第17話 氷の花
「ちなみにここ、ビーチないでござるよ?」
「そんなっ」
屋台で適当なものを見繕い、食べ終わるのを待つ間そわそわしていたアルマさんに、無慈悲な一言が突きつけられた。
「昔からここは不自然な地形だって言われてるよね」
セラくんは知っていたらしい、特に驚くこともなく言う。
「そうでござるなぁ、ちょうど誰かがクッキーをかじったみたいに陸地が途切れているんでござるよ。今見えている岸辺も深い海の底まで断崖絶壁ってことでござるな」
ぽしぽしと食後のおやつに炒り豆を口に入れながらツバキが説明する。僕とツバキはこの不自然な地形の理由を知っている。
このあたりのマップを作成した人が何も考えずに海底をなだらかに作ったりしなかったせいだ。締め切りにでも追われていたんだろうか。
「でもこうして海を眺めているだけでも、なんだか気持ちいいではござらんか。海風が心地いいでござるよ」
ツバキが冷たい風を受けて目を細める。日差しが強い中でそよぐ風はとても気持ちがいい。
「ねぇ、ツバキさん。さっき通り過ぎた人たちが噂してたんだけど、この町にいる最強の氷炎ってツバキさんと誰?」
「あー、セラ殿は知らないでござるか。この町の冒険者ギルドには、とんでもなくおっかなーい氷の女がいるでござるよ」
ツバキが人差し指を立てて頭にツノを表現する。美人な顔立ちなのにこういうことするからいまいちそう思えないんだよね。
「拙者が『赤髪』と呼ばれてるのに対し、あの女は『氷の花』とあだ名されているでござる」
ついでにこの町の冒険者ギルドで一番偉い人でござるよ、と付け足してからふと停止する。
「テオ殿~! 昨日冒険者ギルドに登録しようって話をしてたのに帰っちゃったでござるな!」
バレた。つまらない小競り合いでうまくごまかしたまま帰れたと思っていたけど、さすがに気付かれてしまうか。
「冒険者?」
ピクリとアルマさんが反応する。なんだか厄介ごとになりそうな雰囲気。アルマさんにはカルメヤ村に定住するのも悪くないなんて言ってしまっているからだ。
「テオさんがそうするというなら、私も冒険者になりましょう」
「へー、面白そう。僕もやってみようかな」
恐ろしいほど一瞬のうちに冒険者になる流れが出来上がる。アルマさんはそれでいいのか……?
「どうせセラくんを護衛しなければならないのですから、それまで宿泊施設が割引になったりしますしいいかと」
そんな割引システムみたいなことあるんだ。
「優秀な何でも屋が町に居てくれたら便利だからね」
「そうと決まればみんなで冒険者ギルドに行くでござるよ!」
意気揚々としたツバキに連れられ、僕らは冒険者ギルドに向かった。
*
冒険者ギルドの建物に入ると、また静かなざわめきが起こった。自惚れではなく自分に向けられているとはっきり分かるほど痛烈な注目に落ち着きを失いそうになる。一方でツバキは気付いた風もなく、アルマさんとセラくんは涼しい顔だ。ツバキはともかく二人がしゃんとしてるのだから、僕もしっかりしないと。
「ツバキの紹介で新しい冒険者を3人登録したいでござる」
「承りました、では皆様のお名前をこちらに」
受付の女性は3枚の書類を僕らに差し出した。いろいろ規約なんかが書かれている最後に、サイン欄がある。
「名前……苗字はなくていいですか?」
実際どうか確かめる方法は無いにしても、咄嗟に偽物の苗字を考えるのは難しい。テオだけじゃダメだろうか。
「苗字が無い方は出身地の村・町・市区を代わりにしていただきます」
「どうも、じゃあ、えーっとテオ・カルメヤっと」
出身も何もないけど、カルメヤ村から来たからカルメヤにしておこう。そういえばアルマさんの苗字ってどんなのかな、こっそり見てみよう。
『アルマ・カルメヤ』
なぜかアルマさんも苗字の代わりに出身地で書いていた。何か思い入れでもあるのだろうか。
セラくんも書き終わり、3枚の紙を受付に返す。
「はい、確かに。それでは受験料をお支払いいただきます」
「これでいいでござるか?」
ツバキが半銀3枚を支払う、受験料とやらは一人当たり銅貨30枚なんだな。
「試験があるでござるが受験料は拙者のおごりでござるから、3人とも……いや、アルマ殿とセラ殿は思いっきりやるといいでござるよ」
お前は余計なことはするなよ、という無言の目配せには頷くしかなかった。試験内容は知らないけど、やりすぎないようにしよう。
「では奥の試験場へどうぞ」
*
試験場はランタンの明かりに照らされた石造りの広い部屋だった。床には砂が敷かれ、その上を四角く「日」の字を描くように白線が引かれている。見るに、試合をするための部屋ということだろうか。
「お待たせしました。本日の試験官、ヘルヴェリカ・フォルキットです」
部屋の入り口から涼やかな声がして振り返ると、黒いドレスの女性がうやうやしく礼をした。
青白く透き通るさらさらの長い髪に、陶器のような白い肌。華奢ながら屈んだときには胸元がとても強調されてなんかもうすごいな、スイカがぶら下がってるみたいだ。
「テオ、あんまりじろじろ見るのはダメだよ」
セラくんに釘を刺されて慌てて目をそらした。
「まあ、あなたがテオさん? ふふふ、よろしくお願いしますね」
にこりと微笑まれた。細めた血と同じ色の赤い目は妙に妖しさと色気を持っていて、見つめられるだけでドキッとする。
「ではお一人ずつ、お好きな順番でかかってきてくださいね」
ヘルヴェリカさんはすたすたと砂地の上まで歩いていき、また一礼した。手を体の前で重ねている以外はまったくの棒立ちで、戦う気配は微塵もない。
「あー、ツバキ。これって本当に?」
「そうでござる、この人と戦うのが試験でござるよ」
何かの間違いというわけではないらしかった。身長こそ僕より少し低いくらいはあるものの、肌も髪も白くて華奢な体だから少しためらう。
「じゃあ僕から行くよ」
どうしたものかと悩んでいたら、セラくんが名乗りを上げた。砂地を二つに分けるように向かい合って立つ。
「よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いしますね。ふふ」
お互いに試合前の挨拶を交わすが、どちらも戦闘体勢をとる様子はない。
「ところで、この試験場にあるものは何でも利用していいんですか?」
セラくんが聞きながら、砂を左手ですくい上げる。
「ええ、何でもつかっていただいてかまいません。法に則ったものであれば持ち込みも全て許可しております」
「なるほどね、じゃあこういう使い方はどうかな」
そのままセラくんは左手をぐっと握り、その隙間から少しずつさらさらと砂を落としていく。砂で目潰しなんていうのはすぐに思いつくけど、何をしようとしてるんだろう。
じっとこぼれ落ちていく砂を見ていると、突如としてその小さな滝を割ってナイフがヘルヴェリカさんの顔目掛けて一直線に飛び出していった。
「あら?」
ぴっ、と左手の親指と人差し指だけでそのナイフを挟むと、それはまるで空間に固定されたようにピタリと止まった。
通用しなかったものの、完璧な奇襲だったと思う。左手で思わせぶりに砂を掴み、それを一見無駄に扱ってみせることで視線を集中させて、残る右手でナイフを投擲する。砂に気を取られて反応が遅れてしまうって寸法だ。
「セラ殿もやるでござるな、左手でこれ見よがしに砂を掴んで目つぶしを警戒させることで視線を外し、その死角からナイフを放つとは」
……。ま、まあね、解釈は人それぞれさ。後でどっちだったかセラくんに聞いてみよう……。
「優しいのね、わざわざ当たらないところに投げてくれるなんて」
ヘルヴェリカさんが指を離すと、ナイフはまっすぐ砂の上に落ちた。
「でも手加減は不要ですよ。私、強いですから」
室温が一気に下がった。比喩ではなく、ヘルヴェリカさんが部屋全体を埋め尽くすほどの冷気を生み出している。魔力を使っているときの特徴的な上昇気流がヘルヴェリカさんのいる場所に巻き起こり、彼女の黒いドレスを揺らめかせている。
「――ッ!」
魔法を撃たせまいとしたのか、セラくんが一気に距離を詰めながら予備のナイフを抜き放ち、正確に首を狙って振ろうとした。が、できなかった。
地面から生えた氷の剣が、セラくんの腹部を貫き、動きを止めていた。
試験なのにここまでやるかという驚き以上に、僕はただひたすら絶句した。
――この魔法を、僕は知らない!
尖らせた氷を射出したり、氷の壁を作り出したりする魔法は確かにある。だけどここまで精緻に剣の形をした氷を作り出し、地面から突き上げる魔法は見たことがない。
もしかして全てが少しずつ違うこの世界、魔法まで知らないものがあるのか!? 今みたいに単純な攻撃を出力する魔法ならまだしも、何か特殊な効果をもたらすものだったら……僕はそれに出会ったとき、正しく対処できるのだろうか?
セラくんはすぐさま剣から体を引き抜き、――そのまま前に出た! 血が吹き出すがセラくんは体に刻まれた『死の印』の力によって致命傷を負うことがない!
追加で地面から生える氷剣を交わしてヘルヴェリカさんへと迫る!
「まあ、なんてこと」
刃がまっすぐヘルヴェリカさんへと向かうも、次はナイフ自体が地面から飛び出した氷剣に防がれてしまう。
体全体が浮くほどの力強さでナイフを持った右腕を弾かれ、セラくんは大きく体勢を崩した。
ふっ、とヘルヴェリカさんがセラくんの弾かれた右腕を掴むと、それは即座に氷の輪を作り地面から生える氷の剣と繋がった。右手を上げる形でセラくんが拘束されてしまう。
「お腹を刺されても動けるなんて、我慢ができるのね。とてもすばらしいわ」
ヘルヴェリカさんはそっとセラくんの頭を撫でる。セラくんは大きく息を吐き、脱力した。
「参りました」
そう言った瞬間、全ての氷がぴぃんと音を鳴らして粉々に砕け散った。
「はい、お疲れ様です」
すぐに控えていた治療術使いたちがセラくんを抱え、回復魔法をかけながら部屋を出て行く。
「不思議ね、完全に不意を突いたはずなのに“当たっても平気なところ”で受けるなんて」
連れられていくセラくんを見送りながら、ヘルヴェリカさんが呟いた。まさかあの一撃で『死の印』の作用に気付いたのか?
直接的な攻撃では効果が薄いから、体勢を崩してからの拘束に切り替えた。それも思い立った瞬間に成功できるほどの精度・実力がある。
多分、この人は、僕がこの世界に来て戦った何よりも! 圧倒的に強い!
「ツバキ、つまりこの人が?」
「そうでござるな、彼女がこの町最強と名高い『氷の花』ヘルヴェリカ・フォルキットでござる」
僕は頭を抱えた、ツバキがギルド内に知れ渡るほど力を示してなお最強の座を譲らない人物。それを相手に戦わないといけないなんて。
「ツバキ、一応この世界に来る直前のレベル教えて」
こっそりとツバキに耳打ちをする。
「992」
聞かなきゃよかったかもしれない。
「アルマさん、あの人俺と同じくらい強いかもしれないから、俺が先に行っ」
「なるほど、では次は私が」
僕を無視して、魔力の風を纏いながらアルマさんが砂地に入る。矢筒の代わりの皮袋に手を入れて取り出すと、その指先に光る糸が寄り集まるようにして矢が形成された。
「あらあら、それは隠しておいたほうが良い手ではありませんか?」
「かまいません、私もあなたの手の内を知ってしまったので」
あれだけ完璧にセラくんを封じたヘルヴェリカさんを、アルマさんはまったく恐れていないようだった。あまりにもあっけなくセラくんが敗れたために、僕はあの氷の魔法を掴みきれていない。それともアルマさんは何かに気付いたのだろうか。
「それでは、よろしくお願いしますね」
「ええ、お覚悟を」




