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第六話『亜麻色の髪の少女』

「プロテマ!」


「おりゃ!」


 ブランクの掛け声に合わせて、ウィルが槌を振るう。すると鉄槌は、ブランクの目の前にあった石を、いとも容易く打ち砕いた。


「ほんとにできたのかあー?」


「ほんとだよ!」


 しらーっと冷めた紫紺の瞳で見られて、ブランクは思わずたじろぐ。


「もっかいいくぞー!」


 せーのの掛け声で、槌はもう一度振るわれる。


「プロテマ!」


 結果は惨敗。石はまた砕けた。


「やっぱり無詠唱で魔術が発動できたなんて、ブランクの勘違いなんじゃないの?」


「そんなことないってば。できてなかったら、僕は今、ここにいないんだからね?」


 疑惑の視線を向けられて、ブランクは口先尖らせてそっぽを向く。そうは言えども現実に成功してないのだから、ウィルはほんとかあ? と懐疑的な姿勢を崩さない。


「ふんっだ、ウィルはいいよね。攻撃魔術を無詠唱できるんだから」


「あー、魔弾(ガドム)のことかあ?」


 そう言いながら、ウィルは紫紺の光弾を出現させて、それを手玉に取る。指の先から首の周りをぐるりと動き回る自由な様は、無詠唱による魔術の劣化を思わせない。


「でもオイラはにーちゃんみたいに魔法(ルーン)でシュッてして、ドギャンってやりたいなあ」


「あんなの別格だから。ウィルだって十分すごいよ」


 僕なんて、無詠唱すらまともに使えない。そう言ってブランクは、面白くなさそうに口を尖らせて「それに──」と付け加えた。


「ウィルは僕と違って、家族の手がかりもあるし……」


 そう言ってブランクがしらーっとジト目にそねみの眼差しを向けるのは、瑠璃色の宝玉をあつらえたペンダントである。孤児であるのに上等な石を身につけ、あまつさえそれが銀製だというのだから、彼が愛されていないはずなどなく、ましてや今の才気に溢れる彼の姿を見たならば、きっと連れ戻したくなるはずだ。そんな相手がいるウィルを、羨ましく思ったブランクは、途端に自分がみすぼらしく思えた。誇れるものなど何もない。そんな考え方が頭を(よぎ)ってしまい、深いため息をついた少年は、頭の赤枯れ色をうなだれさせた。


「僕には何もないんだ……」


「わっ、わっ、拗ねんなよブランク。分かった、無詠唱できたの信じるから……な?」


 必死になって手のひら返すウィルに、ブランクは細い目で訴えた。


「ありがとウィル、無理しないで」


 つんと優しさをつっぱねていじけているブランクを、銀髪の少年はなんとか元気づけようと四苦八苦する。すると、そこへ一人の男がぬっと現れた。


「何を遊んでいる?」


「げっ」

「わっ、ダザン……」


 そこへ現れたのはダザンだ。革製の厚手の衣装を着れば、馬子にも衣装ではあるが、さらに威圧感が増せば、それは熊に負けずとも劣らない。大型動物も尻尾巻いて逃げそうな男に睨みを利かされて、二人の少年は、バツの悪そうな顔して縮こまった。


「まったく。遊びに来たわけじゃないんだがな」


「分かってるよ……」

「へいへーい」


 ダザンを含めた三人は、現在ヴァインスター山脈から少し離れたブロスト鉱山に来ている。ここはオプティマス鋼がよく採れ、ダザンが頻繁に足を運んでいる。採掘された鋼は二割が王国の研究室へ送られ、五割が王都への販売義務が課されて、残りが採掘者の取り分となる。


 普通は採掘者を雇うのだが、これまでダザンは一人で採掘をしていた。腰を痛めたことをきっかけに、採掘権を売り渡すことも視野に入れていたようだが、ブランクとウィルという、体の良い労働力を得たからか、その考えを改めたようだった。


「ウィル、早く片付けよう」


「そうだな、また小言が飛んできそうだし」


 それを閑話の最後として、二人の少年はツルハシを振るった。


「さあさあ、きびきび働け。休む暇はないぞ」


「ちぇ。自分は座ってるだけのくせして……」


「わわっ、ウィル!」


 掘り起こした飛礫を蹴り飛ばし、明らかな不満を漏らす銀髪の少年に、手頃な岩に座していた大男は、その重い腰を持ち上げた。


「ほう、ウィル。何か言ったのか?」


「別にぃ〜」


 眉間にしわ寄せて、ふいと視線を逸らすウィルは、誰の目にも不機嫌だ。口先も尖れば声までふてぶてしく、もはやそれを隠す気もない。


「なんだ、えらく不服そうだな、ルー坊」


「うっせ、いっつも偉そうにして! そっちこそ何様だよ!」


 ウィルがいつになく強気に反発していて、ブランクは、もはや気が気でなかった。しかし売り言葉に買い言葉。


「雇用主様だが?」


 強気に出たダザンは、追撃と言わんばかりにその懐から何かを取り出した。


「お前らの身柄を貸し出すことは、ジャンが了承した。ここにはその契約書もある」


 それは、びっしりと細かく文字の羅列された獣皮紙だった。もはや読ませる気はあるのかと思わせるほど、目を通すことをためらうその文字群の最後には、確かにジャンが普段使いしている捺印が押されている。そしてそれは、非常に真新しい。


「村の北の森が、考えなしに攻撃魔術を放ったバカによって荒らされていてな。その損害を補填するために、金がいるのだ」


「へえ。ばかがいると、世の中大変だなあ」


 悪気なく他人事のような反応を示すウィルに、ブランクは、呆れたようにため息をついた。普段顔色を変えないダザンも、珍しく頭を抱える始末である。


「お前のことだ、ウィル」


「え、オイラかよ!」


「他に誰がいるというんだ?」


 ダザンに促されて視線がさまようも、ウィルが助力を得られる者など、ここには一人しかいない。そしてその一人であるブランクに首を横に振られれば、それは孤立無援を示す証左となる。


「お前が誰よりも働かなくてどうする? 分かったら口より手を動かせ」


「くそ、くそぉおおお!」


 ぬれ顔で悔しさを目に燃やすウィルは、烈しい勢いで移動スペースを確保した洞窟を作り上げ、巧みにくり抜いていく。その姿が見えなくなるまで見送ると、岩に腰掛けたダザンが、ブランクへと視線を見遣った。


「腕の調子はどうだ?」


「あっ──」


 ダザンに言われて、ブランクは自分の左腕を見る。少しの隆起を見せるものの、まだまだ年相応に頼りない腕には、歴戦の勇士のような、痛々しい裂け傷の跡が存在する。それらは白く美しく勇敢さを物語り、けれど幼気(あどけ)なさの残るブランクの顔には、不恰好である。


「もう少し早ければ傷跡も消せたがな」


 ダザンがそう言うと、ブランクはとんでもないと首を振る。


「これは、僕が成長できた証なんだ。満足に動かせるだけで十分だよ。それに──」


 心底嬉しそうな顔をして、ブランクは傷跡を天井にかざした。


「これは、みんなが命を繋いでくれた証でもあるんだ」


「ほう」


「だから──たとえ消せたとしても消せないよ」


「……ふむ」


 パチパチと拍手するかのように燃える焚き火に映えるブランクは、恥ずかしげもなくそう言ってみせた。それを何も言わずに見つめていたダザンは、何かを思い立ったのか、そっと暗がりに向かって指を差した。


「すぐそこに川がある。地下水脈、というやつだ。水を汲んでこい。そろそろ飯にしよう」


「あ、うん。分かったよ」


 ブランクは、水の残り少ない金物バケツを手にして、暗がりへと歩いていった。


「マルタ。お前にも、あの姿を見せてやりたかったよ……」


 その後ろ姿を寂しげに見つめるダザンの顔は、まるで通夜のようだった。




 そんなことを知る由もないブランクは、足元に気をつけながら、すぐそばにあった川の音に、誘われるように足を運んでいた。周囲には自然発光するブライト光石と呼ばれる、光源となる石が等間隔に置かれている。この石そのものに発光効果がないことは近年の研究結果で明らかとなっており、この石に含まれる特殊なミネラル分は、これら翡翠色に発光をするバクテリアたちの大好物なのだという。


 それも実際に見るのは初めてで、そこはかとなく蛍光色に薄ぼんやりと輝く幻想的、かつ心が躍る光景に、ブランクは少しワクワクしていた。


「綺麗だなあ。持って帰れないのが残念だ」


 これらの光石は、あくまでバクテリアが発光している。この石を外に持ち出せば、湿気を好むバクテリアたちは、途端に石を離れる。そうなれば光石とは名ばかりで、物言わぬただの石と成り下がるのだ。大昔、過去に王室へ献上された際に、これが引き金となって大問題になったという。虚偽の報告、王家への侮蔑、反逆の意思があるのではと噂されて、とある商人は一夜にして破滅した。そんな話を思い出しながら、ブランクは、気の毒だなと思った。


 こういった話は、色々と教訓となるのだ。ブランクは、本を読む行為こそ減らしたものの、知識が持つ生存戦略性を軽んじてはいない。実物を見ればその知識の引き出しと示し合わせ、改めて本の素晴らしさを噛み締めるのだ。


「よっと……重たいな」


 少し流れの早い川は、薄暗闇の中、どこまでも続いているようだった。


 この世の果てまであったりして、などと冗談めかして立ち去ろうとしたブランクは、ふと今見た景色の中に、小さな違和感を覚えた。


「あれ、今、何か──」


 ブランクは、不審に思った箇所を、もう一度上流を見た。


「うーん……?」


 暗闇を果てまで見通さんと、目を皿のようにして注視するブランク。すると、


「あっ!」


 うすらぼけた白い布が、ぼうっと暗闇に浮かんでいるのが目に飛び込んできた。そうして、地の底から聞こえてきたような風鳴りが手伝えば、ブランクの恐怖心はすぐに限界を迎えた。


「うわっ、おばけッ!!」


 ぬうっと浮かび上がってきたシルエットは、白い布。いや、厳密には白い布を纏う何かであるのだが、一瞬それがオバケに見えて、ブランクは思わず心臓と一緒に飛び跳ねた。その弾みで水をぶちまけたバケツが、ぐわんぐわんと大袈裟な音を立てるとその音にさらに驚き、わっと声を上げたブランクは、足元に突き出た鍾乳石で蹴つまずき、ドタッと尻餅をついた。


「うっ……」


 騒ぎ立てればそれに反応して、どこからかうめき声が聞こえた気がした。それがその白い布から聞こえたような気がして、ブランクは生唾を呑んだ。少し呼吸を整えてから、抜き足差し足で慎重に近づき、じりじりと少しずつ距離を詰めると、その全貌が明らかになる。


「人だ!」


 ブランクは、ようやくそれが人であると理解した。白い布に見えていたのは、間違いなく布であるが、それは金の刺繍があしらわれた外套で、気品あふれるはずのその外套は、水を吸っては破れてと、ひどく見すぼらしくなっていた。


「生きてる──よね?」


 先ほど聞こえた声がブランクの聞き間違いでなければ、その白布(しらぬの)を纏う人物は生きている可能性が高く、そしてそれを見捨てられるほど、ブランクは人でなしではない。


 けれど底がどれほど深いのかは分からないし、下手をすればブランクも同じ道を辿ることになるかもしれない。


「よし、いくぞ!」


 ただし、その程度のことでブランクは諦めない。厚手の靴を脱ぎ捨てた赤枯れ色の髪したその少年は、どぼんと川に足を浸けると、一切の迷いなく、岩礁に引っかかったその人物の救出へと向かった。涼しい顔してサラサラと流れているその川は、見た目の柔らかさよりもずっと固い印象を受けるほど冷たく、足を入れると、途端に背筋がきゅっと縮んで伸びた。


(なんて冷たいんだ。こんな水にずっと浸かってたら、すぐに死んじゃうぞ!)


 身震いを覚えながら、ブランクは勇ましく、けれど慎重に川底を調べながら、ざぶざぶと音を鳴らして進んでいく。幸い、川の流れこそ早いものの、その深さまではあまり変わらず、ブランクは、すぐに白布の人物の元へと辿り着いた。


「わっ……」


 ブランクは、外套から覗く顔に、驚いた。


(なんて──綺麗な子なんだろう)


 横薙ぎの風に踊る麦穂(ばくすい)がごとく、豊かに輝く亜麻色の髪。その輝きに負けるとも劣らない、白磁のごとく透明感のある、艶やかな肌。顔立ちは端正かつ淑やかそのもので、気品溢れるその少女の双眸に目蓋のされていることを、ブランクは一瞬残念に思って、それからハッと雑念を降り払うように首を振った。


(いけない、今はそんなこと考えてる場合じゃないのに!)


 人命救助を優先だ。そう考えて脇に手を通して、持ち上げると、その少女を背中に回しておんぶする。するとブランクの背中に、思わぬ伏兵が追撃してきた。


(なんだ、これ。柔らかいような……あっ──)


 無自覚に振るわれる性徴の凶器が、思春期真っ只中にあるブランクの理性を襲う。脳の奥から現れた煩悩の手下たちを振り払うべく、ブランクは、何か違うことを考えることにした。


 年は同じ頃だろうか。彼女が何者であるか。どこから来たのか。なぜあの場所にいたのか。浮かぶ疑問は数多く、その全てが謎に包まれている。しかしその服装から察するに、立場のある人物であり、のっぴきならない理由があることだけは確かだろう、とブランクは考えた。


「うわっ!」


 寝苦しそうに体をこわばらせた少女の吐息が漏れて耳にかかると、ブランクは危うく足を滑らせそうになる。すんでのところで踏みとどまれたものの、このまま流されてしまっては、ミイラ取りがミイラだ。慎重に慎重を重ねて──と思いかけて、ブランクはあることに気がついた。


(この子の体──熱い?)


 ややもすれば、手先のかじかむほど冷たい水にずっと曝されていたというのに、洞窟内の寒さと相まって、少女の体は、湯気の立つほどの高熱でうなされていた。苦しげであるのはどうやらこちらの要因が強いらしく、これは悠長にしていられないぞと心を改めたブランクは、川底を撫でる擦り足の運びを早め、ももの痛くなるほど素早く流れに逆らった。


 そうして歩行に努めれば、行きよりも早く岸辺に着いた。しかし背負うのが少女とはいえ、人を──ましてや水を多分に含んだ服ごと担げば、ブランクも息が絶え絶えだ。そうやって纏まらない思考の中、ブランクの頭を過ったのは、ジャンの教えだ。


 あれはずっと昔。ブランクが、ジャンの用意した訓練で、山を走っていた頃の話だ。まだまともな肉体作りもできていない当時のブランクは、ほんのちょっとした走り込みで、すぐに息が上がってバテていた。病弱などではなく、単に体力がなかった。それだけに救いようもないが、そんなブランクを見かねるかのように、当時のジャンは言った。


 ──ブランク、苦しい時こそ吐け。心も体も、それを求めてる。


 そう言ったジャンは──二日酔いで混沌と化した胃の中身をぶちまけた。


(余計なことまで思い出しちゃった……けど!)


 その言葉を思い出したブランクは、ぜえぜえ肩で息をする自分が、空気を取り込み過ぎて、吐くことに多くのエネルギーを使っていることを感じた。ふっと肩の力を抜いて、肺を縛るものを無くすと、腹の底から息を吐ききり、素潜りをする前のように大きく息を吸い込んで、ピタッと止める。暴れ回っていた心臓が徐々に落ち着きを取り戻し、頭にも明瞭さが戻った。


「ようし……もうひと踏ん張りだ」


 ブランクは靴を履き、何はともあれと医療に詳しいダザンの元へと向かった。

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