ミレイア
エリシアが王都を去ってから、ミレイユの生活は大きく変わった。
朝になれば母が部屋へ来て、その日の予定を細かく確認するようになった。これまで姉に付き添っていた礼儀作法の教師も、今ではほとんどの時間をミレイユのために使っている。
王宮へ行けば、以前ならエリシアへ向けられていた人々の視線が自分へ集まった。
「百年に一人の聖属性適正SSランクの聖女であり未来の王太子妃」「アルセイン公爵家最高の才能」この数日で何度その言葉を聞いたか、もう覚えていない。
「ミレイユ様、こちらもお持ちいたしました」
「ありがとう。そこへ置いておいて」
侍女が机へ積み上げた手紙を見て、ミレイユは満足げに微笑んだ。
貴族家からの茶会への誘いに教会関係者からの面会希望。そしてこれまでほとんど言葉を交わしたことのなかった令嬢たちからも、次々に祝いの手紙が届いている。
以前なら、こういったものはすべて姉のところへ届いていて自分はいつも、その隣にいる妹だった。
「お姉様がいなくなっただけで、こんなに違うのね……」
「何か仰いましたか?」
「いいえ。何でもないわ」
侍女へ笑いかけると、ミレイユは一番上にあった封書を手に取った。差出人を確認し、すぐに机へ戻す。
興味があるわけではない。
ただ、自分宛てにこれだけの手紙が届いているという事実が嬉しかった。
父も母も、今では自分の予定を最優先に考える。レオンハルトも昨日、王宮の庭を歩きながら、これから正式な婚約へ向けて話を進めると約束してくれた。
ようやく手に入ったのだ。
姉ではなく、自分が選ばれる生活を・・・
「そういえばミレイユ様」
手紙を整理していた侍女が何気なく口を開いた。
「昨日、叔母様がお見えになった際、エリシア様のことを尋ねていらっしゃいましたね」
ミレイユの指が止まった。
「……そうだったかしら」
「はい。辺境でお困りではないでしょうか、と。エリシア様は聖魔法がお得意でしたから、修道院でもきっと頼りにされるでしょうね」
「そうね」
「私もそう思います。エリシア様なら、どこへ行かれても――」
「もういいわ」
思ったより強い声が出た。侍女が驚いてこちらを見るがミレイユはすぐに笑顔を作った。
「ごめんなさい。少し疲れているみたい。今日はもう下がってくれる?」
「失礼いたしました。何かございましたらお呼びくださいませ」
侍女が部屋から出るまで待ち、扉が閉まるとミレイユは小さく息を吐いた。
また姉だ・・・王都からいなくなったのに、まだ名前が出てくる。
エリシアならどこへ行っても大丈夫、エリシアは優秀だから、エリシアは聖魔法が得意だから。
「……もう関係ないでしょう」
もう姉は王太子の婚約者ではないし公爵家からも離れた。辺境の古い修道院で暮らすことになったのだから、もう自分とは何の関係もないはずだ。
ところが人々は、まだ姉のことを忘れていない。
それだけなら良かったが、問題はその比較がいつ自分へ向くか分からないことだった。
今は誰もがSSという数字に驚いている。
けれど、聖女として何かを求められるようになったらどうなるのだろう。
自分が治癒魔法を使えば、以前エリシアが使った術と比べられるかもしれない。結界を張れば、姉の方が巧かったと言う者が現れるかもしれない。
王太子妃として学び始めれば、それも十年以上教育を受けてきた姉と比較される。
「私の方が頑張っているのに……」
机の上で両手を握る。それなのに、何か失敗するたびに「あの姉なら」と言われるのでは意味がない。
もっと悪いことも考えられる。
もしエリシアが辺境で功績を上げたら、優秀な聖女だったと再び評判になったら、誰かが婚約解消について疑問を持ち始めるかもしれない。
王国のためにSSである自分を選んだという話も、いつか掘り返される。
そのとき、姉が王都に戻ってきたらどうなる?
「……いや、もうあいつは王都に戻ってくることは禁止されているわ」
父から聞いている。正式な書面で王都への帰還は禁止されているのだから、勝手に戻ってくることはできない。
そう考えて安心しようとしたのに、別の疑問が浮かんだ。
父の考えが変われば?
王家が無理矢理にでも呼び戻せば?
レオンハルトが、いつか自分を選んだことを後悔したら?
「そんなこと……」
ないと言い切りたかった。
けれど、レオンハルトは長い間エリシアの婚約者だった。そして何より彼自身が、エリシアは優秀な女性だと認めている。
ー姉を嫌いになったから婚約を解消したわけではないー
ミレイユの胸に、嫌な感覚が広がっていく。せっかく姉から離れたのだ。今度こそ、自分だけを見てもらえると思った。なのにエリシアが生きている限り、自分はいつまでも「あのエリシアの妹」から逃れられないのではないか。
ミレイユは机の引き出しを開けた。
奥には、小さく折った紙が一枚入っている。
以前、王宮へ出入りするようになった頃に知り合った男から渡されたものだった。
表立って頼めない仕事を扱う者へ繋がる方法・・・そのときは使うつもりなどなかった。ただ、王太子妃になるなら、こういった人脈も知っておいた方が良いと言われて受け取っただけだ。
「私は別に……」
紙を取り出しながら呟く。
「お姉様を恨んでいるわけではないのよ。私は悪くないの」
自分が今の立場を守りたいだけだ。姉が辺境で静かに暮らしてくれるなら、それで良かった。だが、本当にずっと静かにしている保証はどこにもない。
それなら、何も起きないうちに終わらせてしまった方がいい。
自分のためにもレオンハルトのためにも。そして、せっかく新しい王太子妃を得た国のためにも・・・そこまで考えると、ミレイユは自分の判断が随分まともなものに思えてきた。
_________
翌日の午後、ミレイユは王都の外れにある小さな宿の一室にいた。
公爵家の馬車は使っておらず、侍女には教会関係の女性と個人的に会う予定があると伝えてある。向かいの椅子には、使い古された外套を着た男が座っていた。
「確認しますが、本当に王太子殿下にはお知らせせずに?」
「もちろんです」
男は少しだけ眉を上げた。
「随分と思い切られましたな」
ミレイユは声を低くした。
「私は騒ぎを起こしてほしいわけではありません。辺境ですもの。盗賊や魔物が出てもおかしくないでしょう?」
男が黙るとミレイユは続けた。
「古い修道院で、女が一人で暮らしている。そのような場所が盗賊に襲われたとしても、不自然ではありませんよね?」
「……ええ、もちろんです。ただ、曖昧なままだとよろしくない現地にいる女性を、どう扱えばよろしいので?」
ミレイユは唇を結んだ。
ー殺してー
その一言を口にしてしまえば、後戻りできなくなる気がした。
だから別の言葉を選ぶ。
「……生きていれば、襲撃のことを誰かに話すでしょうね。・・・それでは困ります」
「仕事として受けるには、もう少し明確にお願いしたいところです。後から『そんな命令はしていない』と言われるのは、こちらも困りますので」
ミレイユは男を睨んだ。
まるで自分が卑怯なことをしていると言われているようで腹が立つ。
「では、こうしてください」
声が外へ漏れないよう、少し身を乗り出した。
「盗賊が修道院を襲い、そこにいた者は誰も助からなかった。建物も荒らされ、火が出た。後から調べても、ただの盗賊による事件にしか見えないようにしてください」
男の表情は変わらなかった。
「承知しました」
「お姉様の持ち物も、私や王家に繋がるようなものがあれば処分してください」
一瞬、追放時に父から渡された書面が頭に浮かぶ。
「分かりました」
「それから、絶対に殿下のお耳へ入らないようにしてください」
「依頼人について口外するような者を使うつもりはありません」
ミレイユは思わず言い返した。
「殿下は関係ありません。これは私が決めたことです」
「左様ですか」
「殿下はお優しい方ですから、知ればきっと余計なことを気になさいます。ですから、何も知らない方がいいのです」
自分が守ってあげなければならない。レオンハルトは王国を背負う人なのだから、こんな家族間の細かな問題まで抱える必要はない。
姉のことさえ完全に片づけば、彼も迷う理由を失う。
「報酬はこちらへ」
ミレイユは用意してきた袋を机に置いた。
男が中身を確認する。
「不足はありません。辺境まで移動する時間があります。数日以内には」
「終わった後の報告は必要ありません」
男が初めて少し意外そうな顔をした。
「盗賊に襲われたという知らせだけ聞ければ十分です」
詳しいことなど知りたくない。誰がどうやって死んだのか、姉が最後に何を言ったのか、そんなことまで知れば、自分が悪いことをしたような気分になってしまう。
「では、そのように」
男が報酬を持って立ち上がる。部屋から出ていく直前、ミレイユは一つだけ念を押した。
「失敗しませんよね?」
「私達はプロですから」
そう言うと扉が閉まった。もう既に人の気配は残っていない。一人になった部屋で、ミレイユは胸へ手を当てる。
鼓動が速い。
ーこれは必要なことだー
エリシアだって、自分が王太子妃になる邪魔をするつもりなどないだろう。だったら、結果として変わらないではないか。
姉は辺境から戻らない。
自分はレオンハルトと結婚する。
ただ、その未来を確実にするだけだ。
「お姉様は何でも持っていたんだもの……」
誰もいない部屋なら、口に出しても構わない。
「一つくらい、私に譲ってくれてもいいでしょう?」
そう言うと、不思議なくらい気持ちが落ち着いた。
あとは何も知らなければいい。盗賊が勝手にやったことになるのだから。
_________
それから三日後、辺境の修道院では朝からゴーレムが崩れた石壁を積み直していた。
「もう少し右へお願いします。そう、その辺りです」
エリシアの指示を受け、ゴーレムが大きな石をゆっくりと下ろす。
以前は途中まで倒れていた外壁も、修復を始めてから随分と形になってきた。
近くでは二体のゴブリンが石の隙間へ土を詰めている。一方で透明なスライムは玄関の床を掃除するという仕事を気に入ったようで、朝から同じ場所を何度も往復していた。
「そこはもう十分綺麗だと思いますよ?」
声をかけると、スライムが身体を震わせる。
「もしかして、まだ何か気になるのですか?」
『汚れの残留を検知している可能性があります』
「私より几帳面ですね」
『・・・清掃用個体としては優秀です』
肩の近くを白い光が飛んだ。サンクチュアリフェアリーがエリシアの周囲を一周すると、作業中のゴブリンの頭へ降りる。
ゴブリンは嫌がる様子もなく、そのまま土を運んでいた。
「随分仲良くなりましたね」
『効率面での算出ができませんが・・・』
そんな話をしながら、エリシアは積み直された壁を確認していた。
外縁領域は、昨日ようやく修道院の敷地を囲む古い石壁の辺りまで広げている。領域内であればノアが異常を察知できるため、森の中で一人暮らす身としてはそれだけでも随分安心できた。
『管理者エリシア』
ノアの呼び方が変わったことに、エリシアはすぐ気づいた。ノアの声にはいつものやり取りとは違う硬さがあった。
「どうしました?」
『外縁領域へ複数の生命反応が入りました』
エリシアは作業を止めた。
「・・・旅人でしょうか?」
『八名。全員が武装しています』
「武装……」
辺境であれば、剣を持って旅をする者自体は珍しくない。野生の魔物も出るし護身用の武器を持っているだけで敵と判断するつもりはなかった。
「こちらへ向かっていますか?」
『はい。森側から接近中です。街道は使用していません』
それは少しおかしい。修道院へ来るのであれば、わざわざ森を抜ける必要はない。
「どのくらいで着きますか?」
『数分以内には修道院玄関に到着する予定です』
「皆を中へ」
エリシアはすぐゴブリンたちへ声をかけた。
「作業を止めましょう。ゴーレムも一緒に地下へ降りてください」
二体のゴブリンが顔を見合わせる。
「大丈夫です。まだ敵だと決まったわけではありませんから」
そう言ってから、自分も修道院へ戻った。
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