受け皿を壊すな
受け皿は、壊れるまで評価されない。
壊れなかった時、人は「最初から大丈夫だった」と言う。
丘陵の貯留域は、静かだった。
音も、風も、色も、過不足がない。
それが異常だと気づくには、見慣れすぎていなければならない。
天象庁に戻ったソーマは、全体会議を開かなかった。
招集は最小限。
必要な顔だけを呼ぶ。
「結論から言う。」
ソーマは地図を伏せたまま言った。
「受け皿は、今は壊すな。」
セシリアが視線を上げる。
「……でも、溜まってる。」
「このままじゃ、限界は来る。」
「来る。」
ソーマは否定しない。
「だが、壊せば流れは一気に戻る。」
「南の低地が、次の受け皿になる。」
ガルムが腕を組む。
「人の生活圏だな。」
「そうだ。」
「だから、受け皿を壊す判断は、最後に取っておく。」
議論は短かった。
誰も、代案を出せなかったからだ。
流す、止める、逃がす。
どれも、別の場所を壊す കൗ(リスク)を孕んでいる。
午後、ソーマは現地へ戻った。
丘陵の縁に、簡易の観測杭を打つ。
数を増やさない。
深くもしない。
触りすぎないことが最優先だった。
リュミが、小さく首を振る。
「……空が……警戒しています……。」
「……触られると……身構えます……。」
「分かってる。」
ソーマは杭の角度を微調整する。
「受け皿は、繊細だ。」
「強化しようとして、割るのが一番まずい。」
夕方、評議会への報告。
新たな危険の公表はしない。
代わりに、運用上の提案だけを出す。
――南部低地周辺の開発申請の一時凍結。
――丘陵地帯への立ち入り制限(名目は保全)。
――観測は増やすが、対策は増やさない。
派手さはない。
だが、効く。
夜、屋上。
風が少しだけ強い。
ガルムが言う。
「受け皿を守るってのは、
殴られ役を守るみてぇなもんだな。」
「違う。」
ソーマは首を振る。
「殴らせないために、殴られてる場所だ。」
セシリアが、遠くを見る。
「……その場所が、
自分の役目を忘れたら?」
リュミが、静かに答えた。
「……忘れていません……。」
「……ただ……疲れています……。」
ソーマは、丘陵の闇を見つめた。
受け皿は、生き物ではない。
だが、役割を持っている。
役割を果たしている間は、壊すな。
壊すのは、代わりを用意してからだ。
今は、まだその時ではない。




