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溜息の意味

 風呂を上がり、脱衣所で身体についた水滴をタオルで拭くと、ルシエル様が用意してくださった簡易のシャツに腕を通した。長袖の白いシャツで、ズボンは焦げ茶色のものが置いてあった。私が愛用しているものと、同じである。ルシエル様からよく、頂いて穿いているため、同じものが用意されることは、何ら不思議なことではない。サイズもちょうどよい。

「あぁ、上がったかい?」

「はい」

広間に戻ると、シチューの良い香りが広がっていた。ローリエやコショウなどの、香つけと濃厚で質のよいミルクが相性よく混ざっている様子だ。

「もうじき出来るから、席についていなさい」

「何か手伝います」

私は座らず、キッチンの方へ向かった。ルシエル様は白いエプロンを身にまとって、グツグツと沸騰する鍋をかき混ぜている。妙なのは、右手でかき混ぜながら、左手には包丁を持っているところだ。

「包丁では、何を?」

「サラダを作ろうかと思って。キュウリくらいなら、切れるよ」

「両手で違う作業をすることはないでしょう?」

内心で、どこでそんな神業を身に着けてくるんだろうと、私は思っていた。ルシエル様は、まさに「魔法使い」みたいで、不可能なことなんて無いように思える。いや、事実不可能なことなんて、ないのだろう。それこそ、不老不死だと言われても、驚けない。

「キュウリですね? 私が切ります」

「……お前が?」

ルシエル様は、お玉を止めて私の顔を見た。キュウリを持っている私と、包丁を持つ師匠。

「野菜くらい切れますよ? 私、独り身なんですから。身の回りのことは出来ます」

「でも、私がやったほうが早いし……」

「早いし?」

「出来栄えもよい」

ルシエル様は、完璧主義だった。しかし、完璧すぎて人を頼らないところがある。ルシエル様もまた、独り身だからこその、生活力というものがあるけれども、だからといって、ここまで信頼されていないというのも、悲しい。私はキュウリに視線を落とし、どうするべきかと考えた。

「ルシエル様……出来すぎると、やっかみを受けますよ」

「別に構わないよ。怖くないから……だけど、やりすぎなのかもしれないね」

そういうと、ルシエル様は私に包丁を渡してきた。こんなにもあっさりと、私の言及に従うことは珍しい。いつでも、割と我を通すお人だった。


 率直に、何かあったのだと感じ取った。


 ただ、そのことについて触れてもいいのか、判断に迷う。


「……はぁ」

「な、なんです? 溜息まで吐いちゃって。ルシエル様、おかしいですよ? お湯、まだたくさんありますから、先にお風呂へ入ったらどうです?」

ルシエル様には、私の言葉が聞こえていなかった。ルシエル様は目を閉じ、頭を抱えていた。この、ほんの少しの時間で何をそんなにも憂鬱に思うことがあったのだろうかと、私までもが悩みはじめた。

「コショウには、黒コショウというものがあるそうだよ」

「は?」

「シチューにはきっと、そっちの方が合うんだろうね」

「……それを、悩んでいたんですか?」

「悩み?」

ルシエル様は、不思議そうな顔で私を見た。レシピ本なんてなくて、ルシエル様は自分の頭の中で味を想像して、料理をする。

「別に、悩んでいないよ」

「そうですか」

悩むだけ無駄だったと、私は肩を落としながら包丁を受け取ってキュウリを輪切りにしはじめた。剣やナイフなどの扱いには、さすがに慣れている。もう、この城へ来て二十年になるのだ。剣士歴二十年ということだ。

「ルシエル様。かき混ぜないと、焦げますよ」

「そうだね。もう、火を止めようか」

コンロの火を止めると、ルシエル様はなおも憂いの面持ちでため息を繰り返す。妙なところにこだわりを持つということは、これまでの付き合いから知っていた。しかし、たかがコショウくらいで、こうもこころを乱されるものなのだろうかと、私は眉を寄せながらキュウリを切り終えた。

 ルシエル様の返答を待たず、冷蔵庫からトマトを出すと、それも切りそろえる。ルシエル様は、凡人の私では考えが及ばないほどの天才だった。変なこだわりも、今にはじまったことではないと、思い直せば私はいつも通りの思考を取り戻せた。

「シチューとサラダ。パンは買ってあるから、あとは飲み物だね。カガリ、コーヒーでいいかな?」

「はい」

「クリームシチューでも、ミルクを多めに入れるのかい?」

ルシエル様は、カップにインスタントコーヒーの粉を入れていた。豆から淹れるときもあるけど、それは優雅な休日の過ごし方で、こういう日常ではルシエル様は高級志向ではなかった。そういうところも、私は好きだった。

「さぁ、準備は出来た。カガリ、座りなさい」

椅子に腰を掛けると、ルシエル様が食事を運んで並べてくださった。スプーンもフォークもピカピカに磨かれている。潔癖症という訳ではないが、綺麗好きであることは間違いない。

「パンは焼くだろう?」

「ルシエル様は、生のままがお好きなんですよね」

「私の好みを把握しているのは、お前くらいだな……カガリ」

どこか嬉しそうにしているのが伝わってきた。ほんのちょっとしたことが、ルシエル様にとっては特別なことへと変わるのかもしれないと感じた。

 ルシエル様は、小麦を練って作られた固めのパンをナイフで切り分けると、半分を皿に並べた。そして、パチンと指を鳴らして見せた。空気を振動させ、魔術を起こしたのだ。その瞬間に、パンがこんがりと焼きあがった。

「感謝をこめ……いただきます」

「いただきます」

ルシエル様の祈りを聞き、反芻すると私はルシエル様より先にシチューやサラダに手を付けた。ルシエル様は、まずは相手が一通り食べるのを観察する癖があった。相手に毒見をさせているのかとはじめは思ったけれども、実は、単に料理を美味しそうに食べるひとを見ることが好きなだけだということが、最近になって判明している。

「美味しいですよ、ルシエル様。コショウにこだわることないのではないでしょうか」

「そうかな? でも、確かに美味しい……」

ルシエル様は、スプーンをことんとテーブルに置いた。気落ちしているようにうかがえて仕方がない。

「さっきから、変ですよ。ルシエル様は何か私に隠し事でもされているのですか?」

「スタリーの怪盗のことを、考えているんだ」

「……何か、問題が?」

「問題はあるだろう? だからお前は、私のところへ飛んできた」

「でも、ルシエル様はまともに取り合わなかったじゃないですか。今更、何か事態の変動でもあったのですか?」

ルシエル様は、目を伏せた。静かに目を閉じ、手を組む。集中して魔術の構成を編むときのポージングだった。

(何かを覗き見しているんだ)

私はすぐに悟った。そして、それがきっとスタリーの街のことなのだろうということも、想像がついた。

 黙っていても居心地が悪いし、シチューは冷める。私は止めていた手を再び動かし、スプーンにシチューを掬って、食べはじめた。魔術によって焼かれたパンには、バターを塗って食する。やや香ばしい風味が口の中に広がった。

 私が食事の概ねを終えると、ルシエル様は組んでいた手を解いて、目を開けた。まるで、この瞬間を見計らっていたかのように。

「怪盗の正体は、私なのかもしれない」

「え?」

ルシエル様の唐突の発言に、私は目を丸くした。



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