29.遠征授業で先輩の身に起こったこと。(2)
"アンドリュー・ブラック"
ずっと知りたいと思っていた人の名前。
その名前がラース先輩の口から出てきたことで、戸惑いがそのまま表情に出てしまったのだろう。
「聞いたことある、って感じかな?」
先輩の問いに、こくり、と頷きを返す。
「……追悼式で。それと、クロの前の契約者だと……」
「そう。彼はフェンリルの契約主でもあった」
ラース先輩は淡々と告げると、私に視線を向け尋ねた。
「戦況が良くなかったとはいえ、なんでその二人だけ、最前線に送られたかわかる?」
「え……」
なんで、二人だけだったのか。
(アンソニーさんは幻獣フェンリルの使い手で、エンデ先輩は凄い炎の魔法が使えるから、とか……?)
「フェンリルの使い手と、攻撃特化の炎の使い手だったから、ですか?」
私の答えに、ラース先輩は視線を伏せ――ゆっくりと首を振った。
「違うよ。答えは単純」
一拍置いて、告げる。
「二人とも、施設育ちで、家族がいないから。ただ、それだけ」
「……なっ」
言葉が、出なかった。
家族がいない――それだけで、最前線に?
「もちろん、ネモが言った通り、二人とも“戦える”っていうのは大前提にある。
そして――帰りを待つ人がいない、ってことで、白羽の矢が立った」
「それ……その理由も、軍の誰かから言われたことなんですか?」
「そうだよ。だって、おかしいでしょ」
ラース先輩は小さく肩をすくめる。
「他にも攻撃特化のやつはいたし、俺だって一応、戦力になるはずだ。なのに、後方部隊のまま。
みんなで当時の遠征授業の監督――隊長に詰め寄ったら、あっさり言われたよ」
一瞬だけ、声の温度が下がる。
「『万が一のことを考えて人選した』ってね」
「そんな……」
だからといって、二人にも待っている人がいないわけじゃないだろうに。
あまりのことに、手をぎゅっと握りしめ、こみ上げる感情を押し殺す。
「でもね――」
ラース先輩が、静かに言葉を続けた。
「裏を返せば、それほど……二人を戦力に加えなきゃいけないくらい、戦況が追い込まれてたってことなんだよ」
「!」
「なにもダリオたちだけじゃない。俺たちの授業のサポートをしてくれてた隊の人たちも、家族がいない者や、独身の者から順に前線へ送られていって……
ほとんどは、それきり会えなくなった」
「それきり……」
蛮国と呼ばれるガラナ国との戦い。
これまでも小競り合いは絶えず、国境付近では戦闘が繰り広げられていた。
自分にとっては、生まれたときから“きな臭い国”という印象で――
ガラナ国と衝突したという知らせを聞くたびに、
「またか」と、自国のことなのに、どこか他人事のように受け止めていた。
当時、第四学年が派遣されたときも同じだ。
遠征授業で、あの憧れの先輩が戦地で実践授業を受けている――
ただ、それだけの認識だった。
戦況が芳しくないことは、学園からの通達や新聞で知ってはいた。
けれど、
そこまで追い込まれていたなんて。
……国民への情報統制が働いていたのは、間違いない。
「先に……俺たちの関係について話しておこうか」
言葉を失っている私に、ラース先輩は気遣うように話題を変えた。
「俺とダリオは、あいつの家族がいた頃からの付き合いなんだ。向こうの家庭の事情で遠くに引っ越して、一度は別れたんだけど……
ここ、ローズシティナ学園の中等部で再会した」
「すごい偶然……。じゃあ、二人は幼馴染なんですね」
「うん、そうだね。それと、アンソニーだけど……彼とも俺は中等部のときに出会った」
ラース先輩はエンデ先輩とは幼い頃からの付き合いがあって、アンソニーさんとは中等部時代からの仲。
中等部の入学は十ニ歳からだから……そう考えると、かなり長い付き合いになる。
「そして、ダリオとアンソニーは、俺と出会うより前、同じ施設で育った仲間だった」
「同じ、施設……ですか」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。
ラース先輩の近くから引っ越したあと、エンデ先輩の家族はいなくなった。
けれど、そのことについて、ラース先輩が語ることはなかった。
「うん。まるで本当の兄弟みたいだなって思ったよ。しょっちゅう喧嘩してるくせに、お互いを絶対に信頼してて……ちょっと羨ましいくらいだった」
「アンソニーはね、幼い頃からフェン――あいつはそう呼んでたんだけど、幻獣フェンリルと契約して、ずっと連れて歩いてた。
彼にとっては、フェンも家族だったんだ」
「俺は物珍しさでフェンをしょっちゅう誂ってたから、すっかり嫌われちゃったけどね」
苦笑しながら語るラース先輩の表情は、懐かしさの中に、かすかな悲しみを滲ませていた。
「中等部では、俺とダリオ、アンソニー、それからアージュン……フェンの更新の儀を手伝ってくれてた彼だね。
その四人でよくつるんでた。高等部に上がってからも、ずっと一緒だったよ」
「仲良し四人組、ですか」
「はは、実際に周りからもそう呼ばれてたよ。先生たちですら、『四人セット』なんて言ってたくらいだ」
「ふふっ」
微笑ましい話に、思わず小さく笑みがこぼれる。
当時の様子は想像するしかないけれど、きっとみんな、やんちゃしていたに違いない。
「アンソニーもダリオも、“家族がいないから”なんて理由で卑屈になることもなかったし、ここってほとんどが寮生だからさ。周りも、二人が施設育ちだって知らないやつが多かった」
卑屈になることもなかった――
その言葉に、引っかかりを覚え、思わず話を遮った。
「あ、あの……すみません、少し聞いてもいいですか?」
「ん、なに?」
「ええと……実は私、二年前……まだ中等部だった頃に、一度だけエンデ先輩に会ったことがあるんです」
ラース先輩は相槌を打ちながら、静かに耳を傾けてくれる。
「そのときのエンデ先輩、今とは少し印象が違っていて……もちろん今も優しいんですけど、もっとこう、穏やかというか……柔らかい感じだった気がして」
言葉を選びながら、記憶を手繰る。
「遠征前は、ずっとあんな感じだったんですか?」
今の荒々しい態度は、施設に入ったこととは関係なく、やはり遠征が原因だったのか――
けれども、ラース先輩は顎に手をあて、考えるようにして言った。
「うーん……そのときネモにどんな態度だったのかは分からないけど、基本的には今とあまり変わらないと思うよ。
俺が中等部で再会したときも、引っ越す前と変わらないなって思ったくらいだし」
「え……」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
「ただ――あいつ、年下にだけは異常に優しいから」
少しだけ苦笑して、ラース先輩が続けた。
「ネモと会ったときも、“優しいお兄さん”って顔をしてただけかもね」
「そ、そうなんですね……」
胸の奥に、ほんの少しだけ、さっきとは違う引っかかりが残る。
(あのときの先輩が、むしろ“作られたもの”だったってこと――?)
「……実はさ」
ラース先輩が、少しだけ声を落とした。
「俺たちも、ネモのことを間接的に知ってたんだ」
「え?」
「第三学年のときにね。“妹みたいなやつに会った”って、ダリオが珍しく人に興味を持ってて」
そこで一瞬、懐かしむように目を細める。
「一度だけ、四人で中等部までこっそり顔を見に行ったことがある」
「ええっ!?」
告げられた内容に、思わず声が裏返ってしまった。
「ごめんね、それっきりだったからさ。更新の儀で演習室で会ったときも、顔を見ても名前を聞いても、全然ピンと来なくて」
苦笑混じりに、肩をすくめる。
「ダリオも――あとからやっと気付いたみたいだね。めちゃくちゃ落ち込んでたよ」
ほんの少しだけ、いたずらっぽく笑って。
「ネモにも見せてやりたかったな」
「全部初耳です……エンデ先輩からそんな話、聞いたことなかった……」
「今度会ったときに聞いたらいいよ。思う存分、からかってあげて」
「いや、からかったが最後、あとが怖いんでやめときます」
ぶんぶんと首を振って、全力でお断りした。
けれど――
そこまでエンデ先輩が、自分に興味を持ってくれていたなんて。
その事実に、ほんの少しだけ、胸の奥が熱くなる。
「――あいつの芯は、ずっと変わらないままだよ」
ラース先輩が、どこか優しげに言った。
「一見ぶっきらぼうに見えるのに、一度心を開いたら、すぐに打ち解ける。そういうやつだ」
その言葉から、ラース先輩がどれだけエンデ先輩のことを見てきたのかが伝わってくる。
そして――
ほんのわずかな間のあと。
「その優しいダリオに、陰を落としたのが……遠征授業の後半戦だ」
空気が、変わる。
ついさっきまでの温度が、嘘みたいに消えていく。
――あっという間に、現実へと引き戻された。




