古い魔術
「ルシエル様が、怪盗?」
唐突とも呼べるその発言を聞いて、私はスプーンをテーブルに置くと、ルシエル様の方を見た。どことなく元気のない師匠は、古傷のある額を抑えて、考え込んでいる。
「額に傷があり、容姿は私と変わらない。魔術士ではなく、怪盗と名乗っているだけなんだろう?」
「そういう噂ですが、ルシエル様は違うと仰ったじゃないですか」
ルシエル様はちらりと私に目を合わせると、すぐに伏せがちになり、いつもの師匠らしくない影を帯びた表情である。
「記憶なく、私が夜間に動いているという可能性はないか?」
「え?」
突拍子もないことに聞こえるが、ルシエル様にはそんな心当たりがあるのだろうか。ルシエル様は、私の考え及ばないところで悩み、行動しているところがあるので、安易に決めつけることは出来ない。そして、追及すると拗ねてしまうことも最近では見られる為、見定めが必要である。
「……スタリーで、何がしたいのだろうな」
「怪盗、ですか?」
「いや、私が」
「……ルシエル様」
私は間をおいて、ルシエル様をじっと見据えた。先ほどまでは、「怪盗」という存在を興味本位でした見ていなかったはずなのに、今ではどうだ。自身を疑い始めている。その理由、そう思うところがあるのだろうか。
しかし、ルシエル様は確かに昨晩任務で此処とは遠い地方へ派遣されていた。スタリーにて怪盗をすることは、物理的には不可能である。
(いや、本当に不可能か?)
ルシエル様には、「転移」という魔術がある。瞬時に別の場所へと移動してしまう、最高難度の魔術である。それを使えば、遠く離れた地から、スタリーへ戻るのも一瞬で出来てしまう。
物理的には可能。それならば、「理由」は何だろうか。ルシエル様が怪盗になって、何かメリットでもあるのだろうか。
「今、悩んでも仕方がないか」
ルシエル様は、自身で悩みを打ち切った。完全に蚊帳の外へ出したようでもなくて、まだ、迷いはあるように見えるが、食べかけだった夕食に、再び手を伸ばし始めた。それを見て、私もスプーンを持って、シチューを食べ始める。やや、冷めている。
「明日、昼までにはスタリーへ行く」
「はい」
「そこで、ハッキリするだろう」
「そうですね」
同意するほかない。
私は、ルシエル様が今、何を考えながらパンを口に頬張っているのかを考えながら、食事を終えた。
「後片づけは、私がしますよ」
「あぁ、頼む」
ルシエル様は、皿だけキッチンに運ぶと、洗いものは私に任せた。その間に、定位置とも呼べる机に座ると、どっさり山積みとなっている書物を広げ、黙読しはじめた。何かを探しながら目を通しているように見えるが、実際のところは分からない。私は、慣れた手つきで皿洗いを始める。シャツの袖はまくって、スポンジを石鹸で泡立ててから、バターでべとついた皿の汚れを落としていく。石鹸は、ルシエル様が手作りしているものである。ルシエル様は、本当に何でも自分で作ることを好むもので、パンも小麦づくりからはじめるほどの徹底ぶりだ。
皿と飲み物のカップを泡まみれにすると、水道の蛇口をひねって水を少量出した。そして、泡を洗い落とす。
「カガリ」
「はい?」
ルシエル様が、所定位置に腰を下ろしたまま、私を呼んだ。皿の水を切って、手拭いで水気をふき取っているところだったので、それを置くと私はルシエル様のところへ向かった。
ルシエル様は、分厚い何百……いや、数千ページほどありそうな古文書を開いて、私の顔を見た。
「これ、どう思う?」
「これ……とは?」
ルシエル様が指示した文面に目を向ける。どうやら、この本は魔術書のようで、私には読み取ることが出来ない。特殊な文字なのか、これが「魔術」の構成なのか。魔術士は、力を扱うのに勉強や練習が必要だと聞いたが、こういうものを読み解く能力があって、はじめて具現化するのかと思うと、レイアスも単なる威張り屋ではないと、思えてしまう。
「このページには、古い魔術が描かれているんだ」
「魔術に新しいも古いもあるのですか?」
「あるよ」
ルシエル様は、右手の人差し指を立てた。そして、くるりと円を描く。すると、小さなつむじ風が起きた。
「これが、古い魔術」
「は?」
「魔術の発生方法だとか、構図だとか。少しずつ、進化しているんだ。今のこの風は、ほんのわずかに空気を揺らす程度しかない、魔術と呼ぶにはあまりにも拙いものだ。これを進化させ、応用させると宙を舞うことも可能になるはずだと、私は計算している」
「はぁ」
魔術士ではない私には、あまり実感がわかない話だ。とりあえず、ひとが宙を舞う姿は、今のところ見たことがない。ルシエル様も、「転移」なんていう神業は披露しているが、空を飛んだことはない……と、思う。まだ、試していないのか。それとも、計算上の話で実際には不可能なのか。
「変わり身の術なんていうものが、存在していた」
「……?」
私が眉を寄せると、ルシエル様は口角をあげて書物に視線を移した。
「夢遊病だとか、白昼夢だとか。そういうものも考えた。しかし、どうもしっくりこなかった」
「……は?」
何を言っているのか、私は頭の中で整理しようとした。しかし、思考が追いつく前にルシエル様は言葉を続ける。
「私は魔術士だ。病人ではない。心労にて症状が出たと考えるよりは、魔術を使って何かをしでかしたと考える方が普通だと思いはじめた」
「変わり身の術なんて、会得していたのですか? そもそも、どのような術なんです?」
ルシエル様は、にっこりと口元に笑みを浮かべると、手を組んで私に視線を送った。
「会得した自覚は無かった。でも、私にならこれくらいの術なら編めるよ」
「自信家ですね」
「過信はしていないよ」
ルシエル様は、何かを納得されたようで、本をパタンと閉じた。私にこの魔術文書を見せたところで、意味はなさないということを悟られたのかもしれない。事実、そうである。
「明日、十時に私の部屋に来なさい。スタリーへ行くよ」
「怪盗が現れるのは、夜なんでしょう? 昼までに行っても、仕方がないのではないでしょうか?」
「それは、行ってみてから考えよう」
「……わかりました」
私は一礼すると、ルシエル様の部屋を後にした。ルシエル様は、何かを試そうとしているのだと、なんとなしに感じ取った。




