心の準備ってやっぱり欲しいものです
……そうして、何処か不在を意識しながら過ごしていた、ある日。
ごく普通に、仕事して家に戻って、簡単な食事を済ませて。
別に面白くもないけど、静かな部屋も寂しい気がして、テレビ等つけていて。
そう。
寝る前までは、普通に自分の部屋にいた。
確かに、眠りに落ちる寸前、ちらりと、木崎さんや勅使河原さんの顔を思い浮かべはしたが、それは何というか、年中行事というか、折に触れて気になってはいる事だから、だろう。
そう、取り立てて変わらぬ一日を過ごしていた筈だったのである。
目覚めるとまず、白い、薄い靄みたいなものが目に入った。
違和感を感じて目を擦り、それでも視界が変わらないとなって、慌てて体を起こすと、ぎしっとやたらいいスプリングの音。
こんな音がするもの、部屋に置いていたっけ?
と、よくよく天井を見上げてみると。
「此処、何処?」
それは、天蓋のついた寝台だった。
靄に見えたのは、下がっている布地だったのである。
そして、敷き布団もかけ布団も、見事にフカフカ。最高の感触だった。
「目覚めたか?」
聞き覚えのある声に顔を上げれば、やはり。
「木崎さん……」
其処に立っていたのは、木崎さんだった。
彼は、最初に出会った、不思議な装束だった。
ただし、前回は彼が小さかった為、何処のコスプレ人形か? という感じだったのが、等身大ともなると、これがまた、妙に威厳があったりする。
少なくとも、笑う気にはなれなかった。というよりも、怖い方が、割合的に多いかもしれない。
先のとがった帽子のような、印象的な兜は、今は脇に置かれて、彼は、ごわごわとした袖の先、黒い手袋に覆われた手を、すっと持ち上げ、前髪を煩わしそうにかきあげると、私を見下ろした。
「何をしにきた?」
「何って……」
そもそも、何で此処に、木崎さんといるのか、こっちが聞きたいくらいなんですが。
どうしたものかと思っていると、ふっと、彼の視線が動いた。
つられて、私もそちらを見る……って、見ているの、私の右手じゃないか。
「そんなに染まったか」
気が付くと、例の赤の石が握られている。
そう言えば、寝る前に持っていたような記憶が……どうやらそのまま寝ていたらしい。
でも、染まる?
どういう意味?
「波長が合ってきたと見える」
「日本語でいいから……じゃなかった、もう少しわかりやすく」
そう言うと、木崎さんは、何故わからないのかと、幾分苛立ったような息を吐いた。
切れ長な目が鋭く睨んでいる。
とはいえ、こっちもそんな態度には結構慣れっこである。そんなくらいでは引き下がらない。じっと見つめていると、諦めたように口を開いた。
「その石を持って、我らの事を考えはしなかったか?」
「うーんと、寝る前に、ああ二人ともどうしているかなって思い浮かべた、気が、する」
「それぞ」
木崎さんが言うには、寝ているときは意識が解放されているので、願望がダイレクトに伝わる、ものらしい。私と波長が合い始めた石が、その願望を感じとり、作用した結果、私は魔界に迷い込んだ、という事になる、らしい。
やだなあ、恋焦がれてるみたいじゃないのそれって。
どうしてるかなって、思い浮かべただけなんだってば……って、ちょっと待って。
「え? 此処って魔界?」
「……そこに驚いている場合か?」
いかん、うっかり木崎さんに突っ込まれた。
話を戻そうと、顔を引き締める。
「参る……」
木崎さんは空を仰いだ。
「強い力がある故に、守りとなるが、副作用もやはり強いものよ」
「だからって、都がそれ持ってないのも問題だろ」
第三者の声に振り返った私は。
「勅使河原さん!」
相手の名を呼んだ。
「よっ、久しぶりだな」
勅使河原さんは、人懐っこい笑顔で、するりと隣までやってきた。重たげな、じゃり、という音をさせながら。
勅使河原さんの格好は、これは、初めて見るものだった。
肩のところで断ち切られたTシャツのような上衣は、彼の筋肉質な腕を最大限に引き立て、細身の動きやすそうなパンツは、膝下からはがっちりした鋲つきのブーツに覆われている。
腰の辺りに、じゃらじゃら重そうに下がる銀色の鎖は、先端に分銅のような重りがついていて、振り回したらさぞかし破壊力がありそうだ。
どうやら単なるアクセサリーではないらしい。
そういえば、木崎さんの腰にも、皮のようなベルトに差し込まれ、細長い――どうみても剣らしき――ものが下がっている。
そうか、二人とも、これは非常時の姿なのか。
勅使河原さんの鎖に、やっとその事に思い当たった。
「わかっている」
木崎さんは首を降る。
「守りなくば、此方も背後を取られたも同然」
「だよな」
「あ……の……」
なんだかすごく今更な質問だが、機会を逃すとまた聞けなくなる気がして、私は二人の間に口をはさんだ。
「そもそも、この石って何でもってなきゃいけないの?」
返ってきたのは、沈黙。
「ちょっと、説明も何もなく、思わせぶりな事ばっかり言われても、こっちも困るんだけど」
「まあ、そうだよなあ」
微妙な顔になったのは、勅使河原さん。
「木崎、全く何にも話してないのか?」
「必要ない」
木崎さんの答えの簡素な事。
「そもそも、いらぬ情報を入れては、不必要な事まで気にかかる」
「ちょっと待て」
私は額を抑えて、木崎さんの言葉を遮った。
「何も知らない方が、気になってしょうがないじゃないの」
「……?」
「え? そんなわかりにくい?」
「そのような心境が理解できぬ、自分に関係ないもの、気にする事もなかろう」
「そんな風に割り切れないものなの!」
と、目を丸くして、驚いた表情で、木崎さんが黙った。
驚くところですか此処?
よくある事だよね? という視線を勅使河原さんに向けると、やれやれという顔で、首を振っていた。
そして。
「まあ、あれだ」
にやりと、何故か、保護者的な包み込むような笑顔になった。嫌な予感がする、と思った瞬間。
「考えてる以上に、入れ込んでたんだな、お姫さん」
やっぱり。
それって何、木崎さんが気になってしょうがないって、そういう意味にとられているってそういう事なんでしょ。いや、気になるのは確かにそうなんだけど、そんなにやにやされて言われるような意味合いじゃないと思う。
多分。
「ちがーう!」
「まあまあ、隠す事でもねえよ」
「隠してるんじゃなくて、そもそも、違うから」
「何をじゃれている」
呆れた息を吐いた木崎さん。それどころではないだろうと、窘めるようなその口調からいっても。
木崎さんは、今の会話の意味、おそらくわかっていない。
その事が、救いなのか。
それとも。
(2011/8/22)