エピローグ
イサム様が刀を一振りする。
それだけで、わたし――セシリア=デュラムを捕らえていた枷が、呆気なく断ち斬られた。
自由を取り戻したわたしは、しかし、情けなさで一杯だった。イサム様に迷惑をかけてしまったからだ。
わたしが捕まったせいで、イサム様はベルモット准教授と戦う羽目になった。戦いはイサム様の圧勝だったけど、ベルモット准教授の実力も圧巻だった。一歩間違えば、イサム様は負傷していたかもしれない。
申し訳なかった。守られるしかない自分が恥ずかしかった。
だから、わたしはイサム様に頭を下げる。
「申し訳ありません、イサム様。わたしのせいでイサム様に――」
その先の言葉が発されることはなかった。
イサム様がわたしを抱きしめたからだ。
「イサム、様?」
「いきなりすまぬ、セシリア。しばらくこうさせてほしい」
イサム様の腕に力がこもり、わたしは一層強く抱擁される。
「きみの身になにかあったらと気が気でなかったのだ。よく無事でいてくれた。ありがとう、セシリア」
わたしは異変を感じた。
制御できないほど心臓がうるさい。
茹だったように全身が熱い。
それなのに、まどろみのなかにいるように心地いい。
一体、わたしはどうしてしまったのだろう?
戸惑うわたしをイサム様がのぞき込んだ。
黒い瞳は星空のように美しかった。
「きみが謝る必要などない。俺は誓ったのだから」
「誓った?」
「ああ。この時代に飛ばされたあの日。きみに救われたあの日。俺はロランとマリーに誓いを立てたのだ」
「なにを誓ったのですか?」
イサム様の瞳に吸い込まれそうになりながら、わたしは訊く。
なおもわたしを見つめながら、イサム様が口を開いた。
「お前たちの子孫は――セシリアは俺が守る。俺の一生を賭して守り抜いてみせると」
イサム様の告白を聞いて、まず訪れたのは『驚き』。続いて溢れ出したのは、途方もない『喜び』だった。
イサム様がわたしを想ってくれていた。その事実に歓喜が止まらない。
泣きたくなるほど嬉しくて、蕩けてしまいそうなほど幸せで、胸の疼きだけが切ない。
このまま時が止まればいいと思ってしまう。
永遠にこの時が続けばいいと思ってしまう。
いつまでもイサム様に抱きしめていてほしいと願ってしまう。
あまりの幸せに、わたしは言葉を失う。
わたしの頭を優しく撫でて、イサム様が微笑んだ。
「今度はきみに誓おう。俺はセシリアを守る。いつまでもきみの側にいて、いつまでもきみを守り続ける」
イサム様の誓言が胸に染み入る。
生まれてはじめて、死んでもいいと思った。
わたしはなんて幸せなんだろう? こんなにも幸せでいいのだろうか? こんなにも幸せなことが人生で起こりえるのだろうか?
いままで感じたことのない多幸感。その多幸感の正体を考えて――わたしはやっと気づいた。
ああ。
そうか。
そうだったんですね。
イサム様の側にいるとドキドキが止まらないのも。
イサム様がほかの女性といるとモヤモヤするのも。
誰よりもイサム様の側にいたいと願ってやまないのも。
わたしが、イサム様に恋しているからなんですね。
☦ ☦ ☦
ヴァリスとの戦いから一晩が経った。
「ごめんなさい!」
ラミアにある病院の一室にて、意識を取り戻したエリュが頭を下げる。
エリュにはヴァリスに操られていたときの記憶がなく、一連の事件の詳細は、あとから聞いたそうだ。
「ボクの発明がみんなに迷惑をかけるなんて……」
「謝らないでください。マルクール教授は操られていたんですから」
「セシリアの言うとおり。悪いのはヴァリスだ。きみは悪くない」
「でも……っ」
エリュがシーツを握りしめる。
生徒たちを危機に陥れた自分が許せないのだろう。金の瞳は涙で潤んでいた。
こんなにも悲しそうな顔をエリュにさせるとは……やはり、ヴァリスは叩っ斬るべきだったかもしれん。
ヴァリスへの憤りに、俺は歯噛みする。
暴れそうになる激情を理性で鎮め、俺は同席しているスキールに問うた。
「ヴァリスたちへの取り調べはどうだ?」
「進んでおります。どうやら『魔の血統』は各地に点在するらしく、それぞれが協力関係を結んでいるようです」
「『魔の血統』……魔王復活を企む者がまだいるのか……」
それはつまり、今後もセシリアが狙われる可能性があるということだ。
させぬ。
絶対にさせぬ。
セシリアは俺が守り抜く。誓いを違えることはない。
「それから、厄介な問題がもうひとつ」
確固たる決意をした俺に、スキールが知らせる。
「顕魔兵装は、事件で使用された三つ以外にもあるらしく、それらはすでに、ラミアの外に運び出されたそうです」
「そんな……」
スキールの知らせを聞き、エリュが項垂れた。好奇心に煌めいていた顔が、いまは酷く弱々しい。
顕魔兵装の脅威は今回の事件で思い知らされている。あれほどの被害をもたらす兵器がまだあること、いまにも人々を傷つけるかもしれないこと、その顕魔兵装を作成したのが自分であることに、エリュは耐えられないのだろう。
「案ずるな」
だから俺は言う。
顕魔兵装を放っておくことは、『魔の血統』を勢いづかせることに繋がる。
『魔の血統』を野放しにすれば、セシリアの身に危険が降りかかるやもしれん。
そのようなことは許さん。
なにより、俺は勇者パーティーの一員だったのだ。世界の危機を見過ごすなどできるはずがない。
「顕魔兵装は俺が破壊する。『魔の血統』も俺が制する」
誓う。
「ロランたちに代わり、俺がこの世界を守ってみせる」




