シーン 9
まず、現状をきちんと整理しなければならない。
ちょうど今の状況に陥ったのは数分前のこと。
僕の周りを人型の緑色の怪物たちが取り囲んでいる。
怪物の正体は転生した初日に出遭ったゴブリンだ。
ゴブリンは元々小規模なコミュニティーを作り、拠点となる棲みかを中心に半径五キロ程度の生活圏を持っている。
どうやら僕は誤ってゴブリンのテリトリーに侵入してしまったらしい。
草原地帯ではゴブリンに出会うことは珍しくないが、こうして集団で現れると厄介だ。
ゴブリンは亜人種の中でも比較的知能が低く、群れを作って行動する本能が備わっている。
その方が効率的に狩りができることをよく理解していた。
だから今回もいつものように獲物を取り囲み安全に狩りをする計画らしい。
しかし、コイツらは運がない。
僕を獲物に選んだことがそもそもの間違いだ。
僕は素早く腰にぶら下げた鞘からマインゴーシュを抜いて牽制の姿勢を見せた。
いくら知能が低いゴブリンとは言え本能的に刃物が危険なものだとわかるらしい。
マインゴーシュを見た瞬間に身を強張らせたのが何よりの証拠だ。
その間にガンホルダーから銃を取り出し、間髪居れず一番近くにいたゴブリンの頭を撃ち抜いた。
銃を構えてから時間にして約数秒の出来事だ。
自分で言うのもなんだが恐ろしく正確な射撃だった。
弾は眉間の中心を撃ち抜き、まるで糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちていく。
周りのゴブリンたちは一体何が起きたのかわからなかっただろう。
仲間が倒れたのを見て俄かにざわめき出した。
僕はこの隙を逃さず次のターゲットに銃口を向けた。
特にこだわりはなく、ただ近いと言う理由から順にゴブリンを撃ち倒していく。
一撃で頭、心臓、腹部など急所となる場所を正確に撃ち抜き、射撃の精度を確かめながら安全な距離を取った。
戦闘を開始してわずか十数秒の間に敵勢力の半数程度が沈黙する。
初めての集団戦ではあるが上々の立ち振る舞いだ。
足元にはゴブリンの死体が転がり足場が悪くなっている。
きっと、こんな状況は並の精神の持ち主では動揺をするか、下手をすれば取り乱して冷静さを失うだろう。
戦いに慣れたハンターなら話は別だが、僕はまだこの世界に来て日が浅い新参者だ。
しかし、僕自身は何故かとても落ち着いていた。
その理由はこの銃があるという安心感と初日にゴブリンを倒したという経験からだ。
数では分が悪い戦闘も銃という存在が全てを帳消しにして戦況を一変させる。
次はどこを撃ち抜こうかと、この一方的な殺し合いを楽しむ余裕すらあった。
一体殺しているので二体殺そうが三体殺そうが大して違いはない。
これが初めての戦闘ならこうはいかなかっただろう。
残っているゴブリンの中にリーダー格と思われる一回り身体の大きな個体を見つけた。
他のゴブリンと違って革で出来た鎧を身に付け、手には重量感のある金棒を持っている。
頭に角でもあれば日本のおとぎ話に登場する鬼のような姿だ。
取り巻きのゴブリンを盾にしてこちらの様子を伺っているのがわかった。
そんな時だった。
リーダー格のゴブリンは危険を察知すると背を向けて走り始めた。
それに釣られ取り巻きのゴブリンも背を向けて後を追いかけて行く。
僕は心の中で思ってしまった。
「それでいい」と。
自然界では危険の察知が後れれば即命取りになる。
だから僕はあえて戦意を失って逃げるコブリンを追うことはなかった。
代わりに、この場から離れず攻撃の機会を伺う一匹のゴブリンへと冷ややかな視線を送る。
個体の年齢を識別できるほど生態に詳しいわけではないが、直感から人間の年齢に換算して十代後半くらいだろうか。
若さ故の怖いもの知らずといった雰囲気があり、下手をすれば今日が初陣だった可能性さえある。
血気盛んになるのは結構だが明らかに相手を分析する能力を欠いていた。
勇気と無謀を履き違えれば、それは愚かとしか表現できない。
しかし、ゴブリンは警戒しているのかすぐに襲い掛かってくることはなかった。
ここでゴブリンの姿を観察してみた。
手には野球のバットほどある丸太の棍棒を持っている。
初日に戦ったゴブリンはサーベルを持っていたため、個体によって使用する武器はさまざまだ。
服装は腰にボロ布を巻いた姿で、鎧など身体を守るものは身に付けていない。
リーダー格と比べてかなり見劣りする装備だ。
ここであることを思いついた。
実際、この世界のゴブリンはどれほどの脅威なのだろうか。
話に聞いた限りでは、並みの人間が数人掛かりで倒せる相手だという。
それが本当なら銃無しで直接相手にするのは危険だ。
ただ、転生時に得たボーナスで僕の身体能力は以前よりかなり向上している。
このアドバンテージが一体どれほどのものか。
腕試しをして見たいと思う好奇心が芽生えた。
銃に頼らずどこまで戦えるだろうか。
さすがに素手で戦うわけにはいかないが、幸い左手にはマインゴーシュがある。
それに、いざとなれば銃を使えば問題はない。
そうと決まれば行動は早かった。
まずはゴブリンの左の肩に向けて引金を引く。
これは万が一の時の保険だ。
相手が全力ではないので正確に力を知ることはできないが何かあってからでは遅い。
当然弾は肩を貫通し、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がる。
しかし、これで絶命したり、行動不能になることはなく、憎しみが篭った視線で僕を睨み付けた。
これは初日に対峙したゴブリンで経験済みだ。
次の動作は怒りに我を忘れて僕に向かってくると予想される。
案の定、ゴブリンは歯を剥き出しにし、棍棒を振り上げて襲い掛かってきた。
僕は振り下ろされた棍棒の軌道を読み身体を反らせた。
思い切り振り下ろされた棍棒は身体の数センチ横を通り過ぎていく。
直撃していれば当たり所次第で致命傷になりかねない威力だ。
もちろん、頭を思い切り殴打されれば絶命は必死だろう。
ここでわかったことがある。
ゴブリンの攻撃は決して避けられないものではない。
むしろ、単純な軌道だったので冷静に対処をすれば造作もないことだ。
いくら恐ろしい威力を持った一撃でも当らなければどうと言うことはない。
ゴブリンは渾身の一撃を空振りした反動から大きな隙が生まれた。
僕はゴブリンの脇腹にマインゴーシュを突き刺した。
隙だらけだったので切っ先は奥深く突き刺さり、素早く引き抜くと勢いよく紫色の血が噴出した。
ゴブリンの身体は全身を分厚い筋肉に覆われているが短剣でも十分にダメージを与えることができるようだ。
ゴブリンは脇腹に受けた傷が深く膝から崩れ落ち傷口を手で押さえている。
棍棒も手放しているのでもはやこのゴブリンに恐怖は感じなかった。
むしろ、痛みに苦しむ姿は見ていて痛々しい。
僕はせめてもの救いにと、これ以上苦しまないよう一撃で息の根を止めることにした。
銃口をゴブリンの眉間に向け躊躇なく引金を引く。
乾いた発砲音が耳に届くのとほぼ同時に眉間に穴が開いた。
一瞬の出来事に撃たれたコブリンは状況が理解できなかったことだろう。
ゴブリンは悲鳴を上げることもなくそのまま前のめりに倒れ動かなくなった。
今回のことでわかったことがある。
一つはゴブリンが攻撃的で危険な怪物だということだ。
確かに並みの人間では手に負えない相手かもしれない。
ただ、今の僕ならば問題ないこともわかった。
この先何があっても銃を手放すつもりはないが、何かの理由で銃が使えなかったとしてもゴブリンを倒すことは難しくない。
同時にゴブリン程度の討伐難易度の相手ならば、銃が無くとも十分に渡り合えそうだ。
ようやく辺りに静寂が戻った。
足元には実に両手で数えられないほどの死体が散乱している。
そんな異様な光景の中に僕が立っていた。
ちょうどローヌルの町を出て半日ほど経った夕方の出来事だ。