8.英国貴族を日本語で書く場合:オマケのオマケ
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前話【7.「英国貴族」を呼ぶ時は?:面倒な「きまり」(長いオマケ)】を補完する内容が主体です。
敬称の使用法は多岐バリエーションがあり、「国際儀礼」としての表現と、一般認知における日本語表現が異なる場合もあります。
今回の内容は、あくまで「書き方の一例」として認識いただければと存じます。
さてさて。
【7.「英国貴族」を呼ぶ時は?:面倒な「きまり」(長いオマケ)】においては、大変長く面倒くさい説明をお読みいただき、ありがとうございます。
複雑で面倒なのは確かなのです。
とはいえ、皆さまの執筆活動においては「それほど重要ではない」内容であることも確かです。
何故か?
先にご紹介した内容は、あくまで【英語で表記/呼称する際のルール】に過ぎないからです。
あの説明文を読み、
『……やだ、こんな面倒くさい世界。英国ヒストリカル物には手を出すまい』
と、作者や読者の皆さまに思われてしまうと大変申し訳ないので、「より現実的に活用できる」内容を【オマケのオマケ】としてご紹介いたします。
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そもそも『誰か他人を呼ぶ時』には、本人の氏名以外に【敬称】や【尊称】といった《相手への敬意を表すことば》を、氏名に付加します。
英語などの西洋言語の場合、多くは氏名の前に、日本語の場合は氏名の後に付くのが一般的です。
日本語の普遍的なものとしては、『○○さん』『○○様』『○○氏』『○○殿』……などなど。バリエーションは豊富です。
7.で紹介した「英国貴族の呼び方ルール」の大部分は、これら【敬称/尊称の使い方】に関するルールです。「誰に、どんな敬称/尊称を、氏名のどの位置で用いるか?」です。
英語を始めとする印欧語系統では、もともと「冠詞」(定冠詞/不定冠詞)や「設置詞」(前置詞/後置詞)の使い分けが面倒なのです。それが「氏名」という固有名詞および「称号」という名詞と組み合わさった為、あのような面倒なルールができあがった訳ですね。
しかしながら。
日本語では、それほど面倒ではありません。
幸いに、日本語表記においては「氏名」に対して冠詞や設置詞を用いることはなく、そのまま【氏名+敬称(称号)】だけの組み合わせでOKとなるケースがほとんどです。
普遍的な敬称なら、通常は【氏名の後ろ】に「そのまま付ける」だけ。間に何か挟んだりする必要はありません。
ということで。
注意すべきは【適切な立場の人間に、適切な敬称を用いているか】だけです。
日本語における【敬称】は、それぞれの身分や社会的立場などに応じた多様なものがありますが、【6.呼びかけ時の敬称:称号としてのドクター(Dr.)】で紹介したように、普通に使うものはある程度限られます。
「さん」「君」「氏」「様」「殿」あたりが、最も普遍的で誰に対しても使えます。
性別によって変わるものも多くあります。
例を挙げると「○○兄」「○○嬢」などですね。ちょっと年配の相手になってくると、男性で「○○翁」、女性で「○○刀自」や「○○大刀自」なんてのもあります。
また、社会的な「役職」に付いている場合、その役職名をそのまま称号代わりに付けることも可能です。「△△部長」や「△△教授」などです。
このあたりはビジネスマナーの範囲ですので、社会人の方々はご存じでしょう。
さらに、特定の職業人に対してだけ使う表現もあります。
有名どころでは、
・お相撲さんを「○○関」
・歌舞伎役者さんを「○○丈」
・俳人・茶人などの師匠格の方を「○○宗匠」
・高僧を「○○上人」
などと呼びます。
日本の現代社会において、あまり一般的でないものが「出生身分」に基づく敬称です。
戦後、身分制度は公式にはなくなりましたので【生まれもった儀礼的身分敬称】を持つのは皇族の方々だけです。
それ以外で儀礼的敬称を用いる可能性があるのは【社会的に敬われる立場に基づく場合】です。
上記の例に挙げた「宗匠」や「上人」などが、これです。
これら「社会的な立場」に基づく【集合的な敬称】というものもあり、多くの場合【〜下】という表現を用います。
これらの敬称は、異世界もの作品でも応用できる部分が多いので、改めてご紹介を。
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【国王】…[陛下] ※王妃にも用います。
【王族】…[殿下]
※和モノの場合、[親王]や[内親王](天皇の子女)、[王]や[女王](天皇の兄弟の子女)といった特別な王族身分呼称があります。いずれも敬称は[殿下]です。『〇〇内親王殿下』などと表します。
【貴族】…[卿] ※[けい]と読む場合もあります。
【高位の聖職者】
[聖下](ローマ教皇、ギリシャ正教の総主教への尊称)
[猊下](仏教の門主や僧正、キリスト教の枢機卿への尊称)
[上人](仏教の高僧) ※他に[阿闍梨]もあります。
[師](イスラム教の「ウラマー」やユダヤ教の「ラビ」などへの尊称)
【高位の官職者】…[閣下]
【高位の軍役職者】…[閣下]
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……はい、キリがないので、この辺で。
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その上で。
今回ご紹介する【英国貴族の呼び方を、日本語で書いた場合】に用いる敬称は、主として【閣下】と【卿】、そしてその代わりに用いたり、組み合わせて用いる【爵位】です。
それでは高位の立場から順に、主要な表記方法をご紹介いたします。
■[王族]■
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1.王/女王
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【陛下】です。
「王」の場合はそのまま『陛下』、「女王」の場合は『女王陛下』と書くこともありますが、陛下だけでOKです。
通常、公式の場で『○○陛下』と、個人の名を付加しては呼びません。複数の王がいる場で区別する場合は『△△(国名)国王陛下』のように呼ぶ方が良いでしょう。
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2.王妃/王配
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「王妃・王后」は原則【陛下】、「王配」(王の配偶者。通常は女王の夫)は原則【殿下】です。
英国の場合[Her Majesty](ハー・マジェスティ)もしくは[His Majesty](ヒズ・マジェスティ)の称号を持つ王妃・王配の場合には【陛下】です。
何らかの理由で[Her/His (Royal) Highness](ハー/ヒズ・ロイヤル・ハイネス)の称号しか得ていない場合は【殿下】です。
※例えばチャールズ皇太子の現夫人カミラ妃は、現在の称号は皇太子妃としての[Her Royal Highness]です。皇太子が即位する際は「王妃」にあたる[Her Majesty, Queen]の称号を辞退して[Her Royal Highness The Princess Consort](王配殿下)と名乗る、と公表されています。
※また、英ヴィクトリア女王の夫アルバート公は、「女王の夫」として[Prince Consort](プリンス・コンソート/王配)に公式に叙されていますが、称号は[His Royal Highness The Prince Consort]なので、敬称付きで呼ぶ時は「アルバート殿下」です。
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3.王子/王女
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男女ともに、原則【殿下】です。
この場合『○○殿下』で、“前”に来るのは「個人の名」です。「第一名」だけでなく全てを呼ぶ方が正式ですが、長い場合はファーストネームだけでOKです。
※「アンドリュー・アルバート・クリスチャン・エドワード王子」なら「アンドリュー殿下」で十分です。
※ただし、英国の王族男子は出生時や成人後に『儀礼称号』や『公爵位』を得るのが基本で、爵位を得た後は『○○殿下』ではなく『□□公』のように、爵位号で呼ぶ方が正式です。
《余談》
※【英国王の長女】には特別に[Princess Royal](プリンセス・ロイヤル)という称号があります。
これは「生涯称号」で、婚姻後も使い続けます。しかも、同時に二人のプリンセス・ロイヤルが存在することはありません。前王の長女が存命中は、現王の長女は名乗れないのです。この称号は【名前の前】に付けます。
現在のプリンセス・ロイヤルは、現エリザベス女王の長女アンです。彼女は最初、貴族ではないマーク・フィリップス氏と結婚しましたが彼が叙爵しなかったため、本来は無爵位夫人でした。実際[Mrs. Mark Phillips]の敬称もあります。しかし本人が「王女」として[Her Royal Highness]の称号を生まれながらに得ていたため、結婚後も呼び方は【アン殿下】でした。その後離婚し再婚する……という英王室スキャンダルの渦中にあった方ですが、[プリンセス・ロイヤル]の称号を得た後は【プリンセス・ロイヤル殿下】と称されます。……ややこしや、ややこしや。
《余談終わり》
ここまでが、いわゆる《王籍》にある人物たち。王族の敬称です。
続いて、貴族階級です。
■[準王族]クラス■
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4.大公
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原則【閣下】、もしくは【□□公】です。
元々は、封建制度下においてどこかの国家を宗主としながら、内政自治権を有する国家の君主を指します。統一前のイタリア諸国の都市国家群や、神聖ローマ帝国時代のドイツ君侯などが相当します。
現代では、モナコ大公国やルクセンブルク大公国などがあります。ただし「モナコ大公」は[Prince]としての号、「ルクセンブルク大公」は[Grand duke]としての号です。
創作作品などでは「大公」は、元王族で臣下に降った際の地位として用いることがありますね。英国の場合は「王配」にも用いることがあります。
とは言え、英国の【公爵位】の多くは、王族由来である為、「大公」と「公爵」の差はありません。というか「大公」はいません。
英国の場合、[Prince]や[Hightness]の称号を持つ人物(皇太子以外の王子や王孫、王配などの「大公」クラス)に対して用いる【〇〇公】と、通常の世襲公爵位に用いる【□□公】は微妙に違います。
前者は通常【固有の名+公】(例:アルバート公)ですが、後者は【爵位号+公】(例:マールバラ公)です。よって、爵位貴族の「公爵」を【名前+公】で呼ぶのは、適切とは言えません。なお一般的に[Prince]等の称号を持つ場合、同時に世襲公爵位も得ていますが、「世襲公爵位」に対する【□□公】より[Prince]等への【〇〇公】の敬称が優先されることが多いです。
■[世襲貴族]■
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5.公爵
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原則【閣下】、もしくは【□□公】です。
前述の通り、『□□公爵閣下』や『□□公』と、【爵位+敬称】で称します。
英語では《公爵は[Your Grace]、それ以外の貴族は[Lord]の敬称》ですので、日本語表現もそれに合わせて区別しています。
個人名を付けたい場合は【□□公〇〇】(例:ノーフォーク公エドワード)と称します。
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6.侯爵/伯爵/子爵/男爵/准男爵/勲爵士
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原則【卿】、もしくは【爵位】(貴族)です。
英語表記では大変面倒な決まりがありましたが、日本語で表現する場合は【卿】(きょう/けい)で全て対応可です。うれしい!
通常は『□□卿』のように【爵位号+卿】です。『□□侯爵』や『□□男爵』のように爵位名のみでも構いません。なお准男爵の場合は【△△卿】(姓+卿)、勲爵士場合は【○○卿】(名+卿)が良いでしょう。
侯爵や伯爵の場合、個人名を付けて【□□侯〇〇】(例:ウィンチェスター侯ナイジェル)や【□□伯〇〇】(例:サンドウィッチ伯ジョン)と称しますが、子爵・男爵では「爵」部分を略しません。(例:ヘレフォード子爵ロビン)
なお【卿】を敬称として用いる人物には、以下のようなケースがあります。
・有爵者本人
…この場合は【爵位号+卿】
・儀礼称号をもつ人物
…この場合は【儀礼称号の爵位号+卿】
・儀礼敬称をもつ人物([Lord]を名前の前につける、公爵や侯爵の次男以下など)
…この場合は【個人の名+卿】
これらは、英語表記とも基本ルールは同じです。
問題は『伯爵以下の、有爵者の嫡子たち』の場合。
英語表記では[The Honourable]および[Mr.]となる彼ら。日本語には馴染みません。
一応、彼らの敬称として【爵子】がありますが、[子爵]と混ざって分かりにくいので、あまり使われておりません。(用いる場合、通常[△△(姓)爵子]ですが、[○○(名)爵子]のこともあります)
では、どう呼びましょうか。
とりあえず英語本来の面倒なルールは忘れて、彼らも皆【○○(名)卿】と呼ぶことが多いです。
つまり[Lord]付きの息子と同じです。英語では『呼ばれ方』で明確に身分立場が分かりますが、日本語ではそのあたりが曖昧になります。
もうひとパターンの【卿】が、『出生身分ではなく、後天的な社会的身分がある人物』に用いるケースです。これは追って紹介しますが、この場合は【△△(姓)卿】です。
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7.有爵者の配偶者(妻)
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通常は、【爵位号+爵位+夫人】で呼びます。『□□公爵夫人』『□□伯爵夫人』です。
英語表記では、公爵夫人は[Duchess]や[Your Grace]、侯・伯・子・男爵の夫人は[Lady・□□(爵位号)]、准男爵や勲爵士の夫人は[Lady・△△(姓)]ですが、日本語表現では区別不要です。
爵位を使わない場合は【令夫人】と表記します。未亡人の場合は『□□伯爵未亡人』、離婚した前妻なら『□□元伯爵夫人』でしょうか。
個人名を付けたい場合は【□□伯爵夫人〇〇】のように記します。
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8.有爵者の子女(息子と娘)
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通常、男子は【卿】、女子は【嬢】です。
男子の場合、儀礼称号の有無に関わらず前述のとおり『□□(爵位号)卿』や『○○(個人名)卿』で問題ありません。
女子の場合は『□□伯爵令嬢』のように、【爵位号+爵位+令嬢】で呼ぶことが多いです。
英語表記の場合、伯爵家以上なら『レディ・○○(名)』、子爵家以下なら『ミス・△△(姓)』と区別されますので、これに合わせた姓名対応をするケースがあります。つまり伯爵家以上なら『レディ・個人名』で、子爵家以下なら『ミス・家名』で称します。
仮に、同じ[エリザベス(名)・ブルース(姓)]という令嬢が、エルギン伯爵家の生まれなら『エルギン伯爵令嬢』か『レディ・エリザベス』と呼び、エルギン男爵家の生まれなら『エルギン男爵令嬢』か『ミス・ブルース』と呼びます。爵位の方が楽ですね。
なお『ミス・エリザベス』でも間違いではありませんが、称号の差を考えると今ひとつでしょうか。
個人名を用いたい場合は、まとめて【○○嬢】としてしまうのが、一番問題が少ないかもしれません。この表現は、ジェントリ階級の令嬢にも使えますので便利です。……階級の差は分かりませんが。
ということで、日本語表現の場合は、ここぞとばかりに【爵位号】や【爵位】の種別が活躍します。読者にも分かりやすく、またキャラクターを同定しやすい(区別しやすい)ので、活用されるとよいかと思います。
それではダイジェスト版で、復習。
▼▼▼▼▼
・王や王妃は【陛下】
・王子や王女は【個人名+殿下】
・大公や公爵は【爵位号+公】か【(爵位号+)大公/公爵+閣下】
・公爵以外の貴族は【爵位号+卿】か【爵位号+爵位】
・貴族の夫人は【爵位号+爵位+夫人】
・貴族の息子は【儀礼称号+卿】か【個人名+卿】
・貴族の令嬢は【爵位号+爵位+令嬢】か【個人名+嬢】
▲▲▲▲▲
細かいところはさておいて、とりあえずの区別です。
……細けぇことはイインダヨ!
* * *
さて、ここで問題?となってくるのが「出生身分ではなく、社会的地位に対する敬称」です。
具体的には【閣下】と【卿】は、社会的地位への敬称としても用います。
前述の通り【閣下】は、軍や行政機関の高位役職者にも用います。また、それに次ぐ役職者を【卿】と称することもあります。
例えば、軍の[将軍]は、『閣下』や『△△将軍閣下』などと呼びますし、[大臣]も『閣下』呼びされます。
では、これらの『閣下』『卿』呼びの区別は、どうしましょうか。
これは意外と簡単です。
・貴族達の『閣下/卿』の前に来るのは、【爵位号】か【個人名】
・役職者の『閣下/卿』の前に来るのは、【姓】
かなり乱暴ではありますが、大雑把かつ簡単に仕分けるなら、上記のように表記区別することができます。
[ジョン(名)・キャンベル(姓)]という人物で例示します。
・彼が[グリニッジ公爵]の有爵者の時は【グリニッジ公爵閣下】です。
・彼が[アーガイル公爵の長男]の時は【ジョン卿】です。
・彼が[英陸軍元帥]の時は【キャンベル閣下】です。
・彼が[庶民院議員]の時は【キャンベル卿】です。
……またしても「ややこしや、ややこしや」の復活ですね。
この事例は正確ではありませんが、実在人物の経歴に沿っております。つまり、実際にこのような使い分けがあるということで。……ふぅ。
なお、通常【軍、および行政機関に属する貴族階級の人物は、その出生身分と関係なく所属組織内での敬称を用いる】のがルールです。
例えば『ロード・〇〇(〇〇卿)』と呼ばれる身分でも軍階級が下級士官級ならば、答礼は『イエス、サー』です。本来の『イエス、マイ・ロード』とはなりません。
これは、軍という上下関係が確立した組織内の秩序を保つ、という大切な意味があります。
そもそも現代に至るまで、貴族の子弟は「軍に入る→庶民院の議員」や「軍に入る→退役して行政官」といった経歴が当たり前でした。貴族の次男以下の多くは、軍に所属するのが定番ルートだったのです。そんな中で[出生身分]を振りかざされると困ります。
よって、軍内では軍階級に、行政機関内では役職階級に従う呼称になりました。
当然、プライベートでは異なりますので、同じ人物が仕事中は[メイジャー・△△(姓)](△△少佐)だったのが、勤務時間外は[ロード・〇〇(名)](〇〇卿)になったりします。……あぁ、面倒。
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結局のところ、『簡単になったよ!』とは言い難い内容でしたが、お役に立てたでしょうか?
“わかりやすい”や“使いやすい”は別として、こんな表現もあるのだと知っていただければ幸いです。
皆さまの作品たちに、『敬称付き』のキャラが増えることを祈って。
原典史料の確認がとれていない情報が一部にあります。
間違いなどにお気づきでしたら、ぜひご教示ください。
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さあ、皆様ご一緒に。
『王侯貴族なんて大っ嫌いだぁーーっ』
(……ホントは好きです。大好物です。調べるのが楽しくてなりませぬ。)
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