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鉄と革の沈殿 ~ギルド地下倉庫記録係  作者: Mr.Q
第1章 ギルド地下倉庫記録係

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第2節:《残留感知》がなぞる剣の軌跡

地下倉庫の空気が最も重く感じられるのは、決まって雨季の気配が地上に漂い始めた頃だ。石造りの壁は外の湿気を余さず吸い込み、古い革がカビる匂いと、油の切れた鉄が酸化していく鋭い匂いを、澱んだ空気の底へ沈殿させる。

倉庫番の本日の業務は、そうした環境下における保管品の劣化チェックである。ギルドに預けられた品や、戦利品として回収され未だ引き取り手のない物資が、使用不能な状態まで朽ちていないかを確認する地味な作業だ。

ひび割れた予備のブーツの底に蜜蝋を塗り込み、薬草の成分が底に沈殿し濁ってしまった安物のポーションを帳簿から弾く。過去の遠征で痛めた右膝をかばいながら棚から棚へ移動する倉庫番の足音だけが、等間隔に倉庫の奥へと吸い込まれていく。


第三区画の奥、未帰還者の私物が集められた棚の前に来たとき、一本の剣が倉庫番の目にとまった。

粗末な鉄で打たれた、量産品のブロードソード。革の柄巻きは持ち主の手汗と脂をたっぷりと吸い込み、黒く変色して硬化している。刃の半ばには、骨か硬い甲殻を叩き割ろうとして出来たであろう、酷い刃こぼれがあった。だが、倉庫番が足を止めた理由は物理的な劣化ではない。その剣の周囲の空気が、かすかに歪んで見えたからだ。


倉庫番はランタンを置き、乾いた布越しにその剣の柄を握った。

その瞬間、掌から硬化した革を通じて、微細な震えと冷たい熱が彼の内側へ流れ込んできた。《残留感知》。魔力というほどの強さを持たない、人間の執着や恐怖の残滓を読み取る、彼が持つ一種の癖のようなものだ。倉庫番は静かに目を閉じ、その剣が空間に描き出した「最後の軌跡」をなぞった。


英雄譚に語られるような、敵を両断する力強い一撃ではない。

持ち主の重心は、明らかに後ろへ引けている。腰は引け、膝は恐怖で震え、足元はぬかるんだ泥に足を取られて滑っていた。柄を握る手には異常な力がこもっているが、それは敵を倒すための意志ではなく、ただ手から武器がこぼれ落ちることへの根源的な恐怖によるものだ。

剣の軌跡は、前に向かって踏み込むものではなく、逃げながら背後へ向かって滅茶苦茶に振り回されたものだった。暗闇。迫り来る圧倒的な暴力。呼吸は浅く、視界は極度の緊張で狭窄している。


彼の内面を覆い尽くしていたのは、一瞬の鮮烈な恐怖というよりは、もっと粘着質で陰湿なものだった。それは、徐々に蝕まれる不安感、救われない恐怖である。暗い森の奥深くで道を見失い、背後から迫る足音に気づいたときから、彼の精神はじわじわと苦しむ意識と、逃れられない絶望を象徴する状態へと追い詰められていたに違いない。

それは、魔物がもたらす状態異常の《毒》と何ら変わりはない。毒液を浴びたわけでもないのに、彼の心は圧倒的な無力感という毒に侵され、生存への希望を少しずつ削り取られていったのだ。最後の無軌道な一振りは、完全に毒が回りきった魂が残した、無惨で泥臭い生存本能の反射にすぎなかった。


剣から手を離すと、冷たい感覚は急速に引いていき、後には地下倉庫のただの静寂が戻ってきた。

倉庫番の呼吸は少しだけ浅くなっていたが、内面の深いところまでは波立たなかった。かつて仲間の遺品を前にして心が凍りついて以来、彼の感情の処理速度はひどく遅延している。この《石化》に似た自己防衛の構造がなければ、とうの昔に、他人の遺した恐怖の残滓に当てられて正気を失っていただろう。


地上の酒場では毎夜、竜を討伐した勇者や、財宝を持ち帰った冒険者の輝かしい物語が語られている。だが、それは何千、何万という死の網の目を奇跡的にすり抜けた、ほんの一握りの例外に過ぎない。

冒険の現実とは、こうした泥臭い生存競争の連続である。恐怖に耐えかねて逃げ惑い、暗がりで名もなき怪物に喉を食いちぎられ、ただの肉の塊へと変わっていく。社会という巨大な機構は、その泥臭い過程を「未帰還」という二文字で処理し、残された武具だけをこの地下へ流し込んでくる。


倉庫番は手元の布に僅かに油を染み込ませ、刃こぼれした鉄の表面をゆっくりと拭った。錆の進行を遅らせる程度の、気休めの手入れだ。持ち主がもうこの剣を握ることはない。それでも、彼が最期まで生きようとして振るった恐怖の痕跡を、ただの鉄屑として扱うことは倉庫番にはできなかった。


「三十四番」


倉庫番は呟き、剣を元の棚の定位置へ戻した。

彼が最期に味わった《毒》のような絶望は、誰に語られることもなく、この薄暗い空間でゆっくりと温度を失っていく。倉庫番はそれらを意味づけることも、彼を憐れむこともしない。ただ、彼が確かにそこで足掻き、生きようとした物質的な証拠を記録し、次の棚の確認へと歩みを進めるだけだ。

外の雨は、まだ降り続くのだろう。地下の湿度は、もうしばらく下がりそうになかった。

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