168 ルスト・バーンの内なる抵抗(前編)
諸侯会議直前に開かれる午餐会。
その最中、不自然に炭酸水を奪いそれを飲み、直後自分に命令を下した――この国の第一王女であるオクタヴィアと、その護衛の騎士――クリフォード・アルダートンの後ろ姿を見送る。
「…………」
ついで周囲を一瞥すると、ルストはすぐに一方向へ進んだ。一度も訪れたことがなかったのにもかかわらず、生まれたときから有している知識を使った。王城内に張り巡らされた隠し通路の一つを通り、先回りする。それらは慣れ親しんだ庭のようなものだった。
成功だ。隠し通路を出た先で、少し待っていると――予想通り、背後を気にしながら早足で歩く標的を見つけた。盆を持っていたはずだが、どこかに置いたのか、捨てたのか、何も持っていない。
「――まったく」
目立つ杯を運んでいた給仕。その給仕の進行方向に立ったルストは、そのまま腕を捻り上げた。
「な、何ですかっ?」
給仕が抗議の声をあげる。どうやらしらを切ることを選んだようだ。
しかし――薄紅色の炭酸水。あの二つの杯の両方に媚薬が入っており、それをこの給仕が知っていたのなら、犯人ということになる。犯人だからといって手練れである必要はないが、それにしても――弱すぎる。特徴のない成人男性だ。利用されたか、ただの捨て駒か?
そして、そんなことを無意識に考えていた自分に気づき、ルストは眉を顰めた。
これではまるで、本当の護衛の騎士のようではないか?
『貴殿が飼い犬というなら――オクタヴィア殿下の、の間違いではないのか?』
あわせて、先日ナイトフェロー公爵家の別邸を国王の命令で訪れた際、レイフ・ナイトフェローに投げかけられた問いを思い出す。あのときの不快感がわずかに甦った。
オクタヴィアがどうこう、という話ではない。
自分が自分でないような感覚。自分のものではない感情、記憶に乱される不快感は筆舌に尽くしがたい。
あの問いによって、間接的にそれが思いがけず呼び起こされた。姉の飼い犬になりたかった――忠実であることを望みながらそうできなかった愚かな男の記憶が。
生まれ変わり、という概念は、エスフィアでも、他国でも存在する。特にこの概念が強く教義にも組み込まれている宗教の一つがサザ神教だ。
それによれば、人は死ぬと、また別人としてこの世に誕生するらしい。
では、以前の生での自分と、新しく生まれ直した自分とは、同一人物だろうか?
――否。まさか。
ルストは言い切ることができる。
別人だ。
たとえ、以前の生における自分の記憶を有していようとも、過去は過去。現世は現世だ。とうに過ぎ去り、終わった生に囚われることなど誰が望む?
かつていかなる名を持ち、生を歩み、哀切と怒りと絶望を秘めたまま死んだのであろうとも、すべては死人の記憶なのだ。前世など、所詮は他者のそれ。
――永久に墓場にでも埋もれていればいいものを。
『姉上。イデアリア姉上』
まったく、不愉快だ。痣に痛みを感じ、ルストは顔を歪めた。
拘束していた力が緩んだ。異変を感じ取った給仕が逃げ出そうとする。
反射的に腕を伸ばし、逃げかけた首筋をつかんで引き戻した。……しかし力加減を誤った。給仕の後頭部が壁に打ちつけられる。乾いた音とともに、その中肉中背の身体から一気に力が抜け、ずるずると床へ崩れ落ちた。
ルストは大きく舌打ちした。
給仕の息があることを確認する。……気絶しているだけだ。
――失敗した。柄にもなく、自分で『記憶』を刺激してしまった。
痛み出した痣を片手で押さえる。傷ではないはずだが、痛むのだ。痛むときは、決まっている。自分が『記憶』に反発しているときだ。
従えとでも言うかのように。
だが、今回は『記憶』を誘発する直接の原因があるわけではない。この程度なら抑えることができる。……とはいえ、厄介なことに変わりはない。自分の中の記憶が――亡霊が騒ぎ出す。
第一王女オクタヴィアに、その影を重ねようとする。
「――亡霊が。消え失せろ」
吐き捨てる。
叶うことなら、前世の自分などこの手で殺している。始末に負えない最悪の輩だ。
「…………」
息を吐く。痣の痛みが収まってゆくのを感じる。
そして、時機良くと言うべきか、人の気配が接近してきた。すぐにその正体は明らかになった。
「ルスト・バーン。オクタヴィアはどこだ?」
深刻な顔つきをした第一王子セリウスと――その護衛の騎士のネイサン・ホールデンだ。
ホールデンはルストが王城に入ることになる少し前、任務中に負傷した。まだ完全に回復しておらず、段階的な復帰のため、会場での警護からは外れていたはずだ。
しかし怪しまれず、かつ自由に動かしやすい部下としてなら、第一王子からすればホールデンが最適ということか。
倒れた給仕を一瞥し、第一王子の顔がさらに険しくなった。
「この給仕は――あの炭酸水を運んでいた者か?」
見ただけで状況を把握したようだ。
一度しゃがみ、給仕の様子を確認すると、第一王子がこちらを見た。




