脳筋淑女、がんばる!
人間は、そうそう変わらない。
週末明けの放課後演習倶楽部は、やっぱりダメ人間の巣窟だった。
薄汚れた闘技場にダラダラと集まり、気晴らしといっては上級生が下級生を殴り、春画などの色本をめくっていた。
が、それ以上にブレないのがパトレシアである。
「ご機嫌よう。遅くなりましたわ。当番でしたの」
追放竜騒ぎで時の人となり、2度とこんな吹き溜まりには来ないだろうと思われていた令嬢が来た。
肩と胸部にプロテクターをつけただけの軽装備に、チュニック姿で。
「え。あの???」
「まあ! さっそく特訓中でしたのね!」
少年たちは、「ああ」だの、「うん」だの言ってオロオロしはじめた。
生粋のお嬢様で、正義感の塊みたいな一族に育ったパトレシアは、「いじめ」も「かわいがり」も知らない箱入りだ。
「あら、あらあらあら! あなた、先輩がたに稽古をつけていただくには、筋肉が少々。まずは太りなさい。筋肉はそれからです」
と、いじめられっ子にパンを差し出す始末。
「武器を持った複数のならず者と、武器を持たずに対峙した想定ですのね! しかも屋内! なんて現実的な設定でしょう! 素晴らしいですわ! この方は役不足ですから、今日のところは私が」
「え? あ、あの、パトレシア様。貴方がお怪我をされたら、その……」
昨日吠えておいてアレだが、暴力沙汰は退学一択である。
大貴族の令嬢に怪我なんかさせたら、末端の兵隊にすら採用されないだろう。ドロップアウトした貴族の末路は、平民よりも惨めだ。
「不問です。演習に怪我はつきものです! さあ!」
「う、うわあああ!!!」
やぶれかぶれに攻撃してくる上級生たちを、パトレシアは軽やかにかわし、蹴りを入れ、手刀を決め込んだ。
「うーん。やはり7時の方向からの対応が、我ながらイマイチですわ。先輩、もう一度お願いします。先輩。あら?」
先輩たちは、1人残らず気絶していた。
彼らから脅すように入部させられた新入生たちは、一箇所に固まって震えている。
無意識に道場破りをしてしまったパトレシアは、同期に向かってニッコリ微笑んだ。
「さ、先輩たちが休んでいらっしゃる間に、お掃除をしてしまいましょう!」と。
発足当時の『放課後演習倶楽部』では、騎士クラスのカリキュラムについていけない学生たちが、自主的に鍛錬していた。
ここ数年は、上級生が下級生をいたぶっているだけ。
厩の清掃を命じては汚物をかけ、武器の手入れと称しては暴力を振るっていた。
強制的に入部させられた少年たちは、先輩に媚びながら2年めから新入生を虐げるという、ダメなループが完成していたのだが……。
手入れの行き届いてない厩を前に、パトレシアが腕組みをしている。
「んー。こちらの倶楽部の皆様、ご実家に厩がありませんの?」
「え。あの…は、はい! あの、馬って贅沢品ですよね。持っていても、父親か嫡男の財産ですので……」
「ふむ。多頭飼育を経験された方がいらっしゃらないと。ならば、僭越ながら私がお教えしますわ」
「えー?! 辺境候令嬢が?! いやいや! だめですよ!」
「軍馬やワイバーンの世話は、アリスト家に生まれた者の嗜みですわ。さ! 古い藁をどかして掃除しますわよ!」
「し、指導だけ! 指導だけでお願いします!」
「パトレシア様、骨折してますよね?! 座ってくださいー!!!」
「辺境淑女の嗜みを、邪魔ないでくださいませ」
……やりたい放題した。
淑女ならば、側妃候補の令嬢ならば、慈善活動をするとか、お茶会を開くとか、そういう方面に頑張るべきなのだが、パトレシアはそちらは正妃になるマリアベルの仕事だと思っている。
その時、彼女の侍女に扮した暗部と共に、彼女を守るのが側妃の仕事だと思っている。間違いなく間違っている。
お勉強はできるけど、すこぶる脳筋な令嬢だった。
やがて、厩は改築したみたいにピカピカになった。
演習場も、貸し出し用の武器や防具も、新品みたいにピカピカになった。
パトレシアは、たいそう面倒見の良い令嬢である。
性善説を地で生きているが、1週間も入り浸れば気づく。ここが演習なんかしてないダメ人間の掃き溜めだと。
そして、そのダメな伝統が、行き場のない劣等生たちの鬱屈だと。
パトレシアの熱血クラブ活動にふりまわされ、慣れてきた不良学生たちも、ポツポツと自分たちのことを喋り始めた。
ある者は、厩の床をデッキブラシでゴシゴシしながら。
ある者は、ふかふかの干し草を用意しながら。
「騎士になって、家族を楽させるんだって学園に入学したけど、ガキの頃から家庭教師についていた層との差は歴然としてるんですよねー」と。
「オレら貧乏貴族の親は、子どもを学園に通わせるだけでいっぱいいっぱいだし」と。
継ぐ爵位や土地もない子息たちの現実は、厳しい。
騎士や文官として身を立てられなければ、家つき娘の婿にでもならない限り、現在の当主の死と同時に平民になってしまうのだ。
「たまにユーコウみたいな天才がいるから、余計いたたまれなくて。貧乏でも努力すりゃあいいってさあ」とも溢した。
見目麗しき『紅蓮の騎士様』は、意外にも貧乏子爵家の三男坊だそうだ。実力はエリートコースだが、育ちは彼らに近いらしい。
パトレシアはフムフムと聴きながら、「私も経済力がたいそう残念な側妃候補ですのよ」と笑った。
「今は良き友ですが、初めてマリアベル様にお会いした時は、ショーゲキでしたわ? あちらは殿下の正式な婚約者。私はあくまで側妃候補。あちらは才色兼備の完璧令嬢で、私はワイバーンで湿原を駆けるじゃじゃ馬娘。髪は傷んでいたし、日焼けし放題でしたし。隣に並ばされたデビュタントは、針の筵でしたのよ」と。
「タイプが違うだけで、両方美人ですよ」
追放竜に遭遇した夜に食ってかかった青年は、今やパトレシアのファンというか、舎弟みたいだ。
「あら、ありがとう。でも、育ちは隠せませんわ。だって私、お誕生日以外で紅茶に白砂糖を入れたことがありませんのよ?」
「え。嘘でしょ?」
「辺境貴族は貧乏ですの。学園に通えるのも、せいぜい嫡男くらいで。私も、側妃候補でなければこちらに来たかどうか」
アリスト辺境候領の貴族たちは、王都での社交や学園入学を大幅に免除されている。防衛上の事情もあるし、ほとんどの土地が不毛な湿地帯で、軍備だけで精一杯なのだ。
「厳しい自然、帝国との小競り合い、獰猛なバジリスクや追放竜の退治に明け暮れる毎日。辺境貴族は生活の為、8〜10歳から魔獣退治を嗜みますの」
「え……」
「でも、みんなして貧しいから境遇を気にする余地がありませんの。王都には、豊かな才能、財産、恵まれた出生を持つ方が、たくさんいらっしゃるわ。比べる対象が近すぎますもの。持たざる者にとっては、辛い場所ではあると思いますの」
「……」
「でも、学園に在籍する限り、学びは平等ですわ! 共に高め合いましょう! 私もやり直します!」
パトレシアはデッキブラシを置いて、図書室に向かった。
そして、准騎士採用試験の問題集をしこたま借りてきた。
実技も大事だが、座学も大事! である。
教科書を見せてもらって思ったが、騎士クラスでは正騎士試験合格にむけたカリキュラムを組んでいるから、スタート時点で出遅れている層にはレベルが高すぎるのだ。
一代貴族の資格が得られる正騎士採用試験は、高級閣僚の採用試験以上の難関である。
学園卒業見込みで試験は受けられるが、合格率はたった0.02%。現役の軍属の受験者込みで、この数値である。
だが、准騎士試験は、決して難関ではない。
貴族にはカウントされないが、騎士団への入団を許可され、正騎士採用試験の受験資格を5年間保持できる。
騎士クラスに6年在籍すれば普通に受かるはずだが、放課後演習倶楽部の過去合格率は2割以下である。
まずは、目指せ! 准騎士採用試験! である。
パトレシアは、「健康な体、貴族籍、最低限学園に通えるだけの経済力があるのだから、合格に死角なしですわ!」と、発破をかけた。
世間知らずの令嬢に言われたら説得力がなかったが、10歳から小隊をまかされ、辺境の魔物討伐に参加してきた猛者に言われたら、否とは言えない。
それでいて、彼女は側妃候補としての学びも怠らない。政治学、経済学、法学、作法に話術。所作も言葉も美しく、振る舞いも上品である。
学園に入学したばかりの少女が、これほどの努力をしてきたのだ。
出自を理由にやさぐれ、「どうせ、末端で燻るだけだ」と人生を諦めていた者たちは、知らぬ間に奮起していた。
うつむきかければ、パトレシアが肩を叩いてくれるから。
『先輩たちなら、必ずできますわ!』と、笑ってくれるから。
その後、パトレシアは茶会や夜会に出席する度に、『皆さま、出自に負けず、たいそう頑張っていらっしゃるのよ』と吹聴してまわった。
すると、マリアベル嬢から、全員分の准騎士採用試験の問題集と解答集が差し入れされた。
書物はたいそう高額だから、パトレシアのお小遣いではとても買えない。が、マリアベルの常識では、必要経費にして端金である。
大富豪シュナウザー家のお嬢様、スゴイ。
それから、教本が匿名で下賜された。王太子殿下の直筆としか思えない「痒いところに手が届く、謎の書き込みメモ」つきで。
さらに、似たような境遇に育った下級貴族の女性たちから、クッキーやビスケットといったささやかな差し入れを頂くようになった。
類は友を呼ぶのか、美人なお姉さまキャラは愛らしい妹キャラを呼ぶのか、これがまた清楚で可愛い子ばかりだった。
「私たちも、皆様方を見習ってがんばります」なんて言われたら、頑張らない選択肢が消滅するってもんだ。
結果、学園からお荷物な劣等生が消滅した。
『放課後演習倶楽部』は、名前を変えずして『准騎士試験対策倶楽部』に、生まれ変わったのだった。
パトレシアの鍛錬、どこに行った???
そんな彼らを、学舎の最上階から見下ろす男がふたり。
「放課後演習倶楽部の連中、変わったなあ。全員、准騎士採用試験合格だってサ」
鮮やかな赤毛を冬風が吹くままになびかせ、手すりに寄りかかるは『紅蓮の騎士様』ユーコウ・クボ。
「卒業式の後にでも、手向けに稽古してやったらどうだ? 『目標、ユーコウ先輩』とか言ってるし」
「いやいやいやいや。パトレシア嬢、オレがブルって殺せなかった追放竜の目玉に、躊躇なく槍を突き刺したからね? そりゃ剣の試合なら勝てるけどさ、逆に言えば試合でしか勝てないよ???」
「それでこそ辺境の戦女神だ。教師も学友も匙を投げていた不良たちに、剣の道に生きる希望を与えたのだから」
大量の手荷物を整理しつつ、切長の目を細める黒髪の男は『射干玉の騎士様』こと、ディーン・ホメロスだ。
「パトレシア嬢のお陰で、心残りなく退学できるよ」
「はあ。あと2ヶ月で卒業なのに。マジ勿体ねー」
ユーコウが振り返ると、ディーンは吹っ切れた笑顔で首を振った。
「主君の危機より優先されるべき学業など、ない」
ディーンは大公宰相家の乳母家の嫡男だ。剣の腕を評価され、幼い頃から嫡男アーチラインの従士をしている。
そのアーチラインは現在、大病を患って休学している。
アーチラインの付き添いで休みがちだったディーンは、正騎士採用試験に合格したタイミングで退学を決め、正式な従騎士になった。
「アーチライン様、はやく回復されると良いな」
「ああーーー」
途端、ディーンの眉間に深い皺が寄った。詳細は伏せられているが、あまり芳しい状態ではないのか。思い詰めたような表情に、ユーコウは笑みを向けた。
「ピカピカの従騎士様が、シケた顔すんな」
辛い時こそ笑え、である。
バシッと背中を叩くと「馬鹿力が」と恨みがましく睨まれた。ユーコウはますます大きな声で笑い飛ばした。
「病魔なんて、お前が斬り捨てちまえ」
「根源から叩き斬ってやりたいわ! ていうか、お前はその軽い態度と下町口調を直せ。せっかく正騎士試験に合格したんだ。所作が悪いと、出世できんぞ?」
「いや。オレ、海軍士官が希望だし。メシうまいみたいだし。礼儀とか最低限でいーっていうし。シーサーペント部隊に、オレはなる!!!」
「あー……。お前、中身がザツだから海軍向きと思うけど、顔が王宮騎士だからなあ。わからんぞ? 王宮勤務になるかもだぞ?」
「え。無理。全然無理」
それから、なんとなく沈黙した2人の頭上を、白い冬鳥が羽ばたいていった。