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刑場の娘  作者: 紫乃森 統子


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六.柘植の櫛(2)

 一向に手を放そうとしない十兵衛を振り解こうともがくが、流石に力では敵うわけがない。

「放してよ」

「誰が放すかよ! もういいだろう、一緒に来い!」

 引き摺られながら言い合っているところに、不意に人の気配と下草を踏み分ける音が聞こえ、突如として秋津を庇うように大きな背が割って入る。

「これほど嫌がっているのを無理に引き摺るのは感心しないぞ」

 笠を目深に被り、袴を着けた背を振り仰げば、十兵衛を睥睨する恭太郎の顔があった。

「どんな事情か知らんが、乱暴狼藉は見過ごせぬ」

「なんだあんた、こいつはウチの長屋のモンなんだ。部外者は引っ込んでて貰えねえか」

 相手が二本差しと見て、十兵衛もややその威勢を削がれたらしい。

「ならば尚更、無体な真似はやめておけ」

 悔しげに口許を歪める十兵衛と、いつになく凛然とした恭太郎とを交互に見遣る。

 と、十兵衛もはたと気が付いたのか、恭太郎の顔をまじまじと覗き見た。

「……あんた確か、郡代の?」

「如何にも。揉め事の末に暴行にでも及ばれては看過できぬ。おまえが長屋の大家ならば奉行所で話を聞くが、どうする」

「ちょっと待ってくれよ、これは痴話喧嘩みてぇなもんだ。強情っぱりの家出女房を連れ戻しに来たようなもんで──」

 些か狼狽した十兵衛の口から出た言葉に、今度は秋津も喫驚した。

「何よそれ、誰がいつ十兵衛の女房になったのさ」

「う、うるせぇ! おれはずっとおやっさんからそう言われて来たんだ、頭を継ぐならおめぇを娶りゃいいって……」

「だからあたしを無理に連れ帰ろうとしてたってわけ?」

 前回ここを訪ねてきた時も、それを言い掛けて引っ込めたのかと秋津も少々呆れ返る。

 ふと視線を感じて顔を上げると、困ったような、それでもまだ十兵衛の狼藉に腹を立てているような、複雑な面持ちの恭太郎と視線が絡む。

 次いで、恭太郎の背に庇われたままの秋津を、無言のままにじっと見詰める十兵衛の顔。

 ここで何らかの返答をしなければ、場が収まらないだろう雰囲気が刺さるように感じられた。

「……十兵衛の事情は分かったけど、あたしはさっきも言った通り、まだ長屋に戻る気はないんだよ。何もずっとってわけじゃない。吉治の気が済んでいるようなら、次の春には長屋へ戻るから」

 気不味さゆえに自然小さくなる声を絞り出すと、十兵衛は顔を背けてしまった。

 引き受けたとばかりに、恭太郎が一つ息を吐いて声を繋ぐ。

「こう言っていることだし、今日のところは引いてはどうだ。引けば私も先程の所業は見なかったことにしてやる」

 十兵衛も分が悪いと思ったのか、苦々しく口を歪めて一歩後に退く。

「勘違いされちゃ困るが、おれは何も秋津に危害を加えようってんじゃねえ。今よりましな暮らしをさせてやりてぇってだけだ」

 今日のところは出直す、と言い残し、十兵衛は憤懣やる方ないといった態度で踵を返していった。

 

 ***

 

「さっきの男は、非人長屋の者なのか?」

「うん、あたしの兄貴分で、十兵衛っていうんだ。気まずいところを見せて、悪かったね」

 静謐さを取り戻した境内で、恭太郎と二人、どこかぎこち無い会話をする。

 多分、十兵衛には悪気はない。

 単純にやり方が不器用なだけで、なかなか戻ってこない秋津を心配しているのだろう。

 けれど、あそこまで強硬手段に出るとは思っていなかった。

「腕は大丈夫か」

 十兵衛に掴まれていた腕を擦り、秋津は笑う。

「平気平気、ちょっと強く掴まれただけだから」

「見せてみろ」

 言うが早いか、恭太郎は秋津の腕を両手でそっと取り、骨や筋に異常のないことを確かめる。腕に視線を落とすその目の真剣さに、秋津は気恥ずかしさを覚えた。

「……腫れはないようだが、もし痛むようならすぐに言うんだぞ」

「だ、だから大丈夫ですって──」

「おまえの言い分も聞かず、あんな無体を働くような男と娶わせられるのか」

 秋津の腕を放しかけ、けれどもその手がすぐに解かれることはなかった。

「それでもいずれ、長屋へ帰るのか?」

「え……、まあ、帰るしかないかな。さっきはあたしも驚いたけど、十兵衛もいつもはあんな風じゃないんですよ」

 最初に目の当たりにした光景が、女の手を乱暴に引いている姿では印象が悪いのも致し方ない。

 だが、これまでの十兵衛には世話にこそなれど、迷惑などあった試しがないのも本当だ。

「まあ、夫婦の話となるとあたしも実感は湧かないけどさ」

 血の繋がりはなくとも、兄妹のように過ごしてきた相手だ。そういう風に十兵衛を見たことは、これまで全くなかった。

「だけど、頭がそう言ってたんなら、そうなるのがいいんだろうね」

「…………」

 恭太郎は、秋津の手に触れたままの姿勢で、じっと話を聞いている風だった。

 日は西に傾き、高い木々に囲われた境内は薄暗くなってきている。

 口数の少ない恭太郎の顔は、今以て険阻さを含んでいた。

 一応は町奉行の管轄に身を置く、それも郡代見習いという要職に在る人物だ。

 あまり怒らせれば、十兵衛も秋津自身も無礼討ちにされたとて文句は言えない。それほどに身分に開きがあるのだ。

「あ、ああそれより! 変なとこ見せちまったけど、ありがとう。恭太郎様が来てくれて助かりましたよ」

 包むように優しく触れていた恭太郎の手を、秋津は微笑みを浮かべながらもう一方の手でそっと押し退ける。

「今日はもう、恭太郎様もお戻りになったほうがいいんじゃないですか」

 秋津は何となく気まずさを感じ、やんわりと宥めた。

 だが、恭太郎は静かに首を横に振る。

「いや、今日はおまえに用があって訪ねたんだ」

 その用事がまだ済んでいなかった、と恭太郎は思い出したかのように笑顔を見せた。

「少し、邪魔をしても良いか?」

 

 ***

 

 涼やかな風が川面を撫でていくのを眺め、十兵衛は重く吐息した。

 口下手や照れ隠しも、ここまで来ると目も当てられない。我が事ながら呆れた気質だ。

 加えてあの男、処刑場の検視から三度も逃げ出した、あの腰抜け侍だ。

 あんな奴でも、家中では屈指の大身の家柄。且つ現在は郡代見習いという、揉めるにも覚悟の要る相手だ。馬鹿にした態度を取ることは出来ない。

 

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