最終話 決戦
「来るぞ! 散開!」
翼の怒号と同時に、リッチの骨の指先から漆黒の魔力の奔流が放たれた。
『死の息吹』。触れた者の生命力を奪い、即死させる高位の魔法だ。
「真白!」
「はい! 『聖なる壁』!」
真白が駆け寄り、翼の前に神聖な盾を展開する。黒と白の衝突。激しい魔力の干渉波が広がり、空気がビリビリと震える。
「ぐっ!」
翼が盾に体重を預け、踏ん張る。その隙に、霞が左から回り込んだ。
「理央、右! 裕樹、左!」
「任せて!」
理央の矢がリッチの詠唱を遮るように顔面へ飛び、裕樹が展開した重力場がリッチの浮遊を妨げる。
「今だ、京香!」
「はいっす! 師匠!」
京香が翼の背後から飛び出し、リッチのローブの裾を小太刀で斬り裂く。死角からの攻撃に、リッチの体勢が僅かに崩れた。
その一瞬の隙を見逃さない霞ではない。
「はあああっ!」
双刀を構え、霞が懐に飛び込む。
しかし、そこで彼女の不運が発動した。足元の石畳が突然砕け、霞の体がガクンと前のめりになる。
(しまった!)
リッチの骨の手が、霞の顔面に迫る。
『ホォホォ、自ら転んで死にに来たか』
嘲笑うリッチ。だが、その手は霞には届かなかった。
ドンッ!
翼の巨大的な体が、霞の横から滑り込んでいた。彼の肩甲がリッチの手を弾き、そのまま体当たりでリッチを壁際まで吹き飛ばす。
「大丈夫か、霞!」
翼が霞に手を差し伸べた。
その手は、硬くて、温かくて、絶対的な安心感を与えてくれる。
「…ええ、ありがとう」
霞はその手を取り、すぐに立ち上がった。
不運は相変わらずだ。だが、もう怖くない。この男が、どんな不運も受け止めてくれると信じているから。
「行くわよ、翼さん!」
「おう!」
二人は同時に地を蹴った。
翼が大盾でリッチの魔法陣を破壊し、霞が双刀でリッチの防護結界を斬り裂く。
「理央、裕樹、今!」
「うん!」
「落とすよ!」
弓矢と魔法の同時攻撃が、リッチの骨の体を削り取っていく。
押し寄せる冒険者たちの猛攻に、ついにリッチの体がボロボロと崩れ始めた。
『コノ…マズイ…』
リッチは己の敗北を悟った。骸骨の顔に、明確な焦りが浮かぶ。
『マタ会オウ、不運ナ剣士ヨ。私ハ不死ナル者…』
リッチが虚空に魔方陣を描き出した。転移魔法だ。かつてそうして逃げ延びたように、再び姿を消そうとしている。
「逃がさない!」
霞は叫んだ。また逃げられれば、また呪いは続く。また、翼に迷惑をかける。
絶対にダメだ。
霞は懐に手を入れた。あの日の夜、乃亜から渡された、ギルドが総力を挙げて入手した転移阻害の魔石。
「効いて!」
霞は魔石をリッチの足元に投げつけた。
しかし、不運が足を引っ張る。
投げた魔石は、リッチの描く魔方陣の中心から、わずかにズレて転がってしまった。
(嘘でしょ!?)
魔方陣が光り始める。転移が始まろうとしている。
「翼さん!」
霞は絶望的な声を上げた。
その時、翼が動いた。
「うおおおぉぉぉっ!」
彼は霞の投げた魔石に向かって、己が体を叩きつけるように滑り込んだ。
大盾の裏側で、魔石を掌で掴み取り、そのままリッチの足元の魔方陣の中心に、自分の手ごと叩き込む。
ドォォォン!
魔石と魔方陣が干渉し、激しい光が弾けた。
転移の光が霧散し、空間の歪みが強制的に修復される。
「なっ…」
リッチの体が、転移の途中で強制的に現実に引き戻された。
魔方陣の崩壊に巻き込まれ、リッチの骨の体が地面に叩きつけられた。
「よし、阻害できたぞ!」
翼が煤けた顔で親指を立てた。
霞は震えた。彼はまた、私の不運を、自らの体を張ってカバーしてくれたのだ。
リッチはのたうち回り、呪いの言葉を吐こうとした。
『貴様ラアァァ…』
「もう終わりよ」
霞は双刀を構え、リッチの前に立った。
その目に、もう迷いはない。
「私の不運も、私の一部よ。あんたに呪われたおかげで、私は…本当の強さも、大切な人も見つけられた」
霞は刀を振り上げた。
「さよなら、エルダーリッチ」
逆手の刀でリッチの魔力の核を砕き、順手の刀で骨の体を十字に断つ。
二天一流の極意。二つの刀が同時に届く、最速にして最大の斬撃。
ガラスが砕けるような音と共に、リッチの体が光の粒子となって四散した。
『グァァァァ…』
断末魔と共に、長い長い因縁が終わりを告げた。
同時だった。
霞の体から、黒いヘドロのような霧がスーッと抜け出ていく感覚。
胃の腑に居座っていた冷たい重みが、消えていく。
「あ…」
霞は自分の手を見た。
呪いが、解けた。
「霞!」
翼が駆け寄ってくる。
「大丈夫か!? 呪いは!?」
霞は胸に手を当てた。不運の原因だったリッチの呪いは確かに消えている。
でも、私の不運体質は変わらないのかもれない。でも、もう恐怖はない。
霞は、目の前の男を見上げた。
煤で汚れた顔。少し裂けた服。どんな時も私を守ってくれた、この男。
「翼さん…」
霞の目から、涙が溢れた。
「やったわ…倒したのね…」
「ああ、倒したぞ。お前のおかげだ」
翼がニッと笑い、霞の頭をワシワシと撫でる。
霞はその手を掴んだ。
そして、約束の場所へ行こう。あの夜、言ったよね。リッチを倒したら聞いて欲しいことがあるって。
「翼さん…帰りましょう。みんなと一緒に」
「ああ、そうだな。京香、理央、裕樹、真白! 帰るぞ!」
「おーー!」
5人の声が、冷たいダンジョンに響き渡った。
拠点に戻った夜。
シャワーを浴び、新しい服に着替えた霞は、自室のベッドの端に座っていた。
手には、あの日翼がくれた厄除けのお守りを握りしめている。
コンコン。
ノックの音が響いた。
心臓が跳ねる。わかっている。彼だ。
霞は深呼吸をして、ドアを開けた。
そこには、シャワーから上がったばかりの翼が立っていた。
「霞。呪い、解けたな」
「ええ。乃亜がギルドの鑑定機で確認してくれたの。もう、リッチの呪いは残ってないって」
「そいつは良かった」
翼はホッとしたように肩の力を抜いた。
沈黙が流れる。
でも、もう逃げない。霞は意を決して、口を開いた。
「翼さん。約束したわよね。リッチを倒したら、聞いて欲しいことがあるって」
翼の表情が真剣になる。
「ああ、聞くぞ」
霞はお守りを胸に抱き、真っ直ぐに翼を見つめた。
顔が熱い。恥ずかしい。でも、言わなきゃ。
「私…翼さんのことが好きよ」
その言葉は、震えていたが、はっきりと部屋に響いた。
「私の不運で、翼さんにどれだけ迷惑をかけたか分からない。裸を見られたり、ギルドで辱められたり…ごめんなさい」
霞は唇を噛み締めた。
「でも…私の恥ずかしい姿は、これからも出来るだけ翼さんにしか見せないって決めたの。私の全ては、翼さんのものよ」
最後に言った言葉は、ほとんど涙声だった。
霞は顔を真っ赤にして、俯いた。告白するなんて、これ以上の恥ずかしいことはない。心臓が破裂しそうだ。
長い、長い沈黙。
霞は恐る恐る顔を上げた。
翼は、耳まで真っ赤にしていた。
ガシガシと後頭部を掻きながら、照れくさそうに、でも最高に嬉しそうに笑っていた。
「…俺もだ」
「えっ?」
「俺も、霞のことが好きだ。ずっと守りたかった。お前の不運も、裸も、全部俺が受け止めるから、俺のそばにいてくれ」
翼はそう言うと、霞の肩を優しく抱き寄せた。
温かい。広い。安心する匂い。
「翼さん…」
霞は彼の胸に顔を埋めた。
もう、不運なんて怖くない。この人がいてくれるなら、どんなハプニングも、これからは二人のスパイスになるから。
「はい…私の全て、あげるわ」
抱きしめられた腕の力が、強くなった。
それが、彼の答えだった。
それから数日が経った。
「暁の盾」の日常は、少しも変わらないし、大きく変わった。
「師匠! 燕返しの特訓お願いしますっ!」
「あのね、焦らないの。基礎が大事なのよ」
「ええー!」
京香は相変わらず元気いっぱいで、霞の弟子として腕を上げている。
理央と裕樹は相変わらずツッコミ役で、真白は相変わらず皆のお母さんだ。
朝の稽古が終わり、霞がリビングに行くと翼がお茶を飲んでいた。
「おつかれ、霞」
霞は微笑みながら翼の隣に座る。
部屋のドアの隙間から、京香、理央、真白がこっそり覗いている。
「やっとこさ、くっついたっすね」
「本当ね、鈍感なんだから」
「ふふ、お似合いのカップルですね」
微笑ましい視線を感じつつ、霞は翼にキスをした。
不運な女剣士と、鈍感なタンクの恋。
始まったばかりの彼らの物語は、今日も「暁の盾」の拠点で続いていく。
最後まで読んでいただきありがとうございました




