5.契約獣の強奪。
――しん、と広い演習室が一斉に静まり返る。
同時に、三人の先輩たちは、それぞれ子犬を見たあと、なぜか揃って私を見つめてくる。
一人は驚愕し、一人は呆気にとられたような顔で、一人は――エンデ先輩は、その端正な顔を大きく歪め、各々違った感情をその表情に浮かべている。
彼らの視線に耐えきれず、思わず一歩、じり、と後ずさってしまった。
すると、
「きゃん」
魔法陣の中の子犬が、私の方を見て小さく鳴いた。
そして――
あの人も、私の方を見て。
「おっまええええ!!!! ふざけんなよっっっ!!!?」
鬼の形相で、爆音の怒号を叩きつけてきた。
(え……私、怒られてる?)
突然向けられた凄まじい怒気に、びくりと身体が跳ねる。
「“更新の儀式”で名前を呼ぶのは、主になる者だけだと習わなかったのか!?
儀式中に声を発するなんてご法度だ――!
コイツは……俺の契約獣だったんだぞ!?」
先輩が、子犬を指さして叫ぶ。
「え……更新の儀?」
よくわからないが――どうやら、彼らは契約獣の“更新の儀式”を行っていたらしい。
そして私は。
その儀式を、台無しにしてしまった。
……たぶん。
ちなみに――
私の浅い知識でも、契約獣の更新の儀は、鍵のかかった密室で行うのが鉄則だと知っている。
儀式の最中に横取りされないようにするためだ。
だからこそ。
こんな誰でも出入りできる演習室で、しかも他人がいる状況で、更新の儀をおっ始めるなんて、思いもしなかった。
クロの名前を呼んだのはわざとではない。
でも、三人の先輩――少なくとも、エンデ先輩は確実に私を責めている。
(怖い、もういやだ……)
「ふぇ……っ」
目の前がみるみるうちに滲みだし、そのまま耐えきれずに決壊した。
これまでの人生で、こんなにも強い怒りを向けられたことなんてなかった。
しかもそれが――
よりにもよって、憧れの先輩からだなんて。
課題がうまくいかなかったことも、今になって一気に押し寄せてくる。
(課題はうまくいかないし、先輩には怒られるし、怒ってる原因は私のうっかりのせいだし、全部ぜんぶいやだ――!)
感情が、限界を超えた。
気づけば、涙は止まらなくなっていた。
「ご、ごめんなさい……更新の儀式、をここでしてるなんて思わなくっ、て……」
しゃくり上げてしまい、言葉がうまく続かない。
落ち着こうとするほど、次々と涙があふれ出てくる。
ただでさえ彼らの邪魔をしてしまったのに、そのうえ人前で泣きじゃくるなんて――最低すぎる。
私は片腕で口元を覆い、なんとか声を押し殺した。
「あー、泣かないで。大丈夫大丈夫。謝らなくていいよ、こっちが悪いから。
普通そうだよね~。昼休みに演習室で、こんな適当に更新の儀式なんてしないし。
……ごめんね?」
召喚術を行使していた先輩が、軽い口調で言った。
さらに、茶髪の先輩が彼をたしなめる。
「おい、女の子を怒鳴って泣かせるとか、おまえ終わってるぞ」
「……」
二人に責められた先輩は、さすがにバツが悪いのか、押し黙った。
私はローブの袖でごしごしと涙を拭う。
そのとき――
先ほど召喚されたらしい子犬が、足元にとことこと寄ってきた。
しっぽをふりふりと振りながら、私の足をぺろりと舐める。
――慰めてくれているのだろうか。なんて、いい子なんだろう。
子犬に気を取られ涙が引っ込みかけていた私のもとへ、先輩が静かに歩み寄ってくる。
その表情に怒りはなく、ただ、気まずそうにしていた。
「……怒鳴って悪かった」
そして、手のひらに乗せた何かを差し出した。
何だと目元を擦りながらよく見ると、
……棒付きの、飴だった。
「……」
よくわからないまま、反射的にそれを受け取る。
「ありがとうございます……」
「ん」
どうやら、慰めてくれているらしい。
(飴ちゃん……)
……その方法が、完全に幼児相手のそれなのは、とりあえず考えないことにした。
「変な空気のままで申し訳ないんだけど、僕、次の時間は星見塔に行かなきゃだから、そろそろ行くね~」
「ああ、付き合わせて悪かったな。今度、何か奢る」
浅黒い肌の先輩はひらひらと手を振りながら、あっさりと教室を後にした。
残されたのは――
私と、エンデ先輩(仮)と、茶髪の先輩。それから子犬。
三人と一匹だけの、静かな空間。
しばらくは、ひっく、としゃっくりが止まらなかったが、
やがて少しずつ落ち着きを取り戻し、ようやく呼吸が整ってくる。
――今なら、ちゃんと話せる。
そう思って、私は意を決して口を開いた。
「あ、あの……本当に、すみませんでした」
「……いや、いいよ。アージュンの言う通り、昼休みにこんなところで儀式なんてやってた、俺たちのほうが悪い」
さっきまでいた浅黒い肌の先輩はアージュンというらしい。
星見塔に行くと言っていたし、きっと召喚科の生徒なのだろう。
ちらりと目の前の先輩を仰ぎ見る。
先ほどとは打って変わって、驚くほど大人しい。
「君はここに何しに来たの? もしかして……ダリオのおっかけ?」
茶髪の先輩が、少し離れた位置から穏やかな笑みを浮かべながら問いかけてくる。
けれどその微笑みの奥には、わずかに軽蔑の色が滲んでいた。
――どうやら、私をエンデ先輩のファンだと勘違いしているらしい。
さっき、あんなふうにキラキラした目で「覚えていますか」なんて言ってしまったのだから、無理もない。
そして――やはり彼は。
ダリオ・エンデ先輩で、間違いない。
マジか。
「私、ここへは魔法の自修練をしに来たんです。ちょっと課題がうまくいかなくて……」
最後は言葉を大幅に濁した。
……本当は課題がこなせなくて、先生に「練習しろ」と言われて来たなんて、恥ずかしくて口にはできなかった。
「ふうん……じゃあ、ここの演習室を使うってことは、魔法学科の生徒?」
「はい。魔法科第一学年の、ネモフィラ・フィリアスといいます」
私が改めて名乗ると、茶髪の先輩は「おや?」とでも言いたげに顔を上げた。
「そっか、じゃあ後輩だね」
にこやかな笑顔が返ってきた。先ほどまでの鋭い印象はどこへやら、柔らかい雰囲気に変わっている。
「俺はシャノン・ラース。魔法科の第五学年だよ。コイツのこと、君は知ってるんだよね?」
ラース先輩は、まだ不貞腐れている彼――エンデ先輩を指さす。
「ええと、はい。……ダリオ・エンデ先輩、ですよね?」
私が一度会ったあの彼は、優しげで爽やかな人だった。
こんな鋭いジャックナイフのような人では無かったんだが……
ちらりと、エンデ先輩を横目で見る。
先輩は私にはまったく興味がないようで、足元の子犬をじっと見つめたまま、視線を動かそうとしない。
「……あの。故意ではないとはいえ、儀式を台無しにしてしまって、本当にすみませんでした」
「いいよ、もう」
そう言いながらも、彼は仏頂面で子犬から目を離さない。
「ええと……この子は、どうしたらいいでしょうか?
私、契約獣についてあまり詳しくなくて……その、契約を上書きすることって、できたりしますか?」
「上書きは不可能だ」
ぴしゃりと、言い切られた。
「俺はアージュンに――さっきまでいた召喚科のあいつに、永年契約を結ぶ予定で呼び出してもらっていた。
だから、おまえが死ぬまで、コイツとの契約は切れねえ」
「死ぬまで!? うそっ!?」
思わず声が裏返る。
どうやら私は――
エンデ先輩が永年契約を結ぼうとしていた召喚獣を、横取りしてしまったらしい。
それは、怒るのも無理はない。
普通は、生涯をともにする覚悟がなければ、永年契約など結ばない。
召喚獣との相性や、魔力量の問題もある。
おそらく――すでに試験的に契約を交わしていて、今回、正式な更新に踏み切ったのだろう。
「――今、そいつはおまえに合わせて子犬みたいな姿になっているが、本来は気性が荒く、かなり凶暴な種だ。
それに、魔力の消費量も桁違いに多い。……おまえ、魔力量は?」
「え、ええと……入学時の適性検査では、基準値より少し上だと言われました」
実技試験はギリギリだったが、適性検査は問題なく通過している。
だから、極端に少ないということはないはずだ。
「まあ、魔法学科の生徒なら当然か」
「きゃん」
私の代わりに、子犬が甲高い声で返事をする。
つぶらな瞳で、尻尾をばたばたと振っているこの子が、本来は凶暴だなんて。
……にわかには信じられない。
「それと、学園の事務局に契約獣の届出を出しておけ。
おまえ、通いか? それとも下宿か?」
「寮から通っています」
「じゃあ、寮にも届けを出しておけよ。……じゃあな」
ぶっきらぼうに言い残し、彼は演習室を出て行こうとする。
――が。
ラース先輩が、彼のローブをぐいっと引っ張り、その動きを止めた。
前につんのめりかけたエンデ先輩は、ラース先輩に向かって思いきり……文字通り、吠えた。
「……っぶねぇな! 何すんだよ!?」
「待って待って。後輩泣かせといて、飴ひとつで済ませるのはさすがにどうかと思うけど?
お詫びに、この子の課題を手伝ってあげる――それが先輩ってもんじゃない?」
ラース先輩の一言に、エンデ先輩の顔がみるみる歪んでいく。
同時に、私の心も、ばたばたと大騒ぎし始めた。
「い、いえいえいえいえ! とんでもないです!
滅相もございません!
むしろ、こちらがお詫びしなきゃいけないくらいなのに……!」
なにせ、契約獣の横取りだ。本当なら、謝罪で済むようなもんじゃないはず。
しかも、このジャックナイフみたいな先輩に課題を教わるなんて……
間違いなく、緊張で手が震えて、まともに集中できる気がしない。
きっとエンデ先輩も、ラース先輩の言うことなんて無視するはず――
そう思っていたのに。
彼は髪をがりがりとかき、「あー……」と低く唸るような声を漏らしたあと、
こちらをきっと睨みつけた。
「今日、授業終わりに迎えに行く。いいか、――逃げんなよ?」
(んんんんんっ? む、迎えに行く、だと……?)
まったく予想していなかった言葉に、間の抜けた返事が口からこぼれ落ちた。
「あの、今日、ですか……? あ、いえ、特に予定があるわけじゃないんですが……」
「あ? 課題なんだろ。早いほうがいいに決まってんだろうが」
「思い立ったが吉日、ってやつだねぇ」
すかさずラース先輩が追い打ちをかける。
――私の退路は、いまこの瞬間、完全に断たれた。
じわりと、背中に汗がにじむ。
だらだらと流れ落ちていく感覚が、やけに生々しい。
上級生二人はというと、
一人は鋭く睨みつけるように、
もう一人は笑顔のまま、けれど“断るな”と圧をかけるように、
ただ黙って、こちらの返事を待っている。
(これ、「うん」って言うしかないやつ……)
引きつりそうになる口元をなんとか押さえ、私は小さく頭を下げた。
「……………………お待ち、してます」
――そう答えるしか、なかった。
続きは明日の朝投稿。




