それはお伽話の様に美しく
御伽噺が好きだった。
辛い事、悲しい事、理不尽な事。
色んな体験を重ねるごとの逃避する頻度は多くなった。
いずれ、一人の時間は本を開くか、目を閉じ想像することのどちらかしかなくなっていた。
それほど現実というものは非情で、歪で、くだらないことの連続だから。
酷く鉄臭い匂いが錆びれた金属によるものか、それとも誰かの血の匂いか分からない。雑貨屋と呼ばれている場所にはこういった場所がある。
多くの鉄格子の中になるべく効率的にと詰められた物が欄列されていて、各々が様々な音を発している。
唸り、藻掻き、啜り、喚き、嘆く。
私たちはその中、なるべく舗装された最低限の道を歩いていた。
「それと、それと...あとあれも。全部買うよ。」
私の前に立つ男が言う。
「あ~お買い上げありがとうございます。」
その隣で両手で胡麻をする男が言う。
二人の服装は辺りと比べても格が違う。
それは温かそうで、何しろ汚れ一つない。
当たり前のことだ。彼らは汚れの付いた服など着ない。着たことがない。それを服と類しない。
そういった世界に生きてきた人間。
なら私は?
多少はいいだろう。少なくとも周囲と比べたら雲泥の差だ。
私の服は破れていないし、多少の汚れはあっても色がある。
「では、上の方で少々お待ちください。商品の方を磨いてからお渡しいたします。」
私たちの去り際に、選ばれた物たちは鉄格子から半ば強制的に出され、そしてどこかへ連れていかれた。
これから、あの男が言う”磨き”というものを受けるのだろう。
最低限人と呼べる状態にまで戻すのだ。
「———にしてもお前らは運がいい。かの心優しきローズ家に引き取られるのだからな!全くお優しいお方だ。」
「いえいえ、これは私の妻の願いなのですから。」
多くの商品を買って貰って上機嫌に高笑いを上げる男と、謙遜する様にやわらかい笑みを浮かべる男。
上機嫌な男の後ろには、男が一人と女が二人。それぞれに手錠と首輪をされた状態で立っている。彼らは先ほどとは違って、最低限服と呼べるものに着替えさせられていた。
「ほう、願いですか...。」
「えぇ。彼女はこの国の奴隷制度に対する憤りを持ちながらも、それを無くす力がなかった。だからこそ、こうして少しずつ奴隷を買い集め、食事、寝床、仕事を与えて彼らに尊厳を与える。それが正しいことであると説いていました。彼女なりの小さな抵抗なのですよ。貴方の様な奴隷商には理解できないでしょうが。」
「なるほど、確かに私の様な者には到底理解など出来ませんが、しかし買っていただけるなら文句はありませんよ。」
そうしてとんとん拍子に手続きを終えると、すぐに受け渡しとなった。
金と交換で渡される彼らを私が引き取る。
意向によって既に手錠と首輪は外されているはずなのに、彼らには反抗の意志すら垣間見えない。
それはきっと、期待しているのだろう。自分を引き取ってくれたこの男に対して。
「...いや、しかし驚きました。私はね、本心では貴方の事を疑っていたのですよ。綺麗ごとを吐くだけ吐いて何もしない人間など、この世に何人もいますからね。ですが、彼女。服も佇まいもどこかのご令嬢かと見間違えてしまいそうな程の気品だ。もしかしたら、貴方は将来私たち最大の商売敵になりそうだ。」
「ははっ御冗談を。」
「いえいえ、冗談ではないのです。奴隷制度反対連盟の党首さん?」
その言葉に返事はせず、男は一礼だけをして帰路に着いた。
屋敷に戻ると、多くの者が入口に立っている。屋敷の主人が戻ったのだから当たり前だろう。
彼らの至る所には消えない傷跡や、欠損などが目立つが、しかしその顔には微笑みが浮かんでいる。
「皆、ただいま。今日から新しい仲間が増えるから、まずは綺麗にしてあげて欲しい。それからのことは...サファルに任せるよ。」
「はい。お任せください。」
私は二つ返事でそう返し、さっそく作業に取り掛かろうとする。
「あーあと、今日はこの後行商人が来る予定だから、来たら丁重にね。」
そう言い残すと、男は私に分かる様に瞬きでサインをし、屋敷の中へ戻っていった。
それを確認すると私は一礼して、再度作業に移った。
とはいっても、やることは今日買って来た奴隷に対してこれからの事を説明し、それぞれの持ち場に立たせるというものである。
ローズ家では主に三つの職務が奴隷に与えられる。一つは農業。こちらは単純作業かつ力仕事の為、主に男性が任せる。次に炊事。こちらは主に女性が担当し、奴隷全員の食事の他、保存食、加工食を作り、農作物と共に街へ売り出す。これら二つは基本的に教養が無くても取り組め、かつ安定した利益を上げられる。そして最後に奉公だ。これは奴隷の中から選ばれた数人が屋敷の中で主であるあの男のサポートに回る。奴隷全体の統括兼、主の傍に仕え、あらゆることに対処する執事長の様な業務。そしてそれをしているのは私だ。
ここまでのことで分かるだろうが、サファルこと私は奴隷である。
13歳の時に奴隷に落ちて、それから五年間ここまでやって来た。
ローズ家には三年前に来て、私はこの立場まで昇ってきた。奴隷としては破格の待遇だ。というより、並の平民よりいい生活をしている。
明日の食事には困らないし、寝床どころか個室が与えられている。
しかしその分、業務は多岐かつミスが許されない。
緊張感を以って取り掛かることが必須となっている。
「サファルさん!百年薔薇にて不審者を発見しました。」
こんな事態にも対応しなければいけないのが辛いところだ。
ある程度の業務を片付けたところで、そんな連絡を受けた私はすぐさま現場に向かう。
本来なら貴族の家に不審者などが来たら追い払うか、処分して終わりなのだが、世間的評価が重要なこの家にとって、不審者であっても自棄に扱うことは躊躇われる。寧ろ、不審者であっても丁重に持て成すぐらいの度量が必要なのだ。
しかしここは貴族の家。不法侵入などそう容易ではないのだが、一体どうして入り込んだのか。
もし簡単に入れる経路があるとしたら、聞き出した後にフィードバックを行う必要があるな。
私はそんなことを考えながら現場に向かうと、そこには私が想像もつかないような状況が広がっていた。
庭に生い茂る薔薇園。通常十年から三十年が寿命と呼ばれる薔薇だが、ここに生い茂る薔薇は既に五十年もの間この庭を彩り、ローズ家という名の鮮やかさの象徴とされている。そんな薔薇が広大に広がる美しい景色の奥の方。案内された先には白と赤の薔薇と、棘々しいツルに絡めとられた様に身動きが取れなくなっている女性が白目を剥いて気を失っていた...。
女性の方は深紫のローブをしていた為、棘による被害が少なかったが、所々から棘が肌に刺さり、そこから滴る血は見るだけでも痛々しい。でも少なくとも息はしているようだった。
「これは、一体...。」
何をどうしたらこんなことになるんだ。というのが私の最初の意見だった。
完全に罠に掛かった獲物といった感じだが、ここは別に罠としての意味はない。単に景観という目的で育ててるだけだ...。
いや、そもそもこんな絡まり方するか?
こんな状況、自分から突っ込んだ挙句暴れまわるとかいう暴挙に出ない限り起こり得ないだろ。
色々考えてもあり得ないというものが結論だった。そして目の前にはそのあり得ないことになっている人がいる。
「それが...最初に見つけた子によると、空から何か降ってきたような気がして調べてみるといたとか。」
「じゃあこの人は空から降ってきて、そして落ちた先でツルに絡められて、結果的に生きていると。」
「...そう、なりますね。」
お互いに乾いた笑みを浮かべるのも仕方ないだろう。
それぐらい自分たちでも何言ってるのか分からない。
「主様にはどう説明しますか?」
「話はつけておくけど、事情が分かるまでは客人として扱うのが妥当かな。」
本当のことを言ってもは困惑されるだけだろうし、私も話半分にしか信じていない。
「....とりあえず、この人を助けてあげて。あと、ある程度ならツルを切ってもいいから棘には気を付けてね。」
「しかしこの薔薇は...」
「大丈夫。ここの薔薇は生命力が高いから少し切ったところで枯れないよ。」
辺りにそう命令すると、私は目の前絡まれている女性を見つめていた。
どこか分からないけど、この人のことをどこかで見たことがあるような気がしたからだ。
私は経験上一度会った人の事は基本的に忘れないのだが、どうしてもこの既視感の正体が掴めなかった。
それから無事、ツルから解放された彼女は、それはもう惨めな顔を浮かべながら天を仰いでいる、
暫くしても意識が戻らないので、仕方なく私は彼女をおぶって屋敷の客室間まで運んだ。
「ん、ふぁあ。...うん?ここは...。」
「目が覚めたみたいですね。」
既に日は沈み、屋敷全体が静まっている時刻。
私は客室間で本を読んで彼女が目覚めるのを待っていた。
待っている内に、この人はもう目覚めないんじゃないか?とも思ったが杞憂のようだ。
「私はこの屋敷の主から奉公を任されております。サファルと申します。」
「あ、あーどもです。」
「...。聞きたいことは多々ありますが、今はお客様の具合が心配。その為明日の朝に少々お時間頂けないでしょうか?」
「私夜型だから朝無理なんだよね。今からなら大丈夫....。あれ?」
「左様ですか。ではお名前と、何故この屋敷の園に....」
「荷物がなああああああああい!!!!!!!」
彼女はベットから飛び起き、「ここにもない、ここにもない」と走り回り、慌てふためきながら部屋の至るところを探し回る。
今は主も眠りに就いている時間。部屋が離れているとはいえ、少しは静かにして欲しい。
「...あの。」
「どこにあるの、あれを無くしたら私は...あわわわ」
「あのっ!!」
埒が明かないと私も大きな声を上げて、こちらに意識を割いてもらう。
彼女は流石にこちらを意識してくれたようで、その動きを止め、こちらを見る。
「私が知る限り、ここに来た貴方は何も持っていなかった。経緯は分かりませんが、少なくとも荷物はこの屋敷にはございません。」
そう告げると、彼女は酷く落胆した様子でその場に倒れ込む。
顔は青ざめ、「ははっ、あはは...」と掠れた笑い声を上げている。
これは...今日は何も聞けそうにないな。
「酷くお疲れの様子ですので、明日の....昼頃、一度主様の方に挨拶をして頂きます。」
そう伝えても返事はない。
それほどまでに荷物が大切なのだろうか。
しかしこの様子だと、明日もこのままになりそうだな。
「もし、生活の中で何かお困りのことがありましたら、私たちにご相談下さい。では。」
部屋から立ち去ろうとした時だった。
「ん?それもしかして、ラフィキの冒険譚じゃない!」
やつれていた彼女は、私の手にしている一冊の本に目が留まったらしい。
ラフィキの冒険譚はこの国では知らない者などいない程の有名なお伽話である。
全10巻で構成された主人公ラフィキが世界を旅し、その中で多くの仲間を集めて、世界を探っていく物語。
最終巻までに合計30名にも及ぶ仲間たちと世界各地の未知を巡り、人との繋がりの大切さを教えてくれるこの物語は教育にも使用されている程だ。
そして、何故かそれを見た彼女は途端に生気が宿ったみたいに活気を得ている。
「お好きなんですか?ラフィキ。」
私はこの御伽噺が大好きだった。
彼女もそうなんだろうか?
「い、いやいや好きじゃないよ全然好きじゃない!!!」
「え...。」
しかし口から出たのは否定の言葉だった。
「あ、ああ私も好きなんだよ、その本。何回も読んでる。」
どういうこと...。
この人は、話が出来ないのか、話が通じないのかどちらなんだろう。
もし、明日もこんな感じだったら正直怖くてしょうがない。
学業を修めていない人でも、会話ぐらいは幾らか出来るのに。
「そうですか。良かったら貸しましょうか?私も何度も読んでいるので、続きが気になることはないんです。」
「そうなんだ、へぇ~。」
彼女はこちらをにまにまとした顔で見ている。
「な、なんでしょうか。」
「サファルちゃんって推しのキャラとか、いる?」
「お、推し!?」
好きなキャラか...。
正直物語の誰かを特別意識することはこれまで避けてきた。いや、考えることが良くないことを知っていた。
現実とは違って基本的に物語の登場人物には役割があって、それを全うしている全員が重要なキャラクター。私にとって人気者も嫌われ者も物語の一貫と捉えている以上、差をつけることは自分が好きな世界そのものの否定に繋がると思っているのだ。所謂箱推しということだが...
だけど、そういうキャラクターを聞かれた時、ふと頭に浮かんできてしまう人物というのは存在する。
「ウペンド....。」
「えーーーーーー」
「な、悪いですか...」
「いやいやウペンドって...いや、ウペンドはないわーーー。」
私の好きなキャラクターを否定してくる目の前の女に怒りが込み上げて仕方ない。
こいつ自分の立場分かってるのかな?私がGOと言えば、不法侵入として極刑に出来るんだけど。
「だってウペンドってナルシストのキザ自己陶酔野郎じゃん!!」
それ全部意味被ってる。
「なんでですか!!かっこいいでしょ!!」
ウペンドはラフィキの旅路の中で出会った吟遊詩人である。
最初は女性に見境なくナンパを仕掛ける姿から、ラフィキ一行にも幻滅される。しかし自分なりの流儀を持っていて、それに準じて命を懸けたことで仲間に誘われるキャラクターだ。
私も最初は彼のことが嫌いだったのだが、仲間を絶対に見捨てない姿勢と、仲間の中では最も宝に興味が無く、それよりも仲間との思い出を大切にしている姿が印象に残っている。それが分かってから、私は徐々に彼の魅力に惹かれていたのかもしれない。
「サファルちゃんはあれだね、男に気を付けた方がいいタイプだね。あま~い言葉とか掛けられるとコロッと行っちゃってミスするタイプだよ!」
ビシっと確信を得ているかのように私に指さす彼女。
....。
いやいや、別に私は彼の一面的な部分に惹かれているのではなくて、あくまで内面の彼自身が仲間たちに向ける感情に対して尊いと思っているだけで。
特に宝を捨てるか、仲間をとるか迫られた中で躊躇わず宝を捨てて仲間の手を取るそういう部分が好きなのであって。
だから甘い言葉とかそういう部分だけじゃなくて、いやそういう部分も後半になると好きになってくるんだけど、本質的には彼の奥にある魅力というか、誰かを惚れさせようとしながら、実は自分が一番仲間に惚れているという少し不器用に感じる部分が好きというか、なんというか....
「殺しますよ?」
口に出たのは変な言い訳や説得の言葉よりも、純粋な殺意だった。
それから数秒経ってハッとした私が彼女を見ると、彼女は肉食動物に睨まれた小動物の様に怯え震えている。
「すみません。今の言葉は忘れてください。」
「忘れたら....殺される?」
「殺しません。今のはただ単に私の失言です。許されるなら無かった事にしてください。」
私は自分のしてしまったことに対して、彼女に深々と頭を下げる。
奴隷である私にとって、客人にこのような言葉をすることはあってはならないことだ。
それこそ極刑ものである。
...駄目だな。この立場になって少々傲りが付き始めてる。
前提として過小評価。それは奴隷として生きる上での私の教訓なのに。
「頭を上げて。ソファルちゃんは悪くないよ。そうだよね、人の好きを否定しちゃいけないよね。」
そう声を掛けられると、私はその姿勢を元に戻す。
「本当に申し訳ありません。」
「私が悪いんだから、気にしないで。」
「お気遣い痛み入ります。それでは私はそろそろ就寝の時刻ですので失礼します。それと一応朝食も準備はしておくので、お客様はお腹が減ったら近くの使用人に伝えて下さい。」
気まずくなった私はこの場を後にしようとする。
すると、彼女は私の手を掴んだ。
「私、アサンテ。気軽にアサって呼んで。」
「改めてソファルです。お休みなさいアサンテ様。」
私は半ば無理矢理掴まれた手を払って、その場から去った。




