正妃親衛隊ユーコウの2年目
パトレシア 中等部3年 14歳
ユーコウ 正妃親衛隊 2年目 19歳
ミネルヴァ正妃親衛隊に配属されて、2度目の春が巡ってきた。
薄雲に月が隠れ、ぼんやりと暗く、変に暖かい夜だった。
非番の深夜に、レティシア王女の侍女に呼び出された。
「職務に関わる相談があります」と。
女の子からの相談ってまあ、ユーコウの人生では10割が愛の告白なわけだが。
将来の王太子妃の居室の、控えの間を指定されたことだけ、腑に落ちなかった。
王太子妃不在の今、居室は当然施錠されていて、鍵は侍女長が預かっているはず。
上司に相談すると、「とりあえず、鍵を奪い返しなさい」と、送り出された。
かくして侍女は、当たり前のように鍵を開いて、自分の部屋のようにユーコウを迎え入れた。
「ここは、王太子妃の侍女の控え室では?」
さりげない口調で問えば、女はうっとりとユーコウを見つめ、きっぱり断言した。
「はい! この部屋の真の主人は、レシティア王女ですもの」
「?」
首を傾げるも、侍女は喋り続けた。
「だって、レティシア王女は、アーチライン・シェラサード様に降嫁される、美しく聡明な国の宝ではありませんか! 側妃腹だからと、公爵令嬢でしかないマリアベル様以下の扱いなんて、横暴ですわ。ユーコウ様もそう思いますでしょう? ぜひ、私と夫婦になってレティシア様を盛り立てましょう! まずは、ミネルヴァ王妃さまにレティシア王女の不遇を訴えて下さいませ!」
何を言ってるんだろう?
ユーコウは、不自然ではない程度に瞬きをした。
大公宰相家嫡男アーチライン・シェラサードは、未だ闘病中である。婚約どころか、次男に家督を譲るのでは? と噂さされてさえいる。
健康な王女の嫁ぎ先として、これ以上ないってくらいあり得ない。
ていうか、全体的に言ってる意味がわからない。
ユーコウは、本物そっくりの造花ができるくらい精巧なオブラートさばきで、はっきりきっぱりお断り申し上げた。
「この身は、貧しき生まれの騎士に過ぎません。過ぎた野望を抱くには矮小すぎる器です」と。
侍女はしばらく食い下がったが、やがて「貴方の真心は、わかっております!」と、涙ながらに去っていった。
とりあえず、しれっと鍵はくすねておいた。
朝一番で、上司に報告するか。
「あんな思い込みの激しい侍女じゃ、王女もお困りだろうなあー」
廊下に出たユーコウは、ため息混じりにひとりごちた。
レティシア王女は、ストレートの金髪に優しいまなざしを持つ愛らしい少女だ。冷遇どころか、蝶よ花よと甘やかされた結果、王妃教育がさっぱりなことになっている。
そう、正妃親衛隊をしていれば、ミネルヴァ妃から教育を受ける令嬢と王女の学習進度を、日常的に目の当たりにしちゃえるのだ。
レティシア王女はゆっくりマイペースに学び、11歳で帝国語をマスターした。
一方のマリアベル嬢は、13歳にして国交がある全ての国の日常会話をこなしている。
貧民政策を問えば、レティシア王女は無邪気に「炊き出しをしましょう」と微笑む。
マリアベル嬢は「上下水道工事事業を立ち上げ、食事付きで雇います」と答え、予算案まで出してきた。
レティシア王女は将来、高位貴族の令息に降嫁するか、同盟国の王侯貴族に嫁ぐか、筆頭遣帝女か。
聡い妻を厭う貴族も少なくないから、のんびりおっとりした美姫で、正解なのだろう。
だが、未来の国母マリアベルに、そのような甘えは許されない。いつの世も、サンドライトの王妃には、優秀な頭脳と完璧な所作、類稀な美貌を求められてきた。
王太子妃の居室は5年後の彼女のもので、控え室に相応しいのは彼女の侍女だけである。
うん、あの侍女、やっぱり頭がおかしい。
口頭だけでなく、文書でも報告しよう。
その時ーーー王太子妃の私室の隣、王太子の私室から、がシャンと調度品が割れる音がした。何者かが、争っている気配がする。
「殿下?!」
内鍵がかかっている。ならばと剣の金具で鍵をこじ開け、扉を蹴り開けばーーー。
やんごとなき身分の少年が、黒装束の男を縛り上げ、麻袋に詰めていた。
「殿下!! ご無事で……あれ?」
黒装束は、ガタガタ震えながら「ごめんなさいごめんなさい」と呟いている。
金髪碧眼の美少年は「んー。君、2度目だしねえ。ま、出荷先は、かつて君が私を売ろうとした男娼館だ。がんばりたまえ」とか言ってる。
「えーと?」
剣をを抜きかけたまま、呆然と立ち尽くすユーコウ。
御年14歳。しばらく見ない間に背が伸びて、声も涼やかな低音になった美少年が、こてんと首を傾げた。
「あ。ユーコウ先輩か。久しぶりだね。今、母上の親衛隊だよね? こんな時間にどうしたの?」
「非番でしたが、争う音が聞こえましたので」
「親衛隊が助太刀にきたの、初めてだなー。うん、新鮮だ」
「新鮮て! いやいやいやいや! 殿下の危機に誰ひとりいないって、騎士としてどうなんすか?!」
「そんなこと言う隊員も、初めてだ……」
驚くとこ、そこかよ?
ユーコウは剣を鞘に納めながら、深いため息をついた。
「………殿下がご無事でなによりでした」
「私も、先輩を巻き込まなくて良かった」
天使の笑顔でニッコリ。
サラサラの金髪に、年齢の割に高い背丈。長くしなやかな手足。少年から大人にかわる過渡期だけが持つ甘さと、ある種の色気が、風貌や声に沁みている。
その天使は、虫も殺せないような笑みを浮かべながら、バッサリ言い捨てた。
「正直、親衛隊に来られても邪魔なんだ。すぐ罠にはまるし。毒にも弱いし」
王太子じきじきに、無能認定がもらえる親衛隊っていったい。
胸が、チクリと痛む。
ユーコウの戦力外通告は、この王子から武器を託されたのに放心状態で台無しにした、2年前からかもしれないが。
そのささくれた気持ちを知ってか知らずか、フレデリックがのほほんと首をかしげた。
「もし君が、暗殺者から母上を守る力を欲するなら、レクチャーするよ。非番の夜にここに来な。こーゆーの、隊じゃ教わらないだろ? 運が良ければ実戦も経験できるし」
「はあ……」
実戦って何だろう? そこの麻袋か?
「この世に、母上を暗殺できる人間がいるとは思えないけどね。企んだ瞬間、陛下に消されてきただろうし。知りたくもないから、知らないけどさ」
いやいやいやいや。
なに言ってるんすか?
王家の裏側がちらつく情報、入隊2年目にバラすなし。
「あと、親衛隊は要らない子たちじゃないよ? 見目麗しい護衛は、賓客の受けが良い。腕っ節は騎士団に入隊できる程度で充分。それよりも、見目と頭脳が大事だ。諜報員を兼ねてる者も少なくないしね」
またバッサリ。本当に鮮やかな戦力外宣告。
ていうか、諜報員って誰?! わかんないから諜報員なのか? 単にユーコウが鈍いのか???
……改めて、フレデリック王子って謎だ。
文武に優れた完璧王子として名高いが、学園の剣術大会で目立つ戦績を残すことはない。
だが、咆哮を聞いただけで精神に異常をきたす追放竜を前に、至極冷静に動き、無傷で、戦った後は誰よりもピンピンしていたし。
今も、親衛隊の手には負えない暗殺者を、ひとり易々と退治しているし。
「前から気になってたんだけど、なんでユーコウ先輩が『あわよくば、家つき令嬢に婿入りし隊』にいるの? 婚活?」
お綺麗な尊顔で、なんつう言い草だ。身も蓋もない。
「いや、海軍士官で希望出したっすけど、何故かここに配属されたんすよ」
思わずこぼすと、フレデリックはポンと拳で掌を打った。
「あー……なるほど。研修中の君をロックオンしたどこぞの肉食侍女たちが、母上に泣きついたってトコか。ご愁傷様」
フレデリックから憐れみの眼差しを受けて、ユーコウは思わず目を逸らした。
なんとなくそんな予感はしていたが。
具体的な裏情報は、知りたくなかった。
ユーコウは結局、何もできなかった。
麻袋を出荷する手伝いさえ、させてもらえなかった。
どうやら、非合法なことは全て暗部の仕事らしい。
お飾りの親衛隊に代わって王族たちを守っているのは、使用人に扮した暗部たちだとも教わった。
王族親衛隊の存在意義って、いったい……。
次の日の昼食で、都市警備隊に配属された学友たちに再会した。
かつて寂れた闘技場でたむろして、放課後演習倶楽部を名乗っていた令息たちだ。
卒業式に話しかけて以来、すっかり打ち解けたのだ。
もともとの境遇や育ちが似ているからか、意外にも話が合う。
彼らは、出自にふさわしい隊に配属され、昼夜交代で王都を守っている。
「ユーコウじゃーん! おつかれー!」
友人たちは徹夜夜勤明けの午後あがりで、たいそうハイテンションだった。
「モテ騎士がモテ部署にいるなよなー!」
「お前とツレってバレてから、やたら手紙渡されるんだよー。断ってるけど。くそめんどくせー!」
「おめーは彼女に心配かけたくないだけじゃん? 王妃衣装室清掃メイドのカレンちゃんだっけ?」
「オレも彼女欲しい!!!」
テンションが高いっていうか、騎士団名物の夜勤ハイである。
「ま、とりま飲むぞー!」
「おー!」
浮かれた学友たちは昼間からビールを飲み始めた。ちなみに、親衛隊では腹が出るからと禁止されている。
「いいなあ。旨そう」
「ユーコウは勤務中じゃん。ダメじゃん。ざまあ」
「ウルセェ」
「はー! ビールうめえ! それよかさ、今年の合同演習、来月末だってサ。楽しみだよな!」
合同演習とは、海軍主導で行う軍事訓練である。
別名「地獄の合同演習」。
この演習で粗相や気絶をしなくなってはじめて、一人前と言われている。
もちろん、親衛隊は免除だ。王族を守る騎士が出払うわけにはいかない。
……のは建前で、日常の訓練や試合から他部署と別メニューでユルユルな親衛隊である。フツーに体をこわして終わるだろう。
「今年こそ、先生から一本とろうぜ!」
「100対1で誰もポイントとれないって、バケモノすぎだよなー」
「ユーコウ、助太刀に来てくんね?」
「親衛隊は顔に傷つけちゃダメだから無理だろー」
「なんだそりゃー!騎士かよ、それ!」
「王妃殿下の護衛が、額から血ー垂らしてたり、目のまわりに青タンこさえちゃ、ダメだろー」
「なるほど!」
盛り上がっている。ついでに、筋肉も盛り上がっている。
2年前にやさぐれていた不良子息たちも、1年前に真っ青になってゲロを吐きまくったという新兵たちも、ここにはいない。
学園の剣術大会では常勝無敗だったユーコウだが、この経歴こそがお飾りだ。
今ならまだ、こいつらより腕はたつかもしれない。だが、今だけだ。来年は? 再来年は? 5年後には確実に……。
わかっている。
自分は、騎士団に居ながらにして、武に生きる道を外れたのだ。
花形部署にいる恩恵は、数知れず。
それなのに、少年時代から鍛えてきた剣が、体が、鈍っていく毎日に、どうしてもモヤモヤする。
時々だけど、追放竜の咆哮と骸を思い出す。
フレデリックに会ってから、このモヤモヤが無視できなくなってしまった。
今更、合同演習に行きたいだなんて。
ありえない夢だ。贅沢な願いだ。
ユーコウは自嘲を隠して蒸し肉にかぶりついた。好物のはずなのに、なぜかゴムの味がした。