15.氷を溶かすひと
セラフの放った氷魔術は、宿の中庭に張った結界の中を氷で埋め尽くした。
「ストレージ!」
と叫んでも、上級レベルの魔法は発動せず、氷は消えてくれない。
まあ、ダメ元だったが。
現時点で、俺は魔術師としては中級レベルか。
セラフは氷の中央でニコニコとしており、くるくる躍りながら、手のひらから無詠唱で微細な雪を出して遊んでいる。
彼女は大丈夫そうだ。
規格外な魔法の威力を除けば、順調とさえ言えよう。
隣では、アロニアが小さな炎を呼び出して、暖を取りはじめた。
仕方ない。俺もちょっと炎で溶かすか。
と思ったちょうどその時。
「おや、ド派手にやったなあ~!」
ミラビリスの登場である。
「もしかして、氷を消すのに困っている? それとも、結界を消すほうに困っているかな?」
「氷の処理のほうですね」
「うむ。こんな街中では、火炎放射するほうが危ないだろう……そんな時に、我が必要だろう」
「反射スキルか?」
前に馬車で抗戦していた時に、恐らくミラビリスが使っていたであろう技が「反射」だ。
本人はあまり他人に見られたくないみたいで、たまに剣技に併用していた。
ミラビリスは俺は秘密を知っているぞ発言にはスルーしてきたが、
「いや、今回は、吸収を使う」
と、あっさりと返してきた。
「だが、怜樹殿、あなたがこの技を使ったと見せかけても良いだろうか?」
「あくまでも秘密にしたいのか?」
「あなたの収納魔法に収納したことにしておいて」
「俺もそれをしたかったが、どうも冷たいものを収納するのは……」
「我なら、お腹を冷やすなんてことはない」
「では、俺は『収納!』って唱えてみるから、それと同時に『吸収』してみて」
「そうしよう!」
「ストレージ!」
なんとミラビリスも無詠唱。わかっちゃいたけど。
しかも俺の出した行き場のない魔力まで吸われた……。
それにしても、目の前の氷塊がみるみる消えていく。
「セラフの魔法も規格外だと思っていたけど……こりゃ、どえらいものを見てしまったな……」
「ふっ、我の秘密だ……」
本人は「秘密、秘密」と言っているけど、これだけたくさん吸えるのなら、ほぼ無敵では? なんて思えた。
「本当は悪目立ちしたくないだけでしょう? ところで、お腹はいっぱいにならないの?」
「余分な魔力は、我が消費した自分の魔力と体力面での回復に使われる。まあ、疲労や怪我も治っちゃったりするけど」
「それ、自分専用の治癒魔法みたいじゃあないか……改めて、すごいな」
「いや、そんな我でも、怜樹殿のような人を癒せる力はない。だからこそ、我はあなたが羨ましいんだ」
「照れる……」
あっ。
俺は思い出した。
「ミラビリス殿、渡したいものがあるんだ。後で、ちょっと……」
「ん? 面白いものか?」
「うん、役に立てばと思って……」
実はアロニアには言っていない。
俺が個人的にミラビリスに買って渡すのだ。
「じゃあ、ちょっと期待しておこうかな」
「ああ」
アロニアはセラフの身体に異常がないかを確かめている。
「うん、問題なし! むしろ、魔力の放出する経路ができたから、万々歳!」
「私も、氷を出す時、気持ち良かった~! ますたぁ、ミラビリスさん、片付けてくれて、ありがとう!」
「そろそろ『ますたぁ』呼びはやめてくれよなあ~」
俺は気恥ずかしくなって、頭をかきながら言った。
「じゃあ、怜樹お兄ちゃん~!」
ドキッとした。
「それ良いかも……」
確か姪っ子にもそう呼ばれていたっけ。
◆
宿に付いている酒場に行く前に、ミラビリスの部屋で待ち合わせした。
なお彼女の部屋は角部屋で、いわゆるスイートルームだ。
「おっ、すげえ」
「従兄が借りてくれててな。無駄に広くて使いきれないんだ」
私室に呼ばれた気分で、気恥ずかしい。
なお、ミラビリスは私物はすっきりと片付けるタイプらしい。
「ほら、こっちなんか応接室もある」
「うわあ……」
それ以上の声も出ない。さすが貴族様ってところだ。
まあ、ミラビリス本人は気さくなので、貴族らしさは感じにくいが。
「あのさ、ミラビリス……いつも、セラフに良くしてくれてありがとう」
「うん?」
「だからさ……これ」
市場で買ったかんざしを手渡した。
「え……もらって、いいの?」
「セラフに髪留めをあげちゃってから、ずっとミラビリスが髪を留めてなかったのが、気になってさ……」
「よくそんなとこまで覚えてたね」
「まあ、な……。剣を振るう時は、まとめたほうが邪魔じゃないだろ?」
「うん……よく気づいてくれたね。ありがとう!」
なぜか2人きりのの密室で、甘い湿った空気が漂う。
え、そんな展開?
そんな展開ってことでいいのかな?
なぜかミラビリスが、俺の頬に触れると、首に抱きついてきた。
「お……」
彼女が鎧かたびらを着込んでいないことに気づいてしまった。
柔らかい胸が否応なく俺にあたって、それでも、さらに、強く抱きしめられた。
「あの……?」
俺のほうが少しだけ背が高いのだが、俺の肩に顔を埋めたミラビリスが、まるで泣くのをこらえているみたいに見える。
泣かせるために、胸を貸すつもりでいようか……?
「怜樹……」
「ん?」
「いい匂いがするな……」
あ、温泉の匂いかな……?
よく洗っておいて良かった。
「ちょっと体を貸してくれ」
「どうぞ……俺を、好きにしてください?」
「ん、じゃあ、寝台へ行こうか……」
「時間は大丈夫なの?」
誰か待たせてないの?
俺たち、夕飯すらまだだし。
抱きあったまま寝台に行き、俺は寝台の上に押し倒された。
いちおうミラビリスは騎士なので、並みの男以上の腕力がある。
服を脱がされた。
ああ……。
至福の眺めだ、ミラビリスも自分の衣服を脱ごうとしている。
「だ、大丈夫なの? この世界は……避妊とか……?」
「ん? 女に妊娠を選ぶ権利があるのよ? 大丈夫だから」
「いや、それ大丈夫じゃないやつじゃん……俺、また国を出るかもしれないって話だったじゃないか……?」
「そう。だからこそ、安心できる相手なの」
「あの。そういうことは……もっと真面目に恋愛してから、で、ないと?」
「我ももう良い歳なのだ。なのにこの身分と、それに見合わない混血だから、嫁の行き先も、決まった相手もいない。だが、この世は、いや我が戦いに身を置く騎士だからこそ、いつ死ぬかわからない。このまま、ずっと、処女なのは嫌なのだ」
「え……処女……なのに?」
「あなたみたいな男が良いのだ」
「俺なんか選ばれるべき男じゃないぞ?」
「そんなことを言っている割には、体が反応しているじゃないか?」
「しょうがないだろ……」
あ、なぜかアロニアの顔が俺の脳裏をよぎってしまった。
なんでかな……。
いつもアロニアに触れて魔力を分けているせいかな……?
「怜樹よ、今、アロニアのことを考えていただろう?」
ギクリ。
「そんなこと、ない」
アロニアの時はここまで行って、寝ちゃったんだっけ。
それに、彼女は俺の親友の記憶を持っているから、そもそも恋心が芽生えにくいし。
「はあ……」
ミラビリスが俺の心を読みとったように、ため息をついた。
「ここまでしても、なびかないとは……」
下着姿のミラビリスは、身を起こし、隣に座った。
俺もちょっと気まずいが、隣に座り直す。
ミラビリスでだって、俺は抜けるのに。
いざ実物を目にして、触れたら、体は反応するのに、心はアロニアを思い出すなんて。
どうかしてるぜ。
「処女だからって言ったからなのか?」
「それもある」
「そうか……怜樹にだったら、破ってもらいたかったのに」
ミラビリスは面倒くさく拗ねている。
そうだ、彼女はこういう残念な女だったな。
「我の乳が見たいか?」
「どうぞ?」
「はあ……あまり乗り気ではないな? なんか虚しい気分になる……」
そう、こういうことだ。
彼女が拗ねながら、俺を欲しているのが見たい。
俺は自分の新たな嗜好に気づいてしまった。
「そんなに触ってほしいのか? 俺の心が伴わなくても?」
「寂しいのよ……何もない女なんて」
「俺みたいなので、ミラビリスが満足するならそれでも良いけど?」
「怜樹のいじわる!」
「ふふん」
これ以上は甘い空気にはなれない。
なぜかコミカルな空気さえ感じる。
これくらいが、俺にはちょうど良い。
「じゃあ……夕飯の時間まで、あなたを我の好きにしていい?」
「いいけど?」
俺たちの押し問答が、またはじまった。
下着姿のミラビリスと、パンツ一丁の俺とで。
◆
一時間後、俺とミラビリスとの間には何もないままだった。
何もなかった俺たちは、服を着て、宿付きの酒場まで夕飯を食べに向かった。
そして翌日からは旅の続きがはじまるのだ。
夕食の後、アロニアが俺の部屋にやってきた。
「どうしたの? 珍しいね」
「そうでもないだろ。旅の時も一緒だったし。おまえと話してからでないと、夜が来たって気がしないのだ」
なかなかキザなことを言ってくれる。
俺が惚れるのは、アロニアのそういうところだ。
「じゃあ、勉強の続きだな。今日のセラフの件だけど、おまえにはまだ使えるようにならなくちゃいけないことが、たくさんある」
「では先生、今晩は何の勉強にしましょうか?」
「まずは魔法陣の基礎からだ」
「魔法陣」
「例えば、今日みたいに急な出来事にも、事前に描いて仕込んだ魔法陣さえあれば、ほぼ自動で対処できるようになる」
「確かにアロニアの魔法陣は、起動が早いよな」
たぶん、エルゼパルの魔法陣よりも早いだろう。
それから、俺とアロニアの、魔法陣と錬金術の複雑な魔法体系の勉強がはじまった。




