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灰かぶりの姉  作者: 吉野
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鎧を脱ぎ捨てて


航平が居なくなるかもしれない。



それは、はるかに予想を上回る恐怖だった。

その恐れは容易く私の仮面を切り裂き、鎧を打ち砕いた。


そして、次に胸を占めたのは後悔だった。



5年前の私は、航平の愛に返せるものが何もなかった。

まともに触れ合う事も抱き合う事も出来なくて、ただ怯えていたあの頃。

私が怯えるたび、航平の目に傷ついた色が浮かんだ。


私の事情を理解してくれている。

そう思ってはいたけど、このままじゃ私に呆れて…愛想をつかしてしまうんじゃないか。

彼の方から離れていってしまうのではないかと不安だった。



愛していたからこそ、怖くて、不安で、心細くて。

航平の気持ちを信じる事が出来なかった。




——私の弱さが航平を傷つけるのなら、いっそ…。


そんな自分勝手な考えで距離を置いた。



でも、今ほど自分の身勝手さを後悔した事はない。



航平を失うかもしれない。

そんな状況に陥って、ようやく胸の奥底に燻っていた想いをハッキリと自覚したのだから。

5年間、蓋をして見ないふりをしてきた航平への想いを。


* * *


処置室から出てきた航平は車椅子に乗せられていた。

CT室へ向かうというので、看護師さんに代わってもらい私が車椅子を押す。



その際、自分の処置が終わっていた門馬さんが


「国枝さん、野口くんのこと頼むな。

俺は一足先に社に戻って報告しておくから」


と、ピラピラ手を振り帰っていった。



「で?門馬さんの怪我の具合はどうだった?」


「あ、うん、左手首の骨折で全治3週間だって。

すごい事故だった割に2人とも怪我が軽くて、警察の人も驚いてた」



航平も門馬さんも、お互い怪我人であるがゆえに自分の処置で精一杯で、相手の事まで気遣うゆとりはなかったのだそう。


私がそう告げると、航平はほっとした様子で顔を緩めた。




車は修理する事が難しいほど大破したのに、運転していた航平も、助手席に乗っていた門馬さんも奇跡的に骨折だけで済んだ。


その事実を聞いた時、改めて体が震えた。


万が一、少しでもぶつかった位置がずれていたり、加わった力が大きかったりしたら…。

今頃、航平とこうして会う事は出来なかったかもしれない。



特に神様を信じている訳ではない。

どちらかというと、父も、母も義父も守ってくれなかった神を恨んだ時期もあったけど。


…この時ばかりは感謝したくなった。

航平(と門馬さん)を助けてくれた、その事に。



「野口 航平さんですね。

付添いの方はこちらでお待ちください」


CT室の中から出てきた技師に言われるまま、近くのベンチに腰を下ろし、扉の向こうに消えた航平を待つ。



しばらくして出てきた航平の車椅子を押して、また救急へ戻ってCTの説明を受け、会計をして薬と松葉杖を受け取る。



航平が無理の効かない身体だからではない。

ただ、自分の思いを自覚した今、一方的に距離を置くような、そんな事はもうしたくなかった。


* * *


松葉杖をついた航平を支えながら社に戻ると、Zeroの全員が驚き半分興味半分で私達を出迎えた。



「国枝さんてば、何も言わずに飛び出していくんですもん。

びっくりしましたよ」


「あ…ご、ごめん」


くすくす笑いながら冗談ぽく言う原沢さんの言葉に、仕事をほったらかし…どころか、行き先さえ告げずに出てきた事を思い出す。




——どれだけ周りが見えていなかったんだ、私ってば。


羞恥のあまり、耳まで真っ赤になった私を皆ギョッとした顔で見つめた。



「まぁまぁ。

それより野口くん、怪我はどうなの?」


門馬さんが訳知り顔で助け舟を出してくれたけど、それにしてはニヤけ…にこやか過ぎる。



——なんなの?一体。



「あ、はい。

右足の骨折が全治1ヶ月。

あとはごくごく軽いむち打ちでしたが、そっちはなるべく安静にして湿布貼っときゃ治るだろうって」


「て事は…俺も野口くんもプレゼンは難しいって事だな」




——そうだった。


3日後に四菱で行われるプレゼン。


航平と門馬さんが担当で、連日2人で用意していたのに…。

この怪我では重い機材や資料を運び込む事は出来ても、プレゼンを行う事は無理だろう。




「門馬!野口!」


案の定、本部長に呼ばれた2人は


「申し訳ありませんでした!」


開口一番、頭を下げている。




部長室で、航平と門馬さんがひたすら頭を下げているところへ、今西さんと北条さんが戻ってきた。



「野口君と門馬さん、どうしたの?」


小声で尋ねた今西さんに原沢さんが答える。


「2人とも社の車で事故に遭ったんです。

って言っても信号待ちしてたら、後ろからドカーン!だそうで…」



心配そうに顔を見合わせた北条さんと今西さんに気づいたのか、本部長が2人を呼び出した。


入れ違いで戻ってきた航平と門馬さんは、やや肩を落としている。


「門馬さん、仕方ないですよ。

今の俺たちじゃベストは尽くせない」


「そう…そんなんだけどさ、タイミング悪いよな」



あんなに一生懸命準備していたのに、北条さんと今西さんがピンチヒッターという事で、3日後のプレゼンに臨むらしい。



口では大丈夫そうな事を言っているけれど、密かに落ち込んでいる航平に


「残念だったね」


と言えばいいのか、それとも


「また次があるよ」


と言えばいいのか、悩んでいるとバッチリ目があった。



私の表情を読んだのか、苦笑しながら声に出さずに


『バカ』


と言ってくる航平に、ツンと顎をそらす。




そんな私達を門馬さんは優しく、他のみんなは驚きをもって見守っていた事を、この時はまだ知らなかった。





鎧を脱ぎ捨てて…と言っても、勇気だけの素肌ではありません、あしからずw


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