01-尖塔の最上階、そしてそのちょっと下
――七年に渡る戦いの日々が終わった。
環状都市バナウスは中心街から外郭区に渡るまでお祭り騒ぎだ。霊峰シュトラヒンケを覆っていた灰色の霧がすっきり晴れ、魔法学園の尖塔から眺める夜景はきらきらと輝いている。
「サヨ、後生ですから」
「嫌だってば」
その尖塔の最上階から、螺旋階段を少し降りた先。
《魔女の書庫》の辺りから、マチアス隊長と紗世さんの声が響く。
覗き見させていた使い魔をそっと戻し、ルウイは大袈裟に肩を竦めて首を振った。抜き足さし足また尖塔の最上階にある小部屋へ戻る。
「マチアスさん、粘るねぇ」
「あれやってたよ。セイザ。……ドゲザ?」
「うっそ」
声をあげそうになって口を抑える。
あの温和で、頼りになる、誰よりも強い総隊長のマチアス・バーグが正座。土下座?
どんな話になっているやら詳細はわからないが、これは暫く尖塔から降りられなさそうだ。わたしとルウイは、この騒がしい夜をこの塔で見守ることに決めた。
わたしたちと彼らとで、勝ち取ったこの尊い夜を。
わたしたちは七年前、この世界に召喚された。
修学旅行、自由行動中での出来事だった。同じ班だった暁斗と遙真、茉希と、たまたまそこに居合わせた初対面の紗世さんと一緒に。
学園裏手に保存されていた古代大規模魔法陣集積地――《失われし魔法陣遺跡》にあるいちばん大きな魔法陣がいきなり起動したとあって、環状都市バナウスの防衛隊と学園の魔法研究者たちが大慌てでやってきてそこへ放り出されたわたしたちを取り囲んだ。あのときは生きた心地がしなかった。
「仕方ないからルウイ、お茶にしよっか」
「ん」
環状都市バナウスが誇る魔術学院の尖塔は、いま階下で総隊長に正座もしくは土下座をされている――もしくはさせている――《全知の魔女》たる紗世さん率いる魔法技術部の叡智が集結している場所だ。なかでもこの最上階にはバナウスの守護を行う各種結界や障壁の魔法陣が綴じられ保存されていて、《守護の魔法使い》たちが交代で維持し続けている。
ルウイは今代の《守護の魔法使い》のひとりだ。
最年少で任命された、天才魔法少年。
そんな彼がわたしのお茶を淹れている。
マチアス隊長と紗世さんの行方に思いを馳せながら。
「……ぼくとしては、マチアス隊長を応援してるんだよね」
「そうなの?」
意外だ。
ルウイは、尖塔を率いることになった紗世さんを半ば崇拝し、彼女に害がありそうなものすべてに敵意を向けていた。《世界の均衡を崩すもの》の《母体》に家族を奪われた十年前から、ずっとだ。陰で《魔女の忠犬》と呼ばれているのは伊達じゃない。彼とマチアスさんが紗世さんを守っていたから、暁斗と遙真とわたしが環状都市を離れて全力で戦えた側面もある。
「もちろんサヨはぼくの希望で、目標で、敬愛する人だよ。彼女に感謝してるし、命を掛けて守ると決めてる」
「ん、うん」
「けど、……ぼくにできないところに、きっとマチアスさんなら手が届くかもしれないから」
「……」
ルウイの言葉に、心臓がぎゅっと痛む。
異世界へ喚ばれた五人の中で、いちばん負担を強いられたのが紗世さんだ。
ひとりだけ年上で、いろんな話し合いをまとめる役目をしてくれ、莫大な魔力と魔法の才能で全員を支えてくれ、茉希が使った極大封殺魔法――《世界の均衡を崩すもの》の《母体》を封じた魔法を紐解き、《母体》を封じる代償に自らを魔晶石の彫像へ変質させた茉希を救ってくれた。
七年かけて。
わたしと暁斗と遙真にはできないことだった。
そう言うと紗世さんは「最前線で戦ってくれた三人がいてこそ出来たんだよ」と笑ってくれるんだけど。
この世界は、ここ何十年かで一気に《神秘》が大地を侵食し、人間やほかの動植物が生きられる土地が激減するという異常が発生していた。環状都市バナウスは物理的、魔法的に《神秘》からの防衛線を作るために作られた街で、《神秘》の侵食を食い止めるための最前線の研究がこのバナウスの中心、学園で行われていた。
そこに突然召喚されたのがわたしたちだった。
当時の《全知の魔法使い》、オ・ファルセナ・コディ――おハルさんが古代大規模魔法陣を解析して説明してくれたのだが、確かこんなふうだった。
「この魔法陣書いた人はヤバいね。すごい。『いつか《神秘》が大嵐を巻き起こすだろう。世界が《神秘》を追いやったなら、《神秘》がその権能を取り戻そうとするだろう』――だなんて! 千年も前にこの危機を予見してたのかよ! つまり前時代の非魔法主義の影響で総量は決まっているはずの《神秘》が人に害を及ぼす異常な増え方をしたから、位相の重なる世界から《神秘》を害のないかたちで補充してバランスをとろうとしたんだな。それが君たち五人ってわけだ。ははあ」
早口でまくしたてられて呆然としていたら、紗世さんが「ちょっと速度落としてくれませんか。あとできたら解像度上げてもらえると」と返した。そうしたらおハルさんは解像度という耳慣れない単語に反応してさらに早口になったのだけど、それをどついて黙らせたのが当時は副隊長だったマチアスさんだったりした。
正直わたしはこの《神秘》とか魔法とか魔力やらについて、長いこといまいち区別できていなかった。遙真と紗世さんはそのあたりに興味を持ってしっかりめに教わっていた。召喚された五人のなかでも、ふたりはひときわ魔力が多かったのもあった。ゲーム好きの遙真は、自分はクレリックで紗世さんはメイジとか言っていた気がする。ほかの三人もそれなりに魔法が使えたが、わたしと暁斗はどちらかというと身体強化とかの方が得意だったので、それならと茉希は補助魔法を覚えることにすると言った。
「あたしはさー、紗世さんみたいな魔法の才能はなさそうだし、珠莉みたいにパワーもない。男子たちにはもっとかなわないから……だからさ」
……茉希。
あの子は運動が苦手でいつも少し後ろから全体をみてみんなを支える魔法を沢山使ってくれていた。みんなに足りないものを考えて、そこを埋めてくれていたのだ。そんな彼女だからこそ、《世界の均衡を崩すもの》の《母体》が現れたとき、真っ先に、即座の判断で封殺魔法を発動できたのだろう。
あとから気付いた。
気付いた時にはもう遅かった。
少なくない数の犠牲者が出た。
おハルさん。防衛隊長。隊員たち。見知らぬ非戦闘職の人々。
惨状に泣いて吐いて、魔晶石化した茉希にいろんな魔法をかけている横で《世界の均衡を崩すもの》の封印に沸き立つ人々がいて絶望しそうになったとき――紗世さんが封殺魔法を読み解いて、《世界の均衡を崩すもの》を倒し切る方法と茉希を助ける方法をブチ上げた。
「なるはや即刻倒すべきだよ。――残念だけど茉希の魔力じゃ足りなくて封殺魔法が封印魔法になってる。不十分なの。封印が解けるまでだいたい四十年ってところ。そのときいまより戦力が整ってる保証はあるわけ?」
紗世さんと茉希を守って倒れたおハルさんの跡を継いで紗世さんが《全知の魔女》になったのがこのときだ。
その後、紗世さんと《塔》の魔法使いたちが《世界の均衡を崩すもの》を消滅させる古代魔法を調べあげて検証し、導き出したその方法と材料を集めてまわった。どんな所でも行った。朽ちた古城、沖合いの孤島、底なしの谷、過去にまでも。
カップを掲げて、ルウイがいつもの様に祈る。
「根の背におわします根の神に」
「根の神に」
根の背というのは、この世界で死者が最初にたどり着く場所をいう。そこを治めるのが根の神で、悔いある死者を癒しその魂を次の場所へ導くのが役目らしい。ルウイが根の神に祈るのは、そこでおハルさんがこちらを見ていると信じているからだ。おハルさんはどう考えても根の背から動かないだろうとわたしも思う。
なにしろ、おハルさんの遺品整理をして見つかった様々なメモをかき集めて検討したところ、おハルさんはこの世界の平均寿命を全て使い切っても足りないであろう研究アイデアを溜め込んでいた。彼がこれまで世界について感じた疑問をまとめたメモだ。おハルさんは残りの人生をかけてみっちり遊び――研究し尽くす気だったのだろう。その後メモをまとめて作成された目録は『ファルセナ目録』と名付けられ、《全知の魔女》を継いだ紗世さんに託された。紗世さんはこの目録をすべて研究してみせると宣言している。
おハルさんが、それを確認せずに根の背を去るはずがない。
「目録のうち、いちばん難解だった時間遡行と魔法陣の反転を実現したんだから、ファルセナ様は大喜びだと思うよ。……いや、悔しくて暴れてるかな」
「どっちよ」
「両方」
ルウイが苦笑する。おハルさんなら喜びながら頭を掻き毟りそうだ。わたしたちがおハルさんと過ごした時間は半年ほどと短かったけど、なんというか、強烈な性格だったので、簡単に想像できてしまうのだ。
「サヨが研究を継いでくれて嬉しいけど、自分が研究できなくて悔しい。サヨがやり残したことを潰してくれて嬉しいけど、サヨを元の世界に戻せないのが悔しい。サヨが自分を覚えていてくれるのが嬉しいけど、マチアス隊長に取られるのが悔しい。……このあたり行ったり来たりしてるね。賭けてもいい」
「ンフッフ」
声を殺して笑う。ダメだお腹痛い。震える腕を下ろして、まだちっとも飲めていないお茶を横へ置いた。
「零すかと思ったでしょ」
「ごめん」
「マチアスさん、頑張って押し切ってるかな」
ルウイがいたずらっぽく唇の端を上げる。
「頑張ってもらわないと困るな。ぼくらの敬愛する《魔女》を手にしようっていうんだから」
「ふふ」
多分2~4話くらいになります。




