第六章:五十年の沈黙
高城和也からの返事は意外にもすぐ来た。秘書からの事務的な電話だった。
「高城がお会いしたいと申しております。明日の午後三時いかがでしょうか」
声は機械的だったがその向こうに動揺している人間の気配を感じ取ることができた。
指定されたのは平日の午後高城建設の役員応接室。逸郎は何年も袖を通していなかった一張羅のジャケットを羽織ってそのビルへと向かった。
ガラス張りのロビー。大理石の床。高い天井から垂れ下がるシャンデリア。逸郎は自分がひどく場違いでみすぼらしい存在に感じられた。受付の若い女性が丁寧ながらも値踏みするような視線を向けてくる。
高城建設は昭和二十年代に創業した老舗の建設会社だった。戦後復興期に数多くの公共建築を手がけ地域経済の発展に貢献してきた。現在のビルは平成に入ってから建設されたもので最新の耐震技術と環境配慮型の設備を導入している。外観はガラスとスチールを多用したモダンな設計で地域のランドマークとしても親しまれていた。
秘書に案内された応接室は窓から街が一望できる広々とした部屋だった。革張りのソファに深く腰を下ろすと体が沈み込んでいくような感覚がした。壁には高城建設が手掛けた建物の写真が誇らしげに飾られている。
やがてドアが開き一人の老人が入ってきた。上等なスーツに身を包み銀色の髪を綺麗に整えている。だがその顔には深い疲労と長年何かを隠し続けてきた人間特有の翳りが刻まれていた。高城和也。幻の中で見たあの精悍な青年の面影はもうどこにもなかった。
「……人影さんでしたかな。わざわざご足労いただき恐縮です」
高城の声は低く乾いていた。彼は逸郎の向かいのソファに腰を下ろし値踏みするように逸郎を見た。その目には警戒心と同時に諦めのような色が混じっていた。
「して五十年前の私が失くしたものとは? 単刀直入に用件を伺いたい」
その態度は明らかに逸郎を警戒し牽制していた。だがその強がりの裏に長年封じ込めてきた恐れが隠れていることを逸郎は感じ取った。
逸郎は懐から一枚の紙を取り出した。それは彼が自分の「究極の電柱地図」から桜木通りの部分だけを丁寧に書き写した一枚の図面だった。
「私は長年電力会社で地図を作る仕事をしておりました。この『桜木通り五十六号柱』。高城さんあなたも覚えていらっしゃるはずです」
その電柱番号を聞いた瞬間高城の表情からすっと血の気が引いた。平静を装おうとする仮面の下で隠し続けてきた記憶が激しく揺さぶられているのが分かった。彼の手がわずかに震えている。
「……何のことかな」
声がかすれていた。
「五十年前の雨の日。この電柱の下で一人の女性が亡くなりました。斎藤明子さん。あなたの婚約者でしたね」
逸郎は静かにしかしはっきりと告げた。
高城は答えなかった。ただ固く結んだ唇が微かに震えていた。顔は蒼白になり額に汗が浮かんでいる。逸郎は続けた。
「事故は彼女の不注意とされています。しかし本当は違う。あなたはかなりのスピードで車を運転していた。そしてその事実はあなたのお父上の力によって揉み消された。……違いますか?」
沈黙。重い息の詰まるような沈黙が部屋を支配した。窓の外の喧騒がまるで遠い世界の音のように聞こえる。エアコンの音だけがやけに大きく響いていた。
やがて高城は観念したように深く長い息を吐いた。それは五十年間彼の肺の奥に溜まっていた澱のような息だった。
「……全てご存知のようだ。今更何を言っても言い訳にしかならん」
彼はまるで遠い昔の映画を語るようにぽつりぽつりと話し始めた。その声は年老いた男のものとは思えないほどか細く震えていた。




