いずひろコンビ始動
――発表の日、第一中・体育館。
ホワイトボードの上部に赤いテープで新しい紙が貼られた。
《山口市内トーナメント/固定ペア登録》
ミックスD:仁保・湯田
村田がマーカーを回しながら言う。
「正式に出す。いずひろ、固定で行く。理由は単純——合図が先に走っとる。声も足も、相手より先回りできとる。評価は前回の試合で十分や」
ひろが短く息を吐いて、横の泉を見る。
「よろしく。最初の一本は挨拶、最後は握手」
泉はラケットを胸の前で立て、コツンと合わせる。
「届くほうへ。……固定、うれしい」
美琴がすかさずタブレットに打つ。
「#いずひろ固定 #空いてる四角」
「お前はいつも映えで生きとるな」村田が苦笑しつつ、続ける。「固定になった分、“即声”の語尾を一音削るんを徹底や。それと“ピース・ドロップ”は見せびらかさん。要所で一発、刺す」
練習が始まる。
三球同時のフットワーク、声は低く、短く、芯で——
ひろ「前、任せた」
泉「後ろ、預かった」
ひろ「斜め、空ける」
泉「逆斜め、埋める」
テンポが上がるほど、合図は早く、身体は遅れずについてくる。
合間、ベンチで汗を拭きながら泉が言う。
「固定って、責任も増えるんやな。……でも“先にありがとう”って心で言うと、足が軽うなる」
「ええ合図や」ひろが水を一口。「それ、ペアの合図にしよ。コート入る前に、心で先に言う」
村田が二人の前にボールかごを置く。
「戦術は三つ。“届くほうへ”で位置勝ち、“二拍我慢”で時間勝ち、“ピース・ドロップ”で心を折る。三つ同時にやろうとするな。状況で一個に絞れ。固定ペアは“引き算”ができて一人前や」
――放課後、廊下の曲がり角。
真奈がタオルを肩に、泉の背中を軽く叩く。
「固定、おめでとう。女子ダブは女子ダブで“即声”磨いとくけぇ、心配せんで行きんさい」
「ありがと、真奈。うち、ちゃんと二足のわらじ結ぶ。……靴ひもも二重で」
「アンパイアのチェック厳しいけぇね」
「にゃ(注意)」——ちょうど送られてきた小町の写真に“注意”スタンプが被る。二人で吹き出した。
――夕方、湯田家。
玄関を開けると、お味噌の匂いがふわり。
「ただいまー!」
瑞穂が顔を出す。「おかえり。固定て聞いたで。勝つ丼のタレ、固定に効くやつ作っといた」
光が笑う。「タレは流動や思うけどな」
泉は丼を受け取り、箸を合わせる前に目を閉じて、心でひとこと。
(先にありがとう)
小町が椅子の下で尻尾を一打。判定:合格。
――同時刻、上田家。
ちゃぶ台の向こうで、望が新聞を置く。
「固定いうのは、ご縁を結び直すみたいなもんじゃ。挨拶して握手して、また明日も、じゃ」
桜が湯気越しに微笑む。「郷子、向かいに“おめでとう”の手、振っときんさい」
郷子は二階の窓を開け、道一本向こうの窓へ手を振る。
(届くほうへ)
――夜、三者通話。
『固定、正式決定。よろしくな』ひろの声は相変わらず芯で短い。
「おめでとう。いずひろ、やっと看板に名前が彫れたねぇ」郷子の声は少し誇らしい。
「ありがと、郷子さん。言葉が先、身体があとで、明日からまた積むわ」
『最初の一本=挨拶。最後の一本=握手』
「合言葉は?」
三人「届くほうへ」
通話を切る前、郷子が小さく足して言う。
「……先にありがとう。ほいで、明日も」
道一本のあいだに、小さな“既読”が二つ並んだ。既読は、今夜も小さな握手だった。
――放課後、音楽室。
ホワイトボードには大きく「定期演奏会・選曲会議」と書かれていた。
佐々木先生が手を叩く。「ほな、今日は選曲会議&多数決大会な!」
机には候補曲リスト。
カテゴリごとに分かれた紙が並ぶ。
クラシック部門(2曲予定)
エルガー《威風堂々》
ドヴォルザーク《新世界より》第4楽章
ホルスト《惑星より ジュピター》
ポップス部門(3曲予定)
Official髭男dism「Subtitle」
YOASOBI「群青」
米津玄師「LADY」
King Gnu「SPECIALZ」
back number「水平線」
アニソン部門(2曲予定)
『鬼滅の刃』より「紅蓮華」
『スパイファミリー』より「クラクラ」
『ぼっち・ざ・ろっく!』より「ギターと孤独と蒼い惑星」
『進撃の巨人』より「紅蓮の弓矢」
ジャズ部門(1曲予定)
テイク・ファイブ(Dave Brubeck)
シング・シング・シング(Benny Goodman)
洋楽部門(2曲予定)
“Uptown Funk”(Bruno Mars)
“Let It Be”(The Beatles)
“Shape of You”(Ed Sheeran)
“Viva La Vida”(Coldplay)
先生が言う。「ルールは簡単。拍手多数決方式! 一人一票じゃなくて、“本気でやりたい”曲なら両手で拍手してもええ!」
田中(Tp):「いやそれ、うるさい方式やん!」
石井(Tb):「でも勢いは伝わるで」
クラシック投票結果
《威風堂々》:14票(+先生のにっこり票)
《新世界より》:10票
→ 決定:威風堂々&新世界より
ポップス投票結果
拍手が鳴り止まない。
「Subtitle」:15票
「群青」:13票
「SPECIALZ」:10票
→ 決定:Subtitle・群青・SPECIALZ
アニソン投票結果
「紅蓮華」:14票
「ギターと孤独と蒼い惑星」:13票
→ 決定:紅蓮華・ギターと孤独と蒼い惑星
ジャズ投票結果
「シング・シング・シング」:全員拍手+叫び
→ 決定:シング・シング・シング
洋楽投票結果
“Uptown Funk”:17票
“Viva La Vida”:14票
→ 決定:Uptown Funk・Viva La Vida
先生が黒板を指でトントン。
「ほな、これでラインナップ決定や。構成考える班、テンポ設計班、MC台本班、衣装班に分かれて準備開始!」
郷子は譜面の隅に小さく書いた。
(最初の一秒=挨拶。最後の一秒=握手。音で敬礼は、続いとる)
温也が隣で笑って言う。
「ほんなら“ピース・ドロップ班”は、アンコールで飛び入りするか?」
「それ、バド部コラボやろ!」
音と笑いの拍手が、またひとつ広がった。
公演情報
会場:山口市民館・大ホール
日時:7月最初の土曜日/開演14:00(開場13:15)
公演尺:約90分(本編75分+休憩15分)
テーマ合図:「最初の一秒=挨拶」「最後の一秒=握手」
当日のタイムライン(抜粋)
10:00 搬入開始・ステージ設営(台譜・椅子・打楽器)
10:30 指揮・運営集合(先生/ステマネ石井/PA担当 田中)
11:00 全体サウンドチェック(ブラス→木打→全合奏)
12:00 昼食・着替え
13:00 ゲネプロ(通し/要点のみ)
13:15 開場(ロビーBGM/金管ロビー・プチ演奏3分×2)
14:00 開演
15:30 終演・ロビー挨拶/撤収
16:30 完全撤収
ステージ配置(ブラスバンド想定)
前列:Cl/Fl/Sax(必要に応じ木管席)/MCピン1本
中列:Tp/Hr/Tb(各パートリーダー用マイク×2本・セクション用エリアマイク×2)
後列:Euph/Tuba/打楽器(Dr, Timp, Cym, Glock, Xylo, Aux)
プログラム案(流れ重視/目安時間)
0. オープニング合図(0:40)
B♭ロングトーン→「音で敬礼」短縮版
1. 《威風堂々》エルガー(6:00)〔クラシック〕
→“挨拶の一秒”を客席と共有
2. YOASOBI「群青」(4:00)〔ポップス〕
3. 『ぼっち・ざ・ろっく!』「ギターと孤独と蒼い惑星」(4:00)〔アニソン〕
MC①(1:30):テーマ紹介「挨拶と握手/“届くほうへ”」
4. The Beatles “Let It Be”(4:00)〔洋楽〕
5. 《新世界より》第4楽章 ドヴォルザーク(5:00)〔クラシック〕
—— 休憩 15分 ——
6. Benny Goodman「Sing, Sing, Sing」(6:30)〔ジャズ〕
(ドラム・クラリネット見せ場/手拍子OK)
7. back number ではなく→Official髭男dism「Subtitle」(4:30)〔ポップス〕
8. 『鬼滅の刃』「紅蓮華」(4:00)〔アニソン〕
MC②(1:00):セクション紹介&“金管点検講座・超ショート”(30秒ギャグ)
9. Coldplay “Viva La Vida”(4:10)〔洋楽〕
10. King Gnu「SPECIALZ」(4:00)〔ポップス〕
アンコール:Bruno Mars “Uptown Funk”(4:30)〔洋楽〕
→最後の一秒=握手(全員で一礼・退場足音もBPM)
合計:約76~80分+休憩15分
役割分担
ステージマネージャ:石井(Tb)
MC:郷子 & 田中(Tp)
PA連絡:田中(Tp)/先生補佐
打楽器チーフ:佐々木(Tb)
ロビー・プチ演奏:金管小編成(B♭→芝生→敬礼の3分メドレー)
多数決の確認(確定曲)
クラシック:威風堂々/新世界より4楽章
ポップス:Subtitle/群青/SPECIALZ
アニソン:紅蓮華/ギタこど
ジャズ:Sing, Sing, Sing
洋楽:Uptown Funk/Viva La Vida
前週〜当日チェックリスト
《テンポ表》作成(BPMとリタルダンド指示を1枚に)
パート譜 最終版共有(カット/ダルセーニョ統一)
打楽器割・搬入動線表
合図語の徹底:「最初の一秒=挨拶」「最後の一秒=握手」
退場足音のBPM共有(エンディング後も演奏の一部)
告知用ひとこと(掲示&SNS)
定期演奏会|山口市民館
7月○日(土)14:00開演(13:15開場)
テーマは「挨拶と握手」。
最初の一秒で“おはよう”、最後の一秒で“ありがとう”。
クラシックからアニソン、ジャズまで、音で敬礼してみせます。
必要なら、このまま**印刷用プログラム(A4二つ折り)**の体裁も作れます。指示くれたら版下まで用意するね!
――夜、湯田家・泉の部屋。
静かな部屋に、ぷ〜ん……と細い羽音。
泉は布団の中で眉をひそめた。
「うーん……もう、うるさいなぁ……」
目をつぶって寝ようとする——が、
耳の後ろあたりでぷすっと鈍い感覚。
「……あぁ〜〜〜もうっ!!」
ガバッと起き上がり、電気をつける。
ファイティングポーズ。
「どこ行った、コラ!」
目を凝らすと、壁際をふらふら飛ぶ黒い点。
「よし……そこやっ!」
パチン! ——すかっ。
蚊は軽やかにかわして、再び天井へ。
「くっそぉ……! 今のは絶対当たったと思ったのに!」
布団の上でドタバタ。
廊下の向こうから声。
「……泉? 何やってんの?」
温也が寝巻き姿で顔を出した。
「蚊! 蚊がうるさいし痒いし、もう最悪っ!」
温也は苦笑して、手にスプレー缶を持ってくる。
「ほれ。文明の力、蚊撃退・ストロングミントの香り」
「ありがと!」
泉がシューーーッと吹きかける。
蚊は慌ててカーテンの隙間へ逃亡。
「ふぅ……勝った……いや、逃がしたけど……まぁ実質勝ちやな」
温也「部屋、ちょっとミントくさいけどな」
泉「ミントでええの、蚊よりマシ!」
静けさが戻った——が、泉の目はぱっちり。
「……せっかく気持ちよく寝とったのに。目、完全に冴えたわ」
温也が肩をすくめる。
「ほな、寝る前に冷たい麦茶でも飲む? “夜更けの一杯・蚊との戦い編”」
「いらんて! もう寝る!」
そう言いながらも、泉の口元には小さな笑み。
枕に頭を戻すと、今度こそ静かな夜。
ミントの匂いがふわりと漂う中、
泉は小声でつぶやいた。
「……今度から、最初の一発は“挨拶”にしよ……」
——その夜、湯田家は再び平和を取り戻した。
――夜、ミントの香りがまだ残る泉の部屋。
布団に戻った泉は、うつ伏せで枕に顔を埋める。
「……はぁ〜。やっと静かになった……」
と思ったその瞬間。
――ムズッ。
「……ん?」
耳の後ろに、じわ〜っと広がる違和感。
「う、うそやろ……? これ、もしや……」
かゆい。
めっちゃかゆい。
「うわぁぁぁ〜〜!! やっぱり刺されとるやん!!」
泉は慌てて鏡を手に取り、後頭部をぐるぐる角度を変えて確認。
「どこ!? どこ刺したん!? 見えんのが一番ムカつく!!」
温也がドアの向こうから半分寝ぼけ声。
「……泉、また何やっとるん?」
「耳の後ろ、蚊に刺されとる! めっちゃ痒い! 地味に届かんとこやし!」
温也が苦笑しながらリビングから小さなチューブを持ってくる。
「ほれ、“ムヒEXプロフェッショナル”」
「そのネーミング、めっちゃ頼もしい!」
泉が鏡越しに、指先で薬をちょんちょん。
「うぅ〜……しみるけど、気持ちええ……」
「ほらな、文明の力その2や」
薬を塗って落ち着いた泉は、ようやく深呼吸。
「……あ〜、今度こそ寝よ」
「もう蚊取り線香焚いとけよ。ミントと線香のダブルで完全防備や」
「部屋、夏祭りみたいな匂いになりそうやけど……まぁ、いいか」
布団に潜り込み、今度こそ静かに目を閉じる。
――ほんのりミントと線香の香り。
――耳の後ろは、まだちょっとムズムズ。
泉(心の声):「……この痒み、明日の練習で集中力テストに出そう……」
その夜、湯田家の廊下に「ポリポリ……」という微かな音が消えていった。
判定:蚊、一勝。泉、引き分け。
――翌朝。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、泉は机に突っ伏したまま、ぼんやりと顔を上げた。
鏡を見ると、目の下にはしっかりクマ。
「……寝不足、確定やな」
朝食のテーブル。
味噌汁の湯気がゆらゆら。瑞穂が心配そうにのぞき込む。
「泉、なんか顔むくんどるけど、夜更かししたん?」
「夜更かしっていうか……蚊。蚊にやられた」
光が箸を止めて吹き出す。
「また蚊ぁ? 昨日の“ミント大作戦”はどうなったんや」
「途中で退散したけど、結局刺されとった。耳の後ろ、今もかゆいし……」
温也がコーヒーをすすりながら笑う。
「ほれ見ぃ、文明の力にも死角ありや。寝不足の顔でバド練、ちゃんと動けるか?」
「動く……けど、たぶん“ピース・ドロップ”が“スリープ・ドロップ”になるかも」
「寝ながら打つ気か!」
小町が椅子の下で尻尾をとん、と打つ。
判定:寝不足=減点2。蚊=勝者継続。
泉はトーストをかじりながら、ぼそり。
「今日の練習、“即声”が“あくび声”になりそう……」
光「ほんなら“前〜ふぁ〜ん……”みたいなやつやな」
温也「それもテンポBPM=60や」
泉「単位っ……!」
家中が笑いに包まれる。
寝不足でも、朝の空気はどこか軽い。
泉は荷物を背負いながらつぶやいた。
「……今日こそ、蚊に勝つ。寝る前に線香3本焚いてでも勝つ」
瑞穂「燃やしすぎ注意よ」
「了解。にゃ(蚊取り係出動)」と小町が鳴いた。
その日、泉のノートの端には、こんな落書きがあった。
『昨夜の教訓:蚊との試合は無観客、延長戦あり。』
――夕方。
練習を終えて、制服の袖をまくった泉が、湯田家の玄関前でスマホを取り出す。
画面には「郷子」の名前。
「……プルルル……」
『はい、郷子です。お疲れ〜。今日も練習よう頑張っとったねぇ』
「お疲れ〜。……もう聞いてよ、昨夜の惨劇」
『あら、また事件?』
「事件ていうか……蚊! あのちっこい悪魔に耳の後ろやられてさぁ。
結局寝不足で、即声のテンポずれまくりやったわ」
『あはは、またやられたん? ミント攻撃はどこ行ったん?』
「途中で逃げられた! で、刺された!
もうな、次来たら“ぷしゅー攻撃”でいくけぇ!」
『ぷしゅー攻撃て何ね?』
「寝る前に枕元に殺虫剤構えて、
近づいた瞬間、“ぷしゅーーー!”よ! 一撃必殺! 蚊もびっくりや!」
郷子が耐えきれず、電話の向こうでブハッと噴き出す。
『ちょ、待って! 想像したらお腹痛い! ぷしゅー攻撃て!』
「笑いごとやないっちゃ! 本気やけん!」
『いやいや、その“ぷしゅー攻撃”の顔が浮かぶんよ、泉ちゃん……寝ぼけながら決闘しよる姿が……!』
「もう〜! 笑わんでぇ!」
『ごめんごめん。でも次は勝てるといいねぇ、“ぷしゅーの勇者”』
「なんか称号つけんで!」
笑い声の向こうで、郷子の声がやわらかくなる。
『でも、寝不足やのにちゃんと練習来たんはえらい。今日は早う寝りんさいね』
「うん……今夜こそは勝つ。線香3本+ぷしゅー攻撃で完全防備や」
『燃やしすぎて火災報知器鳴らさんようにね』
二人でしばらく笑い合ったあと、通話が切れる。
スマホの画面が暗くなっても、泉の口元には笑みが残っていた。
(次こそ……寝かせてもらうけぇな、蚊め)
判定:泉、決意のぷしゅー攻撃準備完了。




