一話『出会い』 1.山奥の村
夜が明けると、薄曇りの白く晴れた空に雪が舞っていた。
同時に視界が開け、峠に出る。一晩中さまよっても見つけられなかった村が、すぐ目の前にあった。
ささやかに舞う雪は、薄い雲を透かす東の光を照り返して、ちらちらと輝いている。晴れた空に降る雪をなんと呼ぶのだっけ。忘れてしまった。
晩秋だというのに、その夜は吐く息が白くなるほど冷え込んだ。
元々方角には強いほうだし、山育ちなので山歩きにも慣れている。加えて町からの距離もそう遠くない。そう考えて、夕方には目的の村に着けるだろうと、昼過ぎに出発したのが失敗だった。
出発した途端に雨が降り始め、中腹に差し掛かる頃には、山道は泥の川と化した。洞窟で雨をやり過ごす間に日は沈んでしまい、一度麓の町に戻ろうとしたが最後、完全に迷ってしまった。
夜の山道をさまようのは危険だが、この冷え込みの中で眠るのも自殺行為に等しい。結局、松明を点して一晩中山道をうろつくことになったのだが、よくも生きていたものだ。仕事に入る前に道に迷って死んだのでは、笑い話にもならない。
風が強い。
雪交じりの突風が頬に触れると痛いくらいだ。私は村に向かって足を速めた。
村の周囲は森を切り開いて開墾してあり、畑が広がっていた。収穫を終えた今は、畑は土を晒すばかりだ。舞い落ちた雪は湿った土に触れて消える。
森から離れているせいか、村を囲うのは低い柵のみで、大仰な塀などはない。普段は平和な村なのだろう。
畑の間を通って村に入ると、家々はまだ夜明けの静寂に包まれていた。話によれば、宿が一軒あるはずだが、まだ開けていないだろう。家人が起きるまで、軒先を借りようか。
宿はすぐに分かった。平屋がほとんどのこの村で、二階建ての屋根が突き出ている。近づけば、ベッドを浮き彫りにした素朴な看板が戸口に揺れていた。
案の定、扉はぴったり閉じていたが、裏庭から物音がする。何か固いものをぶつけるような規則正しい音だ。
回り込んでみると、一人の青年が薪を割っているのが見えた。恐らく宿の人間だろう。さすがに田舎の人は早起きだ。
「おはようございます」
声をかけると、青年は振り向いた。この寒い中、彼は麻の服一枚しか着ていない。日々の労働で鍛えているらしく、結構な量の薪が積み上がっていたが、息も乱していなかった。
男がそのまま無言なので、警戒される前に、仕方なく私から口を開く。
「夜中じゅうずっと道に迷ってて、今着いたんですが、部屋空いてますか?」
「中の人に聞いてください」
無愛想に彼は言った。
こんな早朝に、こんな若い女一人が、こんなど田舎に訪ねてきたというのに、心配する訳でも警戒する訳でもなさそうだ。せっかくこっちが愛想良く出たというのに。
私は礼も言わずに踵を返したが、青年は全く気にも止めず、また薪割りを始めたようだった。
建物を回って再び入口に戻ると、中年のずんぐりした、人の良さそうな男が扉を開けて出てきたところだった。彼は私の姿を見つけると目を見開いた。
「お客さんかい?」
警戒と困惑が混じった声で、彼は訊ねた。
「ええ。道に迷ってしまって、今着いたんです」
女の声と分かり、安心したのか男は相好を崩した。
「そうですか。そりゃ難儀でしたね。中で温かいものでもどうぞ」
「どうも。部屋があれば休ませてもらいたいんですが…」
「どうぞ、どうぞ。こんな時期だし、いくらでも空いてますよ。さ、どうぞ」
『どうぞ』を連呼しながら、男は私を中へ導いた。根っからのもてなし好きらしい。
雨よけのフードを外すと、雪は既に止み、すっかり夜が明けた青い空が見えた。
首を返せば、西の空に最後の星が消えようとしている。
目が覚めると、もう昼を過ぎて夕方が近かった。
宿についてすぐ、温めたワインとパンをいただいて腹に詰め込み、この部屋に入ってベッドに倒れこんだところで記憶は途切れている。
夢も見ずに熟睡したおかげで、疲れはほとんど取れたようだ。
食堂のある階下に下りると、今朝方私を招き入れてくれた宿の主人が、声をかけてきた。
「ああ、お客さん、大丈夫ですか。何か温かいものでも召し上がります?丁度、昨日キジが獲れたんですよ」
「ああ、ぜひいただきます」
小さな食堂には、他に誰も客はいなかった。国境に近い、峠の宿だ。春夏はそれなりに賑わうかもしれないが、冬も近くなれば客は少ないだろう。特に最近は、国境の向こうの国は内乱で荒れていて、商人の行き来も減っているという。
カウンターに腰掛けると、主人は待ちかねたように口を開いた。
「お客さん、ゆうべは山の中一晩じゅうさまよってたんだって?よく無事だったねえ」
「自分でもそう思います」
「ゆうべは特に寒かったからね。ところであんた、どこへ行くつもりだい?隣の国は今荒れてるらしいから、行かない方がいいよ。
この辺でも最近、妙なことが多くてね。畑が潰されたり、この間の晩なんかは、トビアスさんちの牛が死んでるのが見つかって、大騒ぎになったんだよ。それが、でっかい獣に食い荒らされたような死に方でさ」
根っから話好きでもあるらしい。私にエールを注ぎながら、手を止めることなく話し続けている。舌が 滑らかになるにつれ、口調もくだけてきた。
「こりゃあ、猪なんかじゃねえ、化け物かもしれんってんで、村長と皆で相談して、麓に町に助っ人を頼みに行ったんだよ。あんた、麓の町の傭兵組合って、知ってっかい?そこから戦士様が来ることになってたんだけどさ、昨日には着くって話だったのに、まだ来ないんだよ。来るまでに化け物に食われちまったか、逃げ出しちまったんじゃないといいんだけどさ」
「…到着が遅れてすみません。道に迷ってました」
「あれ、じゃあ、あんたがもしかして…」
主人は人の良さそうな小さな目を見開いた。どうやら私が腰に下げている剣は目に留めなかったらしい。
「ええ、傭兵ギルドから派遣されてきました。アレックスと言います」
「ああ〜、そう。女の人だったんですか。これは失礼しました」
主人は私が傭兵だと知って、安心するより戸惑ったようだ。若い女で、特に体格がいい訳でも、魔法を使える風にも見えない。ついでに言うと、容色も十人並み。どこにでも転がっていそうな平凡な女が、化け物退治のプロというのは、にわかに信じられないのだろう。
昔はこういった反応に我慢ならず、肩肘張って己の実力を見せつけようとしたものだが、結局は何も意味が無いことに気づいた。相手が仕事と直接関りが無いのであれば、どう思われようと関係無いし、倒すべき相手であれば、油断してくれているわけだから、好都合だ。そもそも見せつける程の実力など無い。いくつかの敗北の果てに、そのことに気づいた。
「詳しい話を聞きたいのですが、あとで村長さんの家を教えてもらえますか?」
「ええ、ええ。そうですね。ぜひ」
丁度そこへ、厨房から奥さんが焼きあがったキジ料理を運んできた。主人は気を取り直したように、それを私の目の前に置くと、景気良くもう一杯エールを注いでくれた。
「それならこれは景気づけにサービスにしますよ」