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晃道・生涯節制

 人間の死は突然訪れるものではない。

 病魔が巣食うという言葉こそ人の死を的確に表現していると言える。何故なら人の死とは体中の細胞が漸次(ぜんじ)的に遅々として死んでいく結果なのだから。

 いわば晃道の足は既に死んでいる。腕もだ。微動だにしない。もはや晃道の体の一部ではないかのように。

 死という病魔は悠々と晃道の体を蝕む、その豊富な知識と知恵を蓄えた脳にもだ。

 そこには今、二人の居住者がいた。

『……先生、これまでのようですね』

『ま、しゃーね。結構楽しかったぜ』

(……ん)

 テンパランスとアイドラドは喋らなくなり、晃道もその消失を感じた。

 一人になり、自分に死が迫っていることを知りながら、晃道は不思議と落ち着いていた。

 若い時分には大層恐れたものだが、いざ来てみれば恐れるほどのものではない。

 否、もはや恐れる余力もないのかもしれない。だがそれは新たな世界に通じる儀式なのかもしれないと晃道は思う。

 人の死とは何か、宗教では極楽か地獄か、輪廻転生か、はたまた最後の審判か、様々な例がある。

 だがそれらは所詮、日頃の行いを良くしましょうという幼稚園児の目標程度のものと変わらない。

 人の死後、それは永遠の暗黒だとか眠りだと言われている。

 意識も体温もない虚ろな体、もしかしたら動かない体に意識だけがあるとか恐怖を煽るような小話もあるが、事実を誰も生きて伝えないためにそれが真という可能性もある。

 我々はどこから来たのか、何をするのか、どこへ行くのか。

 母から生まれ、生きて、死ぬ。単純明快に答えればそれで済む。

 どこから来たのかと問われれば母に尋ねればよい。

 何をするのかと問われれば、自分の半生を振り返ればよい。

 ではどこへ行くのか? 晃道はこれからどこへ行こうとしているのか?

 深い眠りに落ちる度に人は死んでいると言った者が居た。恐らくそれは一つの事実だ。

 晃道は緩やかに、眠りに落ちるように意識を混濁した闇へ落とした。


 市ヶ谷晃道の葬式はしめやかで小規模ながら、各界の著名人が集まった。

 その中に玲子ただ一人がチェンジャーとしてではなく、火野札市の文化人として出席した。彼の元を訪れたことは何度かあったが、終生彼がチェンジャーであるということは他の者には隠し通された。

 彼の遺言であるし、謂われない差別を招くことになりえるため、玲子にとっては当然の処置とも言えた。

 家族のない彼の持ち物のうち、金銭は殆ど残っておらず、多くが書物になっており、それらは市営、国営問わず近隣の図書館に寄贈されることになった。

 家はそのままの形で売りに出される、いまだに避難民のいる火野札市でそれは好都合であり、当然といえば当然である。

 死してしまえば、市最高の知識人と呼ばれた彼も一人の老人として同様に扱われた。それがその身に位階の王の精神を宿していたとしても。


市ヶ谷晃道 享年94歳 身長170㎝ 1月5日生まれ

 少年期は腕白でガキ大将然としていたが、その行動の理由は知的好奇心によるものである。

 青年期はその時点で歴史学に通じ、一家の一人息子の長男であることから戦争の難を逃れるも、旧友と文通し、その脅威を知る。

 若くして友人を失った彼はますます知ることに傾倒し、様々な学問を手広く学び、当代最高の知能と称された。

 大学時代は現在のリナのように各地を動き回り、数多くの知り合いを作ってはその知識を深めていったが、加齢とともに体の衰えを感じる日々が続く。

 やがて家に引きこもり、他者と交わらない日々を続けて自分を見つめ直すことにする。

 老後は家事手伝いを一人雇い寝たきりの生活を続け、誰にも伝えず己の考えを深めていき、その中でテンパランス、アイドラドと出会う。

 自分が死ねば消える存在ながら様々な出来事を死ぬ前に伝えることができ、彼は満足していたが、玲子やみえるなど自分の元を訪れるチェンジャーにも多少は伝えている。

 チェンジャー騒動の時に全く動きを見せなかったのは晃道とテンパランスの話で述べたが、彼は法律や世界の秩序以上に自身の秩序のみを重視したからである。


 テンパランス

 異世界にてハイエロファントと違う宗教の分派、非暴力非戦争を謳うため、平和派に属するものの戦力として数えられず厄介払いされていた。といっても彼とその中枢が戦わないだけで、彼の意を気にしない若い衆たちは喜んで戦っている。

 自然の流れを守る、人の手を加えない、という所謂老子の無為自然のようなものを謳っていたが、国はタワーに攻撃されて滅ぶ寸前だった。

 禿げ頭の若い坊主で、薙刀を使う戦士であるが、彼は兵の才能はあまりなく、人を率いることと修行によって鍛錬された信徒達が強いのである。


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