第九話
悪物園。そこはゼルキシア、ドルミナ、フィルナンシアの三つに建てられている。悪物園というのは、悪魔の誘惑に乗った動物の園だ。忌避しない国民などいない。自分達が何と闘っているのか、何故殺さなければいけないのか、それを知る機会として、悪物園が建てられていた。忌避されているものだから、当然ロジバルトの最果て近くに建てられている。人口は少なく、ほとんど想起士見習いの為の村のようなものだった。
そこには、翼が生えた狼や、目が合うと毒液を吐き出す蛙、やたらとすばしっこい狸、もはや何ともつかない化け物などが、硝子や檻の中に閉じ込められていた。悪物には無害なものもいるけれど、悪魔の僕という心象に、どうしてかナキ達は囚われている。
「...」
周りを見ると、生徒達が一様に、汚らしい物を見るかのような目付きで、悪物達を見ていた。
ナキもまた、翼の生えた狼を見る。嫌悪感はある。異様だ。教科書に載っているかつての絵姿とは似ても似つかない。この狼は、悪魔の契約に乗った蔑視すべき悪物だ。だけども、なんだか、妙に切ない気持ちにもなった。
トラル教官がみるみる奥に進んで行くと、珍妙な姿形をしている悪物達が並んでいる。それに目を逸らしながら歩くと、トラル教官が立ち止まる。
「ああ、ごめんごめん」
トラル教官の目の前に、梯子に乗った蓮色の髪をした女がいる。どうやら、時計を取り付けているらしい。女は時計をそのままにして、梯子を降りる。
「今日だったね。忘れてた」
「いえ、ジェラさんが事を忘れるのは当然の事です」
「...わざとじゃないんだけどね?」
「ははっ」
ジェラと呼ばれた女は、取り直すようにこちらを見る。慌てて、背筋を伸ばせ、耳を傾けた。
「ああ、良いって別に。鍵あげるだけだし」
と言って、衣嚢から何かを取り出そうとする。がちゃがちゃがちゃがちゃと、音を立てて探している。
「あ、あれ...うぅん」
ナキ達が起立している中、ジェラは延々と探し続けている。なんだか、頼りない。
「失礼します」
「え、え?うわ怖っなに..?」
トラル教官がジェラに肉薄して、そのまま衣嚢に手を入れる。じゃらじゃらと音がして、鍵束を取り出した。それを検分して、一個の鍵を取る。
「トラル、怖いよ」
「行きますよ」
鍵束を渡して、トラル教官はジェラを促した。
「え..怒ってる?」
「怒ってないですよ。それより、案内をお願いします」
「あ、うん」
そんな会話の後、ジェラは何事も無かったかのようにナキ達を見る。仲が良いのだろうか。
「皆がここに来て貰ったのは、悪物との戦闘の為なんだけど。その前に、見てもらいたいものがあるんだ」
そう言ってジェラに連れて行かれたのは、おどろおどろしい監獄だった。廊下の突き当たりには、牢屋が一つ設けられている。
「これが、悪魔」
ジェラが一つの牢屋に行き止まると、そんなことを言った。見ると、四肢が鎖に繋がれた悪魔が、そこにいた、肌が弱っている為か、少し薄まっている。食料を満足に食べていないのだ。身長はとても高いだろうというのに、ナキよりも、ジェラよりも小さく見えた。手首が千切れそうな程にやつれている。
「四十年前に見つかった悪魔だよ。ドルミナとゼルキシアの悪魔は五十六年前に見つかったって話だから、この悪魔が最後の悪魔かな」
悪魔は、ジェラの紹介など意にも介さないのか、鋭い目付きでナキ達を見ている。襲い掛かれる程の力も残っていないだろうに、爛々と獲物をみるような目付きだ。落ち着き払っていて、痩せ細っているというのに、威厳がある。枯れた髭が、悪魔の年齢を感じさせた。
「こいつが...」
「気持ち悪い..」
「憎たらしい!」
ふと、そんな声が聞こえてくる。周りの生徒達が、憎悪の顔付きで悪魔を見ていた。肩が震えていたり、大声を出している者さえいる。
「こいつか」
どす黒い気配を感じる。目を向けると、そこにはジキラがいた。いつもの飄々とした風格は鳴りを顰め、怒りに、憎悪に満ち満ちている。
零れ落ちそうな程の眼で、悪魔を見据えていた。その目は真実、悪魔を憎んでいる。
「...」
そんなジキラを盗み見て、それから悪魔に視線を向けた。
悪魔とは、悪物を生み出す。ナンシアは九年前、化け物ーー悪物に襲われた。殺された人間の中には、ジキラの知り合いだって居た筈で。憎いはずだ。ジキラやナキには、より一層。今ここで牢屋を突き破り、殺してしまっても何も疑問はない。そんなことはしないけれど、してもおかしくない程に、衝動が起きたって不思議ではないのだ。
なのに。
ナキはもう一度、悪魔に視線を正す。己の気持ちを確認するように。
「あぁ..」
ナキは、ただ怖かった。胸の動悸を抑えるように息をする。言いようのない胸の曇りを晴らすように、呼吸をした。
◯
あれから、夢を見るようになった気がする。正確には、意識をしたのがだ。ずっとずっと昔から、何が何だか分からないような夢を見せられてきた。気がする。あれから、ではなく、あれが起点になって意識をするようになったのだ。
出て来る夢はほとんど曖昧で、何の夢だったのかは分からない。けれど、確実にナキの体験の外からやってきたものだ。事実、ナキは、あの夢は体験していない。
「やっぱり、おかしい」
正直、とても怖い。自分の中に何かがある。そう思わずにはいられない。
「おっと」
気配を感じて振り向くと、背後から、頭が鰐のようになった狸がナキを襲った。それを、創造した透剣でそつなく切ってしまう。そうすると、自分がどれだけ成長したかを思い知る。
「ナキ」
と、目の前に、幼馴染のジキラが立っていた。ジキラはほくそ笑みながら、創造された真剣を構える。同じくナキも、透剣を構えた。悪物園にはいても、想起士になる為に必要な事であれば何をやっても良い。目の合図で、試合を開始した。
二人の打ち合いは、周りの悪物を威圧する程に果敢で激しかった。それでも、ナキは打ち合いではジキラに勝てはしない。創造の完成度でさえも、透壁以外ではどれも勝てはしない。
その透壁を駆使して、巧みに真剣を防ぎ、どうにか試合にしている。だが、ジキラの方も真剣だけではない。創造を散りばめ、ナキを混乱させる。数分の攻防の末、勝敗は決した。
半年が経っても、ジキラに勝つことは未だ一回たりとも出来ていなかった。
「相変わらず良い負けっぷり」
血飛沫を浴びた顔で、ロックがゆったりとした声で言った。ナキが勝つとは思ってもいない態度に引っ掛かりながらも、草原を立つ。
「次は勝つ!」
「それ、何回目だろうな!」
後ろを見ると、カドレアが悪物目掛けて飛んでいるのが見えた。四肢の発達した狼を、赤い大剣でぶった斬る。大剣を肩に抱えると、ナキ達に仁王立った。
「乱戦だ」
「「いいね」」
◯
澄んだ空気を感じながら、整然に舗道された道を歩く。コツコツと床を踏む音を軽快に聴いていると、自分の浮かれ具合を感じて反省する。注意して床を踏み、音を静かにした。こうしていると、何かが均一になるのだ。
「あ、ナキ!見て見てあれー!」
声が聞こえると、そこには朗らかな笑顔の少女がいる。アイザはナキを認めると、空を指差した。不思議に思って振り返ると、アイザの指差した方向には、黒い線が浮かんでいるではないか。それはどんどんと長くなり、地上へ落ちんばかりだった。
なんだ、あれ。
そうして、違和感に気付く。立ち止まって、空を見上げた。するとそこには、天馬に乗った想起士が、何かを持っている。想起士は何かを加えて、それから、爆音が街中に鳴り響いた。
パッパパパッパッパッパッパーー
パーパパッパッパッパッパー
「...!!」
不穏な音楽が耳に木霊する。音楽はその後も鳴り続け、今の状況を伝えている。
それは、緊急事態を伝える音だ。
「...アイザ」
喇叭の鳴り響く空中から目を落とすと、人々のざわめきの最中、不安そうにナキを見つめる少女がいた。
ここに居れば、まず安全だ。九年前の件があったとはいえ、それももう遠い遠い昔の話。アイザも、緊急事態を恐れていると言うよりは、ただただ困惑しているだけだ。だというのに不安な顔をさせている理由は、ナキである。
その少女の顔を見て、ナキは慣れない顔付きで応対する。安心させるように。
「行ってくる!」
状況を理解したのか、アイザの不安な顔は消え去った。見習いとはいえ、想起士を志し、選ばれた者。その晴れ晴れしいナキを誇らしく思うのか、アイザは笑顔でナキを見る。
「これ以上ない初陣だね!」
「ああ!」
緊急事態の喇叭が鳴ったとはいえ、まだ何が起こったのか分からない。起こったとしても、未だ生徒であるナキには関係のない事。ただ、送り出しの言葉として、最高だ。気合いを入れて、兵舎に戻る。
◯
「ナキ!」
服を脱ぎ、外套を着て、兵舎広場に行き着く。
広場には既に生徒達が集まっていた。ロックが手を振って、場所を取ってくれる。
連れておいてくれたのか、リリーも、ロックの傍でナキをじっと見つめていた。その目に、少しほっとする。ほっとすると同時に、疑問も出る。
天馬がいるということは、どういう事なのだろうか。
「遅いぞー。まーた女といったぁ!」
ロジイが野次を飛ばすが、背後のヨハネスが腹をつまんだ。あの痛みようでは、かなりの力だと思う。
「全員、集まったな」
声の方向、トラル教官に目線が集まる。いつもと違いその顔には、気迫と歓喜が宿っていた。それを見て、半ば確信する。
「ドルミナのコーガン高地付近、フィルナンシアのレバックに悪魔が降り立った」
空気がざわついた。悪物ではなく、悪魔。言葉の違いに、ナキ達は畏怖する。コーガン高地、レバックと言えば、ドルミナとフィルナンシアの境界線で、ロジバルトの最果てにあたる。
ふいに、九年前の映像が思い起こされた。家屋は焼け、人は殺され、悪物のせいで、ナンシアは崩壊した。
どくどくと心臓が動き出し、緊急事態ということを意識する。
「生憎と人が足らん。我々も行くぞ」
トラル教官は神妙な面持ちで、早速天馬に乗る。その背中に、生徒達は高揚した。
「参加しても、いいって事ですか」
高揚の中を斬ったのは、ジキラだ。あの調子だとおそらく、トラル教官の様子にも興味は無いのだろう。少し不憫に思いながら、それでも耳を傾けざるを得ない。
「ああそうだ。ただ、深追いは我等に任せておけ」
それに、意味深に返答する。その顔は、どこか清々としていた。トラル教官も、悪魔の再来に高揚しているのだろうか。憎悪を孕ませているのだろうか。
憎悪は無いが、ナキも同じだ。悪魔が来て、高揚している。王の役に立てるのだ。
ーー「これ以上ない初陣だね!」
ああ、本当に、これ以上ない。
◯
悪魔達が降り立ったのは、東兵舎からそう遠くなかった。天馬を操れば、一時間あたりで目的地に辿り着く。そこには、悪魔が内側に、想起士が外側に陣取っていた。
想起士が悪魔を斬り、悪魔が想起士を刺す。そこには、血めどなき殺し合いが始まっていた。まごう事なき戦争だ。
「おおおおおおおお!!」
「殺す!」
「お先に!」
悲惨な光景には目も暮れず、三人の同期達が天馬を繰り、戦場に突っ込んでいく。それを見て、他の生徒達も、同じように突っ込んでいく。
「そんな、考えなしに...」
「何を考える必要がある」
ナキの言葉に、眼鏡を掛けた吊り目男がきつい眼差しを向けた。兵舎に入った時すぐに、ジキラと試合をした、ガッチだ。
「見ろ」
そこにあったのは、天馬に乗った想起士達が悪魔を殺戮している光景だった。想起士達は槍やら剣やら、創造した武器を地上の悪魔へ突き立てる。悪魔は醜い喚き声を発した後、汚れた屍体を地に伏せていく。
どう見たって悪魔達は、戦おうとしていない。
「それに、あいつら、逃げようとしているみたいだ。姿を見せておいて、これでは殺して下さいと言っているようなものだ。まあ、知恵のない悪魔なら当然か」
ガッチはそのまま、高みの見物をするつもりのようだ。ナキも戦場を見る。
明らかに、圧倒的な差で、こちらの優位だった。ガッチが言うように、何故姿を現したのだろう。
「他に狙いがあるんですかね」
戦場に突っ込んで行った筈のニャニャッチが、恥ずかしそうに質問する。ガッチがため息をついて、やれやれというように答えた。
「狙い?」
「いやぁ、圧倒的過ぎて..」
「まぁ...。といっても」
悩みながらも、結論はもう出ている。この戦いは勝っていて、ナキの出る幕はない。人が足りないというのは、万全を期して、ということか。何せ、悪魔達が弱過ぎる。これでは守護神様がいなくたって余裕で勝てるくらいだ。
有り体に言えば、拍子抜け。
「...?」
ふと、何かの気配を感じて、背後を振り向いた。そこはいつもの風景で、夕日に照らされた街並みが、絶景に照らされている。
いま、風を感じた気がした。ひゅーっという風が、ナキの頬を押したように思えたのだ。
「気のせいか」
国の風景を惜しみながら、前を向く。こんな戦いでも、重要な経験だ。しっかりと見て、想起士の仕事に活かすのだ。
「ナ、ナキさん」
右肩に何かが乗っかったと思うと、ニャニャッチが天馬を近づけ、両手を乗せていた。
「な、なに」
「あれ。あれですよ..」
ニャニャッチの凄まじい焦りの表情に、また振り向く。そこはいつもの風景で、街並みが色鮮やかに建っている。
その、上。
上を見上げると、何かが、動いているような気がした。
「....は?」
何かは、どんどんどんどん大きくなっていく。次第に、圧力を感じた。人は、信じられないものを見た時、こんなにも身体が動かなくなってしまうのか。
「おい、落ちるぞ」
「にゃにゃああああああああ!!」
空は、突然と化け物に急変する。
ボオオオオオオオオオオオオオン!!!
気づいた時には、世界が一変していた。




