百二十三話
鼻につく、血なまぐさい不快な臭い。理科の実験で使った臓器とはかけ離れた悪臭に、隆幸は鼻をつまむ。
しかし、すぐに嗅覚が機能しなくなった。
見てしまったから。
大きなグランドピアノは口を開けて、白い鍵盤をむき出しにしている。あたりにはホルンやヴァイオリンなどが野ざらしになっており、ベートーベンなどの肖像画は埃で汚れていた。
その中央には――。
血濡れの晴人が、うつ伏せになっていた。
「平……野……」
下半身の力が抜けた。視覚以外の全ての感覚が消える。
平野。
なんで。
なんで倒れ――。
嘘だ。
嘘だろ。
脳が壊れたラジオのように、要領得ない会話が流れる。
数歩、隆幸は近づく。彼はピクリとも動かない。
脇腹と背中の二か所に、大きな切り傷があった。特に脇腹に深い傷があり、半円状に血がこぼれていた。
「あ……ああ……あ……」
ひざから崩れ落ちる隆幸。正気が、保てなくなってくる。現実を受け入れられない。本能が拒否し、理性が蝕まれる。
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
「平野……おい、平野!」
返答がない。隆幸は彼のそばにより、肩をゆする。
反応は、なかった。
「平野! 返事しろよ! なあ! 平野!」
閉じられた目は、開かない。平衡感覚がゆがむ。
大切なダチが。
こみ上げる空しさと、一人で行かせてしまったことの後悔。
そして、絶望。
「うわああああああああああああああ!」




