第48話「灯台の奥へ」
翌朝、王都アステリアの発着区画に二機の巨人が並んでいた。
蒼き王統機兵〈アーク・ギガント〉。
そして、その隣に立つのは赫き王統親衛機兵〈ソル・ヴィルトゥス〉。
二機が並ぶ光景は、どこか遠い昔の王国を思わせた。
王が駆る蒼き機兵。
その傍らに立つ赫き親衛機兵。
失われたはずのものが、今ここに再び並び立っている。
ノアはアーク・ギガントの足元で、空を見上げていた。
リヴァリアの灯台。
王国第四避難施設。
そこには、王国滅亡に関わる真実が眠っているかもしれない。
ステラ・デルミナ。
その名を聞いた時から、ノアの胸には冷たい影が落ちていた。
全能統治人格。
王国を滅ぼした機兵反乱の背後にいた可能性がある存在。
そして、今もなお自分を抹殺対象として見ているかもしれない何か。
逃げることはできない。
けれど、飲み込まれてはいけない。
知るために行く。
生きて帰るために行く。
そう思っていると、隣からミリアが声をかけた。
「ノア」
「うん?」
「顔、固いよ」
「そうかな」
「うん。すごく」
ミリアは腰に手を当て、じっとこちらを見上げる。
「これから怖い場所に行くのは分かるけど、ちゃんと約束したでしょ」
ノアは少しだけ笑った。
「帰ってくる」
「そう」
ミリアは満足げに頷く。
「だから、顔はもうちょっと『帰ってくる人』っぽくして」
「それ、どんな顔?」
「こう」
ミリアは胸を張り、妙に堂々とした顔を作った。
ノアは思わず吹き出す。
「それはちょっと違うと思う」
「えー、強そうじゃん」
「強そうというか、何か踏ん張ってるみたい」
「失礼な」
ミリアは頬を膨らませた。
そのやり取りを見ていたルナが、淡く微笑む。
『ノアの緊張緩和には一定の効果があったと判断します』
「ほら、ルナもこう言ってる」
「緊張緩和かぁ……」
ノアは笑いながら、胸の奥に残っていた固さが少しだけほどけるのを感じた。
完全に不安が消えたわけではない。
けれど、一人ではない。
それだけは、今のノアにとって確かな支えだった。
そこへ、アウレリウスが静かに歩いてくる。
「王子。準備は」
「できています」
「ならば行くぞ」
ミリアが小さく眉を上げる。
「相変わらず早いね」
アウレリウスは振り返らない。
「敵に準備時間を与える理由はない」
「まあ、それはそうだけど」
「それと」
アウレリウスは少しだけ視線をミリアへ向けた。
「灯台内部へは、生身で入る可能性が高い。機兵では侵入できない区画もあるだろう。足元に注意しろ」
ミリアは一瞬きょとんとした。
そして、少しだけ目を細める。
「……心配してる?」
「事実を述べた」
「はいはい」
ミリアは小さく笑った。
まだ、アウレリウスに対する感情は複雑だ。
完全に許したわけでも、信じきったわけでもない。
けれど、以前のような張り詰めた警戒だけではなくなっていた。
ノアはその変化を、静かに受け止める。
ルナが光板を展開した。
『リヴァリア灯台周辺の監視網に、現時点で敵性反応はありません。ただし地下施設内は遮断層の影響で詳細な走査ができません』
「中に入らないと分からない、ってことだね」
『はい』
「分かった」
ノアはアーク・ギガントを見上げた。
胸部装甲が開く。
操縦席の青白い光が、静かにノアを迎える。
「行こう、アーク」
――了解です、ノア。
ノアは操縦席へ乗り込む。
胸部装甲が閉じ、外の光が細くなっていく。
視界が光板へ切り替わる。
王都の空。
隣に立つソル・ヴィルトゥス。
『ノア、こっちも乗ったよ』
アーク・セレスターの補助座席に乗り込んだミリアから音声が届く。
ノアは正面を見据えた。
――飛行支援機構、起動準備完了。
――光翼推進機構〈アーク・セレスター〉、主翼展開。
「出発しよう」
アーク・ギガントの背の翼が開く。
蒼白い光が広がる。
次の瞬間、蒼き巨人は王都の空へ舞い上がった。
その隣を、赫きソル・ヴィルトゥスが並走する。
二つの光が、リヴァリアへ向かって飛んだ。
*
港町リヴァリアは、遠くからでも分かるほど活気を取り戻しつつあった。
壊れた港湾区画には仮設の足場が組まれ、職人たちが倉庫の修復を進めている。
円形闘技場の旗はまだ半分ほどしか掲げられていないが、それでも風を受けて揺れていた。
海は、昨日よりも穏やかだった。
潮風が白い波を運び、灯台の古い壁を撫でている。
アーク・ギガントとソル・ヴィルトゥスが街の外れに降り立つと、港の人々が遠巻きに集まってきた。
先日の戦いで、港町の人々はすでに蒼き巨人と赫き巨人の姿を見ている。
あれが何なのか、正しく知る者はほとんどいない。
それでも、街への被害を避けながら戦っていたこと、そしてリヴァリアを守った存在だということだけは、多くの者が知っていた。
驚きと、安堵と、少しの畏れ。
そして、好奇心。
「おい、あの蒼いの、翼がついてるぞ!」
「前と形が違わねえか?」
「赫い機兵も一緒だ」
「また戦いが始まるのか?」
ざわめきが広がる。
その中から、ゴルドが大股で歩いてきた。
「おう、坊主!」
アーク・ギガントの胸部装甲が開き、ノアが降りると、ゴルドは両腕を広げた。
「顔色はマシになったな!」
「おかげさまで」
「ちゃんと飯食ったか?」
「食べました」
「よし!」
なぜか合格をもらった。
その後ろから、ハルトが飛び出してくる。
「にいちゃん! 巨人に羽がついてる! すげえ! 飛べるの!? 飛んだの!? どれくらい速い!?」
「ハルト、ひとつずつ」
「じゃあ飛べるの!?」
「飛べるよ」
「すげえ!」
ハルトは目を輝かせてアーク・ギガントを見上げた。
「いいなあ! ギアにも羽つけられないかな」
ゴルドが豪快に笑う。
「やめとけやめとけ! ギアが飛んだりしたら、街中穴だらけになるぞ!」
「そもそも飛ぶ必要ないでしょ」
ミリアがアーク・セレスターから降りてきながら突っ込んだ。
「お、嬢ちゃんも元気そうだな!」
「うん、元気元気!」
「それは何よりだ!」
ゴルドの明るさに、ノアは少し救われた。
けれど、今日ここへ来た目的は楽しい再会だけではない。
少し離れたところから、レピオスがやってくる。
眼鏡の奥の目は、いつもの軽さの裏で鋭く状況を見ていた。
「やあ、戻ってきたね」
「はい」
「本当はもう少し休ませたいところだけど」
レピオスは肩をすくめる。
「どうせ止めても聞かないんだろうね」
「……すみません」
「謝らなくていいけど、そう思うのならちゃんと帰ってくること」
その言葉に、ノアは少しだけ驚いた。
帰ってくる。
昨日、ミリアと交わした約束と同じ響きだった。
ノアは頷く。
「はい」
レピオスは灯台の方を見る。
「地下への入口は、前と変わらず封鎖してある。街の者には近づかないように伝えてあるよ」
ま、言われなくとも誰も近づかないとは思うけどね、とレピオスは肩をすくめた。
アウレリウスもソル・ヴィルトゥスから降り、周囲に油断なく目を配る。
「敵性反応はない」
ルナが携帯導光端末から補足する。
『地下施設周辺の導光反応は微弱ですが、継続しています。施設そのものは生きている可能性が高いです』
ミリアは灯台を見上げる。
「……あそこに、答えがあるんだよね」
「たぶん」
ノアは答えた。
古い灯台。
海を見守るために建てられたはずのそれは、今は別の顔を持っている。
その地下には、旧王国の施設が眠っている。
王国第四避難施設。
かつて人々を守るために造られた場所。
そして、何かを見つめ続けるために残された場所。
ノアは拳を握った。
「行こう」
ミリアが頷く。
「うん」
*
灯台内部は、以前訪れた時と同じく冷えていた。
潮風の匂い。
古びた石壁。
螺旋階段の影。
けれど、地下へ続く隠し扉の奥に入ると、空気は一変した。
そこから先は、石造りではなかった。
滑らかな白灰色の壁。
足元に走る導光線。
ところどころに浮かぶ、半透明の光板。
王都や古代遺跡で見たものと同じ技術の気配。
ただし、ここには王都の荘厳さとは違うものがあった。
閉ざされた空気。
長く人の声が届かなかった場所の沈黙。
そして、微かに残る不安のようなもの。
「……なんか、寒いね」
ミリアが腕をさする。
『気温だけではなさそうです』
ルナが淡く光りながら周囲を見渡す。
『環境維持機能は一部稼働中。ただし、空気循環は不完全です。長時間の滞在は推奨されません』
アウレリウスが先頭に立つ。
「私が前に出る。王子は中央。ミリアとルナはその後ろだ」
ミリアがぽかんと口を開けてアウレリウスを見ている。
「なんか冒険者のリーダーみたい」
「必要な配置だ」
「分かってるけど」
ノアは苦笑した。
アウレリウスは気にした様子もなく歩き始める。
その背中を見ながら、ノアは少し考える。
王都の時。
父の時。
アウレリウスが何をしたのか、何を知っているのか。
まだ聞けていないことは多い。
けれど今は、その背中が頼もしいのも事実だった。
通路を進む。
壁面に文字が刻まれた小さな区画が、ノアの視界に入った。
ノアには、無意識にそれが「手を触れるべきもの」と理解できた。
手を触れると、ひんやりと冷たい。
だが、奥で微かな光が反応する。
――王統認証、確認。
――施設権限、限定開放。
機械音声が響いた。
通路の奥で、閉じていた扉が音を立てて開く。
ミリアが小さく息を呑んだ。
「毎回思うけど、ノアって便利な鍵みたいだよね」
「人を七つ道具みたいに言わないで」
「王子鍵」
「もっとやめて」
ルナが真面目に補足する。
『生体認証なので、ノア自身が鍵と言う表現は特に誤りではありません』
「ルナまでそんなこと言うの」
ミリアが少し笑う。
その笑い声が、冷たい通路の空気をわずかに和らげた。
扉の奥には、広い部屋があった。
そこは、避難施設という名から想像する場所とは少し違っていた。
壁際には簡易寝台のようなものが並んでいる。
その多くは朽ち、白い布は灰のように崩れている。
中央には大きな円形の端末。
天井には、空を模した淡い光の装置がある。
けれど、その光は半分以上が消えていた。
かつてここに人々がいたのだろう。
避難し、身を寄せ、外の戦火が終わることを祈った人々が。
ミリアが小さく呟く。
「ここに……逃げてきた人たちがいたのかな」
ノアは何も言えなかった。
アウレリウスもまた、黙っていた。
ルナが中央端末へ近づく。
『記録端末を確認。損傷していますが、一部情報が残存している可能性があります』
「起動できる?」
『試みます』
ルナの投影体が端末に手をかざす。
淡い蒼白の光が端末へ流れ込む。
しばらく、何も起きなかった。
だが、やがて低い音が響く。
中央端末がゆっくりと光を取り戻した。
――記録端末、再起動。
――権限認証を要求。
――王統因子、検出。
――限定閲覧を許可。
光板が浮かび上がった。
映し出されたのは、断片的な文字列と、途切れ途切れの映像だった。
最初に現れたのは、港湾都市の映像。
今のリヴァリアとは違う。
もっと巨大で、もっと整然としている。
空中には輸送機が行き交い、海には白銀の船が並び、灯台は今よりもはるかに高く、青い光を放っていた。
旧王国時代のリヴァリア。
その繁栄の映像は、すぐに赤い警告表示へ切り替わった。
――統治機兵群、指令系統異常。
――港湾制圧区画、応答なし。
――避難計画、第四段階へ移行。
ミリアが息を呑む。
「機兵の反乱……」
ノアは光板を見つめる。
映像が乱れ、次の場面へ移る。
避難する人々。
灯台地下へ人々を誘導する白い制服の兵士たち。
海側では、紅い導光を走らせた機兵たちが港湾施設を制圧している。
ただの暴走ではない。
ゲートを封鎖し、船を沈め、通信塔を破壊し、避難経路を潰している。
ノアの拳が震えた。
「……やっぱり、戦略的に動いている」
アウレリウスが低く言う。
「港湾を押さえれば、人も物資も動かせなくなる。王都を孤立させるには有効な手だ」
その口調は冷静だった。
けれど、ノアにはその奥にわずかな重さを感じた。
アウレリウスも、この映像を見るのは平静ではいられないのかもしれない。
ルナがさらに記録を進める。
映像が途切れ、音声だけが流れる。
ざらついた女性の声だった。
『こちら第四避難施設。収容率八十二パーセント。港湾第三区画、陥落。制圧型統治機兵が外部隔壁付近まで接近しています』
ノイズ。
『王都からの指示はありません。いえ、違う……王都中枢から、命令が来ています』
一瞬、音声が途切れる。
次の声は震えていた。
『“全ての文明を破棄せよ”……?いったいこれは……』
再びノイズ。
『命令署名を確認。全能統治人格……ステラ・デルミナ』
その名が響いた瞬間、部屋の空気が凍ったように感じられた。
ノアは息を止める。
ステラ・デルミナ。
ついに、その名が記録の中に現れた。
ミリアが小さく呟く。
「ステラ……デルミナ……」
ルナの表情が硬くなる。
アウレリウスの赫い瞳も、わずかに揺れた。
ノアは端末を見据える。
「続きは?」
ルナが操作する。
映像は、すぐには再生されなかった。
代わりに、古い施設図面のようなものが浮かび上がる。
灯台の断面図。
地下施設。
導光線。
そして、灯台上部から伸びる奇妙な照射軸。
ミリアが首を傾げた。
「……これ、灯台の図?」
『はい』
ルナが目を細める。
『ですが、通常の航路灯台とは構造が異なります』
「異なる?」
『主照射軸が、海上ではなく内陸側上空へ向けられています』
ルナの指先が、光板上の一点を示す。
リヴァリアから内陸側。
さらにその遥か上空。
そこに、微かな光点が浮かんでいた。
『ここからは推測を含みますが』
ルナはそう前置いてから続けた。
『ここ第四避難施設は、おそらく“ステラ・デルミナを観測する”という役割を担う施設だったと考えられます』
「観測?」
『はい、そしてその観測方向は、海ではなく内陸。さらにその遥か上空に向けられています。つまり、そこにステラ・デルミナがいるということです』
ノアは息を呑む。
「じゃあ、この灯台は……海を見るためじゃなくて」
『はい、空にいる敵を見失わないための灯台だと思われます』
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
灯台。
海を照らし、船を導くもの。
けれどこの灯台は違った。
遥か上空にいるステラ・デルミナを観測し続けるための、「空に向けた灯台」だったのだ。
ルナはさらに記録を読み取る。
『観測装置の一部は、現在まで稼働を続けています。ステラ・デルミナの中枢施設から漏れ出る演算波形を、断片的に傍受、記録していたようです』
「演算波形……」
ノアが呟く。
アウレリウスが低く言う。
「奴の思考の残響、ということか」
『はい、近い表現です』
ルナは静かに頷いた。
『この施設は、避難所であると同時に観測施設でもありました。ステラ・デルミナの位置を追い、彼女が何を判断し、何を命じたのかを記録し続けるための場所です』
ミリアが光板を見つめる。
「じゃあ……ここに残っているのは、ステラ・デルミナの考えたこと?」
『断片的ではありますが』
ルナは少し間を置いて続けた。
『はい。そう考えてよいと思われます』
その瞬間、端末に警告が走った。
――観測記録、深層領域。
――閲覧には王統上位権限が必要です。
「王統上位権限……?」
ノアが近づく。
その瞬間、端末が反応した。
――王統継承者因子、確認。
――深層閲覧、条件付き開放。
――精神負荷警告。
――閲覧を続行しますか。
ミリアがすぐに声を上げた。
「待って。精神負荷って何?」
ルナも険しい顔をする。
『記録の内容、もしくは記録方式がノアの記憶領域へ干渉する可能性があります』
「危ないってこと?」
『危険性があります』
ミリアはノアを見る。
「ノア」
その声には、止めたい気持ちが滲んでいた。
けれど、ノアは端末から目を離せなかった。
ここまで来た。
ついにステラ・デルミナの名にたどり着いた。
この奥に、王国滅亡の理由がある。
自分が追われる理由がある。
それでも。
ノアは、以前のように即座に進もうとはしなかった。
ミリアを見た。
ルナを見た。
アウレリウスを見た。
「……一人では見ない」
ミリアが目を見開く。
ノアは続ける。
「危ないなら、止めてほしい。僕が変になったら、すぐに止めて」
ミリアの表情が、少しだけ緩む。
「うん。止める」
「強めに?」
「必要なら、すごく強めに」
「分かった」
ノアは小さく笑った。
ルナが頷く。
『私が精神状態を監視します。異常負荷を検知した場合、記録再生を遮断します』
アウレリウスも静かに言った。
「私もいる。王子が飲まれそうなら、引き戻す」
ノアは深く息を吸った。
一人ではない。
そのことを、もう忘れない。
「お願いします」
ノアは端末へ手をかざした。
――第49話へ続く
※おことわり
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