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シーン 91

 グリプトンの討伐から十日ほどが過ぎた。

 裏庭ではサフラがニーナを相手に木剣を使って剣術の模擬戦をしている。

 グリプトンの討伐をして帰宅した晩、ニーナに食事を振舞うと満腹感からそのままソファーで眠ってしまい、翌朝には何食わぬ顔で朝食を一緒に食べていた。

 初めは朝食が終われば帰るだろうと思っていたが、食事を気に入ったと言い張って帰ろうとはせずそのまま居着いてしまった。

 まるで捨て猫に餌を与えてそのまま居ついてしまったような気分だ。

 彼女自身、猫の様な性格なので我が家の他に気に入ったところが見つかればそのうち出て行くだろう。

 今は四階の何もない部屋を自分のものとして使っている。

 僕としてはサフラと二人きりの生活を望んでいたが、サフラ自身はどうやらそう思っていないらしい。

 むしろ、自身の戦闘技術をさらに向上させる目的でニーナを師と仰ぎ毎日のように稽古をつけてもらっている。

 その腕前は回を重ねるごとに進歩を遂げ今では十回に一回程度の確率でニーナから一本を奪うほどだ。

 最初は手も足も出なかったとは到底思えない成長ぶりだった。

 これにはニーナも驚いた様子で師匠を超える日もそう遠くはなさそうだと独り言を呟く回数も増えている。

 僕としては結果的にサフラの為になるならこのままでいいと思っている。

 正直、この数日で三人分の料理を作る習慣が付いてしまったので一人減れば寂しく思う。


 僕は僕で最近は新しい食材探しに余念がない。

 転生を機に家事から離れていたため料理の楽しさを忘れていたが、最近はそんな感覚を取り戻して毎日が楽しくて仕方がない。

 特に和食を作る上で必要な「さしすせそ」つまり砂糖、塩、酢、醤油、味噌を何とかして取り揃えようと思っている。

 砂糖と塩についてはすでに手に入れているため残りは酢、醤油、味噌を揃えればいい。

 この数日で帝都の店を渡り歩いたためそれなりに顔は広くなっている。

 ただし、どれも店では手に入らないため自分で仕込むしかない。

 酢については似た商品を露店で見つけたためどうしてもと言うほどではないと思っている。

 むしろ酢の効いた料理は得意ではないから無理に作る必要はないだろう。

 それよりも「ご飯には味噌汁」と言うくらい定番の味噌は是が非でも作りたいと思っている。

 幸い作り方は心得ているためあとは材料と仕込み用の桶があれば足りるだろう。

 味噌を作れば副産物として「たまり醤油」もできるから一石二鳥と言える。


 裏庭で稽古を続ける二人に買い物に行くと伝えて外へ出た。

 最近は一人で出歩くことが増えている。

 いつも一緒だったサフラは修行に夢中なためよほど遠くへ行く機会がない限り最近はずっとニーナと一緒だ。

 少し寂しい気持ちもあるが親離れの時期を迎えた娘の父親のような気持ちと言うところか。

 彼女が本当に嫁ぐとなった時、この物悲しい気持ちはさらに大きくなるように思えた。


 気を取り直して目的の店へと向かう。

 味噌は種類にもよるが一朝一夕で出来るものではない。

 単純に材料を揃えても作れるとは限らないし、発酵食品なので出来上がるまでに時間がかかる。

 発酵には「カビ」の力を借りる必要があるが問題はこの世界で「麹」を作れるかだ。

 ちなみに顕微鏡で詳しく調べたわけではないから種類までは分からないが、長く放置していたバゲットに青色のカビが付着しているのを見つけた。

 つまり地球と同様に細菌が有機物を分解していると言うことだ。

 この事実だけでも期待するのには十分な可能性を秘めているだろう。

 前世の知識によれば麹には大きく分けて三種類ありそれぞれに色がついている。

 その三種類は黒麹菌、白麹菌、黄麹菌となっている。

 この中で一番馴染みの深いものは黄麹菌で味噌の他に醤油や清酒など多くの発酵食品に使われている。

 ただ、実際に自家製で味噌を作る場合は市販されている麹菌を使う。

 この世界では店で製品化された種麹が手に入らないため自分で作るしかない。


 ちなみに我が家の主食となっている米は特別な方法で買っている。

 最近はニーナから「遠慮」の文字がなくなってしまい、米の消費量が以前に比べて倍近くになった。

 最初は小さな革袋に数日分買っていたがそれではすぐに足りなくなってしまう。

 このような事態になったため米屋の主人に頼んで「樽買い」と言う馬鹿げた単位で購入することを決めた。

 ニーナが居候をするようになってからと言うもの我が家のエンゲル係数は右肩上がりだ。

 ただ、小麦と違い生産量に対して消費量の少ない米は単価が安くて助かっている。


 最近はですっかり主婦業が身に付いてしまったらしい。

 おかげで店頭に並ぶ商品の値段を瞬時に見分けて良い物か悪い物かの判断を下せるようになった。

 転生して得た適応能力の高さに自分でも驚いている。

 不思議と考え事をしながらの買い物はスムーズだ。

 すでに今晩の夕食に使う食材と味噌用の材料を購入している。

 あとは味噌を仕込む桶を探すだけだ。

 しかし、見つかるのはどれも底が浅い物ばかりだったので思い切って新品の酒樽を購入した。

 これなら一度にたくさんの量を作ることができる。

 おまけに蓋もついているので別途用意する必要もない。

 酒樽は大きくて持ち運びには不便なため自宅へ届けてもらうことにした。


 買い物が終わると自宅に戻ってさっそく行動を開始する。

 初めに行う作業は麹作りだ。

 他の材料を仕込んでも発酵を促す菌がなければ話にならない。

 ただ、自然に存在する無数の菌の中から欲しい物を選んでと言うのは設備もなければ知恵も道具もないため不可能だ。

 悩んだ末に似たような発酵を促す菌が手には入る場所を思い付いた。

 どこの町にも必ずあるパン屋だ。

 パンの発酵をさせるには必ず菌を使う。

 具体的にはイースト菌という別の種類だがこれを材料に混ぜれば発酵が進むことは間違いない。

 成功するかは未知数だが何もせず悶々としているよりはマシだ。

 失敗すればまた別の方法を考えて試行錯誤を続けていくことになる。


 思い立ったが吉日とはよく言ったもので再び家を飛び出してパン屋を目指した。

 帝都で暮らすようになってから懇意にしているパン屋があり、気さくそうな主人だったためきちんと説明をすれば相談にのってくれるだろう。

 もし、ダメでも別のパン屋はいくらでもある。

 帝都は人も多ければ店も多い。

 田舎のように独占的な商売をすることはできないため競争原理が働いてどこの店も一生懸命だ。


 「おや、男爵様。いらっしゃいませ」


 カウンターで客を待っていた主人が気さくに声を掛けてきた。

 僕のことは名前で呼ぶようにと伝えてあるがどうしても男爵と呼びたいらしい。

 他にも男爵はいるのだからと説明したが未だに呼び方は変わらないままだ。

 その理由はわざわざ爵位を持った貴族が店に買い物に来ないからだと言う。

 確かに貴族は使用人が身の回りの世話をしている。

 買い物についても直接出向く貴族と言う姿は想像できなかった。

 そう言う意味ではやはり僕は異端なのだろう。

 もちろん今のところこのスタイルを変えるつもりはないため気にしないことにする。


 「いや、今日はパンを買いに来たんじゃないんだ。少し相談があって」

 「相談と言いますと?」

 「酵母菌をわけてもらいたいと思って」

 「酵母…ですか?」

 「これから故郷の発酵食材を作ろうと思っているんです。できればコウジカビが欲しいけど見つからなくてね」


 経緯を説明すると主人は興味深そうに話を聞いてくれた。

 パンも焼き上げる前に一晩発酵させている。

 パン職人としては見たことも聞いたこともない食材に興味が沸いたようだ。


 「なるほど…男爵様の話では食材を長期間熟成させなければいけないと…そう言うことでしたね?」

 「えぇ。なので実際に同じ物が手に入らなければパンに使う酵母を代用してみようと思い立ったんです。どうでしょう、譲ってはくれませんか?」

 「えぇ、もちろんです。男爵様には懇意にしていただいておりますので、このくらいのご協力は当たり前にございます」


 主人は小さな壷に酵母菌を含んだパンの生地を詰めてくれた。

 あとはここから必要な分だけを取り出して材料に混ぜていけばいい。

 思ったより簡単に手に入り帰り道の足取りは軽かった。

 家に着くとさっそく仕込みの準備に取り掛かる。

 一度にたくさん作っても失敗する可能性があるので試験的に少量の仕込みから徐々に段階を踏んでいく。

 まずは大豆を水に浸し柔らかくする。

 できれば半日ほど浸しておきたいがこちらの大豆は水分をよく吸収するため一時間ほどで柔らかくなった。

 大豆と言っても地球のものとは性質が違うためそれをよく見極めなければならない。

 続いて大豆を鍋に移して弱火で煮込む。

 こちらも通常は数時間ほど煮込む必要があるが大豆の特性ですぐに火が通った。


 「ん?レイジ、何をやってるんだ?」


 修行を終えたニーナとサフラがリビングへ戻ってきた。

 仕込みに没頭していたこともあり辺りはすっかり夕焼け色だ。


 「味噌を作ろうと思ってな。今はその下準備中だ」

 「ミソ?聞いたことがない食べ物だ。まあ、レイジが作るのだからウマイんだろうな」

 「味噌汁って言うスープを作るのが目的だ。ただ、日本とこっちじゃ同じ材料が揃わなくてな。失敗する可能性もあるから期待はするなよ?」

 「そうか。じゃあ、私は邪魔にならないようサフラちゃんと一緒に風呂に入るとするよ」


 居候のニーナはサフラの指導をしながら風呂当番を担当している。

 最初は悪戦苦闘して風呂を沸かしていたが今では適温を心得たらしく少し温めの湯は半身浴に適した温度だ。

 二人が一階へ移動をしたのを見届けて作業を再開する。

 あまり仕込みに時間を取られていると夕食の準備に差支えが出るので注意が必要だ。

 どちらも平行して作業を進めた。


 「あとは樽に詰めて完成…と」

 「出来たのか?」

 「あぁ。あとは発酵が進むのを待つだけだ」

 「発酵を待つ?つまり、今すぐは食べられない…そう言うことか?」

 「あぁ、通常なら一年近く寝かせるんだよ」

 「い、一年だって!?おいおい…いつになったら食べられるんだよ」

 「仕方ないだろう?そう言う食べ物なんだから。それより晩飯の準備はできているから席に着いて待ってな。サフラ、盛り付けを手伝ってくれ」

 「は~い」


 今日の夕食はチャーハンだ。

 サフラは引っ越してきた初日に食べたチャーハンが気に入ったらしく毎日でも飽きないらしい。

 ただ、それではこちらとしては飽きてしまうためいろいろと譲歩して三、四日に一度くらいのペースで作るようにしている。

 つまり今日がそのサイクルに当たる日だ。

 チャーハンはニーナにも好評で大盛りをお替りするほど気に入っている。

 食感を楽しめるよう大きめに切った干し肉を入れ疲れた身体にはちょうどいい少し濃い味付けにしてあるのが好評の理由だ。

 他にも栄養のバランスを考えてサラダとスープも添えている。

 こちらも同じ味に飽きないようドレッシングをいくつか用意したりスープの具材を毎回変えたりと工夫している。

 おかげで皿はすぐに空になり楽しい晩餐は過ぎていった。

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