六十九話
甘い誘惑だった。確かに彼女の言うとおり他県に引っ込めば、あの怖い夢とかも見ずに済む。元々の目的は、怪奇現象を止めるために調査を始めた。翠のように地元を離れれば目的は達成されるのだ。
しかし、それでいいのだろうか。
「それはできそうにない」
間髪いれずに断言したのは隆幸だった。驚いた顔をしたのは、真樹だけでなく翠もだった。好んでこの場所に残り続ける選択をするとは思ってもいなかったのだ。
「残念だけど、俺は冷泉を見つけないといけない。だから、逃げるのは無理」
肩をすくめ、ため息を漏らす隆幸に晴人は口笛を吹いた。
「じゃ、俺も。楓だけは他県に出せばいっか」
「冗談言わないでよ。ハル君」
楓は晴人の頭を軽くはたいた。どうやら、彼ら三人はここに留まるようだ。それが当たり前だというかのように、過去と向き合おうとしている。
何だろう……何も悪いことなんてした覚えはない。だけど、どこか胸が締め付けられるような後ろめたさが真樹を襲った。
「つーかタカちゃんってもっと合理主義じゃなかった? 俺本気で脱出するとか言うと思ってたわ」
「そりゃ逃げたいよ。だけど、冷泉を置いてのうのうと生きていける気がしない」
真剣な答えを導いた隆幸に、楓はあどけない少女のように表情を崩し、肩の力を抜く。
「そうだよね、御堂君は。告白まだだもんね~」
「桜井。変なこと言うな」
けらけらと笑い合う三人。
……私は、まだましだ。
ふと思った。
御堂さんは、大切な人が失踪してから十五年も過ごした。そんな人がまだ進むと言っているのだ。逃げるのは簡単だ。されど、少なくとも隆幸は冷泉真樹を諦めていない。
「……私も、出ない」
翠、隆幸、晴人、楓の視線が集中し、思わずびっくりした。だけどこれだけは言う。言わなければいけない。即席の決心が揺らがないうちに。
「私を助けるために奔走した一真に顔向けできない。それに、新たな犠牲者を出したくない」
お茶のカップを握りしめ、真樹は声を張り上げた。何度もつっかえそうになる言葉を無理やり押しだす。
しばらく彼は病院を動くことはできないだろう。ましてや呪いのために他県へ行くなんてできない。こうしている間にも、一真にさらなる危害が及ぶのは座視できない。
ずっと一緒にいたい。我儘かもしれない。でもそれを貫き通したい。だから呪いを終わらせる。二人一緒に学校を卒業するために。
「だから、呪いを解きたい」
「そうですか。……強いですね、あなた方は」
一息に言いきると、翠は一呼吸を置いて、肩の力を抜いた。
「別に強くなんてありません。犯した責任を清算するだけです」
一真のために。きっと、彼は望まないだろうけど。もうやめろと言われるだろうけど。
ここからは、一真に頼れない。
「私も、貴方達のような強さがあればよかった」
虚空を見つめた翠の言葉は、誰かに言い聞かせるものではなく、過去の自分を見つめ直したものだった。
「私も、呪いを解くために協力させてください。私は戻れませんけれども、それでも――」




