9話 ノヴァとルイス
ルイスは千年龍と共に泉のほとりで腰を下ろした。生徒達はメリッサに任せ、誰にも聞かれないよう遠く離れた場所で千年龍と向かい合う。だがこうして向かい合うと、ルイスにはどうも千年龍となのったこの少年が、ただの子供にしかみえない。
「君はノヴァを悪と切り捨てなかったのう」
不意に心の奥で引っかかっていた事を告げられ、ルイスは戸惑った。
ずっと心残りだった、彼の名だ。
そして、ずっと考えていたことだ。
「それはそうですよ、私にそんな残酷な事はできない」
「じゃが彼が二〇〇年前、罪のない人を殺したのは事実じゃろう?」
「その原因を作ったのが人間だと、私もそう思っているからノヴァを悪と言い切れません」
ルイスは、ノヴァに同じことを言った。
悪だと言い切れないと。
だから自分の気持ちに従って彼を倒した。
彼の手ではなく、生徒の手を握るために。
——捨てないで。
メイアの言葉で、ルイスは思い知った。
自分はもう、一人で何かを決めていいわけではないと。
子供達を導く立場なのであると。
「ノヴァを倒した理由なら、生徒達を優先したというだけです。捨てられて流れ着いてきた彼らを、私まで捨てる事はできません」
「君は気付いているのだろう。君の出した答えは、君自身を殺し続けるという事なのだと」
千年龍は眉をひそめ、悲しげな表情を浮かべる。
憐れむような、視線だった。
「あの子達を捨てない代わりに、君は自分を捨てたのだぞ?」
「…………」
ルイスは沈黙で応える事しかできず、ただ千年龍を見つめた。
心のどこかで理解していた事だが、それでも口に出されると戸惑うし、やはり心を揺り動かされる。
「アナタは、どういった立場から話しているのですか?」
その言葉には、少しだけ棘があった。
なぜそんな事を問われるのか。
傷に塩を塗るような事を言うのか。
「さぁな、儂は君に興味があったからこうして話しているだけじゃ。この時代に迫害に耐える半魔でありながら勇者になり、そして英雄になれなかった君に興味があるだけじゃよ」
屈託のない笑みで千年龍は言い、そして顔にかかった髪を耳にかけた。
「アナタの時代では、半魔はどういった扱いだったのですか?」
一五〇〇年前となれば、残っている文献などほとんどない。
あったとしても事実かどうか疑わしい物ばかりだ。
だから、その時代を生きた人に問いたくなった。
千年龍は溜息をつき、そして黄昏るように前を見る。
「優しく、気高い戦士達だ。人間の前に立ち、悪鬼を打ち払い、民を守る盾となる」
その表情はどこか儚げで、そして夢を追うような少年の顔だった。
「気高い英雄達だった」
気高い英雄。
ルイスはその言葉を聞いて、鼻で笑った。
「その時代に産まれていれば、私も少しは楽だったのですかね?」
「そうだろうな」
「まぁそんな事を言っても埒があきませんが」
たらればの話をしても、前には進まない。
過去や変わらない事をウダウダ悩んでいても、それで前に進める事なんてないのだ。
「そうじゃな」
千年龍はそう応えると、顔を上げてルイスの顔を覗き込んできた。
「儂が君に興味を持っていた。しかし君と話したいと思ったのは、つい最近なんじゃよ。君が教師となり、子供達を導く立場になったのを見て、儂は話してみたくなったのじゃ」
一体この男はどうやって自分を見ていたのだろう。
千里眼のような物を持っているのだろうか。
「儂は君の過去を知っている。君は書物や実戦から強くなる術と、生きていく術を身に着けた。誰に師事したわけでもなく、ただ自力でそこまで強くなった」
「なにが言いたいのですか?」
要領を得ない会話にルイスは少し急かしてしまう。
だが、千年龍は優し気な表情を一切崩さない。
「不安になっているのではないかと思ってね、誰にも教えを請わなかった自分が、誰かを導く事ができるのか。不安に思ったことはないかい?」
ルイスは、言葉に詰まった。
この男は、一体なにを見たのだろうか。
自分の事をどこまで知っているのだろうか。
「図星のようじゃな」
微笑みながら千年龍は言う。
確かに思っていた。
ルイスは生徒達を導く教師になる事に生き甲斐を感じているし、幸せに思っている。
しかしそれが本当に正しいのか、正しい教えを与えられているのか不安にもなっていた。
例えばそう、リリックにノヴァの事を問われれば、自分は正しい答えを与えられるのかどうか。
ルイスは顔を上げ、千年龍に向かい合った。
「私は、彼らを導く上で――一つだけ決めている事があります。彼らに教える事が一つだけ」
これは、フリーシェを生徒として受け入れた時から決めていた事だ。
揺れる中でも、それだけは曲げていけないと思っている教え。
「なんじゃ?」
「立ち上がり方です」
転ばぬ方法ではなく、立ち上がる方法。
これからの人生、彼らは何度も挫折や後悔を味わうだろう。
だがそんな時、立ち上がれるように。
折れて腐ってしまわないように。
転ばない方法ではなく、起き上がる方法を。
「なんじゃ、解っていたのか」
千年龍は声を明るくさせてそう言った。
目尻に皺を刻み、屈託のない笑みで。
「君の言ったそれは、人を導く上で最も大切な事じゃ。それを理解しているのであれば、儂から君に送る言葉はないかの」
導く上で、最も大切な事。
立ち上がり方が。
「一つ、教えてほしい事があるのです」
ルイスは千年龍の瞳を見つめ、その心境を明かした。
「ノヴァは、私を恨んでいましたか?」
「恨んでいない」
予想外な即答に、ルイスは息を飲んだ。
千年龍が答えられるかもわからなかった、ただ問うてみただけ。
それなのに、即答した彼をルイスは目を見開いて見つめる。
「何も恨んでいなかった。むしろ君に殺される事を喜んですらいた」
喜び?
予想もしていなかった言葉に、ルイスは首をかしげて千年龍の言葉に耳を傾ける。
「ノヴァは君を友として愛し、そして憐れんでいた」
——愛し、憐れむ?
「私を?」
ノヴァを殺したのは自分なのに?
ノヴァの手を取らなかったのに?
ノヴァの使命を、奪ったのに?
「ああ、彼の感情に間違いはない」
千年龍はルイスに近付き、肩に手を置いてきた。
その手でルイスをさすり、言い聞かせるように口を開く。
「先に待つ苦難に君が折れてしまわないよう、彼は最後に祈っていた。彼は恨んでなどいない。それだけは間違いない」
千年龍はルイスの顔を覗き込み、そして静かに続ける。
「ノヴァの言った事を、君は忘れる事はないだろう。しかし、同時にノヴァが君をどのように思っていたか、それも覚えておくといい」
「…………」
ルイスはただ黙ってその言葉を聞き、自分の中で噛み締めた。
何度も反芻し、そして心に刻む。
「儂は千年を生きる龍だ。そんな儂だからこそ、君に二つほど教えを与えてやろうと思う」
「二つ?」
唐突に千年龍は声を上げて笑い、ルイスへと向き合ってきた。
「悲しい事が起こり、前を向くことができなくなるかもしれない。
そんな時は立ち止まり、隣を見る事も大切じゃ。
前に進めないのなら、隣に立つ者が君を支えてくれるじゃろう。
そして最初の言葉を思い出せ。
さすれば、君の心は救われる」
リリックやフリーシェに与えた予言とは少し違う。
何が違うのかわからないが、それでも何故か違うとしか思えなかった。
「それは予言ですか?」
「儂の言葉だ」
即答した千年龍に、肩透かしな気分を味わいながらもルイスは笑った。
千年龍が言いたい事は、ある程度分かる。
だから、笑うしかなかった。
「ああ、それともう一つの助言だが」
思い出したかのように千年龍は口を開く。
「今日の夜は、メリッサと共に酒を飲むといい」
その言葉に、ルイスは少しだけ唸った。
酒はこれまで何度も飲んできたが飲むたびに記憶が飛び、翌朝は割れるような頭痛を裸で味わう。
どうして自分が裸なのかもわからないほど、自分は酒に弱いらしい。
「私は酒に弱いのですが……」
「知っているよ、だからこそ飲むべきなのじゃよ」
その言葉を最後に、千年龍はルイスの前から姿を消した。
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