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『おとぎ国刑事訴訟(けいじそしょう)記録』―主文、被告人おとぎ話の主役たちを— 〜揺れる裁判官の天秤〜  作者: うちの猫
:〜お菓子の家殺人未遂事件:ヘンゼルとグレーテル裁判〜

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第一話「罪状認否と光る石」

コン、コン、と重厚な木槌の音が法廷に響く。

それまで低くうねっていたざわめきが、一瞬で引き絞られたように消え去った。


「これより、被告人ヘンゼル・フォン・アウエルバッハ、および被告人グレーテル・フォン・アウエルバッハの住居侵入、器物損壊、傷害被告事件の第一回公判を開廷します」


裁判長である私は、手元の記録に目を落としたまま淡々と告げた。

刑務官に伴われて入廷してきた兄妹は、まだ十代前半に見える。衣服は薄汚れており、酷く怯えた様子で身を寄せ合っていた。


(裁判官の心の声):

「世間の瓦版は、この裁判を『親に捨てられた哀れな兄妹』と『邪悪な魔女』の戦いと報じている。だが、司法の場に感情は不要だ。私はどちらの味方もしない。ただ、ここに提出された書面と客観的事実のみを厳格に審理する」


私は眼鏡の位置を直し、正面を見据えた。


「被告人両名は、前へ。証言台の前へ進みなさい」


二人が恐る恐る中央の半円形の台の前に立つ。


「人定尋問を行います。被告人ヘンゼル、氏名年齢を」


「……ヘンゼル・フォン・アウエルバッハです。十四歳です」


「被告人グレーテル、同じく氏名と年齢を」


「……グレーテル・フォン・アウエルバッハ、十一歳、です……」


声が震えていた。

私は事務的にそれを記録し、検察官を顧みた。


「検察官、起訴状の朗読を」


検察官が静かに起立し、書面を開く。


「起訴状。被告人両名は共謀の上、森林地帯に位置する被害者お菓子の家の魔女ホレ氏の住居へ、正当な理由なく侵入した。さらに、同住宅の外壁を構成する可食性物資、および家財を食い荒らし、これを損壊した。その後、発見された被害者お菓子の家の魔女を、後方から熱せられた竈内部へ突き落とし、全身に重篤な火傷を負わせたものである。罪名、住居侵入、器物損壊、殺人未遂」


法廷の空気が一段と張り詰める。


「被告人両名に対し、黙秘権を告知します。あなた方は終始無言を貫くこともできますし、発言したことは不利な証拠にもなります。その上で伺います。起訴状の事実について、間違いはありますか」


ヘンゼルが小さく息を吸い、証言台の手すりを強く握りしめた。


「……入ったことと、お菓子を食べたことは間違いありません。でも、突き落としたのは、私たちが殺されて食べられそうになったからです。生きるためにやったことです」


弁護人が起立する。


「弁護人です。住居侵入および器物損壊の客観的事実は認めますが、当時は実親による遺棄の結果、極限の飢餓状態にありました。生命を維持するための『緊急避難』が成立します。また、殺人未遂罪については、被害者からの生命の脅威に対抗した『正当防衛』、あるいは『誤想防衛』であり、違法性は阻却されます。よって、全罪状について無罪を主張します」


(裁判官の心の声):

「生きるための不可抗力か、それとも凶悪な過剰防衛か。最初の分岐点だな」


「被告人は自席へ戻りなさい。続いて、証拠調べ手続きに移ります。検察官、被害者尋問を」


ガラガラと車椅子の音が響き、法廷の脇から被害者であるホレ氏が入廷してきた。

全身を白い包帯で厳重に巻かれ、顔の半分には生々しい火傷の痕が露出している。起立が困難なため、私の許可を得て着席のまま宣誓書を読み上げた。


傍聴席の一般市民:

「……やはり、あの火傷の噂は本当だったんだな。気の毒に」

「いくらお腹が空いていたからって、あのお年のお婆さんを火の中に突き落とすなんて、本当に子供のやることかね」


傍聴席の新聞記者:

「(手帳にペンを走らせながら)被害者の身体的損傷は重篤。子供たちの『可哀想な迷子』という世論の風潮は、この客観的損害を前にして維持できるか。裁判官の証拠採否が鍵になるな」


検察官が魔女の前に立つ。


「被害者魔女ホレ氏。当時の状況について説明してください」


お菓子の家は消え入るような掠れた声で話し始めた。


「私は目が不自由でございます……。あの夜、道に迷い、飢えて泣いていたあの子たちの声が聞こえました。不憫に思い、家に招き入れ、せめて元気を出してほしくて、私が大切に作っていた特製のお菓子を、お腹いっぱい食べさせてあげたのです……。それなのに、あの子たちは私の家を壊し、あろうことか、私を燃え盛る竈へと後ろから突き落としたのです……」


「検察側からは以上です」


検察官が満足げに席に戻る。法廷は魔女氏への同情に傾きつつあった。

その時、弁護人が椅子を激しく引いて立ち上がった。


「被害者! あなたは善意を主張しますが、そもそも人里離れた森林地帯に、児童の誘引を目的とした可食性建築物を建築すること自体が、違法な監禁罪の予備行為にあたるのではないですか!」


「異議あり。」


検察官が鋭く起立し、右手を挙げる。


「弁護人の発言は、客観的証拠に基づかない強引な誘導尋問、あるいは憶測に基づく侮辱的発言です。尋問の手続きを著しく逸脱しています」


私は表情を崩さず、弁護人を冷徹な視線で制した。


「異議を認めます。 弁護人、現在の尋問順序を守りなさい。また、客観的証拠に基づかない単なる憶測による尋問は却下します。着席してください」


「……失礼しました」


弁護人が頭を下げて着席した。法廷の緊張感は途切れない。


(裁判官の心の声):

「手続きとしては却下した。だが、弁護人の指摘した『なぜお菓子の家なのか』という疑問。これは被害者の『善意』の真実性を測る上で、避けては通れない客観的争点だ。検察がどう立証するか、見極めさせてもらおう」


私は手元の資料をめくり、検察席へ視線を向けた。


「検察官、次の立証へ移ってください」


「はい。検察側は、被告人両名、特に兄であるヘンゼル・フォン・アウエルバッハの『計画性』および『犯罪への強い意志』を証明する客観的証拠を提出いたします」


検察官が起立し、白い手袋をはめた手で、透明な証拠袋を持ち上げた。中には、月光を反射して怪しく鈍く光る、小ぶりの白い小石が十数個入っている。


「検察側請求の、領第4号証。これは、被告人両名が最初に森へ遺棄された際、自宅から被害者宅へ至る道中に点々と落とされていた『光る石』の実物です」


傍聴席の一般市民:

「石……? それがどうしたんだ?」

傍聴席の新聞記者:

「いや、待て。あの状況で事前に石を用意していたとなると……」


検察官は証拠袋を掲げたまま、自席からヘンゼルを鋭く見据えた。


「被告人ヘンゼルは、親から森に捨てられることを事前に察知し、あらかじめこの光る石をポケットに大量に忍ばせていました。そして夜間、月光を頼りにこの石を辿り、一度は正確に自宅へ生還しています」


法廷内に低いざわめきが広がる。


「これは何を意味するか。被告人ヘンゼルは、大人の行動を完全に予測し、それを出し抜くほどの『異常に高い知能』と『冷徹な計画性』を持っているということです。二度目に森に遺棄された際も、彼らはただの哀れな迷子として彷徨っていたのではない。最初から森の奥にある被害者ホレ氏の資産(お菓子の家)を標的とし、略奪の機会を伺っていたのです。飢餓によるパニックなどという弁護側の主張は、この石の存在によって完全に覆ります!」


ヘンゼルは顔を真っ青にし、自席で拳を固く握りしめた。隣のグレーテルが怯えたように兄の袖を引っ張る。


(裁判官の心の声):

「光る石……。確かにこれは、偶発的な迷子の行動ではない。事前にリスクを察知し、生還ルートを自力で構築した証拠。この少年の知能は、大人の想像を遥かに超えている。……世間が同情する『無力な子供』という前提が、この石一つで揺らぎ始めたな」


弁護人がすかさず起立する。


「異議あり。 検察官の主張は、一つの生存戦略から『強盗略奪の意図』を飛躍させて結びつけた、不当な拡大解釈です。当時、被告人たちは実の親に殺されかけていたのです。生きるために石を拾うことが、なぜ犯罪の計画性になるのですか!」


検察官が冷笑を浮かべて応戦する。


「では弁護人、二度目に捨てられた際、なぜ彼らは石を用意しなかったのですか? 答えは簡単だ。一度目の生還で森の地形を把握した彼らには、もはや目印など不要だった。あるいは、最初から別の目的……被害者宅への侵入を決意していたからです」


「それは——!」


弁護人が言葉に詰まる。法廷の空気は、完全に「知能犯の兄妹」という検察側のストーリーに引っ張られ始めていた。


傍聴席の一般市民:

「なるほど……言われてみれば、そんな石を事前に集めるなんて普通の子供じゃないな」


「親に捨てられたショックで、ひねくれて凶行に及んだのかねえ」


裁判官は机の上のペンを静かに置き、両者を見つめた。


裁判官:

「弁護人の異議を却下します。検察側の主張は、提出された証拠に基づく一つの合理的な推論の範囲内です。……弁護人、検察側のこの『計画性』の指摘に対し、被告人側の反証はありますか」


弁護人は悔しそうに唇を噛み、一度着席して手元の分厚い書類をめくった。そして、意を決したように再び起立する。


弁護人:

「……あります。被告人両名が二度目に石を用意できなかったのは、計画性がなかったからではありません。用意『させてもらえなかった』のです。検察側は、子供たちの衣服や知能ばかりを責め立てますが、そもそも彼らをこの異常な事態に追い込んだ元凶の審理が完全に抜け落ちています。裁判長、弁護側は次回期日を待たず、今すぐ次の証人の召喚を要求します」


裁判官は小さく眉を動かした。


裁判官:

「弁護側が要求する証人とは」


弁護人は法廷の奥の重い扉を指差した。


弁護人:

「被告人たちの実の父親、並びに、口減らしを提案した張本人である継母です。この事件の引き金を引いた大人たちをこの場に呼び、当時の家庭環境の異常性を立証いたします」


法廷が、今日一番のざわめきに包まれた。

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