O線
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沖縄が本土復帰した1972年。日本鉄道建設公団に新たな区分が追加された。それが、沖縄特別振興線――通称「O線」である。
本土復帰以前に当時の琉球政府行政主席が「他県には隅々まで張り巡らされた国鉄網が存在する。それが戦後問題のせいで沖縄県だけ無いのはおかしい」との主張を展開した結果、運輸省はこれを重く受け止め、国会で審議を経て、本土復帰のタイミングで公団法が改正されるまでに至った。
O線として追加されたのは「名護線」。
ルートとしては、糸満から西海岸沿いを通り小禄へ、奥武山公園の南で地下に潜り国道330号線の真下へ潜る、そのまま北上して大平ICまで至った後に蛇行しながら普天間基地フェンスの東へ付きそのまま琉鉄の普天間駅直下に乗り入れ、キャンプ瑞慶覧の地下を通り国道58号海側に出てそのまま読谷まで北上、読谷からは58号の山側をずっと北上して名護に至るというものだ。
国と県は1975年に予定されていた「沖縄国際海洋博覧会」へのアクセス路線として名護線を見ており、それまでの名護市への開業を強く望んだ。そのため、まずは普天間駅から名護駅までの区間の開業を急ぐことになる。
このような経緯があり先行区間のみではあるものの、無事に1975年、国鉄名護線は海洋博と共に開業を果たした。
単線ではあるものの、最高速度130kmという高規格な線形を実現するため山岳トンネルと沿岸部は橋梁で建設され、県内新聞各社は「日本最南端の新幹線」として報じられるなど大きな話題を集めた。
また、北谷駅から普天間駅の間は米軍基地であるキャンプ瑞慶覧の地下を抜けていくことも、異例中の異例として大きな話題になった。
人口密集地である普天間以南は最初から複線で建設されることが決定している。
万博と共に成功を収めた国鉄名護線は、ここから順調に南側へと延伸されていくことになる。
……と思われていた。
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「公団としては、那覇市東部を直線的に結ぶのが費用対効果を考慮した結果妥当だと考えます」
「県、市民の意見としては、利便性や都市計画上、那覇駅の経由は絶対です」
糸満方面への工事が開始された1970年代後半ごろ、国鉄線の那覇区間について公団と県、市民団体の間で大揉めが起きたのである。
当初、公団が提示した計画では、那覇市内区間は古島駅からそのまま330号の地下を南下、琉鉄古波蔵駅付近に新那覇駅を設置し、奥武山公園方面へと向かうものであった。
この際、古島高架橋から古波蔵高架橋に至る330号の完全立体化工事も同時に進行する計画であった。
しかし、県としては既に那覇駅を中心とした旭橋、泉崎、久茂地地区を軸に都市整備を行うことが決まっており、国鉄がそこを経由しないというのには反発する意見が巻き起こった。
このような騒動から、1981年、北側から伸びてきた名護線の線路は那覇市内に少し入った古島駅まで開業したところで工事が中断されてしまった。
県の意向を汲んだ結果、古島駅は330号から少し西に寄ったところの地下に建設された。これは、牧港住宅地区(米軍住宅)を抜けて那覇駅方面へと延伸できる構造であった。
また、那覇市以南の区間は通称「糸満線」と呼ばれるようになり、じきに正式に路線は分割された。
糸満線の方は小禄本町駅を東へ抜けた後、国場川の真下でぐるりと進路を北に変えて県の要望通り那覇駅――正確には琉鉄那覇駅の向かいに位置する那覇バスターミナルの地下へと乗り入れた。こちらも古島駅の方へ向けて延伸可能な構造とされた。
この様な経緯があり、国鉄は古島駅と那覇駅という2つのターミナルを抱えることになったのである。そして、時代はじきに国鉄分割民営化の時代へと突入する。
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1987年に国鉄は分割民営化され、沖縄県の2路線はJR九州へと移管されることが決定。それと同時に、名護線読谷駅以北が特定地方交通線として廃止対象になることが決まってしまった。県と沿線自治体の対応は素早く、すぐに第三セクター化して存続させる方針が定まった。
その結果、1990年、読谷駅から名護駅の区間が「名護急行電鉄」へと継承され、それ以南の区間はJRの「読谷線」へと路線名が変更された(詳しくは「特急海道」の話を参照のこと)。
この頃、JR九州バスが沖縄県へと参入した。JR線の駅を中心とした路線バス網を主に中南部東海岸の中城町や旧西原村といった地域に対して展開するようになると、県内中南部の交通を支配していた琉鉄に対して徐々に影響力を増していくようになる。
県内各バス会社もJR九州の参入には強く警戒感を示し、次第に地場企業「琉鉄」を意識した路線網へと再編されていく事になる。
こうして、内地企業JRと県内交通事業者の間で、狭い島を舞台に現代まで続く競争が幕を開けたのだった。
次回は、2つに分断された路線を何とか接続しようとする自治体の物語である。




