012 『駄目の定義』
『お前はこんなことも出来ないのか、駄目な奴』
人間が人間を『駄目な奴』とレッテルを貼ることをラベリングという。
心理学用語だ。
何度も何度も同じ言葉を繰り返す事によって、言葉が事実に変わって行く。
不思議な現象だと思う。
本来ならば、事実があり言葉があるのだ。
それが正しい順序。
けれど。
言葉が事実をねじ曲げる事は、往々にしてよくあること。
日常茶飯事だと知ると、世界の見え方は変わってくる。
駄目ではない人間に、たった一人の人間の価値観で、駄目だとレッテルを貼る。
例えばそれが親だった場合、毎日毎日繰り返されると、子供は自分の事を『駄目な奴』だと思い込む。
残酷な事実だが、親が子供を駄目にする事なんて簡単な事なのだ。
駄目な子供が一丁上がりだ。
子供自身が『自分は駄目な奴じゃない』と覆すのは難しい。
『駄目な奴』というのは大概に置いて、そんなポジティブなパワーは湧いてこないものだから。
アリシアの前世は教師だから、『駄目な奴』と思い込まされた子供達を沢山見てきた。
教師も千差万別だけれど、親のように絶対者にはならない。
教師との出会いは、親と同じく宝くじではあるが、効力が一年だ。
幼稚園から始まると考えると、高校を卒業する頃には、十五人もの教師と出会っている事になる。
それ以外にも、ピアノの先生。サッカーの先生等習い事の先生も存在する。
中学生になれば教科別に教師が替わるので、一学年を担当する教師は九人だ。
担任を抜いて八人だが、これが持ち上がりの可能性が高い為、変動はしない。
中学で八人、高校で八人、部活や習い事や塾も入れれば二十人以上になる。
合計三十五人だ。
親は二人なので、教師の数は親の十七倍になる。
外れくじも勿論あるが。
当たりくじを引く確率も高い。
アリシアの前世は小鳥遊友里という名前だった。
子供の頃は『駄目な奴』の一人だった。
駄目が駄目じゃないに変わったのは中学生の時。
友里は当たりくじを引いたのだ。
委員会の先生が矢鱈滅多に友里を褒める教師だったのだ。
ラベリングとは当然良い言語にも効力を発揮する。
『良く出来ているね』と言われれば、『出来る子』に子供は早変わりだ。
当たりくじの威力は半端ないと思う。
褒められるままに勉強し、褒められるままに優等生に早変わり。
大人になって考えてみるに、友里は決して『出来る子』ではなかった。
『駄目な奴』だった。
けれど教師は駄目な奴に向かって出来る子だとラベリングし続けたのだ。
実際『駄目な奴』か『出来る奴』かなどという事実は重要では無い。
『どうなりたいか』をラベリングすれば良いのだ。
友里にとってあの先生は命の恩人。
間違い無く、駄目な子を掬い上げた先生だ。
つまり。
嵌まるでしょ?
そういう職業。
教師というのは遣りようによっては恩人になる確立の高い職業だ。
そこに中毒性が発生するのではないかと思う。
アリシアは教師中毒だ。
前世の友里ももちろん中毒者。
ゾクゾクするんだよね?
人が変わる瞬間って。
ゾクゾクしませんか?
スイッチの入る時。
負は連鎖し続けるが。
正もまた連鎖し続ける。
次期国王の教育権を託されたのだ。
教師生活の集大成だと思う。
微力ながら、国に尽くそうと思います。
腐っても聖女ですからね。
やるだけやってみようと思います。




