何も起きないという兆し
何も起きない日は、静かに積み重なる。
一日だけなら偶然だ。
二日続けば幸運と呼ばれる。
三日を越えると、人は理由を探し始める。
天象庁の記録簿は、淡々と埋まっていった。
異常なし。
警戒域なし。
対応事項なし。
文字にすれば、それだけだ。
だが、ソーマはその行間に目を凝らしていた。
何も起きていない、という状態は、
世界が自分で均衡を保っている証でもある。
「……逆に、気持ち悪いわね。」
セシリアが、昼の報告をまとめながら言った。
「ここまで揃って何もないと。」
「揃っているのが問題だ。」
ソーマは頷く。
「ばらつきが、少なすぎる。」
均衡は、美しい。
だが、完全に近づくほど、壊れやすい。
世界は、本来もう少し雑だ。
午後、外縁の観測点から戻ったガルムが報告する。
「人の流れも、風も、
全部“普通”だ。」
「嫌になるくらいな。」
普通、という言葉ほど曖昧なものはない。
だが、曖昧だからこそ、兆しになる。
リュミが、窓辺で空を感じていた。
目を閉じ、しばらく黙ったまま、
やがて小さく言う。
「……空が……
考えています……。」
「……止まって……
いるのでは……ありません……。」
考えている。
それは、次の揺らぎを選んでいる状態だ。
ソーマは、机の上に広げた地図を見つめる。
王都。
南の低地。
丘陵。
外縁。
境界の外側。
どの場所にも、今は重さがない。
だが、それは重さが消えたわけではなく、
まだ配られていないだけだ。
「……何も起きない時は、
備えるしかない。」
ソーマは静かに言った。
「手を出す準備じゃない。」
「手を出さない準備だ。」
セシリアが顔を上げる。
「動かない覚悟、ってこと?」
「そうだ。」
「動かない判断を、
迷わず選べるようにする。」
夕方、評議会から小さな問い合わせが入る。
内容は、別件だ。
農地の整備計画。
街路の拡張案。
天候とは直接関係しない。
だが、ソーマはその文面に、わずかな引っかかりを覚えた。
拡張。
整備。
安定している時ほど、人は広げたくなる。
夜。
屋上。
王都の灯りは穏やかだ。
だが、空の奥に、微かな張りがある。
リュミが、小さく息を吸う。
「……次は……
“何も起きない”……
こと自体が……
揺らされます……。」
「平穏への介入、か。」
ソーマは呟いた。
何も起きない状態は、
人にとっては“使える時間”になる。
余裕は、手を伸ばす理由を生む。
世界が整っている時、
危険は、外からではなく、
内側の判断から生まれる。
ソーマは、記録簿を閉じた。
今日も、異常なし。
だが、それは終わりの印ではない。
何も起きないという兆しは、
次に起きるものが、
人の選択に強く依存することを示している。
静かな日々は、
嵐の前触れではない。
だが、問いの前触れではある。




