巫女リュミとの邂逅
霧の中から現れた鎧の一団は、村の入口で足を止めた。
先頭の大男が、周囲をぐるりと見回す。
重い斧を肩に担いだまま、鼻を鳴らした。
「やれやれ……霧が濃すぎる。ここら一帯、また荒れてやがるな」
村人たちがざわつく。
「天象庁だ……」
「ほんとに来たのか……」
(天象庁……?)
ソーマの頭に引っかかる言葉だった。
さっき霧魔を見た直後にも、誰かがその名を口にしていた。
大男――ガルム・レオニダスは、村人ではなくソーマの方に目を向けた。
灰色の瞳が、霧越しに鋭く刺さる。
「おい。お前、見ねぇ顔だな」
「……俺はソーマ。さっきここで霧魔を――」
「霧魔を倒したのは、リュミの嬢ちゃんだろ」
ソーマの言葉を遮るように、ガルムが先に言い切った。
その口調には、明らかな疑いと軽視が混ざっている。
「見た感じ、細っこいガキだ。お前が前線に立てる体じゃねぇ」
「……俺は別に、強いわけじゃない。ただ――」
「ただ?」
ガルムが一歩近づく。
霧の温度が下がった気がした。
「ガキの勘ってやつか? この村を救ったのは“偶然”だって言いたいのか?」
ソーマは反射的に眉をひそめた。
(勘じゃない。予報を聞いて……いや、説明できるのか?)
言い返そうとして、言葉が喉で止まる。
この世界に“前世の天気予報”なんて概念はない。
説明した瞬間、頭のおかしい奴扱いされる未来が見えた。
代わりに、リュミエールが間に入った。
「ガルムさん。ソーマさんがいなければ、私は間に合いませんでした」
「……あ?」
「霧魔の動き。風の変化。
私の《天象同調》でも読めない瞬間を、ソーマさんが補ってくれたんです」
ガルムは露骨に顔をしかめた。
「嬢ちゃん、優しすぎる。お人よしにも程があるぜ」
だがリュミエールは引かない。
「優しさではありません。事実です」
その一言には、巫女らしい静かな強さが宿っていた。
ガルムは鼻を鳴らし、肩をすくめた。
「まぁいい。
どのみち、今日の任務は“霧の異常発生”の調査だ。
魔物が出たなら話が早ぇ。
――いや、逆に悪いか」
彼が霧の奥を睨む。
「この霧……ただの濃霧じゃねぇ。
残滓の匂いが強い」
残滓。
またその言葉だ。
ソーマの胸の奥が、微かにざわつく。
「残滓って……さっきも聞いたけど、何なんだ?」
ガルムが不思議そうに眉を上げた。
「知らねぇのか? ……そりゃそうか。
お前、どこの出だ?」
「……分からない。目覚めたらここにいた」
「はぁ?」
ガルムの目が険しくなる。
「拾い子にしちゃ年がいってる。
なおさら怪しいな」
空気がきしむ。
ソーマの頭が冷える一方で、耳奥のノイズが微かに鳴り出した。
ザザ……。
(来る)
予報が流れる直前の、あの感じ。
『……明日にかけて、局地的に発達した雨雲。
山沿いでは突発的な強い風と霧の再発に注意……』
(霧の再発……強風……)
ソーマは、思わず霧の奥を見た。
霧の“厚さ”が、また変わり始めている。
風が流れ、谷の斜面に沿って霧が寄っていく。
(今の予報は“明日”の話……でも、こっちでは“今”起きる前兆だ)
この世界の災厄は、前世の予報と対応してしまう。
――なら、次も。
ソーマが口を開こうとした瞬間。
村の見張り台から叫びが飛んだ。
「また霧が来るぞ! 谷の奥から、黒い霧だ!」
村人の顔色が一斉に変わる。
「早い……もう来たのか」
「子どもを家に!」
ガルムが舌打ちした。
「おい、全員下がれ!
天象庁の部隊が前に出る!」
しかし村人たちは、霧の濃さに足がすくんで動けない。
そこへ、ソーマが一歩前に出た。
「ガルムさん、谷の奥じゃない。
霧は“右の斜面”から回り込む」
「……は?」
「風向きが変わってる。霧の塊もそっちに寄ってる。
今のままだと、避難路が塞がれる」
ガルムの眉間が深く刻まれる。
「……お前、何見て言ってんだ」
「霧の流れ。
それと――嫌な予感」
あえて、最後は誤魔化した。
ガルムは露骨に不満そうだったが、リュミエールが即座に頷いた。
「確かに……霧の魔力が右に偏っています。
ソーマさんの言う通りです」
彼女が《天象同調》で裏を取った形になった。
ガルムの瞳が、一瞬だけ変わる。
「……チッ。
嬢ちゃんがそう言うなら、半分は信じてやる」
半分かよ、とソーマは内心突っ込みつつ、状況に集中する。
霧が“右の斜面”から滑り落ちるように広がり、
その中心に、霧魔がいくつも形を作り始めた。
さきほどの大型個体ほどではない。
だが数が多い。
村人の悲鳴が上がる。
「来るぞ! 霧魔だ!」
「やだ、こっち来ないで!」
ガルムが吼えた。
「隊列、前へ!
――斧班、突撃!」
天象庁の兵が前に出る。
彼らは手際よく陣を組み、霧魔の群れに対峙した。
ソーマはその横で、必死に目を凝らす。
(この霧の動き……前世の“発達した雨雲の吹き出し”に似てる)
風は一定じゃない。
ときどき“反転”する。
その反転の瞬間に、霧魔は跳ぶ。
「次、左に跳ぶ!」
ソーマが叫ぶと同時に、リュミエールが前へ出た。
「《天象同調》――霧の位相、ずらして!」
淡い光が走り、霧の密度が一瞬だけ崩れる。
跳ぼうとした霧魔が姿勢を失い、兵の槍に貫かれた。
「今だ、押し返せ!」
ソーマの声に、兵たちの動きが加速する。
予報が示す“風の癖”をソーマが読んで伝え、
リュミエールが同調で“現場の霧の歪み”を正確に見抜いて補う。
未来のヒントと、現在の実測。
その二つが噛み合うたび、霧魔は確実に群れを失っていった。
最後の一体が散った時、
村の広場に、ようやく安堵の息が落ちた。
ガルムが斧を肩に戻し、ソーマを横目で見る。
「……妙だな」
「何が?」
「お前の指示、やけに的確だった。
霧魔の“跳ぶタイミング”まで読んでやがった」
ソーマは苦笑した。
「俺も、よく分かんないんだ。
でも……たぶん、俺には“霧の前触れ”が聞こえる」
ガルムは黙ったまま、数拍おいてから吐き捨てる。
「……気味悪いが、役には立つ。
お前みたいなのは、放っとくとどっかで死ぬタイプだ」
「褒めてるのかそれ」
「半分な」
ガルムがニヤッと笑う。
さっきの冷えた空気とは違う、乱暴だけど人間味のある笑い方だった。
リュミエールは、ほっとしたように小さく息をつく。
「ソーマさん。
あなたがここに来たのは、偶然じゃないと思います」
「……どういう意味だ?」
「空の揺らぎ(ゆらぎ)が、あなたに強く反応しています。
残滓の谷で、しかも今みたいな異常霧の日に。
あなたが来たこと自体が、“何かの兆し”に見えるんです」
ソーマは返す言葉を失った。
(兆し……俺は何に巻き込まれたんだ)
そのとき、ガルムが背後の兵に指示を飛ばした。
「隊長へ報告だ。
霧の異常は“谷一帯”。
そして……妙な“予報持ち(よほうもち)”がいる」
「よほうもち……?」
ソーマが聞き返すと、ガルムは肩越しに振り向いた。
「王都レウェンにはな、
天候を読むのが得意な連中がいる。
“測候院”って組織だ。
天象庁は、そいつらと組んで動くこともある」
測候院。
天象庁。
王都レウェン。
知らない名詞が次々と並ぶのに、
なぜかソーマは、胸の奥が冷えるのを感じた。
(……俺の能力、絶対に目をつけられる)
耳奥のノイズが、また微かに鳴った。
ザザ……。
まるで次の嵐の前触れのように。




