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The Alter Story  作者: 水落護
第二章『瑠璃色の記憶』
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第二章断章『あたたかなせなか』

 少女は思った。これは、己の欲望を優先し、民を裏切った罰なのだと。数えきれないほどの罪を重ねてきた、自分には似合いの報いだと。ただ──。


「はあ、はあ……」


 それでも死ぬわけにはいかなかった。恐ろしく高鳴りする鎖鎌が自分をめがけて放たれても。少女は生存本能に従い、亜麻色の髪を踊らせながら、なんとかすんでのところでそれを回避する。


「くっ……!」


 しかしそれが十本以上ある上に、それぞれがまるで独立した生き物のように動くというのだから、ただ躱(かわ)すだけでも至難の業である。そうなると、ある程度の攻撃は受け流しては、致命傷だけを避けるという、苦肉の策を強いられることとなる。


 生い茂る緑の葉擦れを鮮やかに掻き分けて。月の下、森の木々から飛び出したその黒き尾を従えた猫人は「へえ〜」と愛らしく、感嘆の声を上げた。


「面白いねえ、キミ。後ろに目でもついてるの?」

「クロエ……!」


 少女は、緑青色の瞳で褐色の少女を睨みつけた。その名を呼ばれた黒髪で青眼の愛らしい少女──クロエはといえば、「にゃにゃ?」と不思議そうに首を傾げた。


「ボクたち、どこかで会ったことあったかにゃ?」

「ふざけてる……。あなた、やっぱり最初からお父様を狙ってわたしに近づいて……!」


 怒りに歯を鳴らす亜麻色の髪の少女に、クロエはにゃあ〜と耳を丸めて鳴いた。その目は不吉に胸部をなぞると、うんうんと、すこし唸る。


「どっかで見たことあるような胸だけど──」


 それが一巡。記憶をなぞり終えれば「まあ」と切り捨てて、


「どうでもいいことだにゃあ」


 愛らしい声は、一転して光る鈍色と同じくらい鋭くなった。


「死んだら覚えなくていいにゃ。簡単なことだにゃ」


 導き出された結論の、なんといい加減なことか。エレノアはバカにされたような気がして、悔しさに拳を泣かせた。


「……にゃはっ。お前、面白い体してるにゃ」


 クロエは目を丸くして驚いた。それはそうだろう。自分が切り裂いた傷が、みるみるうちに塞がっていくのだから。


「何がおかしいのよ!」

「えー、だって面白いじゃん」


 尋ねられれば、ワクワクした顔で答えた。まるで──新しいオモチャでも買ってもらった、子どものように。


「──何回でも切り刻めるんだから」


 そして。愉悦に狂った赤き三日月が、褐色の肌を切り裂き現れた。その酷薄な笑みを見て。恐怖に背筋をなぞられて。少女は、ぞくりとたじろぎ退いた。


「あ、いいね、その顔。ゾクゾクしちゃう……!」

「狂ってる……あなたおかしいわよ!」


 緑青色の瞳を釣り上げて少女がそう言うと、澄んだ青月並べる少女が、それを支える首を傾げて口にする。


「当たり前のことだにゃ?」


 はて、と、常識を説くように。クロエは言う。その価値観の大きな違いに、少女は目眩を覚えた。


 ──このクロエ(少女)は、救いようがない。


 そんな考えが頭を過って。そうであれば、己の背負った罪の大きさを、また一つ自覚して。


「にゃ?」


 ならば、ここで死ぬわけにはいかない。戦いの最中、少女は敵に背を向け駆け出していた。


 自分にはやるべきことがある。絶対にこんな奴らをのさばらせてはいけない。そのために、今ここで死ぬわけにはいかない。


 生きろ──生きろ、生きろ!


 これまで幾度も考えてきた言葉とは、反対の言葉。希望ではない、絶望から生まれた言葉。そしてそんな腐った世界を生み出したのは自分だ。必ず贖(あがな)ってみせる。死んでたまるものか、決して。


 少女の胸の内に宿った使命感は、迫り来る鎖鎌にどれほど傷つけられようとも、怯むことなく足を運ばせた。


(もうすぐ国境だわ、そこを抜ければ──)


 森を抜ければ、なんとかなる。何の保証もないのに、漠然とした、そんな希望があった。


「──え?」


 しかし、その希望は途端に絶えちぎれた。目の前に広がるのは絶望の色濃い黒一閃。谷である。足先で踏み抜きそうになった崖の欠片が落ちた先では、白飛沫(しらしぶき)が音も立てずにこちらを手招いている。見るに激流なのに、ほとんど音がしない。その深さに──落ちれば自分が生きていられるかも分からない状況に、少女の喉が、ヒュッと鳴る。


「あ」


 その音に混じって。高鳴りする鎖が少女の左腕に巻き付いた。咄嗟に右腕でそれを外そうとしたものの、その右腕すら絡め取られる始末である。そうして次は右足、左足と。


 やがて──少女は、四肢の自由の全てを奪われた。


「つれない鬼ごっこは終わりにゃ?」

「卑怯よ! 魔力さえあれば、わたし、あなたなんかに──」


 言いかけて、少女は俯く。それがただの強がりにしか過ぎないことを、少女は知っている。猫人のクロエは「魔力──」と思い巡らせ、それから「ああ」と一人、腑に落ちる。


「これのせいにゃ?」


 そう言って。クロエは、禍々(まがまが)しいまでの柿色の鎖鎌を見せつけた。


「それ、は──」少女の瞳孔が、動揺に揺れた。己の過去に打ち付けられた原罪を突きつけられて。呪いを振りまく、父の命を奪った凶刃を見て、唇が震えた。


「にゃー、そんな怯えなくてもいいにゃ」


 クロエは──果たして言う。


「いま楽にしてやるにゃ」


 この世界からの解放。罪深い自分が生きるには──あまりにも息苦しい世界からの解放。

 一瞬、それもいいかもしれない。少女はそう思った。しかし──、


「にゃ!?」


 鎖鎌が少女の首を掠めると、その鎖が少女の手に収まった。少女は額の角を大きく肥大化させ、自身を縛りつけていた鎖を、引っ張るように巻き込んだ。


「せめて、この刃(つみ)だけはッ!!」


 無い魔力に代わり、命を削って代用する。そんなに長くは保たないが、目的を果たすには十分だ。

 ペキペキと軽い音が鳴り、鎖はパチンと弾けた。反動にたわんだ鎖は、宙にあった少女の体をするりと手落としていく。その体は絶望の谷底へ。


 その姿を見て。クロエは「あ──」と思い出したようにこぼした。


「──エレノア?」


 その言葉を聞き、少女は涙した。脳裏に蘇るのは、幼き頃の浅はかな自分。目の前にいる、この黒猫の少女と。果たされることのなかった約束を契った、愚かな自分。

 少女──エレノアの美しい緑青色の瞳から、とめどない悔しさが溢れ出した。


 信じてたのに──信じてたのに、信じてたのに! 絶対に許さない。許せない!


 ポロポロとこぼれる涙がエレノアを置き去りにして、月夜で煌めいている。その訴えではまだ足りなくて。エレノアは、ありったけの無念を叫んだ。


「クロエぇええーッ!!」


 それは声と共に激流に呑まれてしまい、それからエレノアはどれほど体を打ち付けたかがわからない。これまでの罪を清算するかのように、流れにある岩肌が自分を責め立てた。

 水面に打ち付けられた衝撃で。うるさいくらいにまとわりつく水の音も、低く唸る耳鳴りを隔てた向こう側で。どこか現実的でない感覚も、ひた走る痛みに凍るような冷たさが這い寄らば、それはもはや、ゾッとすることもない。紛うことなき死の足音がヒタヒタと、どこからともなく聞こえてくるようだった。

 それでも──自分は死ねない。死ぬわけにはいかない。消せない罪のある限り。


「うっ……」


 流れ着いた先。ようやく脅威が去ったというのに、自分の体はもう一つのいうことも聞きやしない。首筋には凍るような冷たさを感じているのに、それ以外の全てが生ぬるく感じる。


 もはや生きているのか死んでいるのかも分からない。視界はぼやけて掠れ、意識は朦朧とする。そんな中、少女は思った。その緑青色を滲ませて。


 誰か──わたしをたすけて──。


 そう願った。切に願った。涙すらも川の流れに飲まれ、絶望の海へ流れようかと思った、その次の瞬間であった。


 少女は──思った。


 ああ──。ここはきっと天国だ。冷え切った暗い洞窟の中、自分は誰かに背負われている。こんなにも都合の良いことがあるものか、と。


(固くて、たくましいお背中……これは、おとうさま……?)


 亡き父を思えば、霞む世界は徐々に白みを帯びていき。少女が意識を手放すのは、もはや時間の問題であった。


(ああ。あたたかい)


 こわばる体と世界との境界がひどく曖昧になった時。少女の顔はわずかに綻んで、意識は静かにまどろみ溶け込んでいった。

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