#10 転機
エレベーターで下の階に降りている時だ。艦内に、警報が鳴り響く。と同時に、エレベーター内の照明が消える。
何が起きているの?エレベーターの扉が開き、左機関室へと向かう。
機関室の中では、大混乱に陥っていた。
「核融合炉、再起動!急げ!」
「だ、ダメです!私は重力子エンジンから離れたら、誰がこれを制御するんですか!?」
「今は核融合炉が止まっている!重力子エンジンに張り付いてても、使い物にならんだろう!さっさと核融合炉に行け!」
ウォーレン大尉とブライアン少尉が、大声で言い合っている。私は大尉に向かって叫ぶ。
「ウォーレン大尉!機関音が変ですよ!何が起きているんです!?」
私の姿を見た大尉が応える。
「こっちの機関室の核融合炉が停止した!重力子エンジンも停止!」
「ええーっ!?それじゃあこの船は……」
「片肺では、重力圏を脱出できない!今はおそらく、長楕円軌道を描きながら地球に向かって落下中だ!」
それを聞いた私は、核融合炉に走り寄る。そして、スイッチを入れる。
「お、おい……」
「再起動します!私が核融合炉の担当を!大尉は、皆に指示を!ブライアン少尉は重力子エンジンの制御をお願いします!」
「了解した!」
「分かった!頼む、ジョルジーナ二等兵!」
すぐに、核融合炉の起動スイッチを押す。ウォーンという音を立てながら、核融合炉が徐々に動き出す。私は、出力レバーを引く。
ひと目盛り目に入れて数秒待ち、ふた目盛り目に入れた。その直後に、核融合炉がヴォーンと勢いよく唸り出した。
「大尉殿!起動完了!」
「ブライアン少尉、重力子エンジン再点火!急げ!」
「了解!重力子エンジン、再点火します!」
重力子エンジンの制御パネルを操作するブライアン少尉。こちらも勢いよく回り始める。重力子エンジンは再び、ゴォーッという音を鳴り響かせる。
「よし、機関最大出力!焼き切れても構わん!目一杯回せーっ!」
ウォーレン大尉のこの掛け声に、私は核融合炉のレバーを目一杯引く。ヒュイーンという甲高い音を立てながら、この地獄の釜のような核融合炉はさらに勢いを増す。
ブライアン少尉も、重力子エンジンを最大出力まで上げる。すでに機関室内は、会話もできないほどやかましい。
おまけに、室温もどんどん上昇する。汗がだらだらと出る。だけど今、気を抜いたら、この駆逐艦は地上に落っこちてしまう。私はレバーを引き続ける。
レバーを引いているだけではない。出力をあげたまま、制御板の上にあるダイヤルやスイッチを操作しながら、出力を安定させる。通常出力なら機械が自動でやってくれることも、最大出力時は人間が細かい操作をしなければならない。
暑さに耐えながら、しばらくの間、私は核融合炉の前で踏ん張りつづける。
『第3宇宙速度に到達!予定進路に乗った!前進半速!』
艦内放送が、どうにか地上への激突を免れて、予定の進路に乗ったことを知らせてくれる。
「出力を下げる!戻ーせー!」
大尉の合図で、私は出力をゆっくりと下げ、平常運転に切り替える。そこで自動運転のスイッチを入れる。ようやくこの機関室が静かになる。
「やった!いやぁ、ジョルジーナ二等兵、おかげで助かったよ!」
普段はウォーレン大尉以上の無口なブライアン少尉が、歓喜の声を上げる。私は流れる汗に構わず、笑顔で応える。
そこに、ウォーレン大尉が降りてくる。
「……いや、申し訳ない……」
開口一発、謝る大尉。頭を下げる大尉に、私は応える。
「いや、そんな、大尉殿!何も謝ることなんて……」
私は思わず大尉のところに駆け寄る。
「やはり、上手くいかなかった。全開運転時にした直後から、右機関との連動がうまくいかないようだ……やはり、左右同時運用は、無理があったようだ」
「で、でも、何とかしましたから!もう大丈夫ですから、大尉殿!」
まるで蒸し風呂のような機関室の中で、私は大尉を慰める。が、機関室の扉にふと目をやると、マイナ少尉が立っているのが見えた。
少尉からのただならぬ視線を、私は感じる。私は、マイナ少尉に言う。
「マイナ少尉!あの、これはですね……その、き、機関室の方からおかしな音が聞こえてですね……」
別に悪いことをしたわけではない。むしろ、この駆逐艦の落下の危機を救った。だけど、なんだかマイナ少尉を裏切ったような、そんな気持ちが私の中に芽生えて、思わずマイナ少尉に言い訳をし始める。
だが、マイナ少尉は応える。
「……適切な判断よ、ジョルジーナ二等兵。あなたがここにこなければ、おそらく今頃は大変なことになっていたわね」
意外な返答に、私はかえって戸惑う。マイナ少尉は、ウォーレン大尉にこう告げる。
「前みたいに、暑さで倒れると行けないから、一旦、彼女を預かるわよ。いいですよね、大尉!?」
「あ、ああ。構わない」
「ジョルジーナ二等兵!このクソ暑い機関室を出るわよ!すぐに水分を補給!いいわね!」
「は、はい!」
私はマイナ少尉に連れられて、機関室を出る。機関室の横の通路を、黙って歩く2人。
にしても、とてもバツが悪い。なにせ、今朝まで体調が悪いと言って休んでいた私が、ついさっきまであの暑い機関室の中で元気に核融合炉を操作していたのだから、私はマイナ少尉になんと思われているのだろうか?
エレベーターにたどり着く。黙り込んだまま、ふたつ上の階に移動する。エレベーターを降り、その階にある展望室へと向かう。
展望室には、小さな窓がついている。この船で3つしかない窓の一つがそこにある。真っ暗な宇宙空間が、垣間見える。
そこにある自販機で、マイナ少尉がジュースを買っている。2本のジュースを販売機から取り出し、そのうち一本を、無言で私に渡してくれる。
うう、なんだろう、この気まずさは。
このなんとも言えない緊張の壁のようなものを破ったのは、マイナ少尉の方だった。
「ねぇ、ジョルジーナちゃん」
「は、はい!」
「……まずは、ジュース飲もうか」
プシュっと音を立てて、缶を開けるマイナ少尉。私も缶を開けて、もらったスポーツドリンクを口にする。
ズビズビと冷たく冷えたドリンクを飲む。さっきまであの暑い機関室にいたから、この冷たさは心地いい。だが、それ以上に冷たい空気が、私とマイナ少尉の間に漂っている。こちらはすごく心地が悪い。
「やっぱりあなた、機関科がいいのかもね」
ついに、マイナ少尉が口を開く。鋭い一言だ。まるで裏切られたと言わんばかりのこの一言に、私は応える。
「いや、その、決してそういうわけでは……」
「いちいち反論しなくてもいいわ。さっきの機関室でのあなたの顔を見れば、そう思って当然よ」
う……ますます痛いところを突いてきた。別に私は、機関科の方がいいだなんて思ってはいないんだけど……自分でも、あのときの心情は上手く説明できない。
だけど、何故かそこが私の居場所のように感じられた。私はマイナ少尉に、今自分の頭の中に浮かんだことを淡々と語り始める。
「あの、マイナ少尉」
「なに」
「……私が、棄てられた奴隷だってこと、ご存知ですよね」
「ええ、その話は、あなたが最初に倒れた時に聞いたわ」
「私は1年と少しの間、帝都のある奴隷市場のところでずっと暮らしてたんです。なんというか、毎日が怒鳴られる日々で……」
「……やっぱり、そうなんだ」
「人を人として見てくれないところでしたからね。さすがに売り物だから、暴力こそ受けなかったものの、何をしても怒鳴られていて……」
「そう。で、それがどうしたの?」
「機関科に来てからも、私は大尉殿からしょっちゅう怒鳴られてました。それで私、死に物狂いで動いていたんですが、奴隷市場にいた時とはまるで違う何かを、そこで感じたんです」
「なによ、それは?」
「何て言うんでしょうか……ええと、うまく言えないけど、機関科ってつまり、この船を動かすためになくてはならないところじゃないですか。なくてはならない存在になれたことは、私にとって大きな衝撃だったんです。それに……」
「まだ、何かあるの?」
「ええと、なんていうか、初めて核融合炉や重力子エンジンを操れた時に、大尉が褒めてくれたんです。そういう経験って私、初めてだから」
「でもさ、あなた、奴隷に落ちる前はとある国の貴族の娘だったんでしょう?」
「はい、そうです」
「だったら、褒められるのが初めてっていうことはないでしょう」
「いえ、貴族時代も私、あまり褒められたことはないんです」
「ええっ!?そうなの!?」
「私の家は伯爵家だったんですが、私の両親の期待は兄にばかりかけられていました。私は、どちらかといえば部屋住みな存在。どこかの貴族との縁組のために使われる道具に過ぎなかったんです。だから、あまり褒められたことはないんです」
「……そうなんだ。貴族だからって、安穏と暮らしていたわけじゃないんだ」
「だから私、ずっと部屋に引き篭もって、そこで本を読んだり、編み物や縫い物をしたり……」
「つまり、あなたが初めて認められたのは、あの機関科というわけなのね」
「そうなんです。だから私、一生懸命やろうって思えてくるんです。確かにきついところですけど、かと言って機関科を離れてしまったら私、心にぽっかり穴が空いたようになってしまって……」
「分かった分かった!もういいわよ。あなたの気持ち、よく分かったわ」
「はい、すいません。せっかくマイナ少尉には気を遣っていただいたのに……」
「いいわよ。気を遣ったことが、必ずしも相手にとっていいことばかりではないと、承知しているから」
「うう……本当にすいません……」
「謝らなくていいわ。じゃあ、ジョルジーナちゃん。あなた、機関科に復帰ってことで、いいわよね?」
「はい……お願いします……」
「でも、また倒れられても困るわ。私が時折、チェックしに行くから。それでいい?」
「はい、ご迷惑をおかけします」
「いいわよ。別に」
すっかりぬるくなってしまったドリンクを飲みながらも、私はマイナ少尉に自分の気持ちを伝えられて安堵していた。マイナ少尉も、笑顔でこちらを見ている。
「ところで、今度の補給時に、私とあの街に行かない?」
「えっ!?あ、はい」
「この間はウォーレン大尉と一緒だったんでしょう?それじゃあ、ろくに服も買えなかったんじゃないの?」
「いえ、何着か買っていただきました」
「そう。でもそれ、まさかウォーレン大尉が選んだの?」
「あの、店員さんに選んでもらいました」
「……でしょうね。大尉が女物の服を選べるとは思えないわ。でも、やっぱりこういうのは女子の目が一番いいと思うの。だから、私が選んであげるわよ」
「本当ですか?ぜひ、お願いします」
「あとね、とってもおすすめの店があるのよ」
「お勧めの店って……アイスやタワーパンケーキのあるお店のことですか?」
「随分と雑なスイーツばかり食べてたのね。もうちょっと上品で、美味しいものが食べられる店よ。いいから、任せなさい!」
「はい!お任せします!」
展望室の中の明かりが変わったわけではないのだが、なんだかここが急に明るくなったように感じられる。前回はおっかなびっくり訪れたあの戦艦の街に、今度はマイナ少尉とともに行くことになった。




