#9 転属
「……バカ、アホ、クズ、脳筋! もう機関科なんかに、彼女のことを任せられないわ! 艦長に直談判して、今度こそジョルジーナ二等兵を主計科に転属させてもらいますから! 異論はないですよね、ウォーレン大尉!?」
……ああ、あの声はマイナ少尉だ。マイナ少尉がああいう叫び声を上げているという事は……
やっぱり、ここは医務室だった。あのお馴染みの、白い天井が見える。
また私、倒れちゃったんだ。もう4度目だ。これでもかなり強くなった気がするけど、まだまだ虚弱だなぁ……白い天井を眺めながら、私は自身の身体の弱さを嘆く。
自身の弱さを嘆いてたら、カーテンがさっと開く。現れたのは、マイナ少尉だった。
「ジョルジーナちゃん! そういうわけで、あなたは現時刻をもって、主計科よ!」
「……へ? しゅ、主計科……?」
「もう4度も倒しておきながら、人をモノ扱いしかしない脳筋職場とはおさらばよ! 私が、あなたのことを守ってあげるから!」
「は、はあ……」
突然、そう言われても、私は実感できていない。
マイナ少尉が主計科だという事は知ってるが、そこがどんな仕事をするところかを知らない。だから、マイナ少尉が私を守ると言われても、いまいちピンときていない。
ただ一つ分かる事は、ウォーレン大尉の元を去るということだけだ。
マイナ少尉の顔を見ていたら、なんだか急に涙が出てきた。
「ああ、ジョルジーナちゃん、泣くほど辛かったのね! でも、もう大丈夫よ! もう、ジョルジーナちゃんが倒れることのない職場に移ることになるから!」
マイナ少尉は、私を抱きしめて、励ましてくれた。だけど、そうじゃない。私のこの涙は、多分、機関科が辛いからじゃない。おそらく、自分自身の弱さというか、そういうものに対する涙だ。
医務室で一眠りして、私は部屋へと戻る。するとその時点で私の所属は、主計科に変わっていた。そのことを、部屋の扉に書かれた表札から知る。
私は思った。つまりもう、ウォーレン大尉が私の部屋に来て、叩き起こされる事はないんだ、と。
それはとても幸せなことかもしれないけれど、何かぽっかりと、心に穴が空いたように感じられる。
「それじゃあ、主計科でのジョルジーナ二等兵の仕事を言うわね。まずは、洗濯室の備品を……」
その翌日から、私の主計科での日々が始まった。マイナ少尉が、私にあれこれと仕事の内容を教えてくれる。
要するに、主計科の仕事とはつまり、艦内の維持に関わることを一手に引き受けるというものだ。
この艦の主計科は3人。私が入って、4人となった。
で、私に任された仕事は、洗濯室と食堂の維持管理。早速、私は洗濯室へと向かうことになった。
マイナ少尉と共に、洗濯室へと入る。そこは、腕だけのロボットがわさわさとうごめく不気味な場所。食堂の隣にあって、いつも食事のたびにこのガラス張りの部屋の中を目にしてはいたが、足を踏み入れるのは初めてだ。
「でね、ジョルジーナちゃん、ここでは洗剤の補充とフィルターの交換を行うの」
「あの、フィルターって何ですか?」
「ああ、洗濯で汚れを落とすのに使用した水を、このフィルターに通して水の汚れを除去するのよ。その後に化学反応を使って、落とし切れない汚れと洗剤を取り除いて、再び洗濯に再利用するのよ。宇宙では水が貴重だから、こうして水の節約をしてるの」
「は、はあ……」
機関室にはないものが出てきた。新たな職場で、再び新たな知識を身に付けなくてはならない。
だが、機関科と比べると、この主計科というところは随分とおっとりしている。怒鳴り声が飛んでこないし、自分の調子で仕事を進められる。私はマイナ少尉に教えられながらも、黙々と作業をこなす。
機関科との大きな違いは、主計科の仕事はよく歩くということだ。この艦全体が職場なので、とにかくよく歩く。艦橋にある空気清浄フィルターの交換、艦内の各階に備えられている船外服の保守・点検、消耗品の交換など、様々だ。
その作業の内容は、渡されたタブレットが全部教えてくれる。読めない文字は多いけれど、このタブレット端末というやつは読み上げてくれるから、私でも分かる。懇切丁寧、これも、機関科とは大きく違う。
手提げ袋を抱えて、タブレット端末片手に艦内を巡る。
だけど私には、機関室向けの仕事は回されていない。多分、マイナ少尉が外してくれたんだろう。私もあまり、あそこには足を踏み入れたくない気分だ。
それでも、ここは狭い艦内。ウォーレン大尉には出会ってしまう。
「あ……」
主計科に転属となって3日、ちょうど洗濯室での作業を終えて外に出たら、ウォーレン大尉がいた。どうやら、食堂に向かうところだったようだ。まったく予期せず鉢合わたため、私もウォーレン大尉もその場で固まる。
「どうだ、主計科には慣れたか?」
口を開いたのは、ウォーレン大尉だった。私は、応える。
「はい、大尉殿」
「そうか」
短く応えると、ウォーレン大尉は食堂へと歩み始める。私は、とっさに呼び止める。
「あ、あの、大尉殿!」
振り返る大尉。だが、呼び止めはしたものの、何を話すかなどまったく考えていない。
「……機関室の皆は、元気ですか?」
「元気だ」
何とか絞り出した会話は、あっという間に途切れてしまう。考えてみれば、この人とあまり、まともに会話をしたことがない。
「……ええと、それじゃあ……か、核融合炉の様子はいかがです?」
どうしてそんな事を聞いたのか、自分でもどうでもいい事を聞いてしまう。だが、大尉からは意外な答えが返ってきた。
「そうだな……お前がいなくなってから、相手する者がいないな」
「えっ!? いないって……大丈夫なんですか!?」
「今は右機関室の核融合炉と連動させて、一人で制御させている。しばらくは、問題ないだろう」
そう言い残すと、その場を立ち去る大尉。それを聞いて、何だか私は急に寂しさを覚える。
その翌日からだ。私の調子が、おかしくなったのは。
転属から4日目。朝起きると、身体がだるい。
てっきり、歩き疲れているのだと思っていた。その日はなんとか起き出す。
「あれ? ジョルジーナちゃん、なんだか顔色が悪いわよ? 大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です……」
なんとなくだるさを覚えながらも、その日の仕事をこなす私。
だが、その翌日、さらにだるくなってきた。
私は、そこで実感する。
ああ、これは「引き篭もり」だ。
そういえば私は、引き篭もりだった。
ウォーレン大尉に怒鳴られて機関室に連れて行かれる日々を過ごすうちにすっかり忘れていたが、私の本性は、部屋に閉じこもったきり外に出ず、本を読んだり、編み物をして過ごすことだった。
寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。そのときの感覚が、蘇ってきた。
そういえば、奴隷として売られているときもそうだった。
することもなく、檻の中で引き篭もり、基本的には寝たいときに寝て、起きたいときに起きていた。
時々、素っ裸にされて水浴びをさせられたり、一日一回の食事のため檻から引っ張り出されたりするとき以外は、壁に開いた穴から外を眺めていた。そこからわずかに見える外の世界に、思いを馳せていた。
そうだ、私はすっかり、あの頃の感覚に戻りつつある。
まずいと思って、なんとか起きだしたものの、その日はほとんど仕事が手につかず、部屋に戻る。そしてその翌日は、遂に立ち上がれなくなった。
「いいから、寝てなさい。あなた、急に生活環境が変わったから、ストレスが溜まったのよ」
マイナ少尉は優しい。いや、主計科の人達は皆、私に優しい。
それだけに、私はその優しさに溺れてしまう。
そんな感覚を覚えながら、遂に7日目がきた。
その日も、だるくて朝から寝ていた。ウォーレン大尉に買ってもらったスマホで、動画を見て過ごす。
『これより補給のため、戦艦ヴァリアントに向けて出発する。大気圏離脱、開始! 機関最大、両舷前進いっぱい!』
艦内放送で、大気圏離脱をする旨の知らせが流れてきた。その直後、機関音が鳴り響く。
ゴォーッというけたたましい音が、この部屋の中まで聞こえて来る。そういえばこの部屋、右機関室のすぐ上にある部屋だった。
機関は最大出力運転の真っ最中だ。今頃、ウォーレン大尉は機関室の中で怒鳴っているんだろうな。そんなことを考えながら、私はベッドの上で横になっていた。
異変を感じたのは、その直後だ。
ヒィーンという、悲鳴に似た音が聞こえてくる。その音は、徐々に大きくなった。
この音には聞き覚えがある。確か追撃戦の時に、エネルギーを吸われすぎた左機関室の核融合炉が出していた音だ。
それにしても、この悲鳴音が大きすぎる気がする。私の部屋で聞こえるということは、右機関室から響いてきているのだろう。
その耳障りな音に、ベッドの中で布団を被り、耳を塞ぐ私。ああ、早く大気圏離脱が終ってくれないだろうか? うるさくてたまらない。
だが、事態はさらに悪化する。
突然、ガンッという妙な音が響いてきた。
その直後に、この船が大きく揺れる。
明らかに、いつもと違う何かが起きた。私は、直感でそれを悟る。
そして私は、ガバッとベッドから飛び出す。気がつけば、私は機関室に向かって走っていた。