クロエモ
姫野ミラと入谷つばめはサイゼリ庵を爆破した罪で感情警察に逮捕された。
囚人服に着替えさせられ、手枷と足枷まで嵌められ、一夜を冷たい獄中で過ごした。
「つばめはともかく、なんでわたしが?」
隣り合わせの牢獄に収監されたミラが憤った。
脱走でもしようとしているのか、残飯みたいな夕食に付いていたスプーンでかりかりと穴を掘っているらしい。あからさまに脱獄してやんよ、という雰囲気がまずもってうるさい。
つばめは掘った穴から出た砂を大雑把に看守に向かって投げ捨てた。
「ふう、今日はここまでにしてやるか」
誰の目にも明らかな脱獄パフォーマンスになんの意味があるのか、よく分からない。
当直の看守はつばめの無駄な努力をニヤつきながら眺めていた。
「脱獄は囚人の夢だな。せいぜい頑張りな」
おいおい、看守が脱獄を応援していいのか。
ありとあらゆることが感情で動くミラージュ世界では、脱獄さえも感情資源に過ぎないのだろうか。つくづく無秩序な世界に「法律って大事だな」という気付きを得た。
火を点けた張本人であるつばめはともかく、ただ巻き込まれただけのミラも逮捕されたことに納得がいかない。あまりにも理不尽な扱いではないか。
ミラは怒りを覚えたが、感情資源を溜めるはずの右肩はちっとも膨らまなかった。
エモ騎士のレイが姿を眩ませてからというもの、右肩にさっぱり膨らみを感じない。
「わたし、感情を失っちゃったの?」
ミラは感情を失ったエモ騎士ならぬ、感情を失った芋になってしまったのだろうか。
牢屋で鬱々と物思いに耽っていると、代理人弁護士ナギが姿を現した。
「ナギ様っ!」
「公式な接見が認められなかったため、このままお伝えします」
牢屋の鉄柵越しに淡々とした声が響いた。
「幸いにも炎上被害者に健康被害などはなく、店舗と調理機器が焼失したのみの比較的軽微な被害に収まりましたが、避難に際して強い恐怖心を覚えた炎上被害者たちの処罰感情はたいへんに強く、大賢者監理官口座からの補填は叶いませんでした。許し難い感情犯罪を犯した両名の感情労働による返済しか認めない、というのが被害者の会の主旨です」
「待ってください。わたし、共犯なんですか」
ミラが鉄柵を掴んで必死に反論するが、ナギは事務的に続けた。
「お二人の罪状は公然炎上罪、黒い感情開陳罪、並びに嫉妬心煽情罪となります。姫野ミラ氏はビジュ完璧なエモ騎士に愛されるばかりでなく、感情教会国家エモナージュの姉妹神に寵愛を受け、挙句調子に乗って薄い本並びに鈍器本まで頒布してしまう厚顔無恥ぶり。どこまでも持て囃された芋を煽りたい黒い感情が芽生えたこと、また、激しい嫉妬を掻き立てる存在であることも等しく罪であるため、姫野ミラ、入谷つばめの両名は共犯としてエモ借金を負う、というのが炎上被害者の会の結論です」
言いがかりにも程がある。まずもって薄い本頒布の首謀者ではない。
「わたし、売り子をしただけですけど。頒布を手伝っただけです」
「その点に関しましては情状酌量の余地があります」
「嫉妬心を煽った罪? なんですか、それ。めっちゃ感情論じゃないですか」
どこまでも感情論が幅を利かせており、ミラはがっくりと項垂れた。
「そうです。この世界はどこまでも感情で動いているのです」
ナギの冷徹な物言いには、ちっとも感情が揺らいだ部分が見えなかった。
「店舗被害に対する賠償、休業に対する補填、炎上被害者の会への賠償、併せましてエモ金貨300枚相当の借金となりました。姫野ミラ氏は入谷つばめ氏の連帯保証人として先述の感情借金を負うことをご報告申し上げます」
エモ金貨300枚――現実の世界に換算すると、およそ三億円の借金。
そればかりか、入谷つばめの連帯保証人。
さすがに理解が追いつかず、ミラはすっかり頭の中が真っ白になった。
一方のつばめは丸っきり他人事のようだった。
「やべえ、なにそれ。自己破産ってできんの」
「自己都合での破産は出来ません。借金が完済されるまで強制的に感情労働に従事していただきます」
「その理屈で言うと、私は感情を損ねたって被害をでっち上げて、加害者を強制的に労働に従事させられるんじゃないの。それって被害を訴えた勝ちってことじゃん」
「そのような側面がないとは申しません。しかし、状況に妥当する正当な感情でないと判断されれば、その限りではありません」
「ふーん。なんでもかんでも感情で動くのに、抱いちゃならない感情もあるのね」
黒い感情――略して、クロエモ。
公の場では、抱いてはならないとされる禁忌の感情。
「執着、復讐、狂愛などの《禁じられた感情》、それを原料とした《黒い感情》、今回の炎上被害者が抱いた感情はいずれでもないと判定されました」
「へー、嫉妬はキンログじゃないの。あたしは姫への嫉妬心から火を点けたのが罰されて、姫に嫉妬心を抱いた有象無象は罪に問われない。それって、二重基準じゃね」
なんとも言えない微妙な間があり、ナギはそれ以上の議論を避けた。
「不服でしたら、感情陪審員を相手にした感情法廷で自己弁護為されるのがよろしいかと」
「いいよ。なんかメンドそーだし」
人生が詰んだような状況であるのに、つばめはやけに楽しそうだった。
「つばめ、あんた狂ってんじゃないの」
「だって、姫の肩、感情が溜まったら膨らむんでしょ。そんでエモ金貨に転換できるんでしょ。やべえ、連帯保証人になっちゃったってビビりまくったら、感情資源がたっぷり溜まって、楽勝で借金返せるんじゃねーの」
つばめはどこまでも楽観的だが、見通しが甘いにも程がある。
「ばーか。わたしを頼るな。さっきからぜんぜん肩が膨らまないだよ」
「……へ? 《バグった右肩》がバグったの?」
ミラが曖昧に頷く。
「そうっぽい」
「なに、それ。役立たずじゃん」
つばめに蔑まれたが、いったい誰のせいだと思っているのだろうか。
大賢者監理官ナギがちらりとステータス画面に視線をくれた。
この世界を修正する《バグ修復士》のお役目こそ剥奪されなかったが、所持エモリウム欄の脇に、赤字で「感情借金」なる項目が追加された。
感情借金――エモ金貨300枚
金貨30枚を稼ぐのに、隣にレイがいた状態で、ミラは二年間不眠不休で薄い本の売り子に徹した。その伝からすると、二十年間ひたすら売り子をして、ようやく借金を返済できるという計算になる途方もなさだった。
大賢者監理官ナギが主観的な体感時間を早めるよう操作してくれたから、体感としては二年間も労働していたようには感じなかったが、今回は状況が違う。
まず、レイがいない。
その上、感情資源を溜め込む右肩がちっとも膨らまない。
ある種、反則のようなエモ金貨の精製が望めないとなれば、借金は永遠に返し終わらないだろう。
「釈放だ。出ろ」
多額のエモ借金を負ったミラは牢獄から解放されたが、気分はちっとも晴れなかった。
ステータス画面がお約束のように新たな称号を授けた。
――《|連帯保証が重た過ぎる女》
「いやあ、娑婆の空気は美味しいのう」
呑気に息を吸って吐いている眼帯美少女に対して、むくむくと黒い感情が湧いた。
心の奥底から、ぬるりとしたものが湧き上がった。それが黒い感情だとすぐに分かった。右肩の膨らみとは無関係なドロドロとした怒りの塊が沈殿する。
ヘドロみたいに粘ついた感情の行き場がなく、所在のない感情はどこに流れるのだろう。
ミラは晴れ晴れした笑みのつばめを睨みつけた。
黒い感情開陳罪で逮捕される危険性があるので、口にこそしないが、内心では口汚く殺意をぶちまけた。
連帯保証人、誰のせいだと思ってるんだよ。
てめえのせいだよ、入谷つばめ。




