言う通り今の私は「為虎添翼」という新たな仲間と共にして勢いが増しているだけかもしれない。しかし戦力は戦力、どちらにしろこちらが有利なのは変わりない。
しかしこちらを挑発してきても、自分たちが不利という状況は分かっているらしい。顎に手を当てる人間の仕草をしながら考える素振りをしだした。
「まぁ……そちらには式神がいてこっちは手負いが1人……普通に考えればこちらが不利か。今回は逃げさせてもらうよ」
「だから!そんなことさせるわけないだろ!」
ここで私は「紫電一閃」の斬撃を思い切り奴に向かって放つが針によってあっけなく弾き飛ばされてしまう。
合宿の時から知っていたがやはり強いな……今まで会ってきた特異怪字とは比べ物にならない程。まさかこうも簡単に私の斬撃を防ぐとは。
それでも向こうにはボロボロの火如電がいる。先生のお気に入りがどうたらこうたら言って明石鏡一郎や同島兄弟のように見捨てはしないらしい。
ならばあいつを守ることに精一杯になるはずだ。些か卑怯だがこの際関係ない。今はあの2人を捕らえることが大事だ。
(落ち着け……集中していればいつか弱点が見つけられるはずだ……!)
勝利した時の緩んだ気持ちを引き締め直し、刀を握る手も握りしめる。深呼吸をして針の特異怪字の次の動きに注目した。
しかし奴がした行動は動きではなく言葉だった。
「そう言えば、早く英姿町に戻らなくていいのかい?君のお友達が大変なことになってるかもよ?」
「……何!?」
英姿町の友達……恐らく発彦の事だろう(一応刑事も含める)。あいつらが大変なことになっていると奴が忠告してくるということはつまり――!
「貴様まさか!発彦たちにも刺客を!!」
「さあね。じゃあまた会おう。同じ町に住んでるんだ、近いうちにまた顔を合わせるさ」
すると私が驚いている隙に素早く火如電を脇に抱え、そのままどこかへ飛び去ってしまった。
発彦たちのことを気にかけたせいで隙を見せてしまう。結果まんまと逃げられた。
いやそれよりも、今はあいつらのことだ。あの口振りじゃ英姿町にいる2人にも特異怪字が差し向けられたに違いない。粗方私が茨木に行ってる間戦力の低下狙ったのだろう。
携帯電話を取り出し発彦の番号にかけてみる。こんな時に限って出てくるのが遅く、煽られているようで不安だ。
電話には出ないか、そう諦めかけた時に繋がる。
「もしもし発彦か!?今無事か!?」
『え?確かに無事ですけど……何でさっきまで俺たちが戦っていたこと知ってるんですか?今茨木ですよね?』
もしや携帯を奪われて別の誰かが出てくるんじゃないかと警戒したがちゃんと発彦の声が聞こえてきて安心した。
それに針の特異怪字の言った通りさっきまで戦っていたようだ。兎にも角にも無事でよかった。
「ああ、こっちの方にもエイムの手先が来たんだ……それに合宿の時に会った針の特異怪字も現れたが……すまん逃げられた」
『あいつが……!?大丈夫なんですか!?確か滅茶苦茶強かったですよねあいつ!』
「何とかな……そいつにそっちの状況を聞いたんだ。無事なら良い、私もすぐに戻る」
電話を切る。別に私1人が抜けていてもそこまで戦力低下にはならないが、逆に1人で行動していた自分を潰すつもりだったのだろう。しかし敵は「為虎添翼」の召喚という思わぬ事態によって失敗したというわけだ。
すると安心しきった顔で純桜が恐る恐る私に近づいてきた。まぁクラスメートが刀を持って怪物と戦った直後だ、怯えるのも無理はない。
しかし彼女はこちらの心配をしてきた。
「大丈夫……トーマ君?」
「純桜……お前」
怖くないのか?そう聞こうとしたが彼女の目が先に答えを言っている。恐怖など欠片も無い、ただ純粋にこちらの身を案じている眼差しだった。
思えば恐れずに火如電の前に出て刀をあいつに奪われないよう回収してくれた、意外と勇気や根性があるのだろう。
しかし、私はそれを叱らないといけない。
「……安全な距離から見ておけと言っただろうに、何であんな危険な真似をしたんだ」
「だって……トーマ君ピンチだったじゃん……」
「ピンチも何も無い、危うく殺されそうだったんだぞ……」
こればかりは自分の不甲斐なさもあるが、だからといってこいつが命を懸けて私を手助けする必要はない。
寧ろ自分の為に誰かが殺されるなんて死んでも死にきれない、助けてもらった身でありながらこう言うのもなんだが彼女の為だ。
もう純桜はパネルのことも怪字のことも知ってしまった身として、奴らの危険性をよく理解させておかないと駄目である。
そうじゃないと、私たちは戦っている意味が無い。彼女のような人を守るために私たちは武器を取って怪字に立ち向かうのだ。
例え嫌われても構わない、それで彼女が救われるのなら。
「……殺されそうになったのはどっちかというとトーマ君じゃん、自分は命を懸けて戦っているのに他人の命は大切にって……そんなのおかしいよ!普通自分の命の方を大切にするはずだよ!」
すると彼女は大きくて宝石のように綺麗な眼から大粒の涙を零し、それを目で擦りながら私に訴えかけてきた。余程怖かったのだろう、始めて見る怪字、死闘が。
確かに彼女に危険だと言っておきながら、一番死に近い場所で戦っていた。それなのに「命を大切にしろ」などどの口が言うんだという話だ。
だったら彼女を説得するために刀を納めるか?そんなことはもっとあり得ない。
今自分が戦うことを放棄したら宝塚家が代々から紡いできた努力も功績も水の泡となり、そして守れるはずの命も人も全て見捨てるに等しい。
「……だからといって、私が戦わない理由にはならない。今の奴らみたいに、パネルを悪用する輩は沢山いるんだ。私は戦う力を持っているのに、それを見て見ぬふりなんかできない」
偽善者の正義感かもしれない、しかし目の前で人が怪字に襲われているところを見て目を背くなんて真似をしたら、私はもう宝塚家の当主どころか1人の男として駄目だ。
だから私はこれからも斬り続ける。いつしか、「伝家宝刀」を握る必要が無くなるその未来まで――
「分かってくれたか?……純桜」
「……分かんない、だけど私が邪魔をしちゃ駄目なのは分かった」
そこさえ理解してくれたら十分だ。
彼女は恐らく、怪字をその目にするまでただの興味本心で私たちのことに首を突っ込もうとしていたのだろう。しかしいざ目にしてみると怖くてたまらなくなり、私を止めようとしたわけだ。
そう言った彼女のその優しさが、私はたまらなく嬉しい。これでこそ戦っている冥利に尽きるものだ。
「じゃあ折角茨木にまで来たが急いで帰るぞ。目的は達成されたからな」
そう言って私は一部始終を高い視線から見ていた「為虎添翼」の顔を見上げる。この遠出はこいつを召喚できるようにするためのものだった。思わぬ戦闘とはいえその最中でこいつを出現させたのはラッキーだ。
「為虎添翼」はこれからよろしくと言わんばかりに顔を近づけて大きな舌でこちらの顔を舐めまわしてくる。涎だらけになるが懐いてくれている証拠なのでそこまで悪い気分じゃない。
「そう言えばその子……どうするの~?」
彼女ののほほんとした喋り方が戻ってきた所で帰りの話をする。
確かにこんな巨体を連れて電車に乗ることはできない。たちまちパニックとなり、取り返しのつかない事態になるだろう。
だがそのことについては解決策がある。
「おい、小さくなれるか?」
そう、「比翼連理」も「画竜点睛」も皆手のひらに収まるほどの大きさまで小さくなりマスコットにように愛くるしくなることができる。恐らく式神に共通した能力なのだろう。
ならば「為虎添翼」にも可能の筈だ。すると一瞬で虎は巨体を消しミニサイズと化す。
「か、かわい~~!!」
確かに女子はこういうのが好きそうだ。というより男でもこの可愛さは認めざるを得ないだろう。
小さくなった「為虎添翼」はそのままパタパタと翼を動かしゆっくりと私の手のひらに乗る。その感触はモフモフでまるで毛玉を触っているようだった。
「すまんが帰るまでリュックの中にいてくれ、鳴くなよ」
そう言って戦いの前に放り投げて遠くに置いた私のリュックの中に潜んでいるよう命じ、私と純桜は帰る準備をした。
「あ~あ、もう少しいたかったなぁ~」
「……まぁ土産くらいは買うか」
「ぜぇは……ぜぇは……!!」
「どうだ火如、大分落ち着いたか?」
一方先ほど逃げた火如電達は、誰もいない森の中にいた。
火如電は切り株に腰掛け休んでいる。ちなみにこの切り株はさっき針の特異怪字が針で切断した木のものだ。
そういう特異怪字は他の木に寄りかかって腕を組んでいる。そこでずっと火如電の回復を待っていた。
「申し訳ないです……僕ったら肝心なところで役に立たなくて……先生に見せる顔がありません」
「先生は寛大なお方だ。きっとお前なら許してくれる」
「……大樹さんは先生と一番長い関係の生徒だからそう言えるんですよ」
そう言うと針の特異怪字は怪字としての体を崩壊させ、人間の姿に戻る。
その正体は、発彦に味方している鶴歳研究所の一員であった「小笠原 大樹」であった。
小笠原はニヤリと笑って木に寄りかかるの止め、ジェスチャーのように両腕を大きく動かして話を続ける。
「俺も君を助けたかったのさ……まぁ鶴歳研究所にスパイとして潜入しているとはいえ、ターゲットの触渡発彦に力を貸しすぎたから、先生に少しだけ呆れられちゃって……君も一緒に謝ってくれないかい?」
「……何で僕も謝らないといけないんですか。それは完全に大樹さんの落ち度でしょうに」
「今回のミッション失敗したじゃないか。ついでだよついで」
まるで優しいお兄さんのように振る舞い、とてもさっきまで化け物だったとは思えない程気さくに話しかけている。その顔も普通の人間のように見え、どこにも違和感などなかった。
しかしその手には、しっかりと『針小棒大』という四字熟語のパネルが握られている。
針小棒大……小さなことを大きく、大げさに言うこと。小さな針を棒のように太くするという意味から。
「じゃあ僕は先に帰るから。向こうには用事で少し出かけるとしか言ってないしね。君はゆっくり帰っていいよ」
そう言って小笠原は森の奥に消えてしまう。そこには、ボロボロのままの火如電だけが残った。