25.再び暴走する先輩。
「え、なに!?」
キアラとともに思わず後ろを振り向くと、ラース先輩の方へふらりと身体をよろけさせながら出てくる、エンデ先輩の姿があった。
「この凄まじい魔力……あそこにいるエンデ先輩からじゃない?」
キアラに言われ、彼へ再度目を向ける。
ラース先輩の肩に寄りかかり、具合が悪そうにしているのが遠目からでもわかった。
「エンデ君!」
人気のない静かな廊下に、治療室から出てきた先生の声が響く。
けれど、エンデ先輩を引き止めようとした先生を、ラース先輩が手で制した。
エンデ先輩は先生の呼びかけを無視し、「シャノン、頼む」とラース先輩へ口を開いた。
「どこでもいい。人がいない場所に転移させてくれ。限界だ……」
「人がいない場所って……そんなにまずいのか? カウンセリングを受けてたんだろ?」
「まだ、俺には早かったみたいだ……お願いだ、早く……このままだと、昨日の二の舞だ」
縋るように言うエンデ先輩に、ラース先輩はなぜか躊躇いを見せる。
「転移って言っても……演習室は人がいるだろうし、森で爆発されたらそれこそ二次被害が出る。正直、おまえを転移させる先が思いつかない」
先輩たちの会話に、思わず息を飲む。
(昨日の二の舞? あの演習室が溶けるくらいの、超高温の状態のこと?)
確かに、昨日の状態が再び引き起こされたら、魔法学科の演習室のように結界が張られていない限り、辺り一面が焼け野原になってしまうだろう。
「ネモ……なんか、ヤバくない? 先生も立ち竦んでるし……に、逃げたほうがいい?」
「……」
肌をチリと焦がすような魔力。
確かに……ヤバい。
――考えろ。
逃げるんじゃない。先輩が落ち着く方法を。
(困ったときは、クロだ!)
心の中で全力で名前を呼ぶ。
『クロ!』
私の呼びかけに応えるように現れたクロが、「クゥン」と耳と身体を伏せて鳴いた。
〈この禍々しい魔力……嫌な感じだ〉
「どうにかできない? みんなピンチだよ!」
「クロちゃん、お願い!」
クロはすくっと立ち上がり、「ワン!」と気合いを入れるように鳴く。
〈主よ、行くぞ〉
「ん? 行くって……」
クロの見つめる先は、もちろんエンデ先輩。
その間にも熱気が廊下中に充満し、汗が流れ落ちる。
〈走れ! 私は先に飛びかかって押さえる。主も一緒にアイツを押さえろ!〉
「ええっ!? そんなので止まる!? 焦げたりしない!?」
私の叫びも虚しく、クロは全力でエンデ先輩へと駆け出した。
〈大丈夫だ。この魔力は精神的なものだ。主は昨夜、アイツを落ち着かせた〉
駆けていくクロの姿が、みるみるうちに大きくなっていく。
気づけば、昨日の夜、私を咥えたときと同じ大きさになっていた。
歩幅が大きくなったクロに、私も慌てて後を追い、全力で駆け出した。
〈ダリオ! 落ち着け!〉
クロが叫びながら、ラース先輩に支えられたままのエンデ先輩に飛びかかった。
「うわっ」
ラース先輩がバランスを崩し、廊下に倒れ込む。
エンデ先輩は背中をクロの大きな手に押さえつけられ、ラース先輩のそばの床に呻きながら倒れた。
ラース先輩、エンデ先輩、クロ――カオスな光景を前に、全力で走っていた足が止まる。
「え、と……」
〈主よ、躊躇うな〉
大きなクロに促され、先輩の前に膝をつく。
先輩は倒れたまま顔をこちらへ向け、私を見上げた。
荒い呼吸を繰り返し、苦痛に顔を歪めている。
あまりに悲痛なその姿に、無意識のうちに手を伸ばし、先輩の肩に触れた。
(熱っ!)
魔力の暴走で、身体もひどく熱を帯びている。火傷してしまいそうなほどだ。
それでも、そのまま身体を倒し、先輩を抱きしめるようにして押さえ込む。
――なんて大胆なことをしているんだろう。
普段なら、恥ずかしさで爆発してしまいそうなのに。
けれど今、エンデ先輩は本当に爆発しそうになっている。
荒い呼吸は……浅く、速い。
(これ、私が泣いたときによくなるやつ――)
刺激しないように、それでもしっかり届くよう、耳元で静かに告げる。
「あの、先輩。たぶん……過呼吸です。意識して、あまり息を吸わないで。
それで、はーって、ゆっくり吐いてください……
ほら、はーっ……」
どうやら声は届いているらしく、先輩はゆっくりと長く息を吐いた。
汗なのか、涙なのか。
先輩の濡れた頬をローブでそっと拭い、「はー」と息を吐くように促す。
まだ呼吸は荒い。
けれど、自分の経験上、そんなに簡単に収まらないことも知っていた。
だから――焦ることはなかった。
「大丈夫ですよ、呼吸、できてます。しばらくこのまま続けますよ」
頭上で、近くにいたらしい先生が催眠魔法をかけたほうがいいかラース先輩に尋ね、「いま彼に魔法をかけたら、それこそ危険です」と断るやり取りが聞こえた。
確かに、手っ取り早く魔法で眠らせて、先輩の意識を失わせたほうがいいと、私も思っていた。
でも……
(こんな状態で眠らせちゃったら、死んじゃうよ……)
呼吸もまともにできていないのに。
けれど、先ほどより攻撃的な魔力は薄まっている。
もしかしたら、その間にクロが先輩の魔力を食べてくれたのかもしれない。
先輩の身体も、燃えそうなくらい熱かったのが、今は普通の体温に戻っているように思えた。
だんだんと呼吸も落ち着きを取り戻し、先輩の表情も和らいでいく。
そっと身を起こしてクロのほうを見る。
「クロ、もう押さえてなくて大丈夫」
私の声に、クロは身体を元の子犬サイズに戻し、先輩の顔をペロペロと舐める。
先輩も、床を掴むばかりだった腕をクロへゆっくりと伸ばし、そっと抱き寄せた。
――完全に、魔力の気配が消えた。
先輩は目を薄く開けたまま、緩やかに呼吸をしている。
クロが鼻先で小突くも、反応はない。
〈気を失ったようだな〉
先輩のだらりとした腕の下から、クロが抜け出してきた。
「……俺が治療室のベッドまで運ぶよ」
ラース先輩がしゃがみ込み、何か魔法を使うような動作をする。
それから、床とエンデ先輩の身体の下に腕を差し入れ、一気に持ち上げた。
おそらく、身体強化を使ったのだろう。
先生が治療室の扉を開き、中へと誘導する。
ラース先輩は部屋へ入る前にこちらを振り向き、
「ごめん、ネモ。少しそのまま残ってて」
と告げた。
小さく頷くと、ラース先輩も頷き返し、先輩を抱きかかえたまま中へ入っていった。
「ネモ……」
近くで様子を見ていたキアラが、心配そうな顔でこちらを見ている。
「……なんとかなったみたい」
ゆるりと微笑み返す。
やっと、身体の力が抜けた。
ふらふらとしゃがみ込み、クロを抱きしめる。
「クロ、ありがとう……」
〈私はダリオを踏みつけていただけだ。主がアイツに寄り添ったおかげだ〉
「お役に立ててよかったよ」
クロとやり取りをしていると、ラース先輩が中から一人で出てきた。
すっと立ち上がり、先輩の方へ向き直る。
「お待たせ」
「いえ。エンデ先輩は大丈夫なんでしょうか?」
「たぶん、しばらく寝たら大丈夫なんじゃないかな。今も穏やかな寝息を立ててたし、起きたら落ち着いてるはず」
ラース先輩はふうっと息を吐き、静かに告げた。
「ごめんね、巻き込んでしまって。
……でも正直、本当に助かったよ。俺もかなり焦ってたから、ネモの冷静な判断のおかげで大事にならずに済んだ」
「いえ……でも、先輩が暴走しないで済んでよかったです」
私がやったことなんて、クロを呼んで、落ち着くよう呼吸を誘導しただけ。
たったそれだけのことで先輩を救えたのなら、ここに迷い込んだ甲斐があったというものだ。
「それで、申し訳ないんだけど……アイツの目が覚めるまで、側についててくれないかな?」
「え……」
私が側にいるより、目が覚めたときにラース先輩がいたほうが、エンデ先輩も安心するんじゃないだろうか。
そんな私の考えを読んだのか、ラース先輩がすぐに口を開いた。
「俺がついてるよりも、きっとネモのほうがいい」
「……」
確信めいて言われ、何も言えなくなる。
ちらりとキアラのほうを見ると、
「ネモ、先輩についててあげて。私のことは気にしないで。演習室で課題終わらせて、先に帰っとくね」
と手をひらひらさせた。
「――わかりました」
そう言って、足元にいたクロを腕の中に抱き寄せ、キアラに「また明日」と告げて部屋の中へ入っていった。




