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刑場の娘  作者: 紫乃森 統子


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六.柘植の櫛(3)

 それが何故、処刑のない日にまで、あんな場所にいたのか。

 よもやわざわざ秋津を訪ねてきたわけではないだろうが、他に何の用事があってあんな古ぼけた御堂に来るだろうか。

 素行の悪い博徒連中さえ捨てたような場所だ。

 十兵衛は自己嫌悪を抱えながらも、どこか腑に落ちない心持ちで源太郎の長屋に戻って行った。

 

 ***

 

 用事があると言う恭太郎を岩屋の中へ通し、寝床に使っている粗末な畳を差し出す。

 燭台に小さな明りを灯すと、岩壁に黒々と二人の影が浮き上がった。

「存外広いのだな。それに、思っていたよりも過ごしやすいようだ」

「そうですか? 岩の合間なんで、暑さ寒さはある程度凌げているのかも知れませんけどね」

 秋津が恭太郎の正面に筵を据えて屈んだところで、恭太郎がそれを制止した。

「そこでは体を痛めるだろう? こちらへおいで」

 恭太郎は苦笑しながら、自らの隣に招く。

 前もこんなことがあったが、位の高い武士の隣に平然と並んで座るなど本来はあってはならないことだ。

「でも、あたしは……」

「いいから、おいで」

 穏やかな口調と表情だが、恭太郎の声にはいつになく覇気があった。

 少し迷ったが、じっと待つ恭太郎の隣に遠慮がちに膝を折る。

「少しの間、私に背を向けていてくれるか」

「? こうですか?」

 言われるまま背中を向けると、するりと髪に何かが通る感触がした。

 驚いて振り返りかけたのを、恭太郎に制される。

「そのままじっとしていてくれ」

「だっ、だけど髪を梳いて貰うなんて、そんなことさせるわけには──」

「たまたま櫛を見掛けたので、おまえにやろうと思っていたんだ。折角の長い髪が、手入れ知らずでは可哀想だ」

 聞いてか聞かずか、恭太郎は手を休めることなく丁寧に秋津の髪を梳く。

 非人は、農民・町人との区別のため、髪を結うことを許されない。

 女はいつもざんばらの髪を垂らし、男も髪を垂らすか、短く散切りにしているのが常だ。

 上等な櫛を使って、時間をかけて(くしけず)ると、秋津の髪はつやつやと輝きを取り戻す。

「こうして手入れしてやるだけで、見違えるようだ」

「そ、そうかな……。何だか変な感じ。男の人に、それも、恭太郎様みたいな偉い人に髪を梳いてもらうなんて、罰でも当たらなきゃいいけど」

「垂れ髪は、私たちには許されないからな。綺麗な髪は、結うよりも垂らしたほうがより映えるものだ」

「それは違うよ。あたしらが結い髪を許されないんだ」

「そうかもしれないな。だが、おまえたちが髪を結いたくても結えないように、私たちも、髪を垂らしていたくても、垂らしていると咎められるものだ」

 不自由な決めごとに縛られているのは、身分のあるなしに関わらず、窮屈なもの。

 一頻り髪を梳き終わると、恭太郎は髪を緩く束ね、組紐を結んでやる。

「さあ、もういいぞ」

「あ、ありがとう……、ございます」

 何がどうしてこんな状況になったのか、戸惑いを禁じ得ない。

 恭太郎にしてみれば、ほんの気まぐれなのだろうが、あまりに頻々と親しく関わり過ぎているように思う。

 身分の高い人の考えることは解せない。

「まさか用事って……」

 訝りながら振り返ると、目を細める恭太郎と目が合う。

「これをおまえに渡そうと思っていたんだ」

 そう言って差し出されたのは、柘植の櫛だった。

 隙間風を受けて揺らめく灯りが、辺りの陰影をも揺らす。

「こんな立派なもの、とても頂けませんよ」

 囚人から剥ぎとったものならいざ知らず、直接の贈り物として受け取るには些か気後れがする。

 固辞しようとする秋津の手を取り、恭太郎はその手に櫛を握らせる。櫛を握った秋津の手を更に両手で握り、恭太郎は伏し目がちに目を泳がせた。

「……あの男は、またここを訪ねて来るのだろうな」

 独り言のようにぽつりと呟く。十兵衛のことを言っているのだろう。

「何も恭太郎様がそこまで心配なさることじゃありませんよ」

 結婚というものの許されていない非人にとっては、非人頭の女房扱いは有難いものだ。

 名ばかり武士の郷士などと比べても、よほど裕福に暮らせる。

 実子のない源太郎の役目を十兵衛が継ぐというのなら、その十兵衛に請われるのは、願ってもない話だった。

「まあ、良い話なんでしょうけどね」

 それよりも、と、秋津は握らされた櫛を恭太郎の両手ごと押し返す。

「これは頂けません。どうか、あたしに構うのはもうやめて頂けませんか」

 刑の手伝いに出る度、肝を冷やすのは勘弁願いたい。

 それに、恭太郎が秋津を訪ねて来れば、またいつ今日のように鉢合わせるか分からない。

「あたしは、非人です。恭太郎様は大身のお武家様だ。だけど、こんなに良くして貰っていたら、あたしだっていつか勘違いする」

 現に、恭太郎の存在がこの岩屋へ留まる理由の一つになりかけているのに気付いたばかりだ。

 無闇に親しくなるべきではない。

「では、私も勘違いをしているのか──」

 唐突に独り言のような呟きが聞こえ、次に瞬きをした瞬間には、恭太郎の両腕に囚われていた。

「ちょ、……っと! 何、何するんですか、放してくださいよ!」

 驚き、声に詰まったが、秋津は辛くも恭太郎の胸板を押し返そうとする。

 が、上背もある恭太郎との膂力の差は歴然としていた。

「…………」

「な、何でこんなこと……」

 一声も発さぬままに抱き込む腕の力が俄に強まり、けれどもすぐに弛緩して秋津の身体を解放した。

「……やはりこれは受け取って欲しい。頼む」

 一度は押し返された柘植の櫛を、恭太郎は今一度秋津の手に握らせる。

「でも……」

「受け取ってくれ」

 か細い灯りに照らされた恭太郎の表情は複雑に歪み、何かを伺い知ることは困難だった。

 

 

【第七章へ続く】


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