16.眠れない先輩とお昼寝と。
――あの日以来、夜が苦手になった。
外が暗くなってくると、嫌でもあのときの光景を思い出す。
つんざくような轟音と叫び声、そしてさまざまなものが混ざり合った、鼻を突く匂い。
人々が慌ただしく行き交う中、ひとり、ゆっくりと自分が探していたものへと足を進めた。
真っ暗で、人気のなくなった瓦礫の下――ソレは、そこにいた。
全身血にまみれ、それでも必死に回復させようと、奴の身体を舐め続けている。
「……契約が切れてる時点で、気付いてただろう……」
それでもこちらを見て「グルル……」と威嚇し、必死に“元”主人を守ろうとしている姿に、顔が歪む。
そして――絶対に言いたくなかった言葉を、吐いた。
「もう、いいよ……おまえが食べてやれば、コイツも本望だろう……」
その瞬間、泣いているかのような咆哮が、その口からしばらくの間響き渡った。
その音も、その光景も――すべてが終わった今も、なお自分の中で燻り続けている。
◇
「え、異学年交流授業があるんですか!?」
「ああ。確か来週あたりに第一学年と第五学年で実践授業をやるって連絡があったけど――おまえのところにはまだ通知来てないのか?」
「来てません! うそ、嬉しい! 楽しみでしかない! もちろん先輩、授業に出ますよね!?」
「一応、必修だからな」
「よしっ!」
あれからというもの、先輩の好きなタイミングで呼び出しを受け、クロとのモフりタイムを度々過ごしていた。
時間は決まって放課後、場所はいつもの森だ。
天気の悪い日は寮の共用部で会うこともあったが、室内だと人目につく。やっぱり森の中が一番落ち着く。
――冬になったら、どうなるんだろう。
少し先のことが気にかかったが、今はひとまず考えないことにした。
(それよりも、異学年交流授業……! 私が魔法学科に進学したらやりたかったことベスト3……!!)
憧れのエンデ先輩と、一緒に授業が受けられるまたとないチャンスだ。
二年越しの夢が叶うとあって、今の私はテンションが振り切れている。
「ちなみに、先輩は異学年交流授業でこれまでどんなことをしてきたんですか?」
興奮をやや抑えつつ、素朴な疑問をぶつけた。
こんなにテンションが上がっているけど――
「他学年と授業を受ける」
ぶっちゃけ、これくらいしか情報を持っていない。
「何やったっけな……一年のときは正直、全然記憶にない。昨年は丸一年学園にいなかったし……
第三学年のときは、二年と一緒に合成魔法をやった気がしないでもない」
「うすっ。先輩、記憶薄くないですか……」
全然、参考にならなかった。
それよりも――
「先輩、なんだか眠そうですね?」
さっきから目をしぱしぱさせて、なんとか起きようとしているのが手に取るようにわかる。
先輩と会うときは、ほとんど決まって先輩のほうが先に来ていて、木の麓で昼寝をしていた。
今日は珍しく私のほうが先に来ていたので、仮眠ができなかったようだ。
「ああ……正直、今にも落ちそう」
「うわ、めちゃくちゃ眠いんですね。夜、ちゃんと寝てないんですか?」
「……夜は寝てるのか起きてんのか、自分でもわかんねぇ」
「夜更かしはよくないですよ」
「そんなんじゃねぇよ。――ただ、寝れないだけだ」
「え?」
短く問い返すも、先輩の目は半分しか開いていない。
……これは会話を切り上げて、寝かせてあげるか。
「クロ、先輩と一緒に昼寝していいよ。私、今日の授業の復習でもしてるから」
クロにそう伝えると、「きゃん!」と任せろと言わんばかりに返事をしてくれた。
「三十分くらい経ったら起こしたらいいですか?」
「ん……助かる」
先輩はそう言うと、座っていた身体を横に倒し、クロを抱き寄せて目を閉じた。
クロも一緒になってその場に伏せ、目を閉じる。
辺りが静まり返り、風の音に混じって小さな寝息が耳に届いた。
(うわ、もう寝てる……ほんとに眠かったんだ)
エンデ先輩は顔をこちらに向けているので、寝顔がよく見える。
その表情は、なんとも穏やかだった。
――あんまり意識したことなかったけど、ほんと顔が整ってるな。
顔も良くて、魔法の腕も良くて――
神様はこの人を贔屓し過ぎじゃないだろうか。
しかも、性格だって怖いと思いきや、なんだかんだ優しいし……
今では、先輩に呼び出されるときのドキドキも、緊張や恐怖から、会えることへの嬉しさへと変わっている。
そう思うと、少し不思議な気分だった。
クロを介しているとはいえ、頻繁に放課後に二人で会っているなんて。
二年前の私に言ってあげたい。
ちゃんと再会できたよ、と。
(それにしても、寝れないって、なんでなんだろう)
やっぱり、天才は夜も努力しているから、頭が休まらないんだろうか。
私なんて、ベッドに入ったらものの数秒で爆睡だ。
寝付きの良さを、先輩にもわけてあげたい。
「さて、復習でもしようかな」
独り言を言いながら、頭を現実に切り替える。
魔法理論の授業はやったところをその日のうちに浚っておかないと、次の日に痛い目に遭う。
今日の範囲は二ページと少なかったけれど、内容が濃い。
鞄から教科書とノートを取り出し、授業内容を思い出していく。
(ここ、わかんなかったんだよね……後でキアラに教えて貰ってやっと理解できたけど)
解説と演習問題と、そのとき書き留めたメモと……。
何度も目を往復してるうちに、自然と欠伸が出た。
(まずい、私も強烈に眠い)
三十分後に起こすと言ってから、二十分は経ってるはず。
――あと十分、寝れる……!
後から考えて――
私は、眠たさで普通の判断が出来ていなかったに違いない。
なにせ私は、寝付きはよく、寝起きは超絶に悪いから。
十分ぽっちで満足なんかできやしないだろうに……
でも、このときはなんにも考えず、クロを挟んで先輩の隣にゴロンと横になった。
地面に生えてる草がクッションになり、ローブがシーツ代わりになったので、思ったより寝心地は悪くない。むしろ全然いける。
日が落ちる前で外は暖かいし、余裕で寝れると思った。
ちゃっかりと先輩の寝顔の方を向きながら目を閉じ――
そのまますぐに意識を手放した。
◇
「ん……」
背中は寒いのに、前は暖かい。
アイツを抱きしめて寝ていたはずなのに、モフモフした感触が消えている。
ふいに覚えた違和感に、まだ眠っていたい気持ちを抑え、目を開けた。
いつの間にか、日はほとんど沈み、辺りは暗くなっている。
気温も、ここへ来たときより少し冷えているようだ。
そして自分が抱いているものを見て――
「うわっ」と思わず声が出た。
まさか、アイツの毛並みではない柔らかな赤毛に顔を埋め、その華奢な身体を抱きしめて寝ていたなんて。
(というか、三十分で起こすって言ったのに、二時間くらい経ってないか?)
身体を起こすと、暗がりの向こうに、金色に光る目が見えた。
「……フェン。おまえ、わざとだろ」
幻獣に眠るなんていう概念はない。
俺を起こそうと思えば、簡単にできたはずだ。
〈主が眠そうだったから、寝かせてやっただけだ。
――ダリオ。私はもう“フェン”じゃない。“クロ”と呼べ〉
しれっとした様子の幻獣に、思わず顔を顰める。
すっかりコイツに懐いて、その忠犬ぶりを発揮している。
本当は狼のはずなのに、いまや犬にしか見えない。
〈それより、そろそろ起こしてやったらどうだ? 冷えてくる時間だろう〉
「……そうだな」
隣に視線を向けると、なんともすやすやと気持ちよさそうに眠っている、間の抜けた顔が目に入る。
普通、高等部にもなれば、女子っていうのは地面に寝転ぶのを躊躇うもんじゃないのか。
(たくましいというか、なんというか……)
身体に触れていいものか分からず、一瞬触れようとした手を引っ込めた。とりあえず声だけで起こそうとする。
「おい、起きろ。寝すぎだ。もう夜になるぞ」
わりと大きめの声を出したにもかかわらず、ピクリとも反応せず、呑気な寝顔をさらしている。
何度か同じように呼びかけるも、結果は変わらない。
――仕方がない。
この感じだと、揺すり起こさないと目を覚ましそうにない。
そっと肩に手を置き、軽く揺らす。
「おい、いい加減起きろよ」
最初は小さく、だんだん強く。
けれど、いつまで経っても身じろぎ一つしない様子に、どうなってんだコイツと呆れが混じり始める。
痺れを切らし、えいっと軽く肩を押し、横向きになっていた身体を仰向けに転がした。
さすがにここまでしたら起きるだろうと思っていたが――
「ムリ……カタリナ……あと五分……」
そう言って反対側を向き、身体を丸めてしまう。
(カタリナって誰だよ……。どれだけ寝起きが悪いんだ)
「はぁ……」と息を吐き、身体の後ろに手をついて空を見上げる。
今のやりとりの間に、あっという間に日が沈んでいた。
辺りはすっかり暗くなり、風の音や虫の鳴き声が、周囲に小さく響いている。
明かりをつけるか――と、小さな魔法の光を灯した、その瞬間。
あの日の光景が――、
唐突に、容赦なくフラッシュバックした。
視界が一気に暗転し、強烈な吐き気に襲われる。
聞こえるはずのない怒号と轟音が頭の中で響き、身体が震え思わず自分の身体を抱きしめた。
嫌な汗が、背中や頬を伝っていく。
ああ――だから夜は嫌だ。
仮眠なんて、するんじゃなかった。
目をぎゅっと閉じ、震える歯を噛み締めて、どれくらい経ったのかもわからないまま、自然と落ち着くのを待つ。
早く消えろ、と思えば思うほど、勝手に映像が流れ込んでくる。
――今日もまた、あの地獄が繰り返されるのかと、そう思ったとき。
「――せんぱいっ!」
聞き覚えのある声に、うっすらと目を開ける。
「大丈夫ですか!?」
肩を強く揺さぶられ、視界に飛び込んできたのは、焦りきった顔のアイツだった。
「あ……」
その瞬間、一気に現実へ引き戻され、震えが止まった。
(戻って、これた……)
安堵からか、身体がふらつき、ぐらりと揺れる。
すると、そのまま倒れることはなく、アイツと“クロ”に支えられた。
「お腹痛いんですか!? 私、薬持ってますよ! 魔法薬科のルームメイトのお手製鎮痛剤! めちゃくちゃ効きます! 飲みますか!?」
「……いや、大丈夫。……ありがとう」
的外れな心配だけど、その呑気さが、今の自分にはひどく心地よかった。
ゆっくりと身体を起こし、軽く伸びをする。
――もう、大丈夫だ。
「寝過ぎたな。さっさと帰るぞ」
「え、本当に大丈夫ですか? すごく苦しそうにしてましたけど、歩けます?」
「ああ……
それより、早く帰らないと、一年はまだ寮の門限が厳しいんじゃないのか? 掃除当番を押し付けられた上に、寮食も食いっぱぐれるぞ」
しれっと話をすり替えると、「そうだった!」とあからさまに慌て出し、鞄を掴んだ。
「確かにヤバいです、急ぎましょう! 確か今日はブラウンシチューの日ですよ! 食べられなかったら、私、泣きます」
「――そうだな。急ぐか」
そう言って、無意識のうちに、ローブから少しだけ覗いた華奢な手を取っていた。
まったく、他意はなかった。
ただ、そこに生きている人の温もりを、確かめたかった。
それだけだ。
「え……」
戸惑った声が聞こえたが、構わなかった。
暗がりで足元も悪い。何か言われたら、そう言い訳すればいい。
クロが後ろからトコトコとついてくる。
その足音と、自分たちの足音だけが、森からの帰り道に響く。
繋いだ手は自分より随分と小さくて、温かくて。
その温度をじんわりと感じながら、二人で寮までの道を無言で歩いた。
この日、いつもと違ってすんなりと寝入ることができた。
夜に何度か目が覚めたけど――
あの日以来初めて、すっきりとした気分で朝を迎えた。




