第七話『亜麻色の髪の少女』
「プロテマ!」
「おりゃ!」
ブランクの掛け声に合わせて、ウィルが槌を振るう。すると鉄槌は、ブランクの目の前にあった石を、いとも容易く打ち砕いた。
「ほんとにできたのかあー?」
「ほんとだよ!!」
しらーっと冷めた紫紺の瞳で見られて、ブランクは思わずたじろぐ。
二人は今、ゴゲラとの戦いで発現した、ブランクの無詠唱による魔術の検証をしていたのだ。しかしその結果は語るに及ばず。砕けた石は数知れず。
「もっかいいくぞー!」せーのの掛け声で、槌はもう一度振るわれた。
「プロテマ!!」
結果は惨敗で。石はまた一つ砕けた。
さすがにウィルも痺れを切らしたらしく、やめたと槌とともに、匙を投げた。
「やっぱり無詠唱で魔術が発動できたなんて、ブランクの勘違いなんじゃないのー?」
「そんなことないってば!! できてなかったら僕は今、ここにはいないんだからね?!」
疑惑の視線を向けられて、ブランクは口先尖らせてそっぽを向く。そうは言えども現実に成功してないのだから、ウィルはほんとかあ? と懐疑的な姿勢を崩さない。
「ふんっだ、ウィルはいいよね。攻撃魔術を無詠唱で使えるんだから」
「あー。魔弾のことかあ?」
そう言いながら、ウィルは紫紺の光弾を出現させて、それを手玉に取る。指の先から首の周りをぐるりと動き回る自由な様は、無詠唱による魔術の劣化を思わせない。
「でもオイラはにーちゃんみたいに、魔法でシュッてして、ドギャンってやりたいなあ」
「あんなの別格だから」
魔法。人の世の理から外れた、神々の力。魔術という人が生み出した枠に収まらないその力は、ブランクがあれだけ苦戦したゴゲラを、ただの一度で絶命かせしめた。ジャンの奥の手である。
(ジャンがすごいのはいつものことだけど……)
ウィルの魔術だって、ブランクのゴアドによる決死の一撃以上の成果を、魔弾一つで生み出した。歳の近いこともあってか、ブランクにとっては、ウィルの方が羨ましかった。
「ウィルだって……十分すごいよ」
僕なんて、無詠唱すらまともに使えない。そう言ってブランクは、面白くなさそうに口を尖らせて「それに──」と付け加えた。
「ウィルは僕と違って、家族の手がかりもあるし……」
そう言ってブランクがしらーっとジト目にそねみの眼差しを向けるのは、瑠璃色の宝玉をあつらえたペンダントである。
孤児であるのに上等な石を身につけ、あまつさえ、それが高価な銀製だというのだから、彼が愛されていないはずなどなく。ましてや今の才気に溢れる彼の姿を見たならば、きっと連れ戻したくなるはずで。そんな相手がいるウィルを、ブランクは、ひどく羨ましく思った。ブランクには、その足がかりすらないのだ。
すると、途端になんだか自分がみすぼらしく思えてきた。誇れるものなど何もない。ついついとそんな考え方が頭を過ってしまい、深いため息をついた少年は、頭の赤枯れ色した髪を、ガックリうなだれさせた。
「僕には、何もないんだ……」
「わっ、わっ、拗ねんなよブランク」ウィルは慌てて慰めた。
「分かった! オイラ無詠唱できたの信じるから……な?!」
と、必死になって手のひら返すウィルに、ブランクは、ジッと細い目で訴えて。
「ありがと、ウィル。いいよ、別に。無理しないでも」
つんと優しさをつっぱねていじけているブランクを、銀髪の少年はなんとか元気づけようと四苦八苦する。そこへ。一人の男がぬうっと現れた。
「何を遊んでいる?」
「げっ!!」「わっ! ダザン……」
そこへ現れたのはダザンだ。革製の厚手の衣装を着れば、馬子にも衣装ではあるが、さらに威圧感が増せば、それは熊に負けずとも劣らない。大型動物も尻尾巻いて逃げそうな男に睨みを利かされて。二人の少年は、バツの悪そうな顔して縮こまった。
「まったく。遊びに来たわけじゃないんだがな」
「分かってるよ……」「へいへーい」
そんな二人の生返事が、洞窟にこだました。
ダザンを含めた三人は、現在ヴァインスター山脈から少し離れたブロスト鉱山に来ている。ここはオプティマス鋼がよく採れ、ダザンが頻繁に足を運んでいる。採掘された鋼は二割が王国の研究室へ送られ、五割が王都への販売義務が課されて、残りが採掘者の取り分となる。
普通は採掘者を雇うのだが、これまでダザンは一人で採掘をしていた。腰を痛めたことをきっかけに、採掘権を売り渡すことも視野に入れていたようだが、ブランクとウィルという、体のいい労働力を得たからか、その考えを改めたようだった。
「ウィル、早く片付けよう」
「そうだな、また小言が飛んできそうだし」
それを閑話の最後として、二人の少年はツルハシを振るった。
「さあさあ、きびきび働け。休む暇はないぞ」
「ちぇ。自分は座ってるだけのくせして……」
「わわっ、ウィル!」しーっとブランクが口に指を立てた。
掘り起こした飛礫を蹴り飛ばし、明らかな不満を漏らす銀髪の少年に。手頃な岩に座していた大男は、その重い腰を持ち上げて近寄った。
「ほう、ウィル。何か言ったのか?」
「はぁ〜? 別にぃ〜」
眉間にしわ寄せて、ふいと視線を逸らすウィルは、誰の目にも不機嫌だ。口先も尖れば声までふてぶてしく、もはやそれを隠す気など微塵もない。
「なんだ。えらく不服そうだな、ルー坊」
「うっせ、いっつも偉そうにして! そっちこそ何様だよ!」
ウィルがいつになく強気に反発していて、ブランクは、もはや気が気でなかった。しかし売り言葉に買い言葉。
「雇用主様だが?」強気に出たダザンは、追撃の一手となる物を、懐から取り出した。
「お前らの身柄を貸し出すことは、ジャンが了承した。ここには、その契約書もある」
それは、びっしりと細かく文字の羅列された獣皮紙だった。もはや読ませる気はあるのかと思わせるほど、目を通すことをためらうその文字群の最後には、確かにジャンが普段使いしている捺印が押されている。そしてそれは、非常に真新しい。
「村の北の森が、考えなしに攻撃魔術を放ったバカによって荒らされていてな。その損害を補填するために、金がいるのだ」
「へえ。ばかがいると、世の中大変だなあ」
悪気なく他人事のような反応を示すウィルに、ブランクは、呆れたようにため息をついた。普段顔色を変えないダザンも、珍しく頭を抱える始末である。
「お前のことだ、ウィル」
「え、オイラかよ!」とウィルはおったまげて飛び跳ねた。
「他に誰がいるというんだ?」
ダザンに促されて視線がさまようも、ウィルが助力を得られる者など、ここには一人しかいない。そして。その一人であるブランクに首を横に振られれば、それは孤立無援の証左となる。
「お前が誰よりも働かなくてどうする? 分かったら口より手を動かせ」
「くそ、くそぉおおお!」
ぬれ顔で悔しさを目に燃やすウィルは、烈しい勢いで移動スペースを確保しながら、洞窟を作り上げては巧みにくり抜いていく。その姿が見えなくなるまで見送ると、岩に腰掛けたダザンが、ブランクの生々しい傷跡の目立つ左腕へと視線を見遣った。
「腕の調子はどうだ?」
「あっ──」
ダザンに言われて、ブランクは自分の左腕を見る。筋肉的隆起を見せるものの、まだまだ年相応に頼りない腕には、歴戦の勇士のような、痛々しい裂け傷の跡が存在する。それらは白く美しく勇敢さを物語り、けれど幼気なさの残るブランクの顔には、少し不恰好である。
「もう少し早ければ傷跡も消せたがな」
ダザンがそう言うと、ブランクはとんでもないと首を振る。
「これは、僕が成長できた証なんだ。満足に動かせるだけで十分だよ。それに──」
心底嬉しそうな顔をして、ブランクは傷跡を天井にかざした。
「これは、みんなが命を繋いでくれた証でもあるんだ」
「ほう」
「だから──たとえ消せたとしても消せないよ」
「……ふむ」
パチパチと拍手するかのように燃える焚き火に映えるブランクは、恥ずかしげもなくそう言ってみせた。それを何も言わずに見つめていたダザンは、何かを思い立ったのか、そっと暗がりに向かって指を差した。
「すぐそこに川がある。地下水脈、というやつだ。水を汲んでこい。そろそろ飯にしよう」
「あ、うん。分かったよ」
ブランクは、水の残り少ない金物バケツを手にして、暗がりへと歩いていった。
「マルタ。お前にも、あの姿を見せてやりたかったよ……」
その後ろ姿を寂しげに見つめるダザンの顔は、まるで通夜のようだった。
そんなことを知る由もないブランクは、足元に気をつけながら、すぐそばにあった川の音へ、誘われるように足を運んでいた。
周囲にはブライト光石と呼ばれる、自然発光する光源となる石が、等間隔に置かれていた。この石そのものに発光効果がないことは、近年の研究結果で明らかとなっている。この石に含まれる特殊なミネラル分が、これら翡翠色に発光をするバクテリアたちの大好物なのだという。
それも実際に見るのは初めてで、そこはかとなく蛍光色に薄ぼんやりと輝く幻想的、かつ心が躍る光景に、ブランクはすこしワクワクしていた。
「綺麗だなあ。持って帰れないのが残念だ」
これらの光石は、あくまでバクテリアが発光している。この石を外に持ち出せば、湿気を好むバクテリアたちは、途端に石を離れる。そうなれば光石とは名ばかりで、物言わぬただの石と成り下がるのだ。
大昔、過去に王室へ献上された際に、これが引き金となって大問題になったという。虚偽の報告、王家への侮蔑、反逆の意思があるのではと噂されて、とある商人は一夜にして破滅の一途を辿った。そんな話を思い出しながら。ブランクは、心底気の毒だなと思った。
こういった話は、色々と教訓となるのだ。ブランクは、本を読む行為こそ減らしたものの、知識が持つ生存戦略性を軽んじてはいない。実物を見ればその知識の引き出しと示し合わせ、改めて本の素晴らしさを噛み締めるのだ。
「よっと。うわっ、意外と重たいな……」
すこし流れの早い川は薄暗闇の中、どこまでも続いているようだった。止めどなく流れてくる水はひんやりとしていて、ブランクの心に、臆病風まで運んできた。
(この世の果てまであったりして)などと冗談めかして立ち去ろうとしたブランクは、ふと今見た景色の中に、小さな違和感を覚えた。
「あれ、今、何か──」ブランクは、もう一度不審に思った箇所──上流を見た。
「うーん……?」暗闇を果てまで見通さんと、目を皿にして注視するブランク。すると、
「あっ!」
うすらぼけた白い布が、ぼうっと暗闇に浮かんでいるのが目に飛び込んできた。そうして、地の底から聞こえてきたような風鳴りが手伝えば、臆病風に吹かれていたブランクの恐怖心は、すぐに限界を迎えた。
「うわっ、おばけッ!!」
ぬうっと浮かび上がってきたシルエットは、大きな白い手。いや、厳密には白い布を纏う何かであるのだが、一瞬それがオバケに見えて。ブランクは、思わず心臓と一緒にその場で飛び跳ねた。その弾みで水をぶちまけたバケツが、ぐわんぐわんと大袈裟な音を立てると、
「うわぁあああッ?!」その音にさらに驚いて。ブランクは、足元に突き出た小さな鍾乳石で蹴つまずき、ドタッと尻餅をついた。
「うっ……」
情けなく騒ぎ立てていればそれに反応してか。どこからかうめき声が聞こえた気がした。ブランクは、それがその白い布から聞こえたような気がして、思わず生唾を呑んだ。
少し呼吸を整えてから、抜き足差し足で慎重に近づき、じりじりと少しずつ距離を詰めると。その全貌が明らかになってきて。
「……人だ!」
ブランクは、ようやくそれが人であると理解した。白い布に見えていたのは、間違いなく布ではあるが、それは金の刺繍があしらわれた外套で。気品溢れるはずのその外套は、水を吸っては破れてと、ひどく見すぼらしくなっていた。
「生きてる……よね?」
先ほど聞こえた声がブランクの聞き間違いでなければ、その白布を纏う人物は生きている可能性が高く、そしてそれを見捨てられるほど、ブランクは人でなしじゃない。
けれど底がどれほど深いのかも分からないし、下手をすればブランクも同じ道を辿ることになるかもしれない。
「ようし……いくぞ!」
ただし、その程度のことでブランクは諦めない。厚手の靴を脱ぎ捨てた赤枯れ色の髪したその少年は、どぼんと川に足を浸けると、一切の迷いなく、岩礁に引っかかったその人物の救出へと向かった。
涼しい顔してサラサラと流れているその川は、見た目の柔らかさよりもずっと固い印象を受けるほど冷たく、足を入れると、途端に背筋がきゅっと縮んで伸びた。
(なんて冷たいんだ。こんな水にずっと浸かってたら、すぐに死んじゃうぞ!)
身震いを覚えながら、ブランクは勇ましく、けれど慎重に川底を調べながら、ざぶざぶと音を鳴らして進んでいく。幸い、川の流れこそ早いものの、その深さまではあまり変わらず、ブランクは、すぐに白布の人物の元へと辿り着いた。
「わっ……」
ブランクは、外套から覗く顔に息を呑み、驚いた。
(なんて──綺麗な子なんだろう)
横薙ぎの風に踊る麦穂がごとく、豊かに輝く亜麻色の髪。その輝きに負けるとも劣らない、白磁のごとき透明感のある、艶やかな肌。顔立ちは端正かつ淑やかそのもので、気品溢れるその少女の双眸に目蓋のされていることを、ブランクは一瞬残念に思った。それからハッと雑念を降り払うように首を振り、
(いけない、今はそんなこと考えてる場合じゃないのに!)
人命救助を優先だ。そう考えて脇に手を通して、持ち上げると、その少女を背中に回しておんぶをする。抱えるには川の流れが速すぎるし、何より深さも腰まではある。ブランクとしては合理的な判断であったのだが──、
(なんだ、これ。なんか、柔らかいような──あっ!!)
赤枯れ色した髪の少年の、その背中に。思わぬ伏兵が襲来した。
無自覚に振るわれた性徴の凶器が、思春期真っ只中にあるブランクの理性を襲った。脳の奥から現れた煩悩の手下たちを振り払うべく、ブランクは、意識の先を別方向へ舵取る。
年は同じ頃だろうか。彼女は何者なのか。どこから来たのか。なぜあの場所にいたのか。浮かぶ疑問は数多く、その全てが謎に包まれている。しかしその服装から察するに、立場のある人物であり、のっぴきならない理由があることだけは確かなのだろう。と、ブランクは考えた。
「うわっ!!」ブランクの肩に、少女の頭が乗る。
寝苦しそうに体をこわばらせた少女の吐息が漏れて耳にかかると、ブランクは危うく足を滑らせそうになり。すんでのところで踏みとどまれたものの、このまま流されてしまっては、ミイラ取りがミイラだ。慎重に慎重を重ねて──そう思いかけて。ブランクはここにきて、あることに気がついた。
(この子の体……熱い?)
ややもすれば、手先のかじかむほど冷たい水にずっと曝されていたというのに。洞窟内の寒さと相まってか、少女は、湯気の立つほどの高熱でうなされていた。苦しげであるのは、どうやらこちらの要因が強いらしく。これは悠長にしていられないぞと心を改めたブランクは、川底を撫でる擦り足の運びを早めて、ももの痛くなるほど素早く流れに逆らった。
「やっと着いた……!!」
そうして歩行に努めれば、行きよりも早く岸辺に着いた。しかし背負うのが少女とはいえ、人を──ましてや水を多分に含んだ服ごと担げば、ブランクも息が絶え絶えだ。そうやって纏まらない思考の中、ブランクの頭を過ったのは、ジャンの教えだ。
あれはずっと昔。ブランクが、ジャンの用意した訓練で、山を走っていた頃の話だ。まだまともな肉体作りもできていない当時のブランクは、ほんのちょっとした走り込みで、すぐに息が上がってバテていた。病弱などではなく、単に体力がなかった。それだけに救いようもないが、そんなブランクを見かねるかのように、当時のジャンは言った。
『ブランク、苦しい時こそ吐け。心も体も、それを求めてる』
そう言ったジャンは──二日酔いで混沌と化した胃の中身を、ド派手にぶちまけた。
(余計なことまで思い出しちゃった……)ブランクは苦笑を浮かべる。
「でも……!」
その言葉を思い出したブランクは、ぜえぜえ肩で息をする自分が、空気を取り込み過ぎて、吐くことに多くのエネルギーを使っていることを感じた。
ふっと肩の力を抜いて、肺を縛るものを無くし、腹の底から息を吐ききり、素潜りをする前のように大きく息を吸い込む。それから、ピタッと息を止めると、暴れ回っていた心臓が徐々に落ち着きを取り戻し、頭にも明瞭さが戻っていくのを、肌で感じた。
「ようし……もうひと踏ん張りだ」
ブランクは靴を履き、何はともあれと、医療に詳しいダザンの元へと向かった。




