表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トレイン&スポーツラブ~山口で出会った二人のラブストーリー  作者: リンダ
ドタバタラブコメディー開幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

73/73

音で敬礼”と“届くほうへ

 春の同週二本立て — “音で敬礼”と“届くほうへ”

 貼り紙の前で


 金曜日の放課後。音楽室のドアには白い紙が一枚、きれいに四隅をテープで留められていた。

 《地域コンサート出演者募集/持ち時間8分/編成自由/屋外ステージ・雨天中止》


 田中(Tp)が振り返る。「——金管、行くか?」

 郷子は息をひとつ吸い、温也と目を合わせた。

「行こ。“音で敬礼”を、外でも。」


 先生は少しだけ笑ってうなずいた。「じゃあ、構成は自分たちで考え。“お客さんに最初の一秒で挨拶、最後の一秒で握手”、それだけ忘れんかったらええ」


 その言葉が、譜面よりも先に胸に刻まれた。


 八分の設計図


 金管の丸机に、コンビニのおにぎりと消しゴムのカスが集まる。

 石井(Tb)が鉛筆を回しながら言う。「頭は“音で挨拶”として、静かに線を引く。真ん中で一回笑わせて、最後は“音で敬礼”で閉める。これで八分、いける」


「笑わせるとこ、何する?」と山本(Tp)。

「“金管点検講座”」と佐々木(Tb)。

「講座て」

「ベルの角度で天気占い。『今日の福祉会館前は“追い風小吉”』とか」

「アホやろ…いや、好き」


 メトロノームは80でコツコツ。

 温也が小声で重ねる。「音の線は細く始めて、途中で“太さ”変える。最後の敬礼は、みんなでそろえる。……全員で、同じ背筋」


 郷子が頷く。「それ、やりたい」


 彼らの八分は、台本のように、でも台本ほど固くなく、少しずつ形になっていった。


 “掲示板の赤い線”


 同じころ、体育館の掲示板には予選ブロック表。

 《第三試合:仁保・湯田(1年) vs 坂本・原(2年)》


 村田が赤ペンで線を引く。「初陣、第三。**最初の一本は“挨拶”**だと思え。サーブは会釈と一緒。落ち着いて短く、届くほうへ」


 美琴がスコアアプリを立ち上げ、ニヤリと笑う。「実況の練習もしときます」


 ひろは泉へ視線を投げた。「明日、朝、少しだけ合わせよう」

「うん。朝の体育館、木の匂い、好きやけぇ」


 その「好き」が、二人の足元を少し軽くした。


 土曜の朝、福祉会館前広場


 屋台の匂い、風船の色、遠くで子どもが走る足音。

 ステージ袖で田中がゆっくり右手を上げる。

「B♭——“おはよう”」


 金管が細い線で空をなぞった。

 微笑が客席に広がる。最初の一秒で挨拶は、成功だ。


 中盤。石井がマイクを持って「金管点検講座」。

「こちら、スライドの天気予報。今日は“追い風小吉”。人に向けたら友情が飛ぶけぇ、前は空へ——」

 客席のどこかから「飛ばんでええ!」とツッコみが返り、ステージに笑いの波が寄る。

 郷子がスライドを軽く伸ばし、温也が横目で“いくよ”と合図。二人の和音が、笑いのすぐ後ろをそっと支えた。


 最後。佐々木先生が袖で指を二本立て、ゆっくり下ろす。

 ——“音で敬礼”。

 金管の背筋がひとつになる。トロンボーンは影を引き、トランペットとホルンがその影の縁を光らせる。

 終止。風が一枚、拍手を連れてくる。

 田中が深く頭を下げ、マイクに短く。「ありがとうございました」


 客席のベビーカーが、泣き声をやめて指を伸ばしているのが見えた。

(届いた)

 郷子は胸の奥で小さくつぶやいた。(音で握手、できた)


 同時刻、第一中・体育館


「レディ——プレイ!」


 最初の一本は挨拶。

 サーブ泉。手の中で呼吸をひとつ整える。

 “届くほうへ”。

 ショートは静かに落ち、相手のラケット面が少しだけ甘く跳ねた。

 ひろのプッシュは短く速い。1-0。


 2点目、3点目と拮抗。3-3。

 床の木目に汗がぽつぽつ落ちる。

 ひろの声が短く、芯で届く。「届くほうへ」

 その声で、泉の足は「半歩」の最短を選ぶ。4-3。


 中盤、相手が“前後揺さぶり”を強める。

 泉の脈が速くなり、5-6と逆転を許す。

(アカン。追いつこうとして、力で前にいっとる)

 ひろが一度だけ、深く息を吐いて言う。「先に“空いてる四角”を作ろう」


 サーブチェンジ。

 ひろはショートを装い、寸前でロングへ切り替える。

 相手の戻りが遅れた一瞬、泉の足が半歩、前へではなく斜めへ。

 ネット前、逆クロスのタッチ——6-6。


 ベンチの村田が、目だけで頷く。

「速さより、先回り」


 “お守り一本”、ふたたび


 ラリーが長くなる。

 6-6、6-7、7-7。

 マッチは7-7の同点。一本で決まる場面。

 相手の坂本が角度をつけた速球を通す。

 泉の肩が固く上がる——空振りの予兆。

 同時に、ひろが横から滑り込み、面を立てて“すくい上げ”。

 テープをチュルン、コトン。

 体育館が一拍置いてから沸く。

「8-7!」

「ゲーム、仁保・湯田!」


 拍手の隙間で、泉は自分の手のひらを見る。

(震えと一緒に、喜びが残ってる)

 ひろがラケットの先で泉のラケットをコツン。

「合言葉」

「届くほうへ」


 夕方の坂道、ふたつの家


 湯田家の玄関を開けると、小町がしっぽで道案内。

「ただいまー!」

「おかえり。風呂、忘れたら承知せんでー」と瑞穂。

「はいはい、わかってるって」

 泉は靴ひもを結び直しながら笑う。「今日は踏まんかった」

 温也がタオルを肩にかけ、わざとらしく胸を張る。

「ほな報告会や。金管、笑いも拍手も取って、最後は敬礼。」

「こっちは一本勝負、テープが味方したで」

「うちの“審判アンパイア”は?」

「にゃ!」

 小町が短く鳴き、キッチンへ歩いていく。**判定は“勝ち”**らしい。


 外は、桜の花びらがまだ地面の隅で丸くなっている。

 郷子は向かいの窓に手を振り、望と桜に「ただいま」を言った。

「どうじゃった?」

「……挨拶と握手、ちゃんとできた」

「ほんなら、ええ日じゃ」


 夜のメッセージ


 湯田家の廊下、風呂上がりの湯気。

 上田家の二階、カーテンの隙間からの灯り。

 スマホが震える。


 《コンサート、動画もろた。静かな勇気、ちゃんと届いちょったよ(郷子)》

 《予選の一本、お守りみたいに落ちたな(温也)》

 《“届くほうへ”、言うたら足が勝手に動いた(泉)》

 《“音で敬礼”、合わせた時の背筋、忘れん(温也)》

 《明日も——(ひろ)》

 《届くほうへ(四人)》


 送信のたびに、画面の小さな風船が上へと浮いた。

 それを見上げるみたいに、胸の中も少し軽くなる。


 日曜の朝、“外での本番”ふたたび


 翌朝、福祉会館の前は昨日より人が多い。

 金管の八分は二度目、笑いの波は最初から大きい。

 石井の「追い風小吉」は「実家の犬も小吉」に進化し、客席の笑いが二回り増えた。

 最後の敬礼。

 田中の合図で、金管の息がすっとそろう。

 音で握手。

 拍手の間から、小さな声がした。

「——もういっかい!」

 子どもの声は、リクエストの形で春を引き延ばす。


 同時刻。第一中の体育館では、二回戦が始まる。

 村田の声が短く飛ぶ。

「最初の一本は挨拶。最後の一本は握手。」

 ひろと泉は胸の前でラケットを交差させ、コツン。

「届くほうへ」


 “同じ言葉”のちから


 その日、ふたつの場所で、同じ形式の“魔法”が働いた。

 ——最初の一秒で挨拶。

 ——最後の一秒で握手。


 音は空気を塗り替え、シャトルは空いてる四角へ落ちる。

 どちらも、先に気持ちが届いているときに、いちばんきれいに決まる。


 夜、道一本のあいだ


 湯田家の食卓で、光がぽつりと言う。

「泉、よう走ったな。おかわりあるで」

「食べる!」

 瑞穂が笑う。「お兄ちゃんは?」

「食べる!」

「ふたりよう似とるわ」

 小町が椅子の下で尻尾をとん、と打つ。判定:合格。


 上田家では、ちゃぶ台の湯気が穏やかに揺れ、望がうなずく。

「向かいのご縁は、行き来してこそ、ご縁じゃ」

 桜が味噌汁をもう一杯よそいながら、「明日も頑張りんさい」と笑った。


 窓ごしに手を振る。

 道一本のあいだで、「また明日ね」の合図が往復する。

 ——音で挨拶。

 ——届くほうへ。


 桜は散りきって、葉が強くなる季節へ。

 それでも彼らの中で、春は少しだけ続いている。

 挨拶と握手のあいだに、笑いと息と、やさしい影を連れて。



 雨予報と“屋内版・音で敬礼”


 月曜の昼、空はどんより。職員室前の掲示板に、小さな紙が貼られた。

 《今週水曜、降水確率70%。地域コンサート会場、屋外→屋内ホールに変更の可能性あり》


 田中が紙を見て、肩をすくめる。「空が相手の時は、ベルの角度じゃ勝てん」

 石井(Tb)が指を鳴らす。「ほな屋内版の八分、作り直そうや。反響が増えるぶん、“細い線”から始めるのは同じでも、呼吸で間を一枚増やす」

 佐々木(Tb)がうなずく。「スライドは動くけど“動いてないように見せる”やつな」


 温也は譜面に小さく鉛筆で書き込む。

(音で挨拶→金管小編成→チューバとユーフォの芝生→トロンボーンの影、半音だけ濃く→点検講座ショートVer.→音で敬礼)

 郷子が横から覗き込み、「“影、半音だけ濃く”、分かる。やってみたい」


 先生がタクトケースを肩に掛けながら言う。

「ホールは響きが味方。けど、味方が強すぎると重たくなる。軽く、届くほうへ」


 “沈むサーブ会議”と、小さな衝突


 体育館では、村田がホワイトボードに**“沈むサーブ”**と書いて、マジックの蓋を歯で外した。

「仁保・湯田、二回戦の映像見たが、相手にとっていちばん嫌やったんは“先回り”や。そこで——」


 美琴が手を挙げる。「実況的には“湯田の沈み、宇宙規模”ってテロップが映えます」

「お前はいつも映えで生きとるな」

 ひろが笑って、泉へ一球トス。「グリップゆるめ/面ちょい被せ/“押す”じゃなく“落とす”。行こう」


 泉のサーブは、ふわり、そしてスッと落ちる——はずが、最初の十本は落ちすぎてネット。

「はい“地面さん、すみません”」

「いや、バドは地面に謝らんでええ!」(ベンチ総ツッコミ)


 十一本目、ようやく“テープ一枚の高さ”を越えてコトン。

 村田が頷く。「今のや。相手の時間を一瞬だけ奪うサーブ。名前つけるか?」

 泉が息を弾ませながら言う。「“すいませーんドロップ”」

 美琴「謝るの前提!」

 ひろが短く、「“ピース・ドロップ”」

 泉の目が丸くなる。(平和の羽、静かに落ちる、か)

「それ、ええ」


 練習の終わり際、ちいさな衝突が起きた。

 ローテの確認で、泉とひろの動線が斜めに重なる。ラケットのフレーム同士が「カンッ」と鳴り、泉がびくりと手を引いた。

 一瞬の沈黙。

(ごめん、の声が喉につかえる)

 ひろが先にラケットを下げ、目線を合わせる。「俺が“届くほう”を先に呼ばんかった。次は言う。」

 泉の胸のつっかえが、するりとほどけた。

「うちも“先回り”の声、出す」


 村田が二人の間にボールかごをコトンと置く。

「衝突は悪やない。合図の位置を見つけたら、チームになる」


 “屋内ホールの一秒”


 水曜、予報は当たり、会場は屋内ホールへ。

 ステージ袖に並ぶ金管のベルの輪。客席の赤い椅子に、町内の人、幼児、買い物袋を持ったままの人がぽつぽつ座っている。


「B♭——“おはよう”」

 最初の一秒。

 ホールの天井が、薄い絹の膜みたいに震えた。

(響きが返ってくる速度が、外と違う)

 郷子は返ってきた自分の音に、**半拍だけ“待つ”**を足す。

 木管のない金管だけの静けさは、意外なほど繊細で、意外なほど遠くまで滑っていく。


 中盤のショート版「金管点検講座」は、石井が一分半に圧縮して“友情が飛ぶ”の一言で切り上げ。

 笑いは軽く、短く、前に進む。


 最後の“音で敬礼”。

 田中の小さな合図。

 背筋が同じ高さに揃った瞬間、ホールの残響がぴたりと一本筋になる。

 終止。

 拍手の合間に、舞台監督が親指を立てた。


 袖で先生が囁く。「“音で握手”のあと、退場足音はそろえる。最後の最後まで演奏やけぇ」

 温也と郷子は視線を合わせ、靴裏の音までBPMを共有した。


 新人戦・予選ブロック決勝


 土曜の昼。第一中の体育館は、昼下がりの熱気と樹脂の匂いで満ちていた。

 掲示板の赤線は、仁保・湯田の名前をブロック決勝へ導いている。


「合図、3つ確認」村田が指を立てる。

「一、“届くほうへ”は前後。二、“先回り”は斜め。三、“ピース・ドロップ”は相手が浮いた時だけ」

 美琴がタブレットを持ちながら肩回し。「実況は“空いてる四角”を十回は言います」

「五回でええ」


 相手は二年の堅実ペア。ロングで押し、前で仕留める正統派。

 ――レディ、プレイ。


 1-1、2-2、3-3。

 均衡が続く。

 ひろのスマッシュが一本、甘くなり、相手にネット前で詰められる。3-4。

(焦るな。速さじゃない、位置や)

 泉は自分の足音を意識的に小さくする。床の木目を“踏む”のではなく“撫でる”。

 ひろが低く、「先、斜め」。

 泉は一瞬だけ斜め後ろへ“引き”、相手の視線から消える。

 戻ると同時に、空いた四角が見えた。4-4。


 6-6。

 マッチ終盤、相手が沈むショートで泉を前に縛る。

(ピース・ドロップ……行く? いや、ネットが高い)

 ひろの声が短い。「我慢、二拍」

 二拍のあと、相手が焦れて球を浮かす。

「今」

 泉のピース・ドロップがテープ一枚を越え、コトン。

 7-6。

 会場の空気が少し傾く。

 最後の一本。

 相手のロングに対し、ひろが深く高いクリアで時間を奪い、泉が前へ二歩、横へ半歩。

 届くほうへ。

 ネット前プッシュ——8-6。


「ゲーム、仁保・湯田!」

 握手のあと、二人は胸の前でラケットを交差させ、軽くコツン。

「合言葉」

「届くほうへ」


 “向かい”の凱旋と、猫の判定


 夕方の坂道を、汗の塩を浮かせたまま駆け下りる。

 湯田家の玄関が開く。

「ただいま!」

 瑞穂が笑う。「おかえり。勝った顔しとるやん」

 光がちゃぶ台の奥から手を振る。「ほら座れ。味噌汁が勝ちの塩分や」

 温也がタオルを首に掛け、「屋内版・音で敬礼、決まったで。動画、あとで見せる」

 泉が鞄からメダル代わりの出場証を振る。「ブロック決勝、突破。次は市の決勝トーナメント」


審判アンパイアは?」

「にゃ!」

 小町が椅子の脚に尻尾を一打。判定:うまいカツ丼希望。

 瑞穂が笑いながらエプロンの紐を結び直す。「ほな今夜はカツ丼やね。勝つ丼」

 光が小声で付け足す。「温也は皿洗いで勝つ丼や」

「はいはい、エロ温は働きますー」

 泉「減点、返上!」

「にゃ!」(認証)


 上田家の窓、緑の一枚


 上田家。ちゃぶ台の湯気の向こうで、望が新聞を置く。

「郷子、ホールはどうじゃった」

「一秒で“おはよう”言えた。最後は“握手”で終われた」

 桜が頷き、茶碗によそいながら言う。

「ええ日じゃ。おかわりが進む音しとる」

 郷子は笑って茶碗を差し出す。

 窓の外、向かいの湯田家の二階に、緑のタオルが干されている。

(明日も、同じ空気を吸う。道一本、行ったり来たり)


 “八分の外伝”と“即声の稽古”


 日曜の午前、金管は福祉会館のロビーでサプライズ・プチ演奏を頼まれた。

 持ち時間は三分。

 田中が瞬時に組む。「おはよう一秒→芝生十秒→影十秒→敬礼一秒。合間に“ありがとうございました”」

 佐々木が笑う。「一秒の握手、クセになるな」

 温也と郷子、影と芝生を最短距離で重ねる。

 三分のあと、ロビーの空気がほんの少しだけ澄んだ。

(短くても、届く)




 同時刻の体育館では、村田が**“即声”の練習を始めていた。

「ボール三球同時。ランダム。声が遅れたら一本没収」

 ひろ「前、任せた」

 泉「後ろ、お願い」

 ひろ「斜め、空ける」

 泉「逆斜め、埋める」

 テンポが上がるほど、声は短く、低く、芯で**。

 美琴がタブレットに“即声◎”のスタンプを連打して、村田に睨まれる。

「それはお前の練習やない」


 静かな夜、反響と呼吸


 湯田家の廊下。風呂上がり、窓辺に小町が座る。

 向かいの上田家の二階に、カーテンの隙。

 温也はタオルで髪を拭きながら、そっと手を上げた。

(口パク)“今日もおつかれ”

 郷子も笑って、唇を丸める。

(口パク)“あんたもやで”


 スマホが震える。

 《明日、屋外に戻るらしい。風、追い風小吉》(温也)

 《体育館は木の匂い大吉》(泉)

 《届くほうへ、先に呼ぶ》(ひろ)

 《音で敬礼、最後まで歩く》(郷子)


 四つの画面に、小さな既読が並ぶ。

 既読は、小さな握手だ。


 次の一週間へ——同じ言葉で、もう一段


 月曜の朝礼。校庭の桜は葉が強く、緑の影が増えた。

 先生の話が終わると、生活委員の合図で全校が一礼する。

 温也は思う。(音がなくても“音で敬礼”はできる)

 泉は思う。(シャトルがなくても“届くほうへ”は歩ける)


 放課後、それぞれの部室へ。

 ——音楽室では、「八分」の内側に一秒を足す話。

 ——体育館では、「即声」の語尾を一音短くする話。


 ドタバタも、ギャグも、緊張も、ちょっとした衝突も抱えたまま、

 合図は日に日に磨かれていく。


 最後に、小町が廊下の真ん中で「にゃ」と一声。

 判定:つづけ。


 そして週は、もう一段だけ前へ動き出した。







 トーナメント前夜—名札に“いずひろ”の文字


 体育館の長机に、村田がエントリー表を広げた。

 《山口市内トーナメント》


 ミックスD:仁保・湯田(=いずひろ/湯田仁保)


 女子D:湯田・香川(泉・真奈)


 男子D:仁保・白石(ひろ・颯)


 ほか出場:坂本・今井(男子D)/市川・藤田(男子D)/森田・新井(女子D)


「呼び名は“いずひろ”か“湯田仁保”。どっち呼ばれても、合図は一つや」

 村田が赤ペンを回して言う。

「最初の一本は挨拶。最後の一本は握手。“届くほうへ”と“先回り”を忘れるな」

 美琴がタブレットに“#いずひろ”と打ち込み、満足げにうなずいた。


 その夜。泉のスマホに通知が灯る。

 《吹奏楽部・地域ホール本番、明日11:30〜/バド会場、ミックス予選9:00〜》

 泉は眉を上げる。(ハシゴやん)

 ひろからすぐにメッセージ。

 《ミックス→女子→移動→合流。時間割は“声の扉”で開く》

 《了解。**出力7割・音速120%**で》

 《単位!》

 短いやり取りで、緊張に笑いが一さじ混ざった。


 朝の体育館—いずひろ、開幕の一本


「レディー、プレイ!」


 ミックス予選・第1試合


 **サーブ泉。**手の中で呼吸を一つ整え、ショートを“会釈”の角度で。

 相手の面が少し浮く。ひろ、前衛プッシュ。1-0。

 ベンチの村田が親指を立てる。「挨拶、よし」


 3-3で並ぶ。相手は前後の揺さぶりが巧い。

 ひろ:「先、斜め」

 泉は半歩“引き”→前へ二歩、横へ半歩。空いてる四角が開く。4-3。

 終盤、ピース・ドロップがテープ一枚を越え、7-5。

 マッチポイント。

 ひろのロングで時間を奪い、泉が前でコトン。

 8-5、いずひろ勝利。


「合言葉」

「届くほうへ」

 ラケットをコツン。会場のざわめきが少し柔らかくなる。


 女子ダブルス・予選


 相方の香川(真奈)が笑って肩を当てる。「“即声”は短く、低くね」

 泉:「前、任せて」

 真奈:「後ろ、預かった」

 ふたりの声は拍の裏で揃い、終盤にクロス前衛タッチが決まり8-6。

「いってらっしゃい。ホール」

 真奈に背中を押され、泉は上履きからスニーカーへ、タオルを肩に乗せて駆け出した。


 正午前のホール—“音で敬礼”、屋外版の軽さで


 舞台袖の時計は11:28。

 金管の円陣。田中が小さく手を上げる。

「B♭——おはよう」


 最初の一秒、客席の空気が一段薄くなる。

 中盤、石井の「金管点検講座・屋外版ショート」。

「友情、前へ。ベルは空へ。飛ばんでええのは宿題だけ」

 笑いが軽く走り、温也と郷子の影と芝生がその背後を支える。


 ラスト。

 先生の指先が静かに下りる。

 ——音で敬礼。

 終止。拍手の粒がステージに降る。

 袖で先生が囁く。「退場の足音もBPMで」


 袖を抜けた瞬間、泉からメッセージ。

 《間に合うかも。今、坂道ダッシュ》

 温也が打ち返す。

 《“音で敬礼”完了。追い風小吉、出しといた》


 午後の体育館—男子Dと、ミックス決勝T

 男子ダブルス・初戦(ひろ・颯)


 相手は守備が堅い。序盤2-4。

 ひろはドライブを一段低く、颯はストレートのブロックを増やす。

「先、斜め」——ひろの一言でローテが滑り、8-6でひっくり返す。


 ミックス決勝トーナメント1回戦いずひろ


 会場に息を切らした泉が滑り込む。髪を結び直し、ハイタッチ。

 ひろ「**“最初の一本=挨拶”**で落ち着こう」

 泉「最後の一本=握手で終わらせる」


 1-1、2-2、3-3。

 相手の男子がスマッシュ連打で押してくる。

 ひろ:「我慢、二拍」

 二拍ののち、相手が一球だけ甘くなる。

 泉のピース・ドロップがチュルン→コトン。

 ベンチがどよめく。

 8-6、勝利。

「届くほうへ」——ラケットをコツン。


 休憩の廊下—差し入れと判定


 廊下の端、小町の写真がスマホに届く。

 《審判アンパイア:にゃ(合格)/差し入れ:勝つ丼残りあり(瑞穂)》

 泉が笑う。「家族、でかい声援」

 ひろ「既読=小さな握手、やね」


 夕方の山場—二面進行

 女子ダブルス・準決


 真奈「前、任せて」

 泉「後ろ、お願い」

 即声が拍の裏を走り、7-7のデュースで逆クロス前衛タッチ。

 9-7。決勝へ。


 ミックス準決


 相手はヘアピン→プッシュの速い展開。

 泉の足が一瞬もつれる。(朝の疲れ、来た)

 ひろの声が芯で届く。「届くほうへ、半歩」

 半歩“引き”、先回りで空いてる四角が開く。

 8-6。決勝へ。


 ファイナル—言葉が先、身体があと

 女子ダブルス決勝


 相手は中ロングで押して前で仕留めるタイプ。

 5-5。

 泉のピース・ドロップが一度ネットに嫌われ、5-6。

 真奈「声、先」

 泉「前、任せて」

 真奈の速いドライブで相手を上に釣り、泉が前でプッシュ。

 7-6、8-6。優勝。

 抱き合う二人の肩に、木の床の汗の匂いがひんやり残る。


 ミックス決勝


 会場が少し静かになる。

 ひろ「最初=挨拶」

 泉「最後=握手」


 6-6。

 相手男子のエース級スマッシュがライン際へ突き刺さる。6-7。

(ここで力むのが、一番の負け筋)

 ひろ「我慢、二拍。先、斜め。」

 二拍のあと、相手の読みが前に寄る。

 泉は半歩だけ引き、ネット前で面を少し被せ――ピース・ドロップ。

 7-7。

 最後の一本。

 ひろのロングで時間を奪い、泉が前へ二歩、横へ半歩。

「届くほうへ」

 コトン。

 8-7。

 会場がほどける。

「ゲーム、仁保・湯田!」

 いずひろ(湯田仁保)、ミックス優勝。


 夜—二軒の食卓、道一本


 湯田家。

 瑞穂が笑って丼を並べる。「勝つ丼、おかわりあるで」

 光が箸を置いて言う。「合図、うまいこといっとったな」

 温也がタオルを回しながら胸を張る。

「こっちも音で敬礼、拍手“二回ぶん”取ったで」

 泉が親指を立てる。「二つで一日、完走」

 小町が椅子の下で尻尾を一打。判定:祝。


 上田家。

 望が茶碗を差し出す。「“おはよう一秒/握手一秒”、ええ言葉じゃ」

 桜が湯気越しに微笑む。「続きはまた明日。おかわり、行きんさい」


 窓ごしに手を振る。

 道一本を挟んで、「届くほうへ」と「音で敬礼」が、夜風に乗って往復する。

 桜はもう青が勝ち、影が濃くなっていく。

 それでも彼らの中で、春は延長戦に入ったばかりだ。


 ——最初の一秒で挨拶。

 ——最後の一秒で握手。

 そのあいだを、笑いと汗と小さな影で、丁寧に塗っていく。




 湯気の白がまだ肩にまとわりついている。

 郷子はバスタオルで髪をざっくり拭き、布団の端に腰を下ろした。

(はぁ……今日は、やり切った)

 胸の奥でひとつだけ深呼吸してから、スマホの通話ボタンを押す。


「もしもし、温也? 今、風呂上がりなんじゃけど」

『お、郷子? 俺は今、授業の復習しとったとこや。……お疲れさん、今日はよう頑張ったなぁ』

「そっちもな。音で敬礼、よう決まっとったよ。入ってくる音が、すーっと真ん中通ってきた」

『へへ。郷子の“影”、きれいやったで。ああいうの、芝生が喜ぶやつや』

「やめぇや、比喩が草むら寄りなんよ」

 二人で、ふっと笑う。笑い声の向こうから、小さく「にゃ」と聞こえた。

『あ、**審判アンパイア**もここにおる。小町、判定どうや?』

「にゃ(合格)」

「アンパイア、ありがとね」


『そういやな、泉もやったで。ミックスと女子ダブルス、両方優勝や。汗で前髪くっつけて、ドヤ顔しとる』

「ほんま!? おめでとう言いたいわ。呼べる?」

『いけるいける。ちょい待ってな、スピーカーにするわ——おーい泉! 郷子からやや!』


 廊下を走る足音、ドアがコトン。

「もしもーし! いず入りましたー!」(息が少し弾んでいる)

「泉ちゃん。優勝おめでとう。ミックスも女子もじゃろ? やるねぇ」

「ありがと〜! こっちはこっちで**“届くほうへ”が決まりまくってさ。最後の一本、ひろのロングからのうちのピース・ドロップで“チュルン→コトン”。会場、どよめいたで」

『どよめいたいうか、美琴が一番どよめいとったけどな。“空いてる四角ぅ〜!”って』

「言いそう…」

 泉がふふ、と笑ってから、すぐ真面目な声になる。

「郷子さんのホール本番**も動画見た。最初の一秒の“おはよう”、鳥肌やった。最後の“音で握手”で、なんか胸ん中あったかくなった」

「嬉しいこと言うてくれるねぇ。ほいじゃ、交換条件。泉ちゃんも明日の決勝トーナメント、一本目は“挨拶”、最後は“握手”で締めんさい」

『ほら出た、うちの先生モード』

「先生やない、向かいのご縁モード」


「向かいのご縁、最高~」と泉がのびをする気配。

『ほな、明日の段取り、ここで共有しとこか。即声は短く低く、語尾は一音削る。サーブは“ピース・ドロップ”見せびらかさん、要所に一回だけ』

「了解。あ、うち、靴ひも二回結ぶ。今日は一回踏みそうなったけん」

『学習えらい。小町、靴ひも判定は?』

「にゃ(注意)」

「厳し目〜!」


 一拍、静けさ。

 温也が少しだけ声を落とす。

『なぁ、郷子。……今日さ、袖ん中でふっと思たんや。音がなくても“音で敬礼”ってできるんやなって』

「分かる。うちも同じこと、朝礼の時に思うた。シャトルがなくても“届くほうへ”は歩けるって」

『ほらな、言うと思たわ。……せやし、明日もそれで行こ。言葉が先、身体があとでええ』

「うん。言葉が先、身体があと」


 泉が小さく咳払いする。

「えっと……あのさ。うちさ、明日のコート入るとき、合図ひとつ増やしてええ?」

『どんなん?』

「“先にありがとう”。心の中でだけ言う。最初の一本の前に」

 郷子は思わず笑ってしまい、すぐに頷いた。

「ええやん、それ。うちも最初の一秒の前に、心の中で“先にありがとう”。合わせよ」

『決まりやな。“先にありがとう”——ええ合図や』


 小町が受話口のどこかで、尻尾を一打。

「にゃ(採択)」


「ほいじゃ、そろそろ寝んと、声が遅刻するけぇ」

『せやな。BPM=80で寝落ちや』

「単位!」と泉。

 三人同時に笑って、笑いがそのまま、今日一日の余韻をやさしく包む。


「じゃあ、合言葉」

『いくで』

「せーの」

 三人「届くほうへ」


 通話を切る直前、郷子がそっと付け加えた。

「……おやすみ、温也。泉ちゃん、おやすみ」

『おやすみ、郷子』

「おやすみ、郷子さん」


 画面が暗くなる。

 窓の向こう、道一本挟んだ二階に、同じタイミングで一つ、また一つと灯りが落ちていく。

 郷子は布団に滑り込み、胸の中で小さくつぶやいた。

(先にありがとう。そして、明日も——)


 ——最初の一秒で挨拶。

 ——最後の一秒で握手。

 そのあいだを、言葉が先に走り、身体がやさしく追いかけていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ