第22話「白の塔」
白亜の浮航艇は、音もなく砂海を進んでいた。
甲板に立つミリアが、船縁から身を乗り出すようにして眼下を見つめる。
「すごい……」
思わず漏れた声は、感嘆そのものだった。
船底から放たれる柔らかな蒼白光が、砂の海を淡く照らしている。
帆もなく、車輪もなく、ただ静かに滑るように進むその姿は、まるで空を泳ぐ白い魚のようだった。
「ほんとに浮いてるんだ……」
恐る恐る船体の縁を覗き込み、ミリアが目を丸くする。
「落ちたりしないよね?」
「今さらそこ心配するの?」
隣でノアが苦笑する。
「だって気になるじゃん! 宙に浮くって何! どういう理屈なの!」
「僕に聞かれても……」
「王子様なのに!」
王子様はやめてよ、と苦笑いしながらノアは甲板の先頭へ視線を向けた。
白き機兵たちは無言のまま立ち並び、前方を見据えている。
微動だにしないその姿は、機兵というよりも石像のように見えた。
その傍らには、蒼き巨人――アーク・ギガント。
白の中にあってなお、その蒼は際立って見える。
すると、不意にアーク・ギガントの音声が静かに響いた。
――目的地接近。間もなく目視可能。
「……もうすぐ?」
ノアが呟く。
その声に応えるように、先導していた機兵が腕を上げ、遥か前方を示した。
――ご覧ください。
二人は同時に顔を上げる。
そして――息を呑んだ。
砂の地平線の向こう。
陽炎の彼方に、白い影が浮かんでいた。
最初は蜃気楼かと思った。
だが近づくにつれて、それが幻ではないと分かる。
白い壁。
白い橋。
そして、白い塔。
すべてが純白の石で築かれた巨大都市。
砂海の只中に現れた、幻想の都。
「……きれい……」
ミリアが、ぽつりと呟く。
その声は震えていた。
「こんな場所……本当にあったんだ……」
ノアも言葉を失っていた。
胸の奥が、熱い。
懐かしいような。
苦しいような。
涙が出そうになるほどの、強い感情。
知らないはずなのに――知っている。
「……アステリア……」
無意識に、その名が口から零れた。
その瞬間。
またしても頭の奥で、光が弾ける。
白い回廊。
高い天井。
降り注ぐ陽光。
笑い声。
優しい手のぬくもり。
そして――
『ノア』
誰かが、自分を呼ぶ声。
「っ……!」
強く頭を押さえる。
視界が揺れる。
「ノア!?」
ミリアが慌てて肩を支える。
「また記憶が?」
「……う、うん……でも、大丈夫……」
荒い息を吐きながら、ノアはゆっくり顔を上げる。
目の前には、王都アステリア。
外壁はところどころ崩れていた。
尖塔の一部は砕け、街路には風に運ばれた砂が積もっている。
確かに長い年月を感じさせる傷跡はある。
けれど――
美しかった。
静かで。
気高くて。
どこか哀しいほどに。
まるで、滅びた今も誇りだけは失っていないかのように。
白亜の浮航艇は、ゆっくりと都市の大通りへと進んでいく。
石畳の道。
両脇に並ぶ白い建造物。
砕けた噴水。
朽ちた庭園。
誰もいない。
人の気配が、まるでない。
静かすぎる。
ただ風の音だけが、都市を吹き抜けていく。
ミリアが小さな声で言った。
「……なんだか……眠ってるみたい」
その表現が、ノアの胸にすとんと落ちる。
そうだ。
死んでいるのではない。
眠っている。
長い、長い眠りの中にある都市。
その眠りの底で、ほんの微かな光が揺れたような気がした。
ノアはふと顔を上げる。
「……?」
何かに呼ばれた気がした。
声ではない。
音でもない。
ただ、遠い場所から自分の帰還を確かめるような、かすかな気配。
けれど次の瞬間には、それは風に紛れて消えていた。
「ノア?」
ミリアが覗き込む。
「……いや、なんでもない」
そう答えながらも、ノアは胸の奥に残った小さな違和感を拭えなかった。
やがて、浮航艇が停止する。
その正面にそびえていたのは――塔。
都市の中心を貫くように空へ伸びる、巨大な純白の塔。
雲を突き抜けるほど高く。
陽光を浴びて神々しく輝く。
王都の心臓。
中央管制塔〈ルクス・スパイア〉。
「……あれが……」
ノアが見上げる。
胸の奥が、強く脈打つ。
帰ってきた。
そんな感覚だけが、確かにあった。
白き機兵が一斉に道を開く。
その先に続く、塔への白い階。
ノアは一歩を踏み出す。
ミリアも隣に並ぶ。
アーク・ギガントが、その後ろへ続く。
二人と一機の影が、白い石畳へ長く伸びる。
塔へ向かう階段の両脇には、古い紋章が刻まれていた。
浮航艇に刻まれていたものと同じ紋章。
ノアは無意識に、その紋章へ指先を伸ばしかける。
触れる直前、アーク・ギガントの音声が響いた。
――王都中枢領域に接近。
――王統反応、微弱に上昇。
「王統反応……」
呟いた瞬間、ノアの胸の鼓動が強くなる。
自分が誰なのか。
何を失ったのか。
なぜ、この場所へ帰ってきたのか。
その答えが、この塔の中にある。
そう思った。
ミリアが隣で拳を握る。
「大丈夫。私もいるから」
いつもの明るい声。
けれどその言葉は、不思議なほど心強かった。
ノアは小さく頷く。
「うん」
その時。
静寂の中。
誰もいないはずの都市のどこか遠くで――
かすかに。
本当にかすかに。
何かが駆動するような、低い機械音が響いた。
ノアは足を止める。
「……今、何か……」
振り向く。
だが、そこには風に舞う砂しかなかった。
白き機兵たちも動かない。
アーク・ギガントの双眸も、ただ静かに塔を見上げている。
けれど、ノアには分かった。
この都市は、完全に眠っているわけではない。
どこかで何かが、自分たちの到着を知った。
それが迎え入れるためのものなのか。
拒むためのものなのか。
まだ、分からない。
静かな王都。
眠れる白の都。
その深奥では、二つの目覚めが静かに重なり始めていた。
ひとつは、帰還を待ち続けた微かな光。
もうひとつは、眠りの底から開かれる冷たい瞳。
知らぬまま、三人は白の塔へと歩き出す。
それがやがて、再び世界を動かす扉だとも知らずに。
――第23話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




